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September 8 言葉の影、または引用について (3)  Word Shadows: On Quotation (3) [ことば Words]

September 08, 2008 (Monday)

    「はじめにパロールありき」というフレーズが先の引用にあったけれど、Charles Reade の小説の一節における "word" とは、キリスト教的文脈で言うなら、ヨハネ福音書の「はじめに言葉ありき」のWordであったろうと思われます。それは書き言葉ではない。だから語り手(書き手)の、 "I am asshamed of them and myself, and the human craft of writing, which, though commoner far, is so miserably behind the godlike art of speech" というコメントがある。ここで writing と speech が対比されているわけですが、同時に "human" と "godlike" という形容詞を与えられることで、声の、神的なものにまでつながる神聖性、対するに文字(書かれたもの)の低次の卑俗性があるわけです。

  で、歴史的に考えようとするときに、プラトン=デリダ=宮川淳のラインのもういっぽうで、ボルヘスなのです。というか、ボルヘスの『異端審問』におさめられた講演だかの文章に哲学史の本(シュペングラーの『西洋の没落』だったかしら)を引きながら「書物の歴史」について語っている文章があったはずです。うろおぼえですが、口頭による伝承を重んじる文化というのがある。それは一子相伝みたいなのが巻物じゃなくて口伝による、みたいな『北斗の拳』的アニメ的なイメジでいいと思うのですが(いいのか?)、ピタゴラスとかギリシアの伝統もそうだった。ピタゴラスは何も書き残していない。プラトンとかにとって書物は声の代替物、それも声に劣った代替物でしかない。だけど、そこにヘブライから、霊感を受けた書物という観念がはいってきます。つまり神の霊感を受けた者によって書かれた「神聖な書物」。あと何書いていたんだろ。思い出せず。記憶についてかな。人間の発明したものはみな身体の一部の延長であるけれど、書物は異なっていて、記憶と想像力の延長であるみたいな。たぶん。

   ボルヘスがどこまで何を書いていたのか思い出せないのですが、その、神聖な書物という概念の入り込んだあとのヨーロッパの「書かれたもの」についての歴史を考えてみると、やはり「オリエント」からもちこまれる神聖文字の象徴というのがあります。エジプトの神話的なキャラ、ヘルメス・トリスメギストゥスがつくったとも言われるけれど、ヨーロッパの神秘主義の底流となったヘルメス学にへばりつくようにして、一方でユダヤの言語神秘主義カバラと肩を並べてきたのでした(たぶんカバラのほうは数秘学 numerology に特化することによって両者がケンカするのを避けたのではないかと思われるが自信はない)。

Sect. 16.--Thus there are two books from whence I
collect my divinity. Besides that written one of God,
another of his servant, nature, that universal and publick
manuscript, that lies expansed unto the eyes of all.
Those that never saw him in the one have discovered
him in the other; this was the scripture and theology
of the heathens; the natural motion of the sun made
them more admire him than its supernatural station did
the children of Israel. The ordinary effects of nature
wrought more admiration in them than, in the other,
all his miracles. Surely the heathens knew better how
to join and read these mystical letters than we Christians,
who cast a more careless eye on these common hiero-
glyphics, and disdain to suck divinity from the flowers
of nature. 〔Thomas Browne, "Religio Medici"
gutenbergetext96
 

 

トマス・ブラウンが記述するように、一方で世界をhieroglyphics で書かれた本と見る異教徒の伝統、もう一方で聖書が神の霊感によって書かれたと考える伝統。世界なり自然を神の書物と考える伝統はヨーロッパで中世以来あったことは、デリダが『グラマトロジーについて』で依拠しているクルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』(調べて確認しました。なんて直訳的題だ)の付録の topos (コンベンション、常套的概念)のひとつとして記述した「世界としての本」に見られるとおりです。イタリアルネサンスによっておこるエジプト学の高まりのなかで、聖書と自然は神によって書かれた2冊の本で、どちらも神聖文字によって書かれているとかいう考えも出てくる。いっぽうで、エンブレム・ブックとかヒエログリフィカの本とかが17世紀に出て、そのときの「文字」は絵じゃんか! という感じなのですが、まあ、自然なり世界がhieroglyph(ic) なる「文字」によって書かれていると考えること自体、「文字」に関してジャンプがあるわけで、きわめて混沌とした観念ではあるけれども、近代の人間対自然、それと書(物)との関係を考えるときに、公式じゃないところでこの聖なる文字の伝統というのがあるのでしょう。

  ぼーっと考えてみると、写本コピーというようなとろとろゆるゆるの増殖の仕方ではなくて、印刷術によって多数の本がコピーとして生産されるようになっていく近代において、ものを書く人間(欧米の)は、声の優位ということをいちおうタテマエ的に言いながら、どこかホンネがちがうのじゃないかという気もしなくもないですが、もっと積極的に、エクリチュールの優位性というか、超越的なものとつながりうる文字を夢想する作家・詩人たちもいた。

  ジャック・デリダは「préjugé hiéroglyphique 神聖文字の誤謬」という言葉で、それを読むことで超越的なものにつながりうると考える神聖文字的夢想を誤謬として批判することになります。

  チャールズ・リードという人の場合、もともと演劇の人であること(それはト書き的な描写にもあらわれていると思うのですが)も、こういう文章と関係があるのかもしれませんが(実際、舞台だったなら、こんな能書きをタレル語り手は存在しないし、存在する必要もないわけで)。

  リードは書かれているインクの文字が、実は "the shadows of the corpses of words" だと書きます。パロールは生きている。でもエクリチュールは死んでいる。書かれたものはコトバではない。話されるコトバの遺体(corpses = dead bodies)。あるいはその影。"shadow" というのは、死との関係では、死んで「影」になると考える伝統がギリシア・ローマにあるわけです。たとえば死者の国はその古典伝統を受けて the Shades です。そこの住人はshade だし shadow も「亡霊」の意味が辞書にあがっています。そうすると、たぶん正確にとらえると、「生きたコトバの亡骸の亡霊」「言葉の亡霊」なのでしょうかね。 "these word-shadows then were living powers on her lips, and subdued, as eloquence always does, every heart within reach of the imperial tongue."  古典的雄弁術の伝統にも敬意を表するかのようです。

試訳(リードの)――「このインクの走り書きを、われわれは言語の不完全な使用ゆえに、言葉と呼んだし、無思慮な人は実際に言葉であると夢想するかもしれないが、言葉の屍骸の影である。これらの言葉の影は、彼女の唇に発せられたそのときには生きている力であった。そして、雄弁というものがいつもそうであるように、荘厳な舌の届く範囲のすべての心を征服したのだった。」

試訳(マディガンによる「引用」の)――「これらのインクのしみ、それを言語の不完全性ゆえに我々は言葉と呼んできたが――ならば、これらの言葉の影、は、潜在的に生きている力であり、遠い昔に消え去った唇によって再び発せられることが仮にあったならば、雄弁というものがつねにそうであるように、届く範囲のすべての人の心を征服することだろうし、黙していてもなお、読む特権を与えられた者の深奥の感情に浸透して揺さぶる不思議な魅力をもっているのである。」

   だから、マディガンは、チャールズ・リードを誤引用しつつ改竄していることになります。彼に必要だったのはhieroglyphic な次元だったはいわんまでも、せめてポー的に、書いたものが人間のキャラクターをあらわしているという信念であるべきだったのに(たぶん)。

  と書いてからマディガンの本のタイトルをまた見ると、"Word Shadows of the Great" です。これはword shadows of the parole of the great の略ではなくて、段階を一個飛んで人間の「影」としているわけです。そうすると生身の偉人がいて、その霊的なものとして書き遺されたエクリチュールがあるということになるのですか。リードの原文にあった、書き言葉は死んでいるという内容は捨象・改変されたうえでの離れ業だったのでした。でも引用じゃないよ。悪用(笑)

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私的メモ的urls:

Richard L. Goerwitz, "Thoughts on Modern Hieroglyphic Theories and Their Impact on Swedenborg's Intellectual Millieu" <http://www.baysidechurch.org/studia/studia.cfm?ArticleID=61&detail=1&VolumeID=50&AuthorID=> Bayside Swedenborgian ChurchStudia Swedenborgiana, vol. 6, no. 3 (July1988) ロマン主義の時代からよく読まれ、フランスの象徴主義にも直接的影響を与えたスウェデンボルグに対する神聖文字とカバラの影響〕

Discovering Ancient Egypt "The Discoverers, part 1"; "The Discoverers, part 2" 〔"This is a chapter from Rosalie David's Book Discovering Ancient Egypt (Facts on File, 1993). It is an excellent survey of the early explorers and scholars who were the pioneers in the field of Egyptology."―Egyptian Civilization & Mythology

"Bibliography" Gateway to Wisdom: A Gateway to the Western Wisdom Tradition and Its Initiates <http://www.fbrt.org.uk/pages/essays/essay-bibliography.html> 〔本体はよくわからないが文献リスト〕

"Book of Abraham" Mormon Quotes: A Resource for All Those Investigating, Questioning, and Abandoning the Doctrines and Leadership of the LDS Church <http://www.ils.unc.edu/~unsworth/mormon/bookofabraham.html> 〔そういえばモルモン教の創始者もエジプトのパピルスに記された文字を解読して『モルモン経』をあらわしたのだった〕

Mark K. Greer, "Egypt, Tarot and Mystery School Initiations" ATS Newsletter #49 <http://association.tarotstudies.org/newsletters/news49.html> 〔ATS=Association for Tarot Studies〕


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