So-net無料ブログ作成
検索選択

October 20 姉と弟、アデルとフレッド Adele and Fred Astaire, Sister and Brother [歌・詩]

October 20, 2008 (Monday)

    以下の写真のいくつかはクリックで拡大です。

Sincerely,AdeleAstaire_.jpg

  Sincerely, Adele Astaire (1896-1981)

    ガーシュウィン兄弟がアステア姉弟のミュージカルを手がけるのは1927年発表のFunny Face Lady, Be Good (1924) に続いて2度目でした。たいへんな苦労をして書き直しを行なった『ファニー・フェース』は成功し、ブロードウェーで244回の公演を重ね、翌年11月からは、9月からのリヴァプールでのtryout ののちにロンドン公演を行なっています。このときピーター役のAllen Kearns も含めて、アステア姉弟以外の俳優は入れ替わっています。逆に言うとミュージカルの中心はアステア姉弟なのでした。

PlayPictorial291(June1926).jpgPlayPictorial324(March1929).jpg

 雑誌The Play Pictorial

  実は1928年にハリウッドはアステア姉弟をそのまま出演させて『ファニー・フェース』の映画化の計画を立てました。 しかし実現しませんでした。もし実現していれば、アデル・アステアがブロードウェイの役柄をそのままに出演する唯一の映画となっていたでしょう。アデルは、やはり弟のフレッドと共演した、1931年6月から翌年1月までのブロードウェイ・ミュージカルThe Band Wagon (IBDBデータ)の舞台(260回公演)成功後の1932年5月に、英国の貴族チャールズ・アーサー・フランシス・キャヴェンディッシュと結婚して芸能界から引退してしまいます。

Adele&Fred-The_Band_Wagon.jpg

  アデルとフレッド姉弟は、アメリカ合衆国ネブラスカ州のOmaha で生まれました。1896年9月10日生まれの姉は幼名Adele Marie Austerlitz、 1899年5月10日生まれの弟は Frederick Austerlitz。ドイツ系移民の2代目でした(生年月日については諸説あったようですが、英語版Wikipediaのソースを信じれば年齢は3つ離れています)。母親Ann [Joanna] Gelius (1878 - 1975まで長生きしたようです)はアメリカ生まれですがルター(ルーテル)派のドイツ系移民の家系、父親Frederic (1868 年リンツ生まれ- 1924 Frederick [Friedrich Emanuel] Austerlitz)はユダヤ人の血を引くカトリックのドイツ系移民であったようです。宗教的には複雑にも見えますが1910年代に一家でプロテスタントのEpiscopalian に改宗というか、しています。親は幼い娘アデルの舞踊の才能に驚き、弟と一緒に "brother-and-sister act" (当時ヴォードヴィルではやっていたらしい)をさせることを夢見ます(田舎のオマハから脱出したかったみたい)。フレッド・アステアは最初いやがってましたが、やがて姉のステップをまねし、ピアノやアコーディオンやクラリネットなど楽器も演奏するようになる。父親が失業し、一家はニューヨーク市に出てきて、姉弟のショービジネスをはじめる。こうしてAstaire に名を変え"Juvenile Artists Presenting an Electric Musical Toe-Dancing Novelty" と銘打って1905年にヴォードヴィルで出演し、評判を得ます。

AdeleFred_c1906.jpg

  1906年ごろのAdele と Fred。あ、このときにすでにトップ・ハットをかぶっていたのね、フレッドは(w)。

Adele&Fred.jpg

fred&adele101.jpg (1909)

   via "History Fred Astaire" <http://www.fadi.com/history_fred_astaire.htm>

  まもなく父親の売り込みで、 Orpheum Circuitにのっかり、全米を巡演して人気を博す。幼い姉弟は一種のライバル心をもちながら切磋琢磨したようです。やがてアデルの背が伸びて、少なくとも3インチ以上弟より高くなってしまい、バランスが取れなくなったらしい。2年間ショービジネスから身を引くことを一家は考えます(これにはchild labor を問題にして児童を保護する法律や協会(New York Society for the Prevention of Cruelty to Children = NYSPCC = Gerry Society)への対応ということもあったようです)。

adlastr1.jpg

   少女時代のAdele via "Adele Astaire - 'Cavendish'" Dancer History Archives by StreetSwing.com <http://www.streetswing.com/histmai2/d2astadl1.htm>

    復帰したとき、ふたりは新たにタップダンスの技を学んで身につけていました。のちにフレッド・アステアは世界最高のタップダンサーと呼ばれるようになるわけです。

adele(wordoftheday).jpg

  そして1916年、フレッド・アステアはティンパンアレーで働いていたジョージ・ガーシュウィンと偶然に出会います。 この邂逅はその後のふたりに大きな影響を与えるものでした。

   1917年のOver the Top からブロードウェイのショーに進出。研究者の説だと1920年ごろには弟の舞踊の技が姉を超えつつあったのだそうですが、舞台上ではパートナーを支えるフレッドの力とアデル自身の華やかさによってアデルが主導であり、一般の人気もアデルが高かったようです(このへん、つーかこの前後も英語版WikipediaのFred Astaire の記事のほうなどの適当な引きうつしです)。ともかく現役時代はアデルのほうがビッグだったと一般に言われておる。

468px-Fred_and_Adele_Astaire_in_1919.jpg

  Adele と Fred (1919年) 

 AdeleFred1921.jpg

  Adele と Fred (1921年)

 Adele&Fred_JamesAbbe(1921).jpg

  Adele と Fred (1921年)

 Adele&Fred_StopFlirting.jpg

 Stop Flirting (1923) たぶん初のロンドン公演時のブロマイド写真  いつのまにか弟は姉よりずっと背が高くなっており。

     そして、1924年、Lady, Be Good でガーシュウィン兄弟とアステア姉弟は仕事をします(IBDB データ)。New York のLiberty Theatre で12月1日から翌1925年9月12日まで。 舞台の写真(クリックで拡大)。ただ、この記事自体はイギリスの Empire Theatre での公演についてのものです――

TheAstairesinLadyBeGood.jpg

  クリックで拡大ですが、キャプションを書きとっておきます。その前にまず見出しは "THE RETURN OF THE ASTAIRES.: A Feast of Dancing by the Two Astaires in "Lady, Be Good," at the Empire Theatre"  左上―"LEFT OUT IN THE RAIN―FRED AND ADELE ASTAIRE ARE TURNED OUT OF THEIR HOME AT "BEACON HILL, RL"  右上―"THE INIMITABLE ASTAIRES, FULL OF FUNNY GESTURES AND MANNERISMS IN ANOTHER OF THEIR AMUSING SCENES"  左下―"MISS ADELE ASTAIRE WITH HER DANGEROUS 'PUG'"  右下―"THE 'SPANISH WIDOW FROM MEXICO' WITH JEFF (MR. BUDDY LEE)  そして下の記事―"After a long period of depression, during which it was given over to films, serious drama, and other purposes for which it was never intended, the Empire Theatre has now recovered all its old vivacity.  The two miracle-workers are Fred and Adèle [èアクサンがついています。なんかフランス風な感じ?] Astaire, the young Americans who first took London by storm in Stop Flirting.  In their new play, Lady, Be Good, they are repeating the success they achieved in thier first London appearance.  The critics all agree that there is very little story in the play, very little form―yet all London is flocking to the Empire!  The secret lies, of course, in the personality of the two principals, the over-fresh, ever-vivacious Astaires.  Lady, Be Good is in reality 'a dancing riot,' as one critic has termed it.  Throughout the evening their dance numbers rouse the audience to heights of enthusiasm and amusement rearely achieved on the stage.  The four pictures we give above, taken from the play, show these two skilful artists in a few of their very quaint scenes."

  右上の写真のキャプションに "funny gestures and mannerisms" というフレーズがあるけれど、アデルのひとつの特徴は彼女のユーモアでした。

Adele&Fred_JamesAbbe(1926).jpg

  Adele と Fred (1926年)

    そして1927年のFunny Face。フレッドは恩人の娘3人の保護者になっているジミー役。アデルはその3姉妹のひとりで、ジミーに誤解されるけれども飛行士ピーターとの結婚を許されるフラッパーの役。

Adele&Fred_VanityFair1928.JPG

  雑誌 Vanity Fair, October 1928

   Funny Face の舞台が終わった1928年にフレッド(とたぶんアデルも)はハリウッドに行きパラマウントスタジオでスクリーンテストを受けますが、映画に向かない、と判断されてしまったようです。 そして1932年、姉はイギリス貴族と結婚(かねて英国王室からアデルは愛でられていたようです)。 フレッドには衝撃でしたが、幅を広げる機会でもあった。このころミュージカルの Gay Divorce のために新たなパートナーを組んで、挿入歌のCole Porter の "Night and Day" を練習しているときに相方の女優のClaire Luce から、"Come on, Fred, I'm not your sister, you know." (「さあ、ほら、フレッド。わたしはあなたのお姉さんじゃないのよ」)と言われたというエピソードが残っています。これはルースのほうの回想であり、もっとロマンティックなアプローチをして、という叱咤激励だったのだそうですが、なかなか複雑な感じがします(わたしだけ~?)。

FredAstaire&ClaireLuce,TheGayDivorce.jpg Fred Astaire and Claire Luce in The Gay Divorce

  ダンスのパートナーというと名嘉智子の長篇漫画『パートナー』を思い出すのですが、月並みな言い方をすると一心同体みたいなところあるし。

Adele_Astaire,_Lady_Cavendish(1932).jpg

Adele as Lady Cavendish with Lord Cavendish (1932)

  あ、そうそう、フレッドは姉の後を追うように、というのもヘンですが(ツキモノが取れたようにというともっとヘンですが)、1933年に結婚しちゃいます。

  ともあれ、フレッド・アステアは1933年には映画界にも進出し、このGay Divorce の映画化 (1934)――そのころには有名なGinger Rogers とのコンビがつくられています――もヒットして、新進女優のオードリ・ヘップバーンと共演した1957年のFunny Face のころまでは、だいたい1年に1本は映画に出演しています。

   英語版のWikipedia の "Adele Astaire" を読むと、弟がハリウッドで成功したあとアデルは、 1935年にミュージカル映画を作ることを真剣に考えた、と書かれています。そして1936年1月にハリウッドを訪れ "Music Variety Show" に出演するのですが、弟の名声に委縮している感じがすると認める発言を残しているそうです。思うに、1935年というのは双子の赤ちゃんが出産後数日で亡くなってしまった年です。1933年には女児がやはり生まれてすぐに亡くなっています。そういう家庭での不幸と復帰の思いは無関係ではなかっただろうと想像されます。(年下の夫のチャールズは病弱(か病気持ちで)、1944年に亡くなってしまう。) そして1937年――

Adele began filming in England with Jack Buchanan and Maurice Chevalier, but withdrew after two days. She later recalled: "Oh boy, if my brother Fred sees this―I'm gone".  There is no known film record of Adele performing (aside from a clip lasting a few seconds), but she made eight recordings, all duets with Fred." <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Adele_Astaire>

   イギリスで映画の撮影を始めますが、2日で退いてしまう。のちの回想では「弟のフレッドがこれを見たら――あたし死んじゃうわ」。こうして、アデルの映像は、ごく短いビデオクリップをのぞけば、存在していません。

    そして、アデルは8本の録音を残しています。実はいずれも弟のフレッドとのもので、そのうちの7つを編集したものを見つけたので、ちょっと脱線してこの記事を書いた次第です。

 " FRED & ADEL ASTAIRE: A JAUNTY PAIR EXTRAORDINAIRE " (6:10) posted by "northbreed1" on September 16, 2008: "Featuring piano playing by George Gershwin himself.
Cameo appearances by Abraham Lincoln (as himself) and Ursula Andress (as the Swiss Miss).

Adele Astaire (1896-1981)
Fred Astaire (1899-1987)

A sibling pair from Omaha, Nebraska, who made good in vaudeville and in major musical revues and productions on Broadway and in Londons West End.

Song Excerpts:
1) Stage patter intro to "Oh, Gee! Oh, Gosh!"—recorded October 1923 in the United Kingdom.
2) "Hang On To Me"—recorded April 1926 in London, England.
3) "Fascinating Rhythm"—recorded April 1926 in London, England.
4) "I'd Rather Charleston"—recorded April 1926 in London, England.
5) "Swiss Miss"—recorded April 1926 in London, England.
6) "Funny Face"—recorded November 1928 in London, England.
7) "The Babbit and the Bromide"—recorded November 1928 in London, England.
--Selection numbers 2, 3, and 4 feature piano accompaniment by George Gershwin.
--Selection number 4 features photographic accompaniment by United States President Abraham Lincoln, visiting a Civil War camp in 1862.
--Selection number 5 features additional photographic accompaniment by my kind of (non-cocoa) Swiss Miss: model/actress Ursula Andress (born in Ostermundigen, Berne, Switzerland in 1936.)

Questions or comments are sincerely welcome. Lewd, derogatory, or irrational comments will be pelted, alternately, with tomatoes and cabbages.

Thanks for viewing, mesdames et messieurs.

Support the work/legacy of Fred Astaire: rent or buy and view his movies; borrow or purchase and listen to his music."

 

  (6) の "Funny Face" では確かに "personality N.T." と歌っています(ただしJimmy と Frankie のパートが微妙に違う)。

Adele&Fred_vanity-fair.jpg225px-Adele_Astaire_in_1919.jpg

 

 


"Fred and Adele Astaire" Broadway: The American Musical. Stars OVer Broadway <http://www.pbs.org/wnet/broadway/stars/astaire_f.html> 〔ひとつ違いの姉弟にしている〕

"Adele Astaire - 'Cavendish'" Dancer History Archives by StreetSwing.com <http://www.streetswing.com/histmai2/d2astadl1.htm>

"History Fred Astaire" Fred Astaire Dance International <http://www.fadi.com/history_fred_astaire.htm>

"Adele Astaire" Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Adele_Astaire>

「フレッド・アステア」 Wikipedia 〔Adeleの発音はアデールではなくて アデル、上のどこかのページの表記を借りれば [uhDell]だと思います〕

 

"Geroge Eastman House Nickolas Muray - Strip 19 Series" <http://www.geh.org/ar/strip19/htmlsrc/muray_sum00027.html#77:0695:0115> 〔1920年代と思われるAdele の写真3葉〕

 

カリフォルニア時間2008年10月22日11時追記。ちょっと画像を追加しました。


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 1

お名前(必須)

調度、ロイヤルウエディング(恋愛準決勝戦)を観たので
アデルの結婚後を調べたのですが、玉の輿なれど
家庭には恵まれなかったようですね。
フレッドの2回の結婚はいずれも幸せだったと思うけど。
by お名前(必須) (2017-01-05 09:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。