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October 31, Nov. 3 メイポールを巡って (2)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづきの2)   About the Maypole (2): Renaissance Fair (5) [America]

October 31, 2008 (Friday)

   なんでハロウィーンに五月祭のことを書いているのだろうか、という疑問がなくはないが、たぶんそれは自分の性質の根っこのところにかかわるか(いわゆる根性ですか)、あるいは巡りあわせのようなものなのだろう、と思って書いています。

  とりあえず日本語の、とりあえずWEBでの、とりあえずMaypole という表記での、とりあえずグーグル検索で、とりあえず目を通してみました。意外に多かったのでした。そして、ここで、もはや新しいことはない、すべて言われている、というような思いは全然もたなかったのは、自分が能天気だからかもしれないし、ブログを通して引用の性質について学んだからかもしれないし、今日の天気が昨日に続いて雨模様だったからかもしれない。

  エリアーデの「中心のシンボリズム」についてメモを書いたので、気が楽です。「October 31 エリアーデのいう中心のシンボリズム The Symbolism of the Center as Described by Mircea Eliade」 [メモ personal notes]

  さて、木になった、いや気になったのは、 ひとつめは、一般論的に、相も変わらずだけれど、ウィキペディアに依拠して、これが正しいというようなトーンで、しかも場合によっては典拠を示さずに書くサイトの存在であり、ふたつめは、個別の問題として、ファルス解釈の横行です。そして、救われるのは、みっつめとして、いい意味でのイノセントなメイポールならびに五月祭についての記述がWEBにはあって(特に海外在住の日本人のブログにはほほえましいものが多い)、それはファルス、ファルスと吠えるpedantic (衒学的)な文章と対照をなしていることでした。

  急いで付け加えておけば、自分はルネサンス・フェア同様、メイデーの祭を自分で目撃・体験していません。しかし、同じことを何度もくりかえして書きますが、体験しないことについて人は書けないということはない。文学は、作家も読者も、オードリ・ヘップバーン的empathicalismかどうかはともかくemphathy で生きています。感情移入なくして文学なし。そして想像力。 (メイ・デーについてのいちばん印象的な文章は、亡くなった小池K先生が退官後にイギリスの田舎に過ごしたときの随筆ですね。世界軸やらましてファルスやらへの言及などかけらもなく、ただ村の祭りの様子を記述しているだけなのですけれど。そのあたたかいまなざしに、読む自分の視点が重なったときに共有される愛情というのはかけがえのないものだと思わざるを得ません。人の残す文章の生きたチカラというのはそういうものなのだと。そういえば、昔自分がロンドンに行くことになったときに、4月はまだまだ寒いというような話を小岩の中華料理屋で話したのが懐かしい思い出です)。そしてまた、文学的というのは、幸か不幸か、その裏側にへばりついたようにときに批評的criticalということなのだ。 さまざまな分野において、道を分け入れば批評的になるのだけれど、文学が特殊なのは、それがもとから言葉・言語表現にかかわる領域だからに他なりません。だけど批評的であるということが文学的であるということでは必ずしもない、というややこしさがある、ような気がする。

  で、えらそうに言うわけじゃないけれど、「ファロスと世界樹を廻る「メイポール」のリボン踊り」というようなタイトルは

November 03, 2008 (Monday)

    ハロウィーンから1日の諸聖人の日(万霊節)、2日の死者の日(万魂節)と、ブログを書けないほど忙しかったのではないのですが、上のまま途絶えていました。こうやって間をおいて自分の書いたものを見ると、もちろん恥ずかしさが一番にありますけれど、最初の読者は自分であるという気分とともに、いや、自分は自分ではなくてもうひとりの自分であるという気持ちとか、なんだかんだいって書くということはジェンダー的だろうがなんだろうがパフォーマンスだという考えがよぎったり、寒い、原稿用紙の手触りは雪のようだとか、ブログでは書けないな、とかアホなことを思ったりもします。

  さて、 「ファロスと世界樹を廻る「メイポール」のリボン踊り(神話・宗教・民族学)/ヒロさん日記」は2006年5月31日の記事です。新聞記者、広告編集、翻訳・通訳などの仕事を経て英国に在住のHiro-san が、五月にイギリス各地のコミュニティーで「May Fair」が行なわれ、出し物や形式はさまざまだが、中心になるのはメイポールだ、という書きだしで、 準備の手順について、それから、子供の学年のちがいやあるいは子供と大人のちがいで、リボンの巻つけ方のパタンの複雑さに差があることなど説明されます。そのあと英語のWikipedia を引いて、メイポールはゲルマン民族の祭りで、ドイツ語では「マイバウム(Maibaum)」と呼んでいることなど書かれます。そのあと、ちょっと唐突に、「このメイポールの柱が象徴するものは、北欧神話に出てくるユグドラシル(Yggdrasil)という「世界樹」である。これを世界中の神話に広げると、ファロス崇拝(Phallus Worship)につながる。」と書かれて、反・ギリシア神話:男根崇拝(Phallus Worship)」という見出しで引用とリンクが行なわれます。「男根原理は、『メイポールmaypole(五月柱)』や『花嫁の杭』のような聖なる杭や柱として、ひそかに崇拝された。」という出だしの文から日本語としてどうなんや(ひとのことは言えませんが)、という引用元 <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/phallus.html>なのですけれど、ペダンティックな注は、翻訳書の併記以外は皆外国の書物で、どうやら本文自体がなにかの訳のようです。適当にurlを短縮して探ってみると、どうやら『バルバロイ!』という大きなページのなかの『ギリシア神話・伝説ノート――失われた女神たちの復権』というページの一部のようです。冒頭に「バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』と、その批判のための覚え書き」とあります。え、それってバーバラ・ウォーカー(ウィキペディア)の、翻訳が出ている『神話・伝承辞典――失われた女神たちの復権』 (ISBN978-446901220) すか?  ほとんど使ったことはなかったが、そんなにエロい、いや偏った、いやおもろいものだったのか。この『バルバロイ!』のホームページの目次的な箇所でこのギリシア・神話伝説ノートについては「バーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』(大修館)はじつに興味深い書物だが、たわごとも多い。そのたわごとを一々検証してゆく。」と書かれている。検証がどこにあるのかわからないが、そのままとりあえず筆写したものなのかしら。テキストの正体がとりあえず不明。あまぞんに引かれた、出版社からの内容紹介――「最後の晩餐のパンとブドウ酒は古代の人肉嗜食と共通の根をもつなど、世界の神話・伝承や未開民族の呪術を、最新の神話学的手法でとらえなおす・・・・・・」 

神の化身である生贄を食べる目的は、そうすることによって神の肉体の肉になって、神の聖なる肉体が再生するときに自分も同じく再生できるようにするためであった。キリスト教の聖餐は、原始時代の共感魔術としてのカニバリズムの儀式にその源を発するものではないと言っても、それは通用しない。初期キリスト教時代の秘教というものは、すべて、カニバリズムまがいの聖餐を行えば、祀る者は祀られる者(神)と一体となれるという信念をその中心に持っていたのである。「宗教の初期の段階には、聖餐という形で神を食べることによって、自分も神の一部になれるという固い信念があった。これは疑いないことである。例えばトラキアのディオニュソスの秘儀においては、そうした食事にあずかった人々は神の聖なる生命を自分たちも分かち持つことができるとされ、そのためにその神の名で自分たちも呼ばれることになるのである」(「人肉嗜食(Cannibalism) 」)

・・・・・・やれやれ。ほんものか。通用しないという人に何を言ってもむりだろうけど、だからといって、聖餐式において人はカニバリズムを行なっているとか、メイポール・ダンスの女の子たちははファルスをまわっているとか言うのは、ひどく誤っていると思う。思うだけだから、反論しないでください(誰に向かって言っているやら)。

   さて、「ファロスと・・・・・・」の記事は、そのあと、ケルトの火祭りべルテンに及び、「スコットランドの伝統行事・Beltane・五月祭」(本文のリンクは「このページは作者の引退に伴い、作者自身のサイトに移転しました云々」ということで、現在のサイト名)を参照します。この面白いページは『世界の文化、伝統行事』というサイトの一部のようです。ただ、ひとのことは言えませんが、まとまりがないです(まあそこがおもしろいのですけどw)。

   「ファロ・・・・・・」の記事もおもしろいといえばおもしろいのですけれど、ひっかかったのはタイトルと、それからべルテンの紹介に続けて「男女の裸踊りのほうは、さすがに現在は行われていない(はず)。どこかでやっていたら、見に行きたいものだが。」と書き(ここまではよい)、「このメイポール祭りは、さすがに日本ではないだろう、と思っていたのだが、2つ発見した。」と日本の学校のメイポールダンスのサイトを紹介して文を閉じているところです。もっとも、コメントはあっけらかんとして、うちでもやってましたとか、さまざまな情報が寄せられるし、いいんだけど。いっか(笑)。

☆☆☆

  福岡女学院の法人本部アーカイブの今年の9月11日の記事として「メイクイーンとメイポールダンス」 <http://www.fukujo.ac.jp/houjin/archive/> と題して歴史が書かれていました。アメリカのメソジスト系の宣教師ジェニー・ギールによって1885(明治18)年に創設された学校ですが、9代校長のアメリカ人エリザベス・リーが1916(大正5) 年の創立記念日に始めたもので、それ以来年に1回創立記念日に中学2年生から芽衣クイーンを選んでメイポールダンスを公開しているのだそうです。『中高MISSION News』3号から「福岡女学院のメイクィーンとメイポールダンス」という写真付きの記事が転載されていて、紋付の着物でふとんに座っている初期のメイクイーンの写真や、最初の、やはり羽織はかまのメイポールダンスの写真と説明の文章がたいへん興味深いです。*

   *カリフォルニア時間4日9時追記 このページには創立記念日がいつか書かれていなかったので、調べました。5月18日です。

  ここがエライのは「この記事で参考にさせていただいたサイト。」としてWikipedia (英語の"May Queen""Maypole dance")以外に「・メーデーの由来」と「・ファロスと世界樹を廻る「メイポール」のリボン踊り 」がちゃんと引証されていることです。感心しました。しかしファロスじゃなくてペニスだったら引かんだろうな(どん引き)。

  つまり、たぶん自分が引っかかっていたことのひとつは、ファロスというような普通の人には聞きなれないカタカナことばによって感度が鈍らされちゃおらんだろうか、という疑問です。

  それから、ヨーロッパの人たちのブログ記事もさわやかでした。

"Midsommardagen" 『海木庸子 つくり手ブログ All About スタイルストア』 〔今年6月20日の「夏至祭」について。メイポールの写真を見ると、十字架の形に見えます 2008.6.21〕

五月祭『ドイツより愛を込めて=お気楽ドイツ生活=』〔5月1日祝日の「5月祭の日(Maitag マイターク)」と「五月柱(ドイツ語でMaibaum 英語でMaypole)」についてshampoo さんのブログ記事 2007.4.30〕 そして同じshampooさんによる今年の記事「マイバウム」 〔「思いを寄せる女性への愛の証として、女性の住む家の前などに男性がリボンの付いた木を立てて行ったりなんて事もするようです」という木なども含むさまざまな五月柱2008.5.1〕

ミッドサマァ~だよ。」 『フーテンのヴェラ』 〔ミッドサマー前日のスカンジナビアのフーテンのヴェラさんの2007.6.23 のブログ〕

五月の木と カスタニア 『ケルンだより その2』 〔「彼女に想いを寄せる男が、愛の証しに白樺の木を窓の下に立てて行ったんだわ。」 ドイツのケルンにお住まいだったtamayaMさんの2007.5.3 のブログ〕

   アメリカの人のブログで興味深かったのは、東部のメリーランド州滞在のMotokoさんの英語ノート "Today's word2" におさめられた "MAYPOLE" の記述です(2006.9.10)――

maypole


maypole [] 5月柱

昨日行った renaissance festival 16世紀のイギリスを再現するお祭りでしたが、そこで Maypole を初めて見ました。Maypoleは、リボンを用いたダンスに用いられ、柱のてっぺんから数十本の色鮮やかなリボンをたらし、そのリボンの端を持ちながら踊ってリボンを柱に巻き付けて素敵な模様を編むための柱です。Wikipedia によると、メイポールはゲルマン民族の祭りで、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、フィンランド、スウェーデン、イギリスで盛んだそうです。イギリス在住のヒロさんが書かれたブログ に、イギリスでのメイポール事情が詳しく出ていました。5月祭というお祭りで使われるようで、それが Maypole の名前の由来かと思われます。

興味深かったのは、ぐるりと巡ってファロスに戻ったからではもちろんなく、ルネサンス・フェアでメイポールが登場しているからです。

    さて、毎度断章的な文で恐縮ですけれど、最後に、やはり、新しい神話学解釈とかフェミニズム的神話解釈とかネオペイガニズム的解釈というのがどうであれ――そして、新しいものが目に留まることが、とくにWEBでは多いのかもしれないのですけれど、――やっぱ、ヨーロッパにおける樹木崇拝というからにはフレイザーだろう、ということで、有名な『金枝篇』を引いておきます(簡略本の第10章「近代ヨーロッパにおける樹木崇拝の残存」)――

Chapter 10. Relics of Tree Worship in Modern Europe

FROM THE FOREGOING review of the beneficent qualities commonly ascribed to tree-spirits, it is easy to understand why customs like the May-tree or May-pole have prevailed so widely and figured so prominently in the popular festivals of European peasants.  In spring or early summer or even on Midsummer Day, it was and still is in many parts of Europe the custom to go out to the woods, cut down a tree and bring it into the village, where it is set up amid general rejoicings; or the people cut branches in the woods, and fasten them on every house. The intention of these customs is to bring home to the village, and to each house, the blessings which the tree-spirit has in its power to bestow. Hence the custom in some places of planting a May-tree before every house, or of carrying the village May-tree from door to door, that every household may receive its share of the blessing. Out of the mass of evidence on this subject a few examples may be selected. 〔James George Frazer, The Golden Bough
(以上、木の精霊に共通して帰せられる善性について検討したことで、メイツリーとかメイポールなどの習慣がヨーロッパの農民の民衆的祝祭にきわめて広範に普及し、際立ったあらわれかたをしている理由を理解することが容易となる。春、または初夏、あるいはちょうど夏至の日に、ヨーロッパの多くの地域で、過去においても現在においても、森へ行き、切った木を村へ持ち帰り、皆で祝って立てるという習慣がある。あるいは人々は森の中で木の枝を切り、それを家々に結びとめる。こういう習慣の意図するところは、村に、そしてそれぞれの家に、樹木の精霊が与える祝福をもたらすことにある。だから、場所によってはメイツリーをすべての家に植えるとか、あるいは村のメイツリーをかついで家々をまわるとかして、すべての家が祝福にあずかれるようにする。この主題についての豊富な証拠からいくつかの例を選ぶことにしよう。)〔やっつけ訳です〕

  このように10章の冒頭で書いて、フレイザーは16世紀のイギリスのPhilip Stabbs Anatomy of Abuses (1585) 〔『悪習の解剖』と訳されるのかしら。性的な放縦を問題にしつつ、偶像idol とか異教徒heathen などキリスト教的な批判の語を連ねる〕など批判文書など歴史的な典拠も引きながら、詳述していくことになります。May-tree という言い方は、ドイツ語のMaibaum に相当するほうですね(バウムクーヘン Baumkuchen ―"tree cake"―のbaum)。

   問題は、古代にあった男根崇拝が意識的にあるいは無意識的に、五月祭と結び付けられることはあったし、今もあって、それをとりあえずモーリちゃんの父の関心としてはルネサンス・フェアなどの流行とどう関係づけるかづけないかなのですけれど、むつかしいので股、いや、またにします。

  あ、さらに最後にひとつだけ英語版がまだ見つからない自動翻訳と思われるヘンな日本語を断片的に引いておきます。これはWiccans という、魔女狩り以前の古代の魔女を現代によみがえらせようという、現代の魔女のひとりであるらしい女性のメッセージのようなのですが、とりあえず太字にしたところに注目して、他の猥雑ないし性的なところは無視してください(無理かもしれませんが)。――

にBeltaneの儀式-記事--を どのようにしなさいか

Beltaneは世界の連合そしてバランスを象徴するためにWiccansによって祝われる年次イベントである。それは通常5月に保持され、来年の豊饒そして新しい生命の祭典である。 ワード自体は「shining火」を意味する。これは日の時間の間に開かれる祝祭の1つである。

たくさんの年もの間、人々は北欧中そしておそらく異教徒が集まった土地でこの儀式を祝った。ばねの花は集められ、花で家を飾っている人々は村の通りを通って歩く。ホームの人々のほとんどはBeltaneの「トリックまたは御馳走」バージョンのために食糧を外へ残す。

この祭典は種まきのシードおよび新しい生命を作成することについて完全にある。この休日の最も重要な伝統の1つはMaypoleのそれである。 若者はもみ木を選択し、この機会のための棒を作る。 この棒は村の中心に置かれ、祭典の日まで密接に守られた。

1。 収集のための領域を選択し、besomとの清潔にしなさい

2。 不必要、歓迎されない精神ところで「安全なスペース」を作成するために円を入ることができない投げなさい。

3。 力およびエネルギーとの私達を助けるように適切な儀式に歌うことを用いる東、南、西および北を呼び出しなさい。

4。 女神を私達を結合するように誘い、私達の儀式を目撃し、そして私達を賛美しなさい。 女神は表す豊饒の女らしい面、膣(地球)を

5。 (神を)賛美するように誘いなさい。豊饒の男性の面であるシードを作り出すphallusを表す棒を聖別しなさい。

6。 穴は準備され、オイルおよびワインと聖別する。 歌いなさい: 母性的な女性は、かもしれない配偶者、私達の主のこの記号を"受け取るために準備することを提供するこれ

7。 人は歩き、歌い、Maypole、前に進むこと後方およびもの保持し2つのステップうなる騒音を作る。現在の女性は彼ら自身そして未来のための願いを作っている間申し出、棒のオイルを摩擦し。 彼らはまた棒のリボンを結ぶかもしれない。リボンのカラーはまた未来のための夢を示すかもしれない。〔8~11略〕

   これは上の「スコットランドの伝統行事・Beltane・五月祭」の扱うベルタンと魔女術とのつながりを教えるもののようですが、おもしろいのは、ケルトの火祭りが年に4回あって、10月31日から11月1日と4月30日から5月1日なわけですけれども、メイポールというからには、5月のほうの儀式で(も)「トリックまたは御馳走」つまりtrick or treat が出てくることですね。これはハロウィーンと同様のものだということ(解釈)を語っているのでしょう。それと、このわけのわからん日本語に対してあれこれ言ってもしょうがないけれど、こういうのが出てくる歴史的枠組みとしては、メイデーでいうと17世紀のピューリタンによる弾圧後に子供の春の祭りというかたちで見せかけの復活をした五月祭についてですが、一般にキリスト教によって意味を歪曲ないし抹消されてしまった古代から伝わる異教的な儀式の本来の意味を復興させる、ということでしょう。そのときに性的なものと同時に女性的なものの称揚が、こういういわゆるネオペイガニズムにくっついている(バーバラ・ウォーカーという人も、フェミニストともネオペイガンとも称される人です)のが興味深くはあります。

  わけのわからぬ話につきあっていただきありがとうございます。

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