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December 18 ドナドナのなぞってどんなだなってドナドナどないしてんとあまりかわらんやん What Is the Donna Donna Mystery? [本・読み物 reading books]

December 18, 2008 (Friday)

    日本語ウィキペディアの「ドナドナ」によれば、かつてのフォークの女王ジョーン・バエズが英訳の「ドナドナ」をレコーディングしたのが1961年〔でももしかすると1960年かも〕その日本版は1964年発売、日本語の訳詞でザ・ピーナッツが1965年に、岸洋子が1966年に歌い、1969年春にはNHKの『みんなのうた』でとりあげられたことで一種の「童謡」として親しまれることとなった(そうである)〔12.26追記=岸洋子は1965年12月から66年1月まで『みんなのうた』で歌っていたという、不確かな情報もある――「フナハシ学習塾その他35」〕。「概要」という項の二つめには次のように解釈めいたことが「説」として書かれている――

歌詞では、牧場から市場へ売られていくかわいい子牛を歌っている。人間の子供を子牛に見立てた反戦歌という説もある。これに関して、特にユダヤ人ナチスによって強制収容所に連行されていくときの様子を歌った歌という説もある。ユダヤ人は、彼らが信仰している(ユダヤ教の)神のことを「アドナイ」(主よ)と呼ぶ。その「アドナイ」をナチス当局に悟られないように、「ドナ」と短く縮めて表現して、戦争の不条理を神に嘆きつつ、悲しみのうちに「主よ、主よ」と歌ったものと解される。

  「牧場から市場へ売られていくかわいい子牛を歌っている」というのは安井かずみによる日本語訳詞の内容のままである。「反戦歌という説もある」というのはどういう説かはっきりしないが、反戦歌として歌われたという事実がなければ「反戦歌」というジャンルにはならないように思われる(それとも「隠れた反戦歌」という隠微なジャンルがあるのかしら)。

  「概要」に諸説を並べるのは勝手というか、結構なことのような気もするが、この記述はもっぱら一説に集中しているように見える。なぜなら、人間を子牛に見立てた反戦歌という説もあるというふたつめの文は、ひとつめの「かわいい子牛を歌っている」を内包しているから。「かわいい子牛を歌っている」のは説ではなくて詞のあらわな表層、そのまんまである。それは説ではない。「という説もある」「という説もある」という繰り返しによって解釈が拡大しているかというと、逆で、一説に集中しているわけだ。

  以上はただのいちゃもんだが、さて、とても気になったのは記事が「外部リンク」としてあげるふたつ(「ドナドナのナゾ」「ドナドナ研究室」)とも、記事本体とは異なった作詞者を指していることだ(記事はシェルドン・セクンダ としている)。「ドナドナのナゾ」の「恐怖のドナドナ~子牛の謎」はくだけた文体のページで(それはまったくよいことだw)、安井かずみの新旧の訳詞をかかげてくれている(それはまったくよいことだ)。で、「驚く事にドナドナにはふか~い暗示が込められていたのです! 下はここから引用している文章です」といって引用されている元の「ドナドナどないしてん?」にはさらに「検索ページで探してみたらこんなページを見つけました」ということで <http://www2s.biglobe.ne.jp/~sinpi-d/mystery/report/report.htm> というリンクが張られている。残念ながらリンクは切れているのだけれど、少しの引用が残っていて、「ドナドナのナゾ」が引いているのと同じ文章。それは、小岸某氏が「イディッ シュ語の原譜では「ドナ」が「DONAY」になっていることに注目し、これがカモ フラージュされた「アドナイ」=ヘブライ語で「主よ」ではないのかと推論」し、「作詞者であるカッツネルソン氏の過去を調べた結果、ホロコーストの時代に彼の妻と二人の息子が捕えられ、強制収容所に移送されていた事実をつきとめ」たという話です。

  もうひとつの「ドナドナ研究室」の「ドナドナ ~子牛を待つ本当の運命とは~」は例の世界の民謡のページです。小岸昭『離散するユダヤ人』(岩波新書)と細見和之『アドルノ――非同一性の哲学』〈講談社)を引証して、3ページにわたる記事となっています。ここで小岸某氏というのが小岸昭とわかりましたが、岩波新書の終わりのほうで、小岸某氏が「ドナ」は「アドナイ」を短くしたものではないかとヨーロッパを訪ねてまわったというエピソードが出てくるそうです。

その作者〔著者小岸昭のこと〕が拠り所としていた情報源は、あるドイツのフォークグループが出しているCDの解説書で、それによると「ドナドナ」はワルシャワ・ゲットーの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌であるとのことです。

  結局、小岸某氏は人々から否定的な回答を得るのみで、本当にこの歌がカツェネルソンの「妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌」だったのかはわからなかったのだけれど、「この人々の心を無意識に惹きつけてやまない言葉はユダヤ人にとって自由への希望であった」と締めくくっているそうです(<http://www.worldfolksong.com/closeup/donadona/dona2.htm>)。

   2冊目の本は、アドルノのどこが「ドナドナ」とかかわるのか、記事を読んでもよくわからないのですけれど、以下のような紹介があります。――

  筆者〔著者細見和之のこと〕は、その友人がドイツから持ちかえったドイツのフォークグループのレコードを引用しています。それはイディッシュ語(東方ユダヤの言葉)でイディッシュ・リートを歌ったレコードで、ドイツ語の訳詞もつけられていたようです。ドナドナのタイトルは「仔牛」と題されていて4番ぐらいまであり、その内容は「安井かずえ」〔ママ〕さんの訳にはないものが多く含まれていました。

  〔……〕このレコードに付されている解説によると、前のページの本と同様に作者はイツハク・カツェネルソンで彼は1886年生まれ。ポーランドのウッジのユダヤ人学校の教師を努めるとともに、多くの歌や戯曲を書き、ユダヤ人の闘争団体とも密接な関係にあったそうです。
 
 1942年に妻と二人の息子がアウシュビッツへ強制移住させられ、彼はその印象をこの歌に託し、その後カツェネルソン自身も強制移住させられ、妻子と同様に44年にアウシュビッツで死亡したとのことです。
 
 この点筆者はこの解説が幾分不正確であることと「ドナドナ」の作者をカツェネルソンと断定することには異説もあることを承知しているそうです。ただ、決定的に重要なのは、あの「ドナドナ」という馴染み深い歌が、まぎれもなくユダヤ人に対するポグロム(民族虐待)を歌ったユダヤ人の歌に他ならなく、そして、アドルノもまたユダヤ系の哲学者であるといった問題を遥かに超えて、この歌とわれわれの関係のうちには、きわめてアドルノ的なテーマがぐっと凝縮された形で存在している、ということらしいのです。さて、一体この「アドルノ的なテーマ」とは何なのでしょうか?答えはこの本の中にあります。

  さて、モーリちゃんの父としてはアドルノ的とかなんたらいうむつかしいテーマに突入する気はさらさらなく(だってわからんもん)、ただ素人目で見てわかることを書いてみたいと思います。

  まず(これはちょっと調べればわかることですが)、この歌の作詞はAaron Zeitlin (1898 - 1973) です(ただし戦後になってからの英訳はSecunda が行なったということになっている)。アーロン・ツァイトリンはベラルーシ生まれのユダヤ人で、リトアニアで青年期を過ごし、1939年に渡米して1973年に亡くなるまでニューヨークで暮らし、ノーベル賞を受賞したユダヤ人作家のIsaac Bashevis Singer なととも交流があった人。作曲をしたSholom Secunda (1894- 1974) は、ウクライナ生まれのユダヤ人ですが、1907年に渡米、アメリカで教育を受け、やっぱりニューヨークで活動した作曲家です。アンドルーズ・シスターズの最初期のヒット曲 "Bei Mir Bist Du Schoen" の作曲をした人、というとわかる人がいるかもしれません。アンドルーズ・シスターズのレコーディングは1937年11月ですが、もともとは1932年の歌。そしてイディッシュの歌詞でしたが、アンドルーズ・シスターズのときに英訳歌詞がつくられました。「ドナドナ」も原作はイディッシュです。この曲は1940年ニューヨーク初演のイディッシュのミュージカル Esterke (長いタイトルは"Esterke un Kazimir der groyser" というみたい)の挿入歌でした。この戯曲のもとは、1932年にワルシャワでGlobus という雑誌(この『グローブス』はI. B. シンガーがアメリカに来る前に1932年から1934年まで出していた雑誌です)にツァイトリンが発表しているようなのですが、それがどういうものだったかはわかりません〔この雑誌、下記の黒田論文に名前が挙がっていますが、戯曲の掲載については触れられていません。そこらへん探偵捜査のキーかもw〕。ともかくそれをもとに、作曲家ショローム・セクンダ と組んで書きなおしたのは事実です。翌41年まで興業されたこのミュージカルのプロデューサーはMaurice Schwartzで、この人こそAaron Zeitlin をアメリカに招いた人に他なりません。

  だから、1942年に連行されて殺害された妻子のことが1940年から1941年にニューヨークのユダヤ人劇場で公演があったミュージカルの挿入歌の歌詞として描かれるわけがない。

  作詞をツァイトリンとちゃんと明示する日本人のちゃんとした記事もありました。――

渡辺美奈子 「Dana Dana / Dona Dona [Dana ダナ/Dona ドナ]」 <http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/DonaDona.htm>

そして、渡辺さんの記事で言及されている黒田さんの論文が、ついさっきWeb上で見つかって、読みふけっていました。――

黒田晴之 「『子牛』のまわりにいた人たち ―ある歌の来歴をめぐるさまざまな問い―」(日本ユダヤ文化研究会『ナマール』第8号2003年所収) <http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kuroda/kenkyu-klezmer-donadona1.htm> ■2につづく■ ■3につづく■〔「ドナ・ドナ1」「ドナ・ドナ2」〕

  いやあ、もはや私ごときが茶化してなんか言う気も失せました。ただ、フォークソングと著者性という興味深い問題に触れている箇所を引用させてください。――

 さらにカツェネルソンと『子牛』〔「ドナドナ」の元のタイトルです〕との関係を扱ったものとしては、この詩人を精力的に紹介してきたヴォルフ・ビーアマン(Wolf Biermann, 1936-)のコメントがある。かれ自身も統一前に東から西に亡命した戦後ドイツの代表的な詩人だが、ビーアマンは『子牛』の作者がカツェネルソンとツァイトリンのどちらだったのかという問題に、むしろ積極的には関わるまいという姿勢を見せている。かれにとってそんな問題は「どうでもよい」のである。なぜなら、

愚かな(blöd)子牛にむかって、事もあろうに二倍も愚かな農夫が、燕の幸運を説いているその酷薄な歌は美しいし、ショアーにおける牛たちの問題に、とてもよく当てはまるようにわたしには思われる 41)(傍点:黒田〔傍点がどこか不明です〕)

ことが重要だからだ。おそらくは決定的な資料が欠けているだけに、『子牛』の作者がだれだったのかという問題は、現段階で決着をつけることが結局は不可能なのである。
 おもしろいことにセクンダの歌『子牛』は、英語の歌詞が付けられてヒットした段階で、作者の意図に関係なく「フォーク・ソング」となったのである。おそらく「フォーク・ソング」というのはそれを厳格に理解しようとすれば、「だれが作者なのかということ」(ドイツ語で言うAutorschaft)とは根本的に相容れないジャンルであろう。42)たとえばユダヤの宗教音楽もクレズマーもそうしたジャンルである。だれが作者なのか問題とはならないそうした世界とそれが問題になる記名性の世界の境界線上にセクンダは立っている。かれはそれが問題とはならない世界を去ってきたはずなのに、われ期せずその世界に何度も何度も押し戻されてしまう。かくして『子牛』は「フォーク・ソング」として広く歌われるようになったとき、時代的な雰囲気とも合致して「子牛」をユダヤ人とする大衆的な(パブリック)イメージが広まっていき、セクンダの「作者性」(Autorschaft)もツァイトリンのそれをも揺るがしかねなくなったのである。さまざまな布置がたえず変化していく時代の万華鏡のなかで、『子牛』はついに作家自身の手に負えない歌となったのである。あるいは『子牛』そのものがこう言ってかまわないとすれば、自分で自分を取り戻すことがもはやできないような、再自己固有化の不可能な領域に達したと言うべきだろうか。

 おわりにあたって「ドナ」を「アドナイ」だとする説を検討してみたい。〔以下略〕

  この論文を読むまでは、ほぼすべて茶化しの射程内に入っていたのだけれど、たいへん慎重で非断定的で入念な文章を前にして、ちょっと気分は萎えました。 一時退却したい気分です。しかし、がんばって書いておくと、ビーアマンのいう状況との合致という偶然を装った恣意的な解釈が、次の段落の、フォークソングによる作者性からの解放というのとどういうふうに論理的につながるのかすっきり透視できないのだが、必ず子牛をユダヤ人として大衆的にイメージ化し、フォークソングとしての「ドナドナ」が歌われたり聞かれてきたとは思われないし、ましてや日本の小学生がユダヤ人に自己を投影するなり自己同一化するなりして歌うとはまったく思われないのだけれど。子牛に自己を投影する小学生はいるかもしらんが。モーリちゃんの父の抱くフォークソングのイメジは、仮にプロテストソングであったとしても歌う人によって範疇化から自由になってしまう、というものなのだが。

  渡辺さんは、黒田論文を読んだ上で、しかし作詞者はツァイトリンであると潔く断定します。けれども一方で「ミュージカル『エステルケ』にはゲットーは描かれていないようです」とも書きながら、「しかし「ダナダナ」"Dana Dana" / 「ドナドナ」"Dona Dona" にはユダヤ人をホロコースト(大量虐殺)に強制連行する内容が少なくとも隠されていることは、ほぼ間違いないと考えています」と書く論拠は主観的な、といって悪ければ、ひとつの解釈行為なのでしょうか。じっさい「子牛=捕らえられたユダヤ人」「1節のツバメ=迫害されない定めに生まれた人」「農夫=ナチ、あるいはナチに共感する人」「3節のツバメ=捕らえられたユダヤ人の自由な精神」という解釈がのちに付与されています。

  この、ビーアマンの引用にも出てくる農夫の「声」は、歌詞によって異なる(たとえばセクンダによる英語の訳とのちのもの――アーサー・ケヴェス(Arthur Kevess) とテディ・シュオーツ (Teddi Schwartz) が1956年にイディッシュから訳したもの――では違う)ようで、そのへん、ひまを見つけて調べたら戻ってくるかもしれません。が、自分で自分を取り戻すことがもはやできないような、再自己固有化の不可能な領域に達したと感じたら牧場へは帰りません。

  あと、日本人ふたりがソースとしたCD=レコードは、黒田論文に「わたしたちがカツェネルソンを『子牛』の作詞者として云々するようになったのは、ツプフガイゲンハンゼル(Zupfgeigenhansel) という当時西ドイツのバンドが、1985年に出した『イディッシュ歌集』(Jiddische Lieder)に拠っている」と書かれているアルバムのようです。しかしこれだけを根拠に作詞をカツェネルソンだと考えるという根性がわしにはまったくようわからんです。そしてそういう根拠のうえに書かれた著作(本)の記述をもとにして、作詞はカツェネルソンだとの説が独り歩きしかねない日本語WEB サイトのありようを考えるとき、〔以下略〕


"Donna Donna - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Donna_Donna> 〔作詞についてYitzhak Katzenelsonにはまったく言及なし。各国語の音源リンク付き〕 

"Mendele: Yiddish literature and language - Contents of Vol. 3.317; April 15, 1994" <http://www.ibiblio.org/pub/academic/languages/yiddish/mendele/vol3.317> 〔情報交換の記録〕

「細見和之『言葉と記憶』を読んで」 <http://amehare.lolipop.jp/blog/2005/06/post_71.html> 〔『Amehare's Memo』 2005.6.2.  この記事を読んでいて思い出したのだけれど、カッツェネルソンもビンに原稿を詰めて木の下に埋めたんじゃなかったかしら〕

黒田晴之 「『子牛』のまわりにいた人たち ―ある歌の来歴をめぐるさまざまな問い―」(日本ユダヤ文化研究会『ナマール』第8号2003年所収) <http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kuroda/kenkyu-klezmer-donadona1.htm> ■2につづく■ ■3につづく■〔「ドナ・ドナ1」「ドナ・ドナ2」「ドナ・ドナ3」〕

渡辺美奈子 「Dana Dana / Dona Dona [Dana ダナ/Dona ドナ]」 <http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/DonaDona.htm>"Minako Watanabe geb. Tanaka"内「世界の歌」内「ダナダナ/ ドナドナ (アメリカ / ユダヤ劇場ミュージカル「エステルケ」より」〕

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