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January 7-8 でこちんと骨相学 (前篇)――擬似科学をめぐって(9)  On Pseudosciences (9) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 07, 2008 (Wednesday)
January 08, 2008 (Thursday)

                                                        Nature may be as selfishly studied as trade.  
 Astronomy to the selfish becomes astrology. 
Psychology, mesmerism (with intent to show  
where 
our spoons are gone); and anatomy   
and physiology, become phrenology and       
palmistry.                                                  
――Ralph Waldo Emerson, "Nature" (1844)

   「骨相学」(phrenology) についても、日本語のウィキペディア英語のウィキペディアは、ていねいな記述をしていますので、それを補うような主旨で書きたいと思います。

    図像的には訴えるところがあって、モーリちゃんの父がフレノロジーの「頭蓋マップ」を初めて見たのはジャズにはまっていた大学生のころの、ドン・フリードマンというピアニストのアルバムじゃなかったろうか。と、あれこれWEBで調べてもぜんぜん出てこないのでした。ああ気になる。あ、最近のヒップホップジャズだかジャズヒップホップだかのThe Roots とかではありません。

  ともあれ、こんな絵を見たことがあるひとは多いと思います――

phrenology.gif

phreno1.jpg
image via Roy Selby, "A Bit about Phrenology" Cyber Museum of Neorosurgery http://www.neurosurgery.org/cybermuseum/pre20th/phren/phrenology.html

Phrenology-chart.jpg
via "Quack Medical Apparatus" Sparkmuseum: Early Radio and Scientific Apparatus <http://www.sparkmuseum.com/QUACK.HTM>

phrenology-cranian-fowlerbust.jpg 
image via "phrenology cranian / head" <http://rootsemporium.co.uk/miscellaneous/phrenologyhead.html> 〔これロンドンのポートベロのノミの市 flea market で見たことがありますが、買いそびれました。ファウラーはアメリカですけど〕

 

HintsaboutPhrenology.jpg
"Hints about Phrenology, Ladies Magazine Vol. 6, 1833" The Lost Museum <http://chnm.gmu.edu/lostmuseum/lm/95/> 〔各部位(organ) の解説付き〕

   最後にでかいやつ。――
phrenologicalchart.jpg
via John H. Lienhard, "No. 2148: American Phrenology" Engines of Our Ingenuity <http://www.uh.edu/engines/epi2148.htm> (クリックで拡大)

   催眠術も施術の絵とかたくさんあるのですけれど、ひとつには非常に俗っぽい形で現代(現在)もテレビとかで目にするものであり、もうひとつには、つまるところ術をかけてる人とかかっている人しか見えないので、何が働いているのかわからんわけですけど、こちらの骨相学のほうは目に見えるかたちで(あえて言えば「計測可能な」ようなと思えるようなマップのようなかたちで)提示され、かつその提示がいかにもアヤシゲなので、印象深いのだと思います。こう、自分の頭を投影して解剖されるような感じ。

  ウィキペディアにも画像がいろいろあるのですが、ついたくさん載せてしまいたくなる、そんな感じ。

  さて、フランツ・ガル Franz Joseph Gall, 1758-1828 はドイツのバーデン生まれのローマン・カトリックで、ウィーンで医学を学んだのですが、医学生時代に、言葉の記憶のすぐれた人は目が出ていることに気づきます(まあ、このへんからネチッコイ感じがあります)。その後の詳細な観察で、性格と知性は脳の特定の「器官」の組み合わさった働きではないかとの仮説を立てるにいたります。そして異なる部位にある別個の器官は頭蓋の外形を計測することによって知られると考えた。

  ガルはウィーンの精神病院で医者の仕事をしながら、理論を構築していきます。また、牢獄や学校を訪ねて、調査を行なう。ここで、誤解のないように、ウィキペディアを引用しておきますと、「脳の解剖学神経生理学の研究につとめ、脳髄が繊維のシステムであること、錐体路系とその交差の存在、そして動眼・三叉・外旋神経など各神経の起始点を突き止めるなど、大脳生理学上の多くの発見を行うなど、神経解剖学に大きな功績を残した人物であった」のは事実です。ただ、当時は頭蓋の解剖などは限られた形でしか行なえず、イキオイ犯罪者や狂人に関しての分析が初期のガルの仕事には多かったようなのと、「類推」的なところがあったようです(ちょっと偏っているけれど、Robert Todd Carroll のThe Skeptic's Dictionary の "Phrenology" <http://skepdic.com/phren.html> と、そのちょっとあやしい日本語訳(日本語版)「骨相学 phrenology (cranioscopy)」 <http://www.genpaku.org/skepticj/phren.html> を参照)。

  ガルの講義に感銘を受けたヨハン・ガスパー・シュプルツハイム Johann Gaspar Spurzheim, 1776-1832 はガルの助手になり、1802年にオーストリア政府(当時の国王はフランツ・ヨセフ2世ですが、フランツ・ヨセフ・ガルが音楽家のフランツ・ヨセフ・ハイドン (1732-1809) の頭蓋をみたいと言ってフランツ・ヨセフ国王の怒りを買いパリに追放されたという説はなんか時期がずれてます・・・・・・「ハイドン首なし事件の謎を追う!」参照)追放されたのちふたりで旅をしながら解剖学や生理学の研究を続けるわけですけれど、シュプルツハイムは骨相学の宣伝マンになります。フランスではナポレオンから否定され、しかし名士として貴族サロンに出入りしたりする。滞在中に主著となる『神経系全般、特に脳の解剖学と生理学――頭の形態により人間と動物の知的ならびに倫理的性向のいくつかを確定する可能性についての考察を付す』の執筆を行ない、シュプルツハイムと共著で出そうとしますが、シュプルツハイムとの仲が悪くなって、1812年にたもとをわかったようです。この本は1819年になってようやく出版されます。

  シュプルツハイムは、ガルの「器官」の数を増やし、修正を加え、上に並べたような図版のもととなるイラストや像を制作し、「ガル博士・シュプルツハイム博士のフィジオノミー説」と銘打って講演・執筆活動を続けました。ガルがもともと唱えた Cranioscopie (英 cranioscopy) は、いわゆる脳機能局在論の一種だったのですが、シュプルツハイムはそれを性格・パーソナリティー判断の理論に変貌させます(あえて心理学的にいうと人格・パーソナリティー心理学の初期の型といえなくもないのかもしれませんけれど)。それによって、たいへん大衆的なところへアピールする仕組みがつくられる。 

  イギリスでは確かな地盤をきずいたシュプルツハイムがアメリカに講演にやってくるのが1832年の8月(このボストンの地で腸チフスに倒れてしまうのですが、彼の脳や頭蓋や心臓は標本となって展示されたそうです。先にガルは1828年にパリで没しています)。同年11月10日に亡くなったシュプルツハイムの葬儀の日にボストン骨相学協会が創設されます。そしてアメリカで爆発的に流行することになるのですが、それに力があったのは、ファウラー兄弟 Orson Squire Fowler, 1809-87、Lorenzo Niles Fowler, 1811-96 でした。オーソン・ファウラーはフィラデルフィアで1838年に『アメリカの骨相学雑誌 American Phrenological Journal』を創刊し、『婚姻――伴侶選択に応用せる骨相学Matrimony, or Phrenology Applied to the Selection of Companions 』 (1842) とか『自己啓蒙と人格の完成 Self Culture and Perfection of Character』 (1843) といった本をたくさん書いています。弟のロレンツォも講演をしたり本を書いたりもしましたが、やがてニューヨーク市とさらにロンドンでファウラー商会L.N. Fowler & Co. を経営し、出版物を頒布するとともに磁器製の像 ("phrenology head") を販売します。

  一種のファミリービジネスという様相なのですが、ロレンツォの奥さんのリディア Lydia は『骨相学のやさしい教本――学校と家庭で子供と若者向きに Familiar Lessons on Phrenology, designed for the use of children and youth in schools and families』という本を出したりもしています (New York: Fowlers and Wells, 1847)。

  スコットランドのジョージ・クーム George Combe, 1788-1853 やアメリカでもチャールズ・コールドウェル Charles Caldwell, 1772-1853 などが上流階層というか、牧師や医者や思想家といった知識層に骨相学を訴えたのに対して、たいへん俗っぽいかたちで流行っちゃいました。

   ただ俗だったわけでなく、1840年代のアメリカで、一種の応用科学みたいなものとして受け入れられた骨相学は、牢獄の改革とか、教育や子育てとか、雇用者の選択とか、食餌療法やコルセット使用の可否の判断とか、そして低料金での性格判断とか、いろいろな方面で利用されたのでした(まあ俗か・・・・・・しかしまもなくメスメリズムと結びついて思弁的な展開も示したのだと考えられます)。

Americanphrenjournal.jpg
via "phrenology" <http://skepdic.com/phren.html>

  ところで、先ほど言及し、また上の図版を引いてきたロバート・キャロルの『懐疑家の辞典』は、擬似科学関連のリンクで日本語のウィキペディアによく出てくるのですけれど、英語だとつぎのような一節があります。――

It remained popular, especially in the United States, throughout the 19th century and it gave rise to several other pseudoscientific characterologies, e.g., craniometry and anthropometry. Phrenology was highly praised by Ralph Waldo Emerson, Horace Mann, Thomas Edison, and Alfred Russell Wallace. The Boston Medical Society welcomed Spurzheim as a heroic figure when he arrived in 1832 for The American Tour.  (それ〔骨相学〕はとくにアメリカ合衆国では19世紀をとおして人気があり、クラニオメトリーとかアンソロポメトリーなど、他の擬似科学的な性格学を生んだ。骨相学はラルフ・ウォルドー・エマソン、ホレス・マン、トマス・エジソン、アルフレッド・ラッセル・ウォレスによって高く評価された。ボストン医学協会はシュプルツハイムがアメリカ・ツアーで1832年に到着したときに英雄として歓迎した。)

  このへんに重なる日本語版の記述は、「骨相学は19世紀を通じて、特にアメリカで流行し、頭蓋測定学人体測定学など、その他の疑似科学的性格診断を生み出した。スパルツハイムが1832年にアメリカへ外遊した時、ラルフ・ワルド・エマーソン、ホーラス・マン、ボストン医学会は、骨相学を称賛した。」です。

  エマソンは基本的にはいわゆる擬似科学を批判した人です。いずれ述べるようにエマソンを中心とするアメリカン超絶主義の擬似宗教的側面は、擬似科学の一部の主張と通じ合うものをもっていると自分は考えていますけれども。

  このあいだ、ウィキペディアの「占星術」の記事(を自分が引いたやつ「December 28-29 擬似科学をめぐって(2) 魂の学としての心理学 On Pseudosciences (2)」)を読み直していたら、「ケプラーが「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」[1]と書いたように」というくだりがあって、それで連想が働いたのですけれど、エマソンはエッセー「自然」(有名な1836年の『自然』ではなくて、その後の1844年の短いもの)で、次のように書いています。――「自然は商売として利己的に学ぶこともできる。天文学は利己的な人間には占星術となる。心理学はメスメリズムに・・・・・・そして解剖学と生理学は骨相学と手相学になる。」

  不思議なのは、ガルはもともと Cranioscopie と唱え、それは「頭蓋」にかかわるのでした。つまるところはモノです。phrenology という呼称を選んだのはシュプルツハイムです。phreno とは、「精神」です。この逆転と見えるものは、シュプルツハイムの商売っ気なのでしょうか("phrenology" は、日本語ウィキペディアが書いているように、1815年にイギリス人が呼んだのを、シュプルツハイムがのちに採用したということです。――

「骨相学」の名の由来

ガルは「cranioscopie」(脳蓋観察論)とよんでいた。 「骨相学」という名前は、1815年にフォースター(T.I.M.Forster)がガルの学説をイギリスに紹介する際に使った「phrenology」という名称をシュプルツハイムが1818年に取り入れ広まったものである。

これはギリシア語のφρήν(「心」の意味する)に由来するphrēnと、同じくギリシア語のλόγος(「知識」を意味する)に由来するlogos(ロゴス)からなる語である。

  この記述に違和感があるのは、phrenology が「骨相学」の名の由来となってはいないからですw

  最後にでこちんの絵をかかげて、後篇へつづきます。

Dekochin-YamaneAkaoniAooni.jpg

needle-beadx200.png

 「骨相学 - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E7%9B%B8%E5%AD%A6>

"Phrenology - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Phrenology>

"Reading Heads & Ruling Passions - Museums - The University of Sydney" <http://www.usyd.edu.au/museums/whatson/exhibitions/cphrenex.shtml> 〔"An Exhibition on Phrenology" 図版や文献など豊富なWEB ミュージアム〕

 


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