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January 8 コトバの問題とコトバだけじゃない問題・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇)――擬似科学をめぐって(10)  On Pseudosciences (10) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 08, 2009 (Thursday)

  承前

  もう一度、日本語ウィキペディアの、「「骨相学」の名の由来」の一節を引用します。――

ガルは「cranioscopie」(脳蓋観察論)とよんでいた。 「骨相学」という名前は、1815年にフォースター(T.I.M.Forster)がガルの学説をイギリスに紹介する際に使った「phrenology」という名称をシュプルツハイムが1818年に取り入れ広まったものである。

これはギリシア語のφρήν(「心」の意味する)に由来するphrēnと、同じくギリシア語のλόγος(「知識」を意味する)に由来するlogos(ロゴス)からなる語である。

  WEB上で(全部ではないですが)読める本としてEdwin Clarke と L. S. Jacyna の『神経科学の諸概念の19世紀の起源 Nineteenth-Century Origins of Neuroscientific Concepts』 (University of California Press, 1992) があります。<http://books.google.co.jp/books?id=38Sjkp-JlPcC> 他にもいろいろな本があるのでしょうけれど、広い世界でめぐりあった(というか日本で買ったままほとんど読んでいなかった)のはなにか多生の縁もあるかというのと(非科学的)、たいへん面白かったのとで、( ..)φメモメモ的に紹介します。222ページから223ページにかけての "6.3.2 TERMINOLOGY" の節には、概略つぎのように書かれています。

  ガルの名は "phrenology" と一般に結びつけられているけれど、ガル自身はこの「フレノロジー、精神の理論」なる言葉をつくったのではないし、使うこともなかった。ガルが最初に用いた言葉は Schä
dellehere
 ("craniology")  だった。 しかしガルはこの言葉をやめてしまう。その理由は、彼の学説がもっぱら頭蓋に関するもので、頭蓋に含まれる脳の機能に二義的にしか関わらないとの印象を与えるから。ガルがフレノロジーという名称に反対したのは、脳の機能が精神 (mind) だけではないからというものだったが、これは小さな異議に思われる。フレノロジーはガルの基本的な考えと合致する最善の呼称ではなかったか? その理由は、シュプルツハイムによって唱えられ、当初の脳機能についてのガルの考えを修正されたフレノロジーに対する異論だったと考えられる。ガルの説のふたつの理論に即して、別の名前が考えられた。ひとつはオルガノロジー organologie ("organology")〔F. J. Gall, Organologie (1825) と著作のタイトルとしている〕、もうひとつは、その「器官」が及ぼす効果のあらわれとその計測にかかわる "organoscopy" "cranioscopy" "Encephalonomy" "cephalonomy" (「脳の機能」の意味)などなど。だが広く使われるにはいたらなかった。それから、初期の表現には "physiognomical system" というのもあった。

   つづけて、phrenology という語の採用についての興味深い、しかし謎も残る説明があります。

  トマス・イグネイシャス・マリア・フォスター Thomas Ignatius Maria Foster, 1789-1860 が1815年に書いた、ガルとシュプルツハイムについての論文で "phrenology" という言葉が初めて使われたとよく述べられるが、1805年にアメリカのフィラデルフィアのベンジャミン・ラッシュ Benjamin Rush, 1745-1813 が講演で「精神 (mind) の科学を指す言葉をつくることが許されるなら、フレノロジーというものの状態は・・・・・・ phrenology, if I may be allowed to coin a word to designate the science of the mind」 というふうに用いているし、さらに翌年の1806年にラッシュはphrenology を「人間精神の機能と作用の歴史 the history of the faculties of the mind」と定義し、今日の "psychology" の指す意味で用いている〔P. S. Noel and E. T. Carlson, "Origins of the Word "Phrenology'" American Journal of Psychiatry 127 (1973), p. 695〕。けれども人口に膾炙する "phrenology" の使用権をもったのはシュプルツハイムだった(彼はイギリス人のフォースターと滞英時に知遇を得ています)。ガルと袂を分かって6年後の1818年、シュプルツハイムは初めて "phraenologie" の語を用います〔Spurzheim, Observations sur la Phraenologie (1818)〕。そして翌年、エディンバラのジョージ・クームは、シュプルツハイムはフレノロジーという言葉を何年か "for some years" 使ってきた、と明言する〔George Combe, Essays on Phrenology (1819)〕。しかしまた、1817年にシュプルツハイムの賛同者が既に "phrenology" の語を提案していたということもある。この人のいう理由は、ガルの議論を思い起こさせるところがあります。――「craniology はシュプルツハイムの敵の造語である。彼が扱うのは骨ではなく、人体組織に依存する精神のあらわれにこそある。フレノロジーがより適切なことばであろう」〔S. R., "Observations" (1817), p. 367〕

  1820年までには、シュプルツハイムはフレノロジーの語を自分のものとし、1825年には次のような説明を加えています。――

  PHRENOLOGY という名前はふたつのギリシア語に由来する――[phrene]mind 〔心というより頭、「精神」〕 と [logos]―discourse〔(言)説、コトバ〕。私がこのことばを選んだのは、精神の特殊な機能、ならびにその機能の顕現と体、とりわけ脳とのあいだにある関係についての理論を指し示すためである。〔Spurzheim, Phrenology (1825), p. 1〕

  で、著者たちは、いろいろ踏まえてみても、"phrenology" の正確な起源はなお曖昧糢糊としていると述べます。フォースターがラッシュから盗用したのか、シュプルツハイムがラッシュからとったのかフォースターからとったのか、あるいは自分で主張するように独自にこしらえたのか。はわからないと。

  T. I. M. Forster はイギリスの外科医で、1815年に "Sketch" という論文のなかで "The objection therefore falls to the ground, which accuses the new Phrenology of supporting the doctrine of Fatalism" (p. 222) という文章を書いています〔47〕。「the new Phrenology 新しいフレノロジー」というフレーズは、phrenology が(大文字であるにもかかわらず)普通名詞として了解されているような気配があると感じますけれど。

  次の節の "6.3.3 ORGANOLOGY VERSUS PHRENOLOGY" は、自分にはたいへん示唆的な記述と思われ、ガツンとやられた、というほどでもないけれども、コトバだけで観念的に考えることの危険性を教えられました。

  著者たちは、ガルのオルガノロジーとシュプルツハイムのフレノロジーを区別することが決定的に大事だ、といって、二人の姿勢と二人の考えを比較します。(1) ガルは心的知的過程と頭蓋の部位のあいだに普遍的な関係性があることには懐疑的でありつづけ、とりわけ発達した「器官」を示すごく少数の個人に関して連関が見られると考えたのに対して、シュプルツハイムはそのような留保をしなかった(それによって万人に適用されるものとして喧伝した)。(2) ガルは人間における悪の性向の存在を認めたが、シュプルツハイムは自分の分類から意図的にそういう部分を落とした(彼が性善説を信じたため)。シュプルツハイムは、人類はフレノロジーの助けによって完全性に近づけると信じた。 (3) 脳の「器官」について、ガルはリストの不完全性を認めたが、シュプルツハイムは「希望」などの「器官」をいくつか追加するとともに「記憶」についてはガルが4つ分類していたものを器官として認めなかった。・・・・・・シュプルツハイムの説明は科学的な心理学とはまったく無縁のものである云々。 (4) ガルは経験的姿勢を崩さず、いまでいう実験心理学者に近い姿勢を保ったが、シュプルツハイムは次第に脳の解剖学や生理学から離れて、形而上学や、あるいは教育、宗教問題などの話題にかかわるようになっていった。・・・・・・ 

  ということで、両者を区別して呼ぶことを言明して、ガルの「オルガノロジー」のほうの専門的な話へと入っていきます。

    ここで、ひとつ、あらためて浮かび上がるのは、形而上学の、ひろく「学問」からの分離の問題であるのですが、また同時に、形而上的問題と世俗の関心のつながりの問題でもあると思われますが、も一度体勢をたてなおして凸撃したいと思います。(が、もしかすると、もうちょっとコトバ問題を続けるかもしれません)。

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