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February 10 G・R・トンプソン編の『ポー選集』の「精神科学」 "Sciences of the Mind" in The Selected Writings of Edgar Allan Poe, edited by G. R. Thompson (2004) [擬似科学周辺]

February 10, 2009 (Tuesday)

   この日アマゾンから届いた重たいペーパーバック。

  G. R. Thompson, ed.  The Selected Writings of Edgar Allan Poe.  New York: Norton, Norton Critical Editions, 2004.  liii + 962pp.  ISBN: 0393972852 (pbk.)

    トンプソンという著名なポー学者については、なぜか研究者の世界観みたいな話で以前に触れました(「January 2-3 ゴシック小説と合理主義(その2)――擬似科学をめぐって(6)  On Pseudosciences (6)」)。思うに、このひとの相対主義は、ディコンストラクション的ないしポストモダン的というよりも、構造主義的タマネギないしラッキョウ的な作品観なのかな、と思っています。つまりテクストの重層性をたっとびながら、しかしどの層が最も意味がある、とは決して言わない態度。皮をむいていって、中には何もありませんでした、というのを喜ぶ態度。

  それはさておき、1970年代の画期的な研究書『ポーのフィクション――ポーのゴシック小説におけるロマンティック・アイロニー』を書いたトンプソンは、その後SFやロマン主義やあれやこれや論文を書いたり、『ポー・ニューズレター』(といったかしら)の編集長をつとめたり、幅広い文筆活動をするわけですが、彼が2004年に、ノートン・クリティカル・エディションとしては初めてのポーの本の編者として出したのが、合計1000ページを超えるこの本です。詩人のオーデンが序文を書いたラインハート版はかつてポーの唯一の長篇小説『アーサー・ゴードン・ピム』をいれたアンソロジーとして異色でしたが、1987年の『ピム』出版150周年記念会議の開会のあいさつで、『ピム』は『ガリヴァー旅行記』や『ドン・キホーテ』と並ぶ傑作、とほめあげたトンプソンは、この新しい選集にもまるごとおさめるという暴挙に出ています(もっとも字が詰まっているので、130ページちょっとでおさまってはいますが)。

  ともあれ、いちおう作品が584ページまでで、そのあとの "Backgrounds and Contexts" にもポー自身の手紙はともかく書評や批評のたぐいが、他の人たちのものと一緒に入っていて、よくわからない構成なのですけれど、資料的なものがいちおう400ページくらい入っているということになります。人種問題などもフォローしています。

  で、742ページから753ページまで、14ページだけですけれど、 "Sciences of the Mind" と題された「背景」があります。目次で言うと――

SCIENCES OF THE MIND ---742
Johann G. Spurzheim●The Physiognomical System of Drs. Gall and Spurzheim---743
     From VI.  Organ of the Propensity to Destroy, or of Destructiveness---743

Orson S. Fowler●Fowler's Practical Phrenology---745
     From 21. Ideality---746
     Phrenological Chart---747

Thomas C. Upham●From Outlines of Imperfection and Disordered Action---748

  "science of the mind" というフレーズは、前の記事のなかにあったように、phrenology を指して用いられたことばでもあるのですが(だって本来は「フレノ」=精神の学だから)、トンプソンはサイエンスを複数形にして、少し前のラヴァター Johann Kasper Lavater, 1841-1801 の観相術 physiognomy 、そしてシュプルツハイムの骨相学 phrenology 、さらにアメリカのファウラーの骨相学、そしてアメリカのトマス・アパムの心の病についての研究をここにいれています(観相術はイントロで言及するだけですけど)。1775年からゲーテと一緒に Physiognomical Fragments for the Promotion of the Knowledge and Love of Man と呼ばれる一連の観相術的著作を書いたラヴァターの英訳は英米で入手可能であり、Essays on Physiognomy  という本は1794年にボストンで印刷され、さらに1817年にはニューヨークの本屋から The Pocket Lavater, or, The Science of Physiognomy というポケット版が出されて人間観察の便宜に供したと。トンプソンの説明では、phrenology はphysiognomy に刺激されて出てきたもので、目ざすところも同じように外的身体的特徴を精神的能力と結びつけることだったのであり、ふたつのことばは多かれ少なかれ interchangeably に(さらにphysiology も加えて)19世紀をとおして使われた、ということです。もっともガルは Anatomy and Physiology of the Nervous System in General  (1810-19) において三者をより精確に区別して使おうとしたけど(とトンプソンは書いています)。

  さて、トンプソン編のポー選集の746ページにファウラーの Practical Phrenology (1846) から"ideality" の機能について書いた部分が引用され、747ページには1886年版の Life: Its Factors, Science, and Culture の第1巻 Mind, Organism, and Health by Higiene; Or Phrenology and Physiology Applied to Laws, Preservation, and Restoration of Health 掲載の骨相学チャートが引かれています。

  モーリちゃんの父はこの本は出てすぐに日本で買って、あちこちパラパラと見たのですが、そのときはなにがなんだかよくわからなかったのですが、いまはなにがわからないかがわかるくらいにはわかります。

   746ページの文章は "21. Ideality" と題されています。はい。このあいだ「February 2 サブライムと骨相学 (1) Phrenolgy and the Sublime (1)」で紹介した1859年の The New Illustrated Self-Instructor in Phrenology and Physiology 〔『新・図説骨相学・生理学自己教則本』〕(その前には「January 28 ファウラー&ウェルズ社の出版物リスト (2) ―1859年 Fowlers and Wells, 1859 Publications [擬似科学周辺]」〕で紹介した)と同じ番号です。トンプソンによれば、これとタイトルの似たThe Illustrated Self-Instructor in Phrenology and Physiology 〔『図説骨相学・生理学自己教則本』〕は1849年に刊行されて世紀の終わりまでに20版ほど重ね最もよく読まれたファウラー本のひとつだったのだそうです(「新」も同じ本と考えるかもしれませんね)。でも、なぜかは知りませんが、そっちではなくてこちらです――E-text をリンクします――で、トンプソンは1846年としてますけれど、1840年――この年が初版――のと、少なくとも引用部分はまったく同じようです――Orson Squire Fowler, Fowler's Practical Phrenology: Giving a Concise Elementary View of Phrenology (Philadelphia and New York: O. S. Fowler, 1840)  <http://www.archive.org/details/fowlerspractica00fowlgoog> 〔InternetArchives〕

  で、この初版で言うと165ページの大半と、169ページのこの21の節の終わりの "Location" という見出しの数行が引かれています。あ゛ー、トンプソンからじゃなくて、初版から引いておきますね。

21. IDEALITY.

Imagination — fancy — love of the exquisite, the beautiful, the splendid, the tasteful, and the polished — that impassioned ecstacy and rapture of feeling which give inspiration to poetry and oratory, and a conception of the sublime.

That there exists in the human mind some faculty, the function of which is to inspire roan with a love of the beautiful and the exquisite — a fondness for the sublime, the elegant, and the tasteful, will appear evident when we compare man with the lower order of animals, or civilized man with the savage, or the refined inhabitants of a city with the common population of the country. Were it not for the influence of thia faculty, these things would be held in no higher estimation by man than by the brute, or by one man than by another. Were it not for its influence, mankind would have no higher relish for the exquisite, the tasteful, the beautiful, and the sublime, than for the insipid, the dull, the homely, and the vulgar. Were it not for this faculty, we should no more highly prize the bold images, the glowing flights of fancy, the daring thoughts, and the impassioned bursts of eloquence which characterize the productions of Homer, of Shakspeare, of Milton, of Byron, of Addison, of Irving, of Chalmers, of Patrick Benry, and of Daniel Webster, than we do the plainer and dryer style of Locke, Dean Swift, William Cobbett, and many other still more homely writers. Without ideality, the splendid productions of a Raphael, a Corregio, a Canova, a Phidias, and a Praxiteles, would find no more favour in our eyes than the rudest paintings, and the roughest carvings, of the most uncivilized nations.

Although poetry is one form in which this faculty manifests itself, yet it is by no means exclusively confined to a relish for the inspirations of the muses. Though essential to the poet, it takes a wider range. It adds to the delight we take in viewing an elegant statue, an exquisite painting, a splendid temple, or any other finished production of art.  It causes and increases the glow and rapture experienced in beholding the beautiful landscape, the rugged cliff; the bold promontory, and the lofty mountain. [p. 165]

      ***

Location. — Ideal, isslocated upon the sides of the head, about the spot in which the hair begins to appear, upwards and backwards of construct., beneath the temporal ridge, and near its union with the parietal bone, and nearly in a line with compor., caus., and mirth. When large or very large, the sides of the head, where the hair makes its appearance, are widened and heightened, but when it is small, they are narrow and depressed. [p. 169]

  あいだには、このあいだ書いたような、頭のコブのサイズの違いによる記述などがはさまっております。 

   さて、747ページに載っているチャートは、実はIdeality がありません。Sublimity もありません。やれやれ。ということで、アカを入れておきました。――

FowlerPhrenology(1886)_modified.jpg
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  トンプソンの考えがナヘンにあったのかはわかりかねますが(ふふふ、いや、ほんとは推理可能なのですが)、ともあれ、これはまことにconfusing だと思われ。

 

   


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