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January 21, March 3 メスメリズムからスピリチュアリズムへ(その1)――擬似科学をめぐって(19→24)  On Pseudosciences (24) [擬似科学周辺]

March 03, 2009 (Tuesday)

    1月に書きかけて、ハナシの流れが分かれ過ぎて不分明になると判断して途中でやめた文章が見つかったので、ちょっと書き足して継いでみます。当初は、「January 20-21 メスメリズム(催眠術)とアメリカ (その3)――擬似科学をめぐって(18)  On Pseudosciences (18) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]」のすぐあとに出てきたものです。

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January 21, 2009 (Wednesday)

    あ、デイヴィスについて、簡単に紹介しておきましょう。

   催眠術で透視能力を示したデイヴィスがはじめのころに発現した特殊な能力というのは、霊の力を借りて病気を診断するというものでしたが、人間が透明になって、解剖図が一種のオーラとなって透けて見えたということです(うわー、あやしい)。さらに治癒能力が発現する。そこでデイヴィスは見世物的講演において催眠術の被験者になることをやめて、病気の治癒と霊界との交信のみにトランスの利用を限定します。1844年、自らを古代ギリシアの医者のガレンと、神秘家のスウェデンボルグだという2人と田舎で出会います(あやしいです)。ガレンは、杖をくれたりいろいろと教えを授けたりしてくれたそうなのですが、内なる神が創造的な霊であり、その内なる神との接触が健康と治癒の本質である、とか、病は生き物の体だけを苦しめるのであって、内なる霊的生命はそのままである、とか、まあ、ヴィジョンで伝えます。スウェデンボルグのほうは、自分がデイヴィスを導いて、来るべき大きな変化の預言者となるように教える、と言います。

Andrew_Jackson_Davis_young(1847).jpg
1847 年の Andrew Jackson Davis (1826-1910) via "Andrew Jackson Davis - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Jackson_Davis>

  実は、デイヴィスはメスメリズムによるトランスから、メスメリズムを経由せずともトランス状態に入れるように進化します。つまりはじめは催眠術によってトランス状態に入り、そこで治癒や透視の能力を起こしていたのが、内的観想が恒常化したというか、いわゆる霊的能力が高まることで、外的力を借りずにトランスに入るようになる。ふだんは教育のないふつうの青年が、トランスに入るとむつかしい専門用語で医学や科学や哲学について語った、ということです。そのデイヴィスが協力者として得たのがWilliam Fishbough という牧師(と、Lyon という医師)で、(どうやらやっぱりいつもとは言わずとも医師に催眠をかけてもらった)トランス状態での口述筆記が、『自然の諸原理、その神的啓示、人類への声』 [Principles of Nature, Her Divine Revelations, and a Voice to Mankind (New York: S. S. Lyon and W. Fishbough, 1847)] に始まる数十冊の著書です。

    で、こうなると、擬似科学というより新興宗教に近い構図を示すようにも見えますが、社会改良運動に積極的であったデイヴィスは晩年には医学と人類学の学位もとり、霊的治療者として尊敬されるのでした。デイヴィスの初期の信奉者で有名なのは Thomas Lake Harris, 1823-1906 という、もともとユニタリアンの牧師(ウィキペディア "Thomas Lake Harris - Wikipedia" はこの人もUniversalist としていますが、ユニヴァーサリスト的な説教をしたとはいえ、いちおうセクトとしては違うのではないかと思う)だった人です。「霊媒」となって長い詩を書いて有名になり、イギリスにわたってスピリチュアリズムを説いて作家のローレンス・オリファントとその母を感化して金をつぎ込ませ、ニューヨークにthe Brotherhood of the New Life という友愛団とユートピア村を築く(ここに薩摩藩から20人くらいの日本人が参加したということです)。ハリスを含むデイヴィスのグループが、1848年にアメリカでおこるスピリチュアリズムのリーダー的存在になるのでした。

---------------------(ここまで)-----------------------------

   このときにやめたのは、スピリチュアリズムという、なるほど(1) のちには自らの規定として「死後存在の科学」を称するし、また(2) スピリチュアリズムへの関心の高まりからやがて、科学者が大いに参加した心霊研究協会や、さらに20世紀の「超科学」が出てくるとはいえ、死者の霊との交信を中心に据えたスピリチュアリズムを擬似科学とここで呼んでしまうのは気が引けた、というより、その前に擬似宗教的な問題を踏み固めておかないとまずいな、と思ったのでした。たぶん。

  しかし、擬似科学をめぐってという短期集中連載は曲がりなりにもとぐろを巻いて完結したので、ここからあらためて積極的に科学も超え擬似科学も超えたところへ話を広げてみようと思った次第です。ただ、いきかがかり上、擬似科学を「めぐって」話は拡大するという体裁をとります(このブログも4月で閉じますし。たぶん)。

  さて、ぐだぐだ書きました。スピリチュアリズムの話は次回にまわして(w)、1月21日に書いたハリスの話を補っておきます。the Brotherhood of the New Life がつくられるのが1860年前後ごろ。ローレンス・オリファントは、外交官であったエルギン伯ジェームズ・ブルースの私設秘書だった関係で1850年代末に一度日本に来たことがあったこともあり(このときの記録が Lawrence Oliphant, Narrative of the Earl of Elgin's Mission to China and Japan, 1857-8-9 (1859))、1861年のイギリスからの派遣団に参加してまた日本にやってきますが、水戸藩の浪士に襲撃されて重傷を負います。オリファントは朝鮮経由でイギリスに帰り、政治の仕事はパッとせず、1870年に、代表作の小説『ピカデリー Piccadilly 』を発表したりする。

  トマス・レイク・ハリスは実はもともとイギリスの生まれで、幼少時に一家で渡米したのでしたが、1859年から1860年にロンドンなどイギリスで講演旅行を行なっています。外交関係で旅に出ていたオリファントとハリスの、オリファントがコミュニティーに加わる前の正確な接点は調査中です。が、日本語のウィキペディアの「トマス・レイク・ハリス」 の記述によれば、以下のようです。

1867年7月、ローレンス・オリファントの紹介で、薩摩藩留学生の森有礼鮫島尚信、長沢鼎、吉田清成、畠山義政、松村淳蔵の6名がロンドンを出発、ハリスが主宰するコロニーのあるニューヨーク州へ向かった。

さらに、薩摩藩からの第二次留学生の谷元兵右衛門(道之)、野村一介(高文)、仁礼景範、江夏蘇助、湯地定基の5名が合流し、薩摩藩士総勢11名による共同生活が始まったが、森、鮫島、長沢、野村以外の者はすぐにハリスの元を去った。森、鮫島はハリスのコロニーで1年近く生活し、ハリスから多大な感化を受け、1868年、日本国家の再生を命ぜられ帰国したが、長沢、野村は残った。

森有礼に認められ、キリスト教を学ぶ留学生として、1871年1月23日(明治3年12月3日)、米国に渡った仙台藩士新井奥邃は、米国マサチューセッツ州ボストン郊外の村落において労働と冥想の日々を送り、数名の同志と共に田畑を耕し、労働と祈りの生活を実践していたハリスに師事し、その道を学んだ。

1875年(明治8年)2月、教団の移転のため、ハリスと共に、カリフォルニア州サンタ・ローザへ移動。以来約25年間、この地にあって労働と瞑想の日々を過ごし、1899年(明治32年)英語の自著『内観祈祷録』一冊を携えて帰国した話は有名である。

新生同胞教団は、ブドウ農園の経営を行っていて、生涯米国に残留してサンタ・ローザで生活を続けた長沢鼎はカリフォルニアの葡萄王と称えられている。

   維新後に加わった日本人のなかで、ハリスの秘書となったのが、新井奥邃(あらい・おうすい)です。もっとも、彼は薩摩ではなくて仙台藩士でしたが、森有礼から、漢学の素養を、英語習得の能力と判断されたところも大きかったらしい(実際、古文や漢文が得意な人は外国語も得意というのはあるようです)。仙台藩は薩長と敵対して戦ったわけで、新井奥邃も脱藩して五稜郭までむかったようです。そして北海道ではじめて接したキリスト教がプロテスタントではなくて、ギリシア正教だったことは、神秘主義的なトマス・レイク・ハリスの思想に感応するのに大きかったような気がしなくもありません(まあ他にもいろんな人たちが集ったわけですけれど、宗教家としての生き方は新井奥邃が際立っているように見えますから)。

   新井奥邃ももちろんカリフォルニアに来るのであって、4段落目の主語は新井奥邃です(改行しなければいいのに、長いのをいやがるのでしょうか)。やはりニューヨークで設立された神智学協会の流れがカリフォルニアに来る話を前にしましたが(「January 24-26 メスメリズムとアメリカ (補足の4)――擬似科学をめぐって(22)  On Pseudosciences (22)」)、ユートピア的夢想の実験ないし実現の場としてカリフォルニアは19世紀から特化された空間だったのかもしれません。

   で、モーリちゃんの父も知らなかったのですけれど、神のジェンダー問題についていろいろと考えさせられるきっかけとなったのでした。キリスト教的にいうと第三のペルソナである聖霊がどのように働くかが問題となる気はします。三分説的にいうと、魂と霊を分けるトリコトミー trichotomy の考え方が正式に異端とされるのは、869年のコンスタンティノープルの第8回公会議においてであったのですが、このときに東の方(えらくいいかげんな書き方ですが、どうも東方教会や正教会ということばは複雑でよくわかりません)はbody/soul 二分説のほうへ進まなかった、というのを昔トクトクと友人から説かれた記憶があり。ロシアからソロヴィヨフみたいな神秘思想家が・・・・・・あるいはブラヴァツキーだってそうでしょうが、出てくる土壌があるというような。

参考url―

明治のキリスト者――新井奥邃(あらい おうすい)の場合――」 <http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-193.htm> 〔横浜上星川教会牧師・太田愛人のインタヴュー記事。たいへんに深く詳しい〕

「魔術人名録」(江口之隆) <http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/view.html> より――「Arai, Osui」 、「Harris, Thmas Lake」 、「Nagasawa, Kanaye」 、「Oliphant, Laurence

笠原芳光「新井奥邃の父母神思想」 <http://umi-no-hon.officeblue.jp/emag/data/kasahara-yoshimitsu03.html> 〔『田中正造とその時代』第四号(通巻第14号、昭和58年7月、青山館)所収の「新井奥邃の父母神信仰」を修正・改稿したもの。「主、二にして一」(the Lord : the Two-in-One)」とか、最初の「明治のキリスト者――新井奥邃(あらい おうすい)の場合――」 に引かれている奥邃の講話と同じだということがわかります

「GDF111 パネル・ディスカッション」 <http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/gd/GDF111/PANNEL/pannel.html> 〔鏡リュウジ、江口之隆、小谷真理らによるパネルディスカッションの記録。1998年11月22日、新宿アイランドホール〕


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あひるのドナちゃん

こほふぅちふぁ(こんにちは)
鼻水がひどく鼻にティッシュをつめながらソネくじをいただきにきました。
食いしん坊の私はついつい食べ物の写真に目がいってしまいます。
下のパーコー麺の写真が気になります・・・。
by あひるのドナちゃん (2009-03-04 13:57) 

morichan

ドナさったのですか?
あ、花粉ですね。パー子はそのうち書きます、きっと(きっぱり)
by morichan (2009-03-05 06:39) 

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