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March 9-10 『自然の夜の側面』における神殿の居住者をめぐって On "Dweller in the Temple" in Catherine Crowe, The Night Side of Nature――擬似科学をめぐって(28)  On Pseudosciences (28) [擬似科学周辺]

March 09, 2009 (Monday)
March 10, 2009 (Tuesday)

 「March 8 キャサリン・クローの『自然の夜の側面』 Catherine Crowe, The Night Side of Nature――擬似科学をめぐって(27)  On Pseudosciences (27) [擬似科学周辺]」の補足です。

  この、いまでいう超常現象や死後の世界などを扱って当時のベストセラーの、第2章の「神殿の居住者」は、しかし、幽霊ではなくて、人間の構成要素としての霊について語っています。えーと、おさらい的に書くと、クローの訳した『プレフォルストの女見霊者』のなかに、、ドイツのフリードリケ・ハウフェという、メスメリズムによってトランス状態になった女性が、人間が霊と魂と体からなっているという霊の教えを告げるところがあるわけですが、自然哲学の伝統のあるドイツと、メスメルがいたフランスにおいて、神秘主義的なメスメリズムが主張されたとされています(このへんは、アラン・ゴールド Alan Gauld の大著『催眠術の歴史』 A History of Hypnotism (Cambridge UP, 1992) がそれぞれ一章割いて "Mystical Magnetism: Germany" (8章)、"Mystical Magnetism: France" (9章)で論じています)。

It is almost needless to observe, that the Scriptures repeatedly speak of man as a triparite being, consisting of spirit, soul, and body; and that, according to St. Paul, we have two bodies―a natural body, and a spiritual body; the former being designed as our means of communication with the external world―an instrument to be used and controlled by our nobler parts. [. . .]  In this spirit so imparted to us, dwells, says Eschenmayer, the conscience, which keeps watch over the body and soul, saying, "Thus shalt thou do!"  And it is this Christ addresses himself when he bids his disciples become perfect, like their Father in Heaven.
(聖書が繰り返し人間を霊、魂、体から成る三重の存在として語っていることを述べる必要はほとんどないだろう。同様に、聖パウロによれば私たちは二つの体――自然の体と霊の体を持っている。前者は私たちが外的世界と通信する手立てとして設けられている――私たちのより高貴な部分によって使用され制御されるべき道具である。・・・・・・エッシェンマイアーが語るところでは、私たちに与えられたこの霊の内に良心が住んでいて、体と魂を見張り続け、「汝、かく、すべし!」と言う。そして、キリストが弟子たちに、天の父のようになるよう言うときに、話しかけるのこの霊である。)

   のちにブラヴァツキーが『ヴェールを脱いだイシス』(1877) で魂と霊の区分を強調したことは前にふれました〔「January 23 ジョーゼフ・ブキャナンとサイコメトリーとブラヴァツキー・・・・・・メスメリズムとアメリカ (補足の3)――擬似科学をめぐって(21)  On Pseudosciences (21)」参照〕が、ブラヴァツキーの言葉を引けば、「俗人だけでなく神学者も、魂と霊が同じひとつのものだという誤った考えをもっている」という指摘は正しく、9世紀に霊・魂・体の三分説(トリコトミー・・・・・・英語だと trichotomy トライコトミィ)が公式に異端とされてのちのヨーロッパ思想史においては混乱が今日まで続いています。三分説について最もくわしく論じたのは『神秘学序説』をはじめとする著書のある美学者でシュタイナー研究家の高橋巌だと思います。高橋巌は、雑誌『ユリイカ』に連載した部分では、確か「霊(精神)」(か、あるいは「精神(霊)」だったかしら)というような書き方をしていたと思いますが、やがて精神を添えずに「霊」と書くようになります。実はこの決断にはたいへん深いものがあると思うのです。誤解を呼びかねないけれども、誤解を生じさせないための選択だったと思います。Web 上では、つぎの論文 (1986) が三分説を高橋巌にすっかり依拠して解説しているのが見つかります――UT Repository: Item 2261/6591。そこから孫引き的に引いておきます。

  トリコトミー(三分説,あるいは特に人性三分説また霊魂三分説)とは,霊 (spirit),魂 (soul),体 (body),という3つの領域の総体として人間存在を把握しようとする考えである。そして人間は三重の仕方で世界と結びつき,大宇宙もまた,小宇宙たる人間に照応して霊,魂,体から成り立つものとして捉えられる。
  霊とは,人間各自の魂(心)の中に見出だせながら主観を超越している客観的領域のことである。それは目的と愛の根拠である。キリスト教文化の公的な思想は中世以降二分説を主張してきた。信仰によらず,認識によって自分の中に自分の霊を体験することは異端とされた。その結果ヨーロッパの学問体系の中では soul と spirit は常に曖昧のままに残され,しばしば非常な混乱に陥っている(高橋,1975, pp. 48-49)。
  ヨーロッパ思想の諸概念によって規定されてきた日本の思想においても同様である。学問の用語としては霊 (spirit) のかわりに精神を,魂 (soul) のかわりに心,または心理という言葉を使っている。精神という言葉は本来は精霊,精魂と結びつく言葉だが,今日ではむしろ心を含めて非身体的な人間本性一般についていわれている。psychology は心理学と訳されるが psychoanalysis は精神分析と訳されているように,本来主観的なものである「心」と,本来客観的なものではあるが,人間が自己の個人的領域として持っている「精神」とは混同されている。
  一方に身体もしくは肉体があり,その一方に心もしくは精神があるという二分説の立場に立つときには,soul と spirit をそのように曖昧にせざるを得ない。そして,存在を考える際に,物質と心,物質と意識,または肉体と魂というふうに二分して考えるとき,その立場は神秘学に行きつくことがない。
  魂というのは感情と悟性が共働した主観的な働きとされるが,そのような魂は真理を認識する能力をもたない。(エマソンは悟性に対する理性を霊に結びつけた)。教会に属し,忠誠を誓ってはじめて恩寵として,真理,つまり霊界の認識が伝えられるというのがキリスト教文化の肉体と魂という二分説の本質であろう(高橋,1980, p. 39)。
  だが,二分説的な考え方は,キリスト教本来の考え方ではなく,キリスト教が権力と結びついてドグマを作っていく過程でできたものである。そしてまた,宗教にはつねに公教的な側面と秘教的な側面があることを注意したい。
  人間は体と魂と霊とから成り立っているという古代の神秘学に共通のトリコトミーが公式に異端として否定されたのは,894年のコンスタンチノープル第8回公会議においてであったとされている。中世から19世紀に至るまで,霊はもはや個々の人間の属性とは見なされなくなった。そして,人間は肉体と魂の所有者であるという二分説から必然的に派生してくる唯物論によって,19世紀にいたっては魂もまた肉体によって生み出されるものとされ,人間は結局的肉体的存在以外の何者でもなくなってしまった(高橋,1975, pp. 22-23)。〔宮川雅「エマソンと三分説の伝統,または,宗教という名を使わない宗教」39-40〕

    キャサリン・クローがいう、聖書の三分説的な表現というのは、モーリちゃんの父が思いつくところでは、たとえば、やっぱりパウロで「テサロニケ人への手紙」5章23節―― "May God himself, the God of peace, make you holy in every part, and keep you sould in spirit, soul, and body, without fault when our Lord Jesus Christ comes" (平和の神、神御自らがあなたたちをあらゆる部分において聖としたまい、霊と魂と体のすべてにおいて主イエス・キリスト来臨の時あなたたちがとがなく守られるように) 。でも確か、自然の体と霊の体とを言っている「コリント人への手紙」(これもパウロです)は、もともとの三分説が二分説化されている(テキストを改変されている)箇所ではなかったかしら〔ちょっとちゃんと調べていずれ書きます〕。

  引用したクローの一節はあれこれと考えさせるところがたくさんあります。たとえば第一に、良心conscience というものの、人間存在内での位置づけ。リスねーさんの考えでは、これはフロイトの心理学だと、超自我に収斂していくことになります。じゃ、ロマン主義文学やフォークロアから大いにインスピレーションを得たとされるフロイトにおいて、霊的なものはどこへいったのか。ネガティヴな、悪魔的なものは井戸に、いやイドのうちに押し込められたのでしょうか(サダコかよw)。引用で "dwell" している主体は霊のなかの "conscience" なので、なかなかややこしいのです。二番目に、人間存在や、とくに人間の精神やこころを建物として捉えるのは常套的にあって、カトリックなんかでも『霊魂の城』(という題だったと思います)とか、宗教的な寓意的な本があったりするのですが、その後の「心理学」の流れだと、いっぽうで安定的なフロイトやユング(安定と言ったって、ユングの「個体化」とか、たいへんダイナミックなものなのでしょうが)の心理学にはおさまらない多重人格とかが、伝統的な「憑依」とという考えと理論を交わらせつつ19世紀末に出てくるのが思い浮かびます。し、そもそもその前に、スピリチュアリズムがらみで、人体は幽霊の家みたいな考え方も出てくるのが思い出されます。そこで問題になるのは「霊」といってもどうやら区分が必要だろうということで、実際シュタイナーとかは9つとか7つとかに人間の構成を分けて考える(それ自体はギリシアに原型はあるし、ちょっとねじまがったかたちではあるけれどもイギリスのロマン主義者のコールリッジの「心理学」もなんか似ているところがあるなあと個人的には感じてますが)のですが、そこまでいくとふつうの人にはなかなかついてけなくなりますねー。3番目に、引用の終わりのところの、イエスが弟子たちに与えることばとの関係で出てくる霊というのは、ヨハネ福音書の弟子たちへの告別の辞の中に出てくる真理の霊、パラクレートのことだと思われ。そして、そのパラクレートは、高橋巌がキリスト教における最も深い霊の思想として解説しているものなのでした。

  それは、イエスが、自分は助け主ではあるが、永遠の助け主ではないと弟子たちに語り、自分が去ることによって真理の霊、パラクレートがやってくるという、つまり、逆に言うと、聖霊パラクレートが個人のうちなる霊として生きるように自分は去らねばならない、というのです(14章~16章)。イエス自身が言うように、父(なる神)のもつものは自分(子なる神)のもの、その「我がものを受けて汝らに示す」のが聖霊です。そうすっと、ここには、いわゆる犠牲の死とは異なるイエスの死の解釈があり、そして、聖父(父なる神)=聖子(子なる神)=聖霊(聖霊なる神)といういわゆる三位一体の位格のひとつである聖霊なる神の、人間存在内への受肉が語られている(ように解釈できる)ようにも見えます。

  で、中世のヨアキムみたいな人は歴史の三分説を唱えて、父の時代、子の時代、そして第三の、これから始まる聖霊の時代、ということを言って、終末論思想なんだけれど、終末前に霊を受けた人たちによる千年王国がおこるという点で、あくまで歴史内のできごととしてつまるところは人間神化思想ととられかねない神秘主義が出てくる(日本語が乱れています、すいません)。ヨアキム主義はおりおりに教会から抑えられることになるのですが、20世紀の頭に「第三の王国」というようなかたちであらわれたのも聖霊思想がもとになっています。

  ただ、やっぱりキリスト教内では、パウロの言葉とかは死後の復活というふうな文脈でとらえられるのだろうなあ、というのは容易に想像されるところです。( ..)φメモメモ的に「朽ちない、輝かしい、霊の体」 http://www.interq.or.jp/pure/hirose/hirose/2007/sekyo0706.htm

 

The night side of nature, or, Ghosts and ghost seers (Volume 1) - Crowe, Catherine, 1800?-1876
The night side of nature, or, Ghosts and ghost seers (Volume 2) - Crowe, Catherine, 1800?-1876

The Night-side of Nature; Or, Ghosts and Ghost-seers (New York: B. B. Mussey, 1850)

高橋巌 (1975) 『神秘学序説』 イザラ書房

高橋巌 (1980) 『神秘学講義』 角川書店


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