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April 4 主体の惑乱、または愛の絶望――麗美の「愛にDESPERATE」  Confusion of the Subject, or Desperate for Love [歌・詩]

April 04, 2009 (Saturday)

If I place love above everything, it is because for me
it is the most desperate,
the most despairing state of affairs imaginable.

Andre Breton

  シュルレアリスムのアンドレ・ブルトンからの引用は、愛が人間関係において、想像しうる最もdesperate で despairing (desperant) な関係だという主旨ですが、 とりあえず英語に引きよせて考えると、desperate は多義的で、「悪い状況にあってその状況を変えるためなら何でもやる、危険は顧みない」、というような意味と、desperate for とかというつながりだと、「あるものをすごく求めている、必要としている」という意味、そして、ふつうに日本語の訳語となっている「絶望的」という意味があります。

  以下は、記事「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」と「April 2 歌詞と記憶についてのメモ」で踏み固めておいて書きたかったものですけれど、実は既にだいたい書いてあったものです(さすがにこの時期にあれこれアホなことをたくさん書いている余裕はないですw)。もう時間がないのでエイッと投げだします。

愛にDESPERATE」 麗美 歌詞情報 - goo音楽 <http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND83/index.html>

  麗美 (1965年生まれ)はユーミンの妹分として1984年1月1日に「愛にDESPERATE」でデビューした沖繩県出身の歌手です。本名は堀川麗美で堀川まゆみの妹。誕生日は1月6日なので、デビューしたときは18歳でした。

季節が変わる風の中 きらめく汗で走りたい
タオルと息はずませ あなたを忘れたいの

  冒頭の「季節の変化」はとてもユーミン的なモティーフで、うつろう時と人間の意識の変化を捉えるのがユーミンは得意です。けれど、季節がわかったりかわったりする、その感じる主体はとても主観的・感覚的であり、必ずしも、だからなんだ、ということは明示されません。たとえば、「街角に立ち止まり、風を見送ったとき、季節がわかったの」(「生まれた街で」)という娘は、「もう遠いところへと引かれはしない」、「生まれた街のにおい、やっと気づいた」から、と言っているようだが、因果関係はよくわからない。けれど、風がなにかを告げる。
  「タオルと息はずませ」は日本語としてはやや異質な並置です。タオルをはずませ&息をはずませ(て走って)あなたを忘れたい、という意味ですから。けれども、風と息がつながり、汗とタオルがつながる、というクロス関係を前の行に対してもっています。そして、日本語として異質と書いたけれども、日本語で両方の目的語とも「はずませ」られるから成立する、という、「日本語」性を逆説的に強くもっていて、それが、この英語と日本語のちゃんぽんの詩の性格とかかわっています。「きらめく汗で走りたい」の「で」も落ち着きがないです。

たった一枚持って出た コインが電話さがさせる
今すぐ声ききたい 角まで10メートル

  この日本硬貨は10円か100円か。というと、100円玉だと思う。「わたし」は「あなたを忘れたい」のでトレーニングウェアに着替えてジョギングに出かけたのである。だから財布はない。だけどのどが渇いたら缶ジュースを飲みたくなるかもしれない。それで100円玉を1枚だけにぎったまま走っています。(わたしが)たった一枚持って出たコイン。そのコインが(わたしに)電話(を)さがさせる。英文法だと無生物主語という、日本語としては不自然な構文です。次行の「声(を)or(が)ききたい」と同様に、助詞の脱落が、話者のたどたどしさを際立たせ、あたかも麗美という個性が(ユーミンに)詞をこしらえさせているかのように錯覚させるところです。


髪を梳くよなやさしさが 急に苦しくて

  この唐突な一行はなんでしょう。唐突さは、ふたつのレベルで存在していて、第一に、想定される話者のキャラとのズレ、第二に、詞のストーリー展開上の唐突さです。だいたい、耳で聞いて「カミヲスク」ということばは曖昧です。「紙を漉く」、さらに「神を好く」もありうる(メロディー上のカミのアクセントからすると実は「神」が近い)。ともあれ、「髪を梳く」という古風な日本語が選択されていることがわかり、意外なのでした。イメージの連鎖としては、風→汗、タオル→息から、髪をなびかせながら走っている女の子が既にイメージされてはいます。しかし、この「やさしさ」の主体はなんなのか、だれなのか? 話としては、あと10メートルで角の公衆電話まで着いてしまうので、現在の物語をストップさせる必要があります。それで、以下は話は進まず、もっぱら過去の記憶と、愛についての思いが語られることになるわけでしょうが。だから急なんです。
  さて、ふつうに読めば、このやさしさは彼(あなた)のやさしさです。この歌における彼(あなた)は、イメージとして、声として、シルエットとしてしか出てこない影のような存在なので、そんな存在についてくわしく忖度することは不可能ですし、たぶん禁じられている。主題は愛もしくは絶望的愛なのだから。ただ、それでも、身体性なり肉体性がどれだけ「わたし」の恋愛に関する意識ないし無意識に関与しているのかは気にならなくはないところかもしれません。とりあえず、ふたりの関係は、彼が実際に「髪を梳く」ような行為をするわけではないけれども、身体的接触としては抱擁するとかキスするとかいうようなことはしない、ということはわかります。だから、この「やさしさ」は精神的な「やさしさ」だけれども、同時に「髪を梳くよな」という比喩が修飾としてついていることで、身体的な「やさしさ」でもあります。だとすれば、そういうやさしさとはアンビヴァレントなもの、相手の尊敬と感謝を得ると同時に恋愛の成就の障害となるものでもある。でも、「やさしさが」「苦しくて」という日本語もそもそもヘンなので、あまり深く考えずに、ともかく言葉や論理はどうであれ、クルシ~、という恋心の吐露だととりたいです。そして、「わたし」の感じるところでは、彼(あなた)は恋愛感情をわたしにはもっているようにふるまってはいない。これまでのところ。それが苦しさの原因です。
  ついでに書くと、この曲の展開は「真夏の夜の夢」(1993年)に似ているところがあって(たぶん)、この箇所に対応しているのは「私、遠い夢は待てなかった」と「あなたの影、私だけのものよ」というところです。あの歌では骨まで愛してみたいな(ちがうか)「大人」の「女」の露骨な部分がわざと出ているのだけれど、この18歳のReimy の歌う歌としてつくられた歌ではだいぶ女性主体が異なっているようです。


愛にDESPERATE
みんなIt’s too late
知らずにすめばよかったの

  タイトルのフレーズが出てきます。そしてタオルやコインやメートルという外来語ではなくて英語がナマで出てくるところです。形式的なことから言うと、ここの "DESPERATE" と "late" 、すぐあとの"LONELYNESS" 〔ママ〕と "Heartless"、そして2番のおわりの "LONELYNESS" と "Emptyness" 〔ママ〕は、それぞれが脚韻を踏むように並べられています。麗美は英語の発音がよいと言われていて、たぶんそうなのでしょうけれど、実際の正しい英語の発音としては "desperate" の語尾は/eit/ というふうに二重母音では発音されません。「ディスパレト」と「ディスパリト」のあいだみたいな音です(適当)。しかし詩人がそういうふうに想定してつくってしまったので仕方なく「デスパレイト」と母音を下手に発音して、「イッツーレイト」と韻を踏ませて歌っているいるように聞こえます。
  「知らずにすめばよかったの」の「知る」の目的語は「愛」と考えます。もう少し細かく説明すると、愛にDESPERATE の主語はもちろん「わたし」で、「わたし」は恋愛に desperate になっている、ということです。意味がはっきりしない、ということを言おうと思えば言えますが、愛(あるいは恋)とはdesperate なものだ、と了解すればよいのです。クリシェです。恋愛とはクリシェだからそれでいいのです。「みんなIt's too late」の「みんな」は英語にすれば "all" ですが、副詞で「強め」です。"It's too late" もクリシェです(近いところではキャロル・キング)。恋の始まりも恋の終わりも、It's too late なんです。「知らずにすめばよかった」もクリシェです。「ああ、この悲しさはもう恋なのか」「ああ、この苦しさはもう恋なのか」(にしきのあきら談)。

恋はLONELYNESS 
やがてHeartless
がっかりしたら 悲しいわ

  恋は loneliness。恋をして人は孤独を知る。クリシェ(常套句)。 やがて Heartless。このheartless はクリシェと言うには異様な感じがしなくはないです。でも「うつろな心」と連想は働くかも。知ったばかりなのになんで恋の性質や恋の行く末を知っているように語れるのかという一見不自然と思える発話についていえば、(a) 作者と話者は違うから、というのが一般的にあるのですけれど、この場合は (b) クリシェだから、ということで了解されるように思えます。恋とはコレコレシカジカノものだ、という常套的了解。これは、恋とはこういうものだという現在的・個的体験としての認識と、過去から文学や音楽やらを通して伝承されてきた知識とのバランスが問題で、下手をするといやらしくなりかねないところです、一般的に。ただし、詰まるところ個的体験は共通体験に回収されるものなのだから、いずれにしてもクリシェなわけで、常套的な内容の物語上での出し方の問題(つまりWhat ではなくて How)ということになります。
  がっかりしたら。クリシェ。がっかりするのは「わたし」ではなくて「あなた(彼)」です。悲しいのは「わたし」。これは恋の疑心暗鬼、恋の自信喪失、恋の自虐的傾向のあらわれです。ほんとうの自分を知ったら彼(彼女)はがっかりするかもしれない。あるいは、自分の恋心を知ったときに、恋愛の対象として自分をどう思うか。この「がっかり」に、脱いだらスゴイ/スゴクナイ的な肉体性・身体コンプレックスをイメージするのは大人のいやらしさです。

陽射しにくらむ目の中に飛び込むようなシルエット
あの時ドア開けたらあなたがそこにいたの

  逆行して、過去の、出会いのシーンの回想です。逆光のシルエットとして提示された「あなた」は、やっぱり影のような存在なのでしょうか。いえ、そうではなくて、詞の話のなかでの「あなた」の提示のされかたの問題なのでした。

そっと増えてく思い出が、今は重すぎて

  思い出がなんたらすぎて、いうのもクリシェです。思い出は美しすぎて(八神純子)、思い出がありすぎて(高木麻早)。ふつうは過去の恋愛について出てくるクリシェかもしれません。そこはユーミンですから、恋愛の途上でもう思い出が重すぎるという早熟ぶりを示すのは不思議ではありません。ともあれ、冒頭の「あなたを忘れたい」と響きあっている箇所です。


愛にDesperate みんな It's too late
会わなかったらよかったの


恋はloneliness わたしemptiness
思ってるような娘じゃないわ

  「わたしエンプティネス」の部分を「わたしエッチね」というふうに幻聴した男が100人に3人くらいはいるようです。それは心理分析的には真理を突いているかもしれない(いやいない)。

あなただけしか救えない

  この結びは、しばらく、(私には)あなただけしか救えない、という意味だと誤解していた箇所です。もちろん、愛にdesperate になって苦しんでいる私を、あなただけしか救えない、という意味です。  


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