So-net無料ブログ作成

November 30 サンタのバラード [歌・詩]

November 30, 2008 (Sunday)

    モーリちゃんの父がモーリちゃんくらいのころ(小学校4,5年)は、なぞなぞの個人的全盛期で、その後に替え歌とダジャレの時代が待っていた。東海道本線をダジャレで旅した遠い日・・・・・・「名古屋ではなごやかに」――なつかすぃ。

   童心に帰ろうとしたが、邪心が許さず、結果、きわめてバカなものとなってしまった、気がする。 

サンタのバラード

サンタにあげた 愛のくじを
いまさら返せとは 言わないわ
脱いだら男と 泣きごと言うな
調べたならいい ここで勝負ひとつ
サンタの歌う あの歌を
今夜は当たりか もらってあげる 

      (乾燥)

サンタの腕に 巻かれたら
いまにも当たりは ここ出そう
それでもそいつが たまらないほど
サンタを好きに させちまうのよ
サンタと暮らした 記念のくじを
いまさら返せとは 言わないわ

    やれやれ。あほまるだしかつおまるである。 

  ところで、替え歌は著作権にひっかからないのでしょうねー、たぶん。マッド・アマノっちのパロディーを考えても。・・・・・・あれ、ウィキペディアの記事「パロディー事件」を読むと、違うなあ。おかしいなあ。無罪になったと思っていたのだけれど(謎)。

  さ、勉強するぞ。


マッド・アマノのパロディータイムズ 〔The Parody Times Weekly 権力に楯突くパロディー新聞 編集主幹 マッド・アマノ〕 <http://www.parody-times.com/> 〔好きというのではないです〕

  


タグ:ソネくじ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

December 1 ババリアのダンスのいろいろはイロイロか [メイポール周辺]

December 01, 2008 (Monday)

    はじめは、「マイバウム(五月柱)」と題する短い映像だった――



" maibaum " (0:57) posted by "tschingol" on January 28, 2007

  投稿者の短いコメントは"bavarian tradition" とだけあって、どこの地方の、いつのものかはわからない。無音ではないのだけれど、マイクの感度をあげているのにほとんどノイズ以外は、おっちゃんたちの「スラップ」する音しか聞こえないなかで、5人の男と5人の女が、横になった白黒模様のメイポールの傍らで踊る。男女がからんだりもするけれど、女たちは後ろ向きにまわっています。はじめフィルムの逆回転かと思ったぐらいに。そして最後にメイポールが立てられていく映像が切れ切れの音楽と一緒に流れて、消える。
  後ろ向きに進むというのは、時間の流れに棹差すのとは逆のふるまいで、これまでの時間を遡って原初へ回帰しようという意味がありそうな気がする。無効に終わった時間をハツム(たしかエリアーデの翻訳で使われていたことば・・・・・・撥無・・・・・・変換しないなあ)して一からまた世界をはじめよう、という通過儀礼的意味のひとつのあらわれではないかと。

  それで、気になって、ババリアの踊りを見つづけた。 

  えらい大人数で伝統的なババリアのフォークダンスを室内で踊る青少年少女たち。40秒過ぎから女が外側に、男が内側に二重の円になるのだが、どうもこのパチパチパンチみたいな男のスラップにも意味がありそうな。そのあと、くるくるとまわりながらなので、逆向きなのか前向きなのかなにがなんだかわからないのだけれど、いちばん小さな少女が目をまわしているのがかわいい、いや、まわしているところからすると、遡行しているのかしら。――


Bavarian Volkstanz " (2:41) posted by "csolan" on October 21, 2006: "Children dancing a traditional Bavarian folkdance."

   このスラップダンスというやつ、あやしい。―― 


" Hardcore Schuaplattln " (0:54) posted by "egge69" on January 8, 2007: "Die Hardcore Schuachplattlor rockn in Discostodl ;)."

   まあ、これは音楽があやしいだけで、人数は男4、女4になっているが、基本的には上の少年少女と同じものに見える。しかし、尻をおまけにかメインでか、スラップするのもある。――


" Bavarian Ass Slapping Dance " (1:08) posted by "fiveheadwbfc" on September 18, 2006: "Bavarian Dancers at the German Tourist Club Octoberfest Party."

   日本だったら笑い事じゃすまないような気がする。ははは。そして、次の映像はチロルのようだが、スカートめくり(屋内)――


" Dança dos tiroleses " (2:06) posted by "rcaridade" on August 1, 2007: "Briga dos tiroleses."

   これはショーなのでしょーか。女をめぐる男の闘争なのでしょうか。つぎの映像は映画らしいけれど、野郎だけでスラップしまくっている。ちょっと最初はラインダンスのようでもあり。ホイホイ♪――


Bavarian Dance-Off " (2:20) posted by "guyman3000" on May 12, 2007: "chevy chase gets it on with some bavarian brautworsts."

   Chevy Chase 主演の National Lampoon's Vacation Series のひとつのようですが――National Lampoon's European Vacation (1985)。
  男と女があい争うのもありましたが、その映像はほんとに演芸というか見世物パフォーマンスという感じ――


German Slap Dance " (1:54) posted by "bentkneecreative" on May 11, 2007: "Bent Knee Creative's Wilma and Heimlich performing at Oktoberfest in Perth."

   Bent Knee Creative というのは2000年にオーストリアのPerth で設立された団体みたい(その英文Home Page)。
   男たちだけでも、木を切り出す踊りでスラップダンスになっているのもあるみたい(屋内でのパフォーマンス)――


Danca no alm spetakel " (7:51) posted by "viniciusalexandre" on October 1, 2007: "danca maluca (schuhplattln)."

   これと同様のパフォーマンスは、去年サンフランシスコにもやってきてやってましたね――" Unique German Dance at San Francisco Oktoberfest " (4:27) posted by "dimitaer12" on October 20, 2007: "These guys were chopping wood on stage! San Francisco Oktoberfest 2007."
   で、どこからどこまでが「伝統」なのかわかりませんが、次のようなのが「真正ババリアダンス」だと言われても頭がかゆい、いや頭がいたいです。――


Authentic Bavarian Dancing " (1:45) posted by "darthmaulanie" on December 20, 2007: "Circa 1935....yeah, that's it... "

   まあ、どこかで見たジェスチャーがふんだんにあり、なつかしさすら覚えるのですが・・・・・・。ババリア(バイエルン地方の英語の呼び名)も広いですし、いや、そもそもひとつの集落にだって、独自の、それも複数の踊りがあってあたりまえかもしれないのだから。つぎのは、「いちゃつきダンス」という名にひかれてボケっと見ていたら、おお、――


" Bavarian Flirtation Dance " (7:49) posted by "TravelingTidbits" on August 4, 2008: "(www.ARoadRetraveled.com) The Original Enzian Dancers perform a traditional Bavarian Flirtation Dance. For more info on the Original Enzian: www.OriginalEnzian.org."

   クンズホグレツはちょっとわざとらしい感じですけれど、3:26くらいから(と6:12から)、女性陣が後ろ向きにまわりはじめました。男は前向きに進むのね。
  そのわざとらしさも愛を育むためなら、と納得しました(笑)。つぎのババリア・ポルカで男が女をヨッコラセ、ともちあげるのもスカートのすそをひるがえさせる(麻丘めぐみ「アルプスの少女」)ためだけでなく・・・・・・なんなんだろ――


Bayrisch-Polka (Thiersee) - MyVideo " (2:41) posted by "
dancilla" on March 16, 2007.

  そう。古い絵と同じジェスチャーかも―― 

untitled.jpg





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  via Dancilla <http://www.dancilla.com/

   でも身体的接触と身体的鍛練が大事にされたんすかね。sport という言葉のいろいろな意味を含みつつ。

  この、上のdancilla.com と関係あるのかどうかわかりませんが、 "dancilla" さんはスイスのチロル地方も含めて、いろいろな地方のダンスを、それも屋内でやっているところをみると、調査・研究などしながら、保存している、らしい、ので勉強になりそう(しかしドイツ語)。 なんかおんなじコメントがどれにも書かれているようですが――

Beschreibung: Wir möchten die Traditionen und Tänze am Leben erhalten und sie der nächsten Generation und anderen weiterreichen, indem wir die Mittel unserer Generation benutzen - dem Internet.

   そして、そのなかに、シンプルに後ろ向きなのがありました。3拍子でワルツのようで――


" Schnacklwalzer 01 - MyVideo " (3:30) posted by "dancilla" on December 15, 2007.

    それでも、やっぱりスカートをのぞいているようなジェスチャーがついてますなあ。
  おまけにもいっちょポルカ―― 


"
Bayrisch-Polka (Erl, Vögelsberg-Wattens, Virgen-Os… - MyVideo " (1:43) posted by "dancilla" on March 16, 2007.

   不純に考えれば、女性だけ後ろ向きに回るのは、こけるのを男がねらっているのかもしれません(わぁ、不純)。が、しかしどうやら、勝手な憶測では、木を切り出す男の踊りと同じくこの部分は昔からあったのではなかろうかと(わぁ、すごい勝手)。



"Bayrisch Polka (Bavarian Polka)" Dancilla <http://www.dancilla.com/index.asp?flangu=EN-EN-&aflangu=EN-EN-&n1=0&n2=0&m=0&ObjID=908&crit=&app=2&page=1> 〔独・英語の解説ページ。リンクが重たい〕

Volkstanz.Comm.Tanz mit! <http://www.volkstanz.com/folkdance.html> 〔同じく独・英語〕

「1956年に選択されたオーストリアのベースダンス」 <http://www.e1-1.com/20basedance1956.htm> 〔オーストリア連邦共和国フォークダンス協会が選んだ基本的フォークダンス〕 

「世界の国々の踊り」 <http://members2.jcom.home.ne.jp/jojon/country/kuni_0.html> 〔不完全ながら動画リンクあり〕

「バイエルン州 - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E5%B7%9E>

"Zwiefacher - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Zwiefacher>

「ダンス - Wikipedia」< http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9>
「フォークダンス - Wikipedia」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9>
「ラウンドダンス - Wikipedia」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9>
「スクウェアダンス - Wikipedia」<http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9>

「千代田スクエアダンスクラブ」 <http://www.chiyoda-sdc.com/japan/topic/topic2008.html>

  にほんブログ村 海外生活ブログへ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

December 2 [ソネくじ] フシギバナと時差――不思議な庭でゲット [時間・空間 space]

December 02, 2008 (Tuesday)

  ゲットといっても庭でゲッと大地になにものかを戻したわけではない。

   いまカリフォルニア時間は12月2日火曜日の朝8時30分をまわったところ。
  なんでも書けばいいというのではないが、つい書いてしまい(こどもです)。

  ソネットのソネくじの新たな企画として「不思議な庭」というのがあり、毎日3回ソネット内のページをまわって(まわらされて)水をくみ、花壇の花を育てて、花が開くとくじがもらえるという、秘密の花園もまっつぁおのガーデニング・ゲームです(誰にむかって説明しているやら――後世の人?w)。で、ふつうは7枚もらえるのだが、今朝2度目に水をやっていたら、変わった色の花が咲いた――

fushigibana.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

  諸手続きをしたら、やぱーりたくさんくじをもらえた――

fushigibana77.JPG

  ふっふっふっふ。

  はっはっはっは。

  ふぁっふぁっふぁっふぁ。

  ところで、 そのあともう1度水をやって、計3回ちゃんとあげたのだけれど、作業後にお疲れさんとカレンダーを見たらば、努力のあとがそこには残されていなかった――

fushigibanacalendar.JPG

  評価は、何もしなかったときの「もう少しがんばりましょう」とかいうのを別にすれば、「できました」「よくできました」「たいへんよくできました」の3段階で、水やりの回数をあらわしている(らしい)。左端の11月30日の仕事も評価が低いが、そのときにたぶん最初の花を咲かせたような記憶があります。それでわかったのだけれど、やっぱり花が咲いた時点でリセットされて新たな労働のサイクルが始まるということなのでしょうか。しかし、水は、まだ地中にいて目に見えない種や芽や、地上に出てもまだ花を開かない花にこそ――花になっていない花、まだ名前にそぐわない存在にこそ注いでいたのではなかったか――惜しみない、わけへだてない愛情とともに(いや、咲いた花にも注ぎますよ)。やっぱりおかしい。よー。よー。

   それとは別に、カリフォルニアと日本は時差があるので、あいかわらず混乱するのも事実ですw

  しかしまた、「花は花になる前から花である」と日記(まぁ、このブログのことだが)に書いてみる。だが、タネは花だろうか。タネのまま過ごす歳月がタネによって違うのだが。だとすれば、タネの中に詰まった時間というのは、いったいまったく花のこの世での存在にとってどのような位置を占めているのだろうか。

  などと存在論的問題を(ここには書かないが四次元問題と絡めながら――ちなみに時間を第四次元ととる立場にモーリちゃんの父は立たない)悩んだ朝でした。

  ところで、マルチカラーの77枚花は、稀少かと思って記念撮影したのだけれど、ソネくじトップページの「その6 不思議な庭でGET!!」のところにある小さい画像に映っていました。右下のサンタさんの横の同じ場所というのが気になり。同じ場所に1度しか咲かないのでしょうか(謎)。

fushigibanasonekuji.JPG
<http://www.so-net.ne.jp/kuji/>

  ともあれ、獲得枚数は4日分くらいにふくらんだ――

sonekujitop.JPG

   はい、もちろんポイントポンの結果は零ポイント→くじ10枚ゲットでした(爆)。

    で、この「本日のソネくじGET数」の「本日」というのが何日なのか、コレクトブックで獲得確認すると2日なのであった(頭がかゆいいたい~)。


nice!(5)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

December 3 メイポール・サンバから葉山のレイト・サマー・サンバへ From Maypole Samba to Late Summer Samba [断章 fragments]

December 03, 2008 (Wednesday)

    昨日書きそびれたが、モーリちゃんは風邪で熱が出たために今日も小学校を休んだ。モーリちゃんの父は逃避していた仕事の依頼が先月末からタテコンデ頭を痛めながらあれかこれかと策を練っているので、ちょっとブログにエネルギーがまわりづらい回路が形成されつつあるような悪寒、いや予感がみぬちを駆け抜けかけた。思えば、1年間の長い夏休みのようなものだから、勝手(台所まわりも含め)ができるので、来年のいまごろはブログなぞ書いておらんでしょう。いや、ともかくこのブログは4月の頭で終わる。悲しくても(笑)。

  さて、"Maypole Samba" というタイトルが目にとまれば、好奇心をもたざるを得ない。投稿者はポーランドの人です。――


http://taniec.shou.pl Maypole samba lesson Slavik Karina " (0:20) posted by "lukaslukas33" on July 8, 2007.

    まあ、タイトルからして自我の主張が強いのだが、あとから "maypole samba" でググってみても日本語の20数件はすべてこのtaniec / Slavik Karina がらみのようだし、全体40件ちょっとしかヒットせず。ただ、"Paso Maypole (Samba)" という表現をしているサイトがあったので、そちらで検索すると2件でてきて、ひとつは結局同じ動画なのだけれど、 "Esta entrada fué posteada el Febrero 6, 2008 a las 2:39 pm y está archivado bajo Samba." とか書いてあるので <http://bailadolid.wordpress.com/2008/02/06/paso-maypole-samba/> 、そのうちポピュラーになるかもと思ったが、どうもあれこれと創作のステップを公開しているような(よくわかりませんが)。

    前に「サマーサンバ」という曲についてちょこっと書きました(「Ocotober 22 ソー・ナイス! So Nice!」)。そーそー、その後わかったのですが、英語の歌詞の作詞者となっている Norman Gimbell は、ポルトガル語から訳したのではなくて、元から英語で作詞したようです。どうりで韻の踏み方がうますぎると思った(w)。そのあと「シング」に関係して書いたように(「October 24 "Sing" のスペイン語歌詞 Lyrics of "Canta," Spanish Version of "Sing"」)、いま歌っている歌がそのまま人生の比喩になっているとか、いま踊っている踊りがそのままあなたとわたしの人生という踊りの比喩になってるとか、現在の瞬間が永遠につながっている感覚とか、逆に永遠と比してはかない時間だからこそ人生を透視する感覚とか、そういうのってよくあるとは思ったのですが、もしかすると、哀愁を含もうが含むまいが、そういうふうにある種めでたく広がっちゃうのって、あんまりないのかもしれない(どっちなんじゃい)。もしかすると南方系の感性なのかもと。

    自分の音楽履歴について、深く反省したことはないのだけれど、日本の歌謡曲にときおりあらわれるサンバ(例はあえてあげない)を別にすれば、たぶん同じブラジルのボサノバを聞きだしたのと一緒に入ってきたような記憶があります。

    サンバの語源については英語のWikipediaの "Samba" を読むと(読まなくても)諸説あるようだが、へそとへそをくっつけて、という宇宙創成論的な踊り由来説がおもしろいけど、どうやら、勝手にアフリカ語起源説まで含めて感覚的にいうと、「快楽」とか「畏敬」という意味ぐらいらしい、がよくわからないらしい(そういうふうに書いているわけではなく、感じです)。あ、そうそう、日本語のウィキペディアの「ボサノヴァ」の記事の最初のところは、サンバも言及されており、面白かったので引用します。――

Bossa Novaの、Novaとは「新しい傾向」、Bossaとは「隆起、こぶ」を意味する。したがって、直訳すれば「新しい傾向」などという意味になる。なおBossaとの語は、すでに1930 - 1940年代に黒人サンビスタなどが、サンバの俗語として、他とは違った独特な質感をもつ作品を作る人に対して「あいつのサンバにゃボサがある」などと使い、それらの楽曲をSamba de Bossaなどと呼んでいた。

1950年代後半に、リオ・デ・ジャネイロコパカバーナイパネマといった海岸地区に住む、中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された。Bossa Novaとはポルトガル語で「新しい感覚」、「新しい傾向」といった意味がある。ブラジルでは特に、1958年にアントニオ・カルロス・ジョビンヴィニシウス・ジ・モラエスが作曲し、大歌手エリゼッチ・カルドーゾが歌い、まだ新人のジョアン・ジルベルトがバックでヴィオラゥン(ナイロン弦のクラシックギター)を弾いた“Chega de Saudade”(シェガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)のレコードによって知られるようになり、人気を博した。

サンバショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特にサンバ・カンサゥン(Samba Canção)を基に、中産階級の若者たちの求めていた、心地よく洗練されたサウンド、新しい感覚(Bossa Nova)のサンバとして成立した。ボサノヴァをジャズの一部と見るなど様々な見方もあるが、少なくとも本来のボサノヴァはサンバの一種であると定義されており、それまでのブラジル音楽の流れを変えたといわれる。

なお一口にボサノヴァといってもミュージシャンによってそのスタイルにはかなり異なる。これに関連する挿話を挙げると、公的には1958年のChega de Saudadeがボサノヴァ第1号といわれるが、ジョビン&ヴィニシウス作品で1953年にジョニー・アルフが歌った“Rapaz de Bem”(邦題:心優しい青年)を、真のボサノヴァ第1号とする説もある。彼の場合はジャズに影響された作風を持っているのが特徴で、ジョアン・ジルベルトなどとは明らかに異なり、アーティストによってそのスタイルにかなり違いがあることが理解できる。

しかし、1964年にブラジルにおいてカステロ・ブランコ大統領による軍事政権が誕生すると、カエターノ・ヴェローゾジルベルト・ジルなどのトロピカリア・ムーブメントなどにより、愛や自然を歌うものから体制を批判するものに変化していった。したがってブラジルにおけるボサノヴァのムーブメントは実質、約10年くらいだったといわれる。 <「サンバ」- Wikipedia>

   面白かったのは日本語そのもので、つっこみどころ満載と思ったのですが、残念ながらあれこれ書く余裕がございません。 あー、ひとつだけまじめなところを書けば、やっぱりジョアン・ジルベルトは初期からジャズの影響があったと思いますが。

  で、話を思いっきりはしょって、モーリちゃんの父はEPOが好きだ。エポが元気な映像を見て元気が出ました――「EPO - Late Summer Samba (2005)」 (4:16)。自宅のstudio eponica で、ちょっと髪の毛がはねているところが疲れているようにみえなくもないけどかえって日常を伝えているでこれでいいのだと信じた。イギリスにいったりしてあれこれ深まりを見せているところまでは追っかけていたが(ほんとに追っかけたわけではない)、葉山にずっと住んでいるのですね、近年は。

  自筆楽譜が映るのだけれど、「恋のマイアヒ~Dragostea din Tei」でいうとMAI-A-HI . . . MAI-A-HAA (英語版だと MA-YA-HI MA-YA-HU MA-YA-HO MA-YA-HA HA )に相当する部分がHA YAMA YAMA YAMA と書かれている(相当するのか?)。ははは。意味はなんですか、と訊かれたら「は、やーまー」とか答えるのかしらw。

  そのうちひまができたらEPOと大貫妙子と松任谷由実(と竹内まりや)を比較するブログ記事を書くぞ(と日記には書いておこう)。


サンバ - Wikipedia
ボサノヴァ - Wikipedia

"Samba - Wikipedia" http://en.wikipedia.org/wiki/Samba

EPO  Official Home: ♪ : eponica.net <http://www.eponica.net/> 〔その後の仕事を初めて知りました〕


nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

December 4 食品博物館――キャベツ娘とキャベツ頭はどのようにつながっているか Food Museum [料理・食べ物 cooking foods]

December 04, 2008 (Thursday)

   "Food Museum Food List" というページのキャベツ娘――

opener%20exhibits%201.jpg
via Food Museum Food List <http://www.foodmuseum.com/foodlist.html#Alphabetical>

  の絵にひかれて、Food Museum を見学した。

The FOOD Museum Online <http://www.foodmuseum.com/>

  なんだか、まだ建設中の博物館のようです。"A tax-exempt 501 c-3 educational organization" というかたい肩書きがあって、そのMission とかはトップに書かれているのですけれど、それはそれとして、ちょっとあまりにも広い、というかぐるぐるまわる感じなので、建設の経緯の説明を求めて、"Site Map" ページの下の "About Us" をクリックすると "Welcome!" と冒頭に書かれたページに出ました。あらためてMission その他も繰り返されていますが、どうやら(読みとったところがまちがっていなければ)1988年のThe Potato Museum というのが元になって、アメリカの教育関係者が中心みたいだけれど、ベルギーやイギリスにも関係者がいる、教育的に言うと「食育」をむねとするサイトのようで。Global Food Heritage Project というのがここから生まれたようです。そして、ともかく食い物に関する疑問・質問にスベカラク答えるべく建っておると(そうは書いてませんが)。絵が多くて癒されます(子供かい)。

   以上、紹介終わり

   ところで、このトップページにはキャベツ頭の少年の小さな画像もあって、とっても気になったので調べてみたら、大きいのが見つかって、字も読めた(大きすぎるので画像を変換しました)――

cabbagehead.jpg
image via Exit, Pursued by a Bear: February 2004 Archives <http://www.snappingturtle.net/gigantichound/archives/2004_02.html>

  少年と思ったのはまちがいでしょうか。Joseph Rogers という、帽子屋さんの広告のようです。上の画像、クリックすると拡大しますが、右上には "1st Premium Cabbage Head" (特級キャベツ頭)と書かれ、中心部分は "All the Latest Styles in HATS / ----AT---- / JOSEPH ROGERS, / 141 KING STREET EAST" と書かれています。住所の "141 King Street East" というのは、調べてみると、ロンドンかと思ったらカナダのKingston の地名で、現在は客室数19の Hotel Belvedere というハタゴがあるらしい――「トロント/ナイアガラ/中央カナダ おもなホテル」 <http://tabi.nikkeibp.co.jp/tabi/data/19_hotel.html>。これはGoogle マップでも確認されます――"141 King Street East Kingston - Google マップ" この、オンタリオ湖のそばのキングストン(カナダにはKingstonという市が少なくとも3つはあるみたい)は、もともとフランス人の植民地だったようですが、アメリカ独立戦争時には英国軍の敗走の拠点になったりして、英語の文化のほうが強くなった土地なのでしょうか(まったくの推測です)。キャベツを言うフランス語のchou が、英語のように悪い(馬鹿という)含みがないらしいのは知っていましたが、そういうのと関係あるのかしら、ないのかしら。まさか帽子をかぶる人間や客を「キャベツ頭」=バカ扱いするとは考えられず。どういう意味合いなのでしょう。

  左下には"COPYRIGHT 1857 BY J. K. BUFFORO  SOHO" とかなんとか書いてあるように見えますが、後半はっきりとは読めません。名前はイラストのHATS の字の右上の影の下にも書かれています。

    ううむ。BUFFORD ですかね。

  Childs Gallery の Search <http://www.childsgallery.com/works.php> で出てくるこのひと(たち)かしら――

  • Bufford, J. H.
  • Bufford, J. H. (sons) Frank Gale Bufford (1837-1921) and John Henry Bufford, Jr. ((1841-1893) <http://www.childsgallery.com/works.php?QueryString=BUFFORD&works=works&artist=artist&media=media&category=category&publications=publications>
  •   

       こういうふうに名前がイニシャルだとウィキペディアは使いにくいですねぇ。載っているか不明(たぶん載っていない)。そこで、前に彫刻家のAnnette Rosenshine (Harriet Lane Levy の友人のアリス・B・トクラスのいとこ)とWalter Shirlaw (ホーソンの著作集の挿絵画家)で利用した、AskArt で検索しててみたら、出てきました(このAskArt というのは美術品の価値を知るのが主旨のサイトのようで、まあ、現実的です。情報は断片的ですけど、リンクは各種ある)――

        John Henry Bufford (1810 -70)  <http://www.askart.com/askart/artist.aspx?artist=86202>

      すぐ読める情報はそれだけでしたが、リンクを調べると、ニューハンプシャー 州Portsmouth生まれ。マサチューセッツで活動。リソグラフの風景版画家。

      再度フルネームでグーグル検索。Philadelphia のペンシルヴェニア大学の図書館のspecial collection の "Keffer Colection of Sheet Music" のページに以下の解説と、所蔵イラストリストが載っておりました――

    Lithographers Outside Philadelphia: John Henry Bufford (1810-1870)

       John H. Bufford operated lithography firms in New York (1835-1840) and Boston (1841-1871). He received his training by working for William S. Pendleton in Boston and later for George Endicott and Nathaniel Currier in New York.
         There are approximately fifty-four items in the collection for which the Bufford firms provided the illustrations. <http://www.library.upenn.edu/collections/rbm/keffer/buff.html>

       たぶんこのひと(つまりオヤジさんのほう)でしょうね。

        ついでながら、このKeffer Collection というのは、そのむかし「July 8 おおカリフォルニア!(16) おおスザンナ! (16) Oh! California Oh! Susanna  4番まであるPeters 版 (1849)」という記事で、フィラデルフィア市内にあったLee & Walker という楽譜・楽器屋のイラストを引いたことがあったのでした。

         いま、Keffer Collection の絵を見ていて(そう書いてあったわけではないのになぜか)ピッカリ閃きましたが、SOHO じゃなくて SONS ですね。

        きっと息子の "J. H. Bufford Sons" = Frank Gale Bufford (1837-1921) + John Henry Bufford, Jr. (1841-93) ですね。(変わり身の早いことw)

       ・・・・・・でもそうなると1857年が早すぎるか・・・・・・1887かしら。(適当なことw)

       深まる謎(爆なことw)。

         

          なぞはなぞとして、ふとまた閃いたのですが、キャベツ紳士はサイヤ人に似ているなあと思ったのですけれど、ドラゴンボールのサイヤ人って野菜人だったのね(誰でもわかってたことかw・・・・・・ふふ不覚なり)。

    にほんブログ村 英語ブログ 洋書・洋楽・映画の英語へ

    カリフォルニア時間2008年12月16日午後4時追記。

    キャベツ頭問題について、つぎの記事を書きました――「December 16 キャベツ頭の中身 The Inside of a Cabbage Head

    キャベツ娘関係で、つぎの記事を書いていました――「December 9 Eyewitness Books のNorth American Indian ほか2冊」、また、その補足として「December 10 「ジャパニーズ・ソープ」といってもソープオペラでもソープランドでもないのか Japanese Soap, Not Japanese Soap Opera Nor Japanese Soap House


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 5 [ソネくじ] フシギバナのゲット・パート2――不思議な庭でパッとしてグーときてゲット [時間・空間 space]

    December 05, 2008 (Friday)

       ゲットといっても庭でゲッと大地になにものかを戻したわけではない。

       いまカリフォルニア時間は12月5日金曜日の朝10時30分をまわったところ。いまは陽射しが暖かく、温度がだんだんあがってきているようですが(室温20度(暖房なし)、外気温14度)、今朝は寒かったです。
      なんでも書けばいいというのではないが、ついまた書いてしまい(こどもです)。

      ソネットのソネくじの新たな企画(期間は11月26日~12月24日)として「不思議な庭」というのがあり、毎日3回ソネット内のページをまわって(まわらされて)水をくみ、花壇の花を育てて、花が開くとくじがもらえるという、秘密の花園もまっつぁおのガーデニングゲームです(誰にむかって説明しているやら――後世の人?w)。で、ふつうは7枚もらえるのだが、今朝1度目に水をやっていたら、また変わった色の花が咲いた――

    fushigibana2a.JPG

      水をくみに、いろいろなページをまわるときに、夏のソネくじの「くみこをつかまえろ」のときよろしく、ダッシュで水汲み場へむかったのが妖精たちに認められたのだろうか。 

        この中央のおかたはどなたかというと、ひかえおろう、「かわいい生き物たち」のひとりです(「So-net 不思議な庭ヘルプページ」<http://www.so-net.ne.jp/garden/>)。とりあえずユキンコと今朝名づけました。ユッキー(アンパンマンかい)、ギャルソネという名も浮かばなかったわけではないですが。

      ちょっと花を隠すというお茶目なところがありますが、くじを取りに行ってくれました。

    fushigibana77.JPG

      夢のようでよく覚えていないのですが、くじを運んできてくれたのは虫さんたちだったような記憶がうっすらと。そして庭に戻ると、そこにはもうユキンコの姿はなく、きれいな花が並んで咲いていたのでした――

    fushigibana2b.JPG

       ふふふふ

      ふっふっふっふ。

      はっはっはっは。

      ほぉっほぉっほぉっほぁ。

      ところで、 そのあともう1度水をやって、計3回ちゃんとあげたのだけれど、作業後にお疲れさんとカレンダーを見たらば、努力のあとがそこには残されていなかった――

    fushigibana2e.JPG

      

      評価は、何もしなかったときの「もう少しがんばりましょう」とかいうのを別にすれば、「できました」「よくできました」「たいへんよくできました」の3段階で、水やりの回数をあらわしている(らしい)。左端の11月30日とまんなかの12月3日の仕事も評価も低いが、30日に最初の花を咲かせたような記憶があり、3日には右下の花が咲いたのでした。それでわかったのだけれど、やっぱり花が咲いた時点でリセットされて新たな労働のサイクルが始まるということなのでしょうか。しかし、水は、まだ地中にいて目に見えない種や芽や、地上に出てもまだ花を開かない花にこそ――花になっていない花、まだ名前にそぐわない存在にこそ注がれていたのではなかったか――惜しみない、わけへだてない愛情とともに(いや、咲いた花にも注ぎますよ)。やっぱりおかしい。よー。よー。(よく見たら最初からタネは地上に見えているのかしら、この不思議な庭のばやい)。

       それとは別に、カリフォルニアと日本は時差があるので、あいかわらず混乱するのも事実ですw

      さて、3日(カリフォルニア時間だと2日)のときは、「しかしまた、花は花になる前から花であると日記(まぁ、このブログのことだが)に書いてみる。だが、タネは花だろうか。タネのまま過ごす歳月がタネによって違うのだが。だとすれば、タネの中に詰まった時間というのは、いったいまったく花のこの世での存在にとってどのような位置を占めているのだろうか。・・・・・・」などと1,2 のアッホーなことを書き、さらに、次のように書きました(実はここまでの文章もだいぶ自己剽窃してますけど)―

       ところで、マルチカラーの77枚花は、稀少かと思って記念撮影したのだけれど、ソネくじトップページの「その6 不思議な庭でGET!!」のところにある小さい画像に映っていました。右下のサンタさんの横の同じ場所というのが気になり。同じ場所に1度しか咲かないのでしょうか(謎)。

    fushigibanasonekuji.JPG
    <http://www.so-net.ne.jp/kuji/>

       ふ。2度は咲くんだな。少なくとも。

       しかし、肝心のくじ自体はぜんぜん当たりません(意味ねぇ~)。どあっはっはっは。

       なお、14さいより小さなお子さまは、ほごしゃのかたといっしょに、さんかしてください。


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 5 アルバニの夕日 The Sunset in Albany [San Francisco]

    December 05, 2008 (Friday)

        カリフォルニア時間2008年12月5日午後4時53分

    Albany,CA, December5,2008_4.53pmDSC_0512.jpg
    クリックでちょっと拡大

      陽が落ちるのがほんとうに早くなった。DST (Daylight Saving Time)のPDT (Pacific Daylight Time)――いわゆるサマータイム・・・・・・ほんとアメリカって略語が好きですよねー―― がなくなって1時間日本と時差が縮まったせいもあるけれど、それにしても夏には夜8時すぎても明るかったのに。
      もっとも夏がいつからいつまでかわからず。先月の後半に暑い日が続いて、あ、こゆうのをインディアンサマーっていうのかしら、とモーリちゃんの母は言い、そしてそうかもしらんとは思ったが、まだずっと夏なんじゃないの、という気持ちもあり。
      しかし、いつまでも夏休みの気分でもいかんという気分にこのごろなってもおり。だから、これは「冬のアルバニの夕日」と名付けようと思ったのですが、もしかすると年が明けてからどっと冬になるかもしれないので、キープしておきます(なにをじゃ)。
      毎度ですが、真ん中下のちょっと左に見えるのはサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジです。そうするとこれはサンフランシスコの夕日と呼んだほうがよいのでしょうか。夕日は西の彼方に沈むのですが、雲はどのへんにあるのだろう。夕日もたしか蜃気楼や逃げ水と同じ構図でしたっけ(中学校時代の記憶)。ふだんならネットで調べるかもしれませんが、知ればいいというものではないですよね。求めない(爆)。
      モーリちゃんのうちから海(サンフランシスコ湾*)まで3、400メートルらしいのですが、モーリちゃんたちの部屋は3rd floor にあります(4階なのか3階なのかわからずw)。そして、もうちょっと時間がたって5時20分前後になると、海がちょっとした鏡みたいになって手前側一面がホワイトオレンジ(そういう色があるなら)になる時がある(日がある)。反射角と入射角(同じだよ)。

    にほんブログ村 海外生活ブログ サンフランシスコ・ベイエリア情報へ

    * 下の地図の左上の⊟(マイナス記号)を4回ぐらいプシュすると、サンフランシスコの金門橋のあたりまで広がります。上の写真の方向は、道路番号の80番のサインから、サンフランシスコの北の、金門橋を渡ったSausalito の1へ向って線(line、 というよりray)を引いた感じです(たぶん)。


    大きな地図で見る
    nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 6 2008年12月6日のアルバニの夕日 The Sunset in Albany, December 6, 2008 [天気 weather]

    December 06, 2008 (Saturday)

      カリフォルニア時間2008年12月6日午後4時54分

    Albany,CA,December6,2008_4.54pmDSC_0550.jpg

       昨日より1分あとだけれど、今日は晴れていたカリフォルニアの空でした。

      このあとモーリちゃんの父は、ジャーマンポテト(じゃが+べー+玉ねぎ)を大量につくる作業に追われることとなるのであった。ポットラック・パーテーのために。その間、モーリちゃんとモーリちゃんの母はエルセリートプラザに買い物に行った。

      実は日本からもってきたmedium rare (焼き肉ではない)の腕時計が調子が悪く、それは数か月前からなのだけれども、だましだまし、なだめすがめつ、たたきたたき、使ってきたのが、いよいよこの数日止まったままで(止まったままかよ)、夜中に目が覚めても何時かわからず、今日は奇妙な夢から目覚めて、そのまま夢を見ようかなと思いながらも、すでに夢から目覚めると同時に現実のかなり理屈っぽい問題に頭は働いており(そういうことって、ある)、戻れそうもないので、起きだしたらば、まだ夜中の2時過ぎでした。そのまま起きていたら辛くなり(←ツラクなり)、結局朝の9時ごろからモーリちゃんと入れ替わりで眠った(がときどき起こされた)、そういう不幸なデイタイムなのでした(そういうことって、ある)。

      話は飛んで、ひさしぶりにおいしい日本酒を飲んだ。最初からガンガン飲んでやればよかった(爆)。

      


    nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 7 2008年12月7日のアルバニの夕日 The Sunset in Albany [天気 weather]

    December 07, 2008 (Sunday)

       ほんとうは、昨日までとあわせて4時54分ごろに撮るつもりでした。

      ほんとうは、4時ちょっと過ぎに東太モール(Pacific East Mall) に買物に出かけたときに見た、夕焼け雲がきれいで、よっぽど戻って写真を撮ろうかと思ったぐらいなのですが、帰ってきたら5時をまわっておったのでした。

      カリフォルニア時間2008年12月7日午後5時08分

    Albany,CA,December7,2008_5.08pmDSC_0572.jpg
    クリックで拡大(1024x687)

      今日は曇り空で、対岸のサンフランシスコも霧に包まれ、金門橋も見えず(昨日の画像を参照してもらえるとギザうれしす)。その、モールのランチマーケットへ買物に行くときに見た夕焼け雲というのはけっこう近い、というか、上のほうの雲が朱に染まっており。


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 8 誰と誰が似ていると誰が思うものか(アメリカのテレビ番組を見て) [断章 fragments]

    blank_page

    December 08, 2008 (Monday)  

      原稿が書けず、ブログも思うようになりませんが、こんなことではいけない、同時にいくつものことをできるようでなければ、日本に帰ってから何ができるというのだ、と自分を叱咤●咤とどこがちがうのかしら〕し、そうだ、時間を配分して規則正しい生活をしてエネルギー効率をあげよう、と思い立ったカリフォルニアの朝です。今日は寒いです。朝の天気予報で最高14度で最低6度と言っていた。いま華氏・US (°F) Fahrenheit 48度、ということは摂氏・Metric (°C) Centigrade9度ですね。

       そういえば、以前、「寒い、原稿用紙の手触りは雪のようだとか」とか書きましたが、正しくは「寒い。原稿用紙の手ざわりは氷のようだった」でした(有島武郎「生まれいづる悩み――Adagio molto e cantabile(anti-daily-life-20061023)という興味深い日記で確認しました)。眼前の冬の風景の心象化と冬~春の季節のサイクルへの没入の祈りですかね(わけわかめ)。

      そうだ、書こうと思ったのはそういうことではありませんでした。

      共感する人がいるやらいないやらほとんど心細い、似ているものシリーズ(の1)。いちおう大きなお世話的にリンクで参照できるようにしてみます(太字部分)。

    (1) Wizards of Waverly Place (Disney Channel) の兄 Justin とドラマSP(フジ)の岡田くん

    (2) こっち(アメリカ)だと土曜の夜に東京テレビが放送している We Love Quintuplets (大好き!五つ子シリーズ) の拓也(調べたら栁澤貴彦さんというらしい)とそのあと放送のAtsuhime の堀北真希。

    (3) Total Drama Island (Cartoon Network) Chris 江口洋介

    (4) Chowder (Cartoon Network) 『ミルモでポン!(テレビ東京)

    (5) iCarly (Nickelodeon) Sam Puckett 役で出ているJennette McCurdy と日本の羽野晶紀に似ている誰か(誰だw)。

      三つ以上共感する人がいたら、その人はなんかモーリちゃんの父と多少の(ほんとは他生)因縁があるかもしれません。

      ついでながら、(1) の主人公はAlex という15歳前後ぐらい(このあいだスペイン語でクイントなんたらいう成人のお祝いをしていたので15歳になったかも・・・・・・あ、いま"List of Wizards of Waverly Place characters - Wikipedia" を見てわかったのですが、Season 11415歳、Season 2 15-16歳なのね)の女の子ですが、名前はAlexandra Margarita Russoというのです。そして (4) の愛称Sam は女の子で、Samantha というのです。Alex はユニセックスな名前ですけど、Sam はふつうは(あるいはむかしは)男の名前ですよね(Samuel)〔よろしかったら「July 15  ユニセックスな名前と発音の微妙な問題」参照のこと〕。

        もひとつついでながら、このあいだ iCarly の特番で、iCarly: i Go to Japan という映画をやっていたのでなつかしさもあり観たのですけど、絶対日本に行ってないよ、という映像でしたね。(ね、の意味あいが不明)

     にほんブログ村 海外生活ブログへ 

      どわっ。投稿して勉強にかかろうとしたら、ブログがメンテナンスのために休止だと・・・・・・。なんか保存もできない。消えないようにバックアップしなくては・・・・・・。(現在カリフォルニア時間1030分。摂氏で1度、華氏で2度気温が上昇しました。寒い。パソコン本体は熱い。)

       カリフォルニア時間午後230分すぎまで機能が停止してました。やれやれ。おかげで勉強に手がつかなかった。勉強が手につかなかったか。

     ぐおっ。3時すぎてもだめです。なんかIEだとだめなのかしら(数行で切れてしまう)。Fire Foxでやってみます。(もう4時前)。

      原因がわかりました。叱咤の「叱」を unicode の環境依存文字で書いたところ(上の●)から消えてしまうようで。ふーん。さ、勉強しよう。

      どあっ。もうモーリちゃんの宿題を見る時間だわ!


    nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 8 2008年12月8日のアルバニ(カリフォルニア)の夕焼け(下) The Sunset in Albany, December 8, 2008 [天気 weather]

    December 08, 2008 (Monday)

      承前

    17:00 太陽は沈み、このまま暗くなるのか――
    1700DSC_0634.jpg

    17:02 近くの雲が染まりだした――
    1702DSC_0642.jpg

    17:05 雲が集まりだしたかのように、染まる――
    1705DSC_0652.jpg

    17:08 暗くなりながら明るさが増すような――
    1708DSC_0664.jpg

    17:14 雲は北から南へ(右から左へ)流れていたのかもしれない――
    1714DSC_0679.jpg

    17:23 こんなふうにして少しずつ雲の動きと、たぶん光の角度で、明るさや色合いが変わる夕焼けがしばらく続いていました。赤味がいちばん強かったのは17時20分台だと思います――
    1723DSC_0703.jpg

    17:30 このへんでシャッターを押すのがうまくいかなくなってきました――
    1730DSC_0715.jpg

    このあと十数分は夕焼けが見られたのですが、このへんでシャッターを押すのがうまくいかなくなりました。

    ちなみにサンフランシスコの日没時間は・・・・・・sunset は、16:51ですか。Wikipedia には "the instant when the trailing edge of the sun's disk disappears below the horizon in the west" と書かれていますが("Sunset - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Sunset>)。日没=日の入り=sunset っていずれも太陽の上端が沈む時刻ですか。ふーん。よくわからんす。

    夕焼けは・・・・・英語でafterglow ですかねー(たんに日本語のウィキペディア「夕焼け」のページをそのまま英語に言語を変えたら変換されたのでw)。グ~の和英辞典だと "evening glow" と "red sunset" って書いてある。sunset glow っていう言い方はないのかしら。あああった。

    おしまい。

    どういう情報かわかりませんが――にほんブログ村 海外生活ブログ サンフランシスコ・ベイエリア情報へ


    ★日の出、日の入、月の出、月の入、惑星の出没南中」 <http://star.gs/cgi-bin/scripts/hinodet.cgi?dy=20081210&lju=l&iv=10&pl=%91%BE%97z&jwi=w&tiikij=%8F@%92J%96%A6%81i%96k%8AC%93%B9%81j&tiikiw=%83T%83%93%83t%83%89%83%93%83V%83X%83R%81i%83A%83%81%83%8A%83J%81j&kdo=&kfun=&ido=&ifun=&tz1=&hk=0>

    "Sunrise and Sunset for U.S.A. - California - San Francisco" <http://www.timeanddate.com/worldclock/astronomy.html?n=224> 〔Sunrise and Sunset Calculator

    "Afterglow - Wikipedia"


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 8 2008年12月8日のアルバニ(カリフォルニア)の夕焼け(上) The Sunset in Albany, December 8, 2008 [天気 weather]

    December 08, 2008 (Monday)

       今日はちゃんと4時54分に撮ってやる、と思ってモーリちゃんの宿題を見ながら、ふと外を見たら、もう朱に染まりつつある空が見えたので、あわててベランダへ飛び出し、モーリちゃんの宿題をほっぽって寒い中で撮り続けた貴重な記録(w)。色はともかく角度とか補正をして整えたほうがよいのはわかっていますが、時間的・精神的余裕がなくそのままバラマキマス(1枚だけ、あまりに曲がっておったので、角度補正はしましたが)。
      晴れて、しかし薄い雲はある、という夕焼け日和だったかもしれません。以下の画像、クリックでポーンと拡大。

    16:51 オットリガタナで撮った1枚目。ゴールデンゲートブリッジの橋げたの下、でもほんとうははるか向こうの太平洋に沈む日輪――
    1651DSC_0585.jpg

    16:51 日は沈む――
    1651DSC_0590.jpg

    16:52 日は沈みゆく――
    1652DSC_0594.jpg

    16:53 飛行機雲はソラノ通りへじゃないや空の彼方へ――
    1653DSC_0604.jpg

    16:54 日は沈みぬ。太陽のありかが鉛直方向(タテ)の光でわかるような――
    1654DSC_0610.jpg

    16:56 日は沈む。あっちまで渡れば、太平洋に日が沈むのが見られるのですが。Sutro Baths のあるあたりとか――
    1656DSC_0618.jpg

    16:58 日は沈んだ? 次第に増してゆく闇。まだ星は見えません――
    1658DSC_0625.jpg

    17:00 実は(相対的に)手前はまだ明るく青い空なのですけれどw――
    1700DSC_0635.jpg

    後半のおれの夕焼け空へ続く――また前に投稿してみてしまいました。こうなるとnext かback かわからんすね。

    さあ、どっちだ――

    frog_back.gif

    frog_next.gif


    天体の出没 - Wikipedia

    "Sunset - Wikipedia"

    なお、アルバニとサンフランシスコベイと太平洋等との位置関係は「December 5 アルバニの夕日 ..」に載せたグーグル地図を参照していただけるとありがたいです。

      

     


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 9 Eyewitness Books のNorth American Indian ほか2冊 [本・読み物 reading books]

    December 09, 2008 (Tuesday)

       買った本を記録しないままたまる一方なので、恥も外聞もかなぐりすてて(「もなく」が正しい日本語かしら。それがブログの生きる道)あらためて積極的に書きとめることにします。

      この日アマゾンから届いた本3冊――

    Eyewitness North American Indian.  Written by David Murdoch.  Chief Consultant, Stanley A. Freed (Curator, Department of Anthropology, A.M.N.H.).  Photographed by Lynton Gardiner.  1995. Revised ed.  New York: DK Publishing [In association with the American Museum of Natural History], 2005.  72pp.  ISBN: 9780756610821

    Chaim M. Rosenberg.  Goods for Sale: Products and Advertising in the Massachusetts Industrial Age.  Amherst and Boston: University of Massachusetts Press, 2007.  242pp.  ISBN: 9781558495807

    Carol Belanger Grafton, ed.  French Fashion Illustrations of the Twenties: 634 Cuts from La Vie Parisienne.  New York: Dover, 1987.  89pp.  ISBN: 0486254585

    indianarrow.gif

      North American Indian はEyewitness Books という、写真を中心とした豊富な図版に詳しい解説を付したシリーズの一冊で、モーリちゃんの小学校の課題のインディアン・プロジェクトの「お金として用いられる貝(デンタリア dentalia)のネックレス」について参考にするために買った。部分的にはアマゾンでナカミが見られる――下の画像をクリック(するとLook Inside ではなくて外につながりますw)。
    619JN6M5WCL__BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA240_SH20_OU01_.jpg

      表紙下には "Discover the rich cultures of American Indians -- from pueblo dwellers to Inuit hunters" と書かれています。本文は100ページに満たない小冊子ながら、メキシコやアリゾナのプエブロから北のイヌイットまで、衣食住から宗教や芸能や歴史にわたる文物・事項が詳しく記述されている。
      Eyewitness Books というのは、DK (Dorling Kindersley) Publishing とフランスのEditions Gallimard が共同で企画したものらしいのですが歴史的な詳しい経緯は不明。現在少なくとも150冊を超えるシリーズになっていて、中には "First Ladies" とか "Vote (投票=選挙)" とか "Perspective (透視画法=遠近法)" とか "Future (未来)"といった、ちょっと変わったタイトルも入っています。"Dorling Kindersley - Illustrated Reference Publisher" <http://www.dk.com/> がホームページ。Eyewitness Travels とかいう旅行案内書のシリーズのほうが有名かも。


     
    indianarrow.gif

    GoodsforSale.jpg  

      Goods for Sale は、いずれ詳しく紹介したいと思った本です。南北戦争後に盛んになっていく広告業を、マサチューセッツ、とくにボストンの印刷業との関係で、詳しく図版入りで歴史的に記述した本のようです(パラパラと流し読み(というより流し見)しかしていませんがとてもおもしろそう)。著者のChaim M. Rosenberg はボストン大学のpsychiatry の先生なのだそうですが、前著が The Great Workshop: Boston's Victorian Age (Arcadia, 2004) もやっぱり絵葉書や広告や地図などの多量の図版を入れた本だったようで、どのへんが精神分析的なのか、ないのかわかりませんが、歴史、文化史の人、という感じです、それも趣味のw。
      次のような絵が何百と散りばめられています――
    SoapTradeCards.jpg
    (クリックで拡大)

      上に集めたのは19世紀後半のマサチューセッツの石鹸メーカーの広告用トレードカードです。まんなかのFisk Manufacturing Company of Springfield の "Japanese Soap" というのの正体*が不明ですが、著者は "[Fisk] exploited the late-nineteenth-century fascination with Japan.  Its Japanese Soap suggested cleanliness and health." と解説しています。左下のTucker & Bryant というNew Bedford のメーカーは、クジラの blubber (表皮下の脂肪層)から石鹸を造っていたのだそうです(だからなんやw)。
      ついでながら、この本と前の本は、どちらも中国で印刷されていました。そして上の本は、"Printed in China by Toppan Printing Co., (Shenzhen) Ltd." とあります。こっちの本は紙はやっぱりスリックというかつるつるの紙で重たいのですけれど、"Printed and bound by C&C Offset Printing Company Ltd" と書かれていました。しかし、ペーパーバックしかなかったのでペーパーを買ったからしかたがないのですが、スキャンしようとしてグイと押しつけたらあっさりと1枚はがれかけてしまった。
    わーん。bind をちゃんとしてくれ~。

    indianarrow.gif

    51Q1JVZSVKL__SL500_AA240_.jpg 

      French Fashion Illustrations of the Twenties: 634 Cuts from La Vie Parisienne はDover Pictorial Archive Series の1冊です。La Vie Parisenne (パリ娘の生活) という雑誌は、19世紀の1863年に創刊され、いちおう同じ名前のエロかわ系(だかなんだかわからんが)写真雑誌として現在もあるようですが、第一次大戦終結から1920年代の、このドーヴァーの本が扱っている時代のアールデコ的な装いの週刊誌として有名です。モーリちゃんの父的には1907年からこの雑誌の表紙とか書いていて、1920年代はノリノリだったはずのChéri Hérouard (Chéri Haumé) の、あるいはCharles Martin の、イラストを見たかったのですが、編者の意図は時代(1918年から1928年の10年間の衣服の変遷の記録としてであるようで、すっかりずっこけました。すべて白黒で、ラインをトレースしただけの、きわめて平面的というか平板なイラスト集です。そういえば、この手の本を日本で昔若いころに手に取って、買わなかった記憶があります。
      何を求めるかによるでしょうが、「フランス」の「パリ」の「ファッション」の「時代考証的」「資料」としては意味が大いにあるのだとは思います。でも求めていたのはこういうキャベツ娘みたいなのだったのです――

    opener%20exhibits%201.jpg

    191116325_5ec6066e2d-1922.jpg
    La Vie Parisienne (1922)

        次のChéri Hérouard の1919年の表紙絵なんかはとってもファッショナブルだと思わない人はいないと思わざるを得ないと言わざるを得んと書かずにおられないのですが――
    CheriHerouard-viparisienne3(1919).jpg
    La Vie Parisienne (1919)
      ちょっと70年代少女漫画風かしら。(しかし1919年にこういうミニスカが描かれていたこと自体驚異な気もする。いやまじで――そしてDover の本は、こういうのは拾わんわけです、非現実としてかどうかはわかりませんが)。

      あるいは、ちょっと脱ぎ過ぎだとは思いますけれども、デコっぽいCharles Martin――
    charlesmartinlavieparisien(1917).jpg
    La Vie Parisienne (1917)

        やっぱ脱ぎ過ぎand/or キョウ雑物(夾雑物・なんで変換しないのかしら、まさかなんたら外字じゃなかろうな)ありすぎでしょうか。

    にほんブログ村 本ブログ 洋書へ ひさしぶりに

     *"Japanese Soap" というのの正体  Japanese Soap についての補足→ 次の記事「December 10 「ジャパニーズ・ソープ」といってもソープオペラでもソープランドでもないのか Japanese Soap, Not Japanese Soap Opera Nor Japanese Soap House」をごらんくださいませ。


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 10 「ジャパニーズ・ソープ」といってもソープオペラでもソープランドでもないのか Japanese Soap, Not Japanese Soap Opera Nor Japanese Soap House [メモ personal notes]

    December 10, 2008 (Wednesday)

        直前の記事「December 9 Eyewitness Books のNorth American Indian ほか2冊」の補足。Japanese soap について。

      Judy Shoaf という、フロリダ州Gainesville に住むアメリカ人女性が2003年につくったサイト Japanese Dolls on the Western Toyshelf <http://www.clas.ufl.edu/users/jshoaf/Jdolls/jdollwestern/> のコンテンツには、日本の人形についてのさまざまなページに混じって、"Japanese soap" ["Soap Advertising"]という、けっこうすごく重たいページがあります。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカ〈とイギリス)の石鹸の広告に日本人のイメジがさまざまに使われた歴史を、いろいろな図版とともに解説するものです。
      はじめに欧米と対照的な日本の入浴の習慣について語り、19世紀中葉から、日本の公衆浴場の混浴や、女性が公然と裸を見せることなどについて、茶化したり批判したりする文章が書かれたけれど、身体の衛生という点からすると、1週間に1回しかシャワーを浴びない欧米人よりも毎日風呂に入り(さらに、おりおりに手と顔を洗う)日本人のほうが優っており、優っていることに気付いているが故に冗談めかした扱いをせざるを得なかったのだ、というような理屈が述べられます。それはともかく、19世紀後半に、それまでの万能というか洗濯も人体も一緒だったのが、マイルドな"personal soap" (personal は「個人的」ではなくて「身体の bodily」の意味)として人の体を洗うのに専用の石鹸が造られだしたとき、まもなく世紀末から20世紀前半にかけてメーカーが体の清潔・衛生を謳うのに模範的にイメジ化したのが日本及び日本人だったのでした。
      Judy さんはイギリスのPears' Soap とアメリカの Kirk's を中心に挙げていますが、Rosenberg のGoods for Sale にあがっていたFiske というマサチューセッツの石鹸メーカーについても、"Other soap brands (for example, Fiske's Japanese soap) also exploited the idea of a Japanese culture of personal hygiene, and Pears Soap (a British brand) and Hand Sapolio used Japanese characters or motifs to clarify that they, too, were worthy of being used by the Japanese." と言及し、イメジ戦略を語っています。つまり、簡単なメッセージとしては、清潔な日本人も好んで使うようなすぐれた石鹸だよと。
      最も詳しく扱われているのは、アメリカのKirk's の "Jap Rose Soap" という高級石鹸の広告です。この名称は、どうやら世紀が変わるくらいにあらわれたらしいという推測です。世界情勢を反映してか、体の清潔さを反映してか、日本がむしろ「白」 の側で、人種差別的な内容は黒人の召使に向けられたものだったりする。
        とまあ、あとはこのサイトにあらわれているさまざまな図版と、さまざまなリンクの図版を見ていただきたいと思います。このあいだのiCarly の映画でもあらためて思ったのですけれど、むかしから日本人は、日本人から見ると中国人みたいに描かれていますねー(この点はJudy さんも指摘していますから、わかる人にはわかる違いなのでしょうが)。が、ふたつみっつ、public domain の画像をいただいて貼り付けます。

    pearsjap1887.jpg
    1887年の広告――The best for the Complexion. A "balm for the Skin."  The most ecnomical; it wears to thinness of a wafer.  日本の絵を真似たような構図のなかで、婦人が少女の体を洗っている図。Cf. 同じ1887年のPears の広告についての解読(肌の色(complexion) について、石鹸を使うと黒い肌も白くなるとか、少なくともいまの感覚からすると人種差別的なメッセージを含むいろいろの広告について)――

    For example, an 1887 ad says that Pears "produces soft, white, and beautiful hands"; another 1887 ad shows a black, half-naked woman fanning a white woman who lies on a sort of classical couch, her hair flowing and her garment clinging to her curves, with a couple of cupids holding a bar of Pears' above and the admonition to use Pears' "For the complexion" ; and a third ad from the same period shows a South Asian man standing on a ladder with a bar of Pears' and scrub-brush, beside an elephant, with the caption "The Real Secret of the White Elephant." Exactly what Pears' is supposed to do for the complexion of the African maid or the Indian gentleman is not clear, but it is made quite clear in several "humorous" ads from the 1890s: a little white girl on an outing comments of a passing black girl: "She needs to use Pears"; a little white boy gives a little black boy a tub bath, with the result that the latter is white from the neck down, or a black boy washing his hands in a bucket under the eye of a little white girl finds that his hands turn white, or a couple of black children comment, as a mother struggles to give her baby a tub bath, "She's gwine to turn that nigger white!";  a "native" minister  wins back his wandering congregation by washing with Pears, which turns his skin white. Presumably all these ads about whitening dark skin are meant to be taken as a joke, though they assume what a "serious" 1887  ad makes explicit, quoting Tennyson's poem Locksley Hall: "Ev'n the black Australian dying  hopes he shall return a white." <http://www.clas.ufl.edu/users/jshoaf/Jdolls/jdollwestern/Ads/japrose.html

       アメリカはシカゴのJames S. Kirk & Co. の "Jap Rose Soap" ――

    japroseblotter.jpg 
    Jap Rose Soap blotter 〔吸い取り紙なの??〕― "See it's purity / Enjoy it's fragrance〔なんでITS じゃないのかわかりません〕 / Delightfully refreshing"; "Unexcelled for Shampoo / Removes excess oil / Leaving hair fluffy, / Soft and pretty.

       この、頭の横にポンポンみたいな花(緋牡丹?)の飾りをつけた女の子は右の絵と左の箱の写真とでは微妙に違う雰囲気がありますけれど、次の絵では中国人風のマダム――まあ、緋牡丹のお竜の雰囲気がないではないが・・・・・・かんざしデカスギw――に連れられて歩いています。男の子は昔のアメリカの日本童子人形と同じく頭のてっぺんを剃っているスタイルです(ハゲではない)――

    japroseparasol.jpgクリックで拡大
    Jap Rose Advertisement in the Pictorial Review (March 1919): "In this lovely picture parasol, doll, and lantern are all included, along with wisteria, butterflies, and kimono, to evoke the traditional image of the Japanese. Right after World War I, this was probably a pleasing image of a nation which was an ally but was seen by some as a potential threat." <
    http://www.clas.ufl.edu/users/jshoaf/Jdolls/jdollwestern/Ads/japrose.html

      いちばん左下に "Makers of Jap Rose Talcum Powder" と書いてあります。タルカム・パウダーというのは、日本では使われなくなった(らしい)テンカフンというやつですね。これも "Jap Rose" だったと。

    1903年の、写真を使った広告は、ほんとうに日本で撮ったものに見えます。――
    japrose1903.jpg

      が、なんとなく不自然な感じもあり。どことなくダランとした感じ。

      つぎの、Duke 大学図書館のdigital collections のなかの Medicine and Madison Avenue にある浮世絵風の見事な絵もぜひご覧ください、それも大画面にして――<http://scriptorium.lib.duke.edu/mma/ad-images/MM02/MM0290-01-72dpi.html> 松雪泰子(モーリちゃんの母の意見)、真矢みき(モーリちゃんの意見)、鈴木京香+長谷川京子÷2(華麗なる一族かいw)のような、浮世絵よりははるかにモダンな女性が描かれています。この絵は年代が明記されていないようなのですけれど、このコレクションの記述からして1911年以降のものです。"trial offer" とか書いてありますね。、右下の箱は写真じゃなくて絵として描かれていて、着物が左前になってますねーw

      ううむ。この広告の文章は興味深いので、とりあえず写し取っておきます。――

    KIRK'S
    JAP ROSE
    SOAP

    A pure, transparent soap perfected
    by jealous care and long years of
    successful experience in the im-
    portation and blending of those
    precious oils and fragrant perfumes.

    Modern science cannot produce a more
    genuinely satisfactory toilet and bath soap.

    So delicate, so exquisite, so refined―em-
    bodying the original atomosphere of old
    Nippon
    and "bubbling" with purity,
    fragrance, and health-giving qualities.

    As a shampoo it is a constant delight―
    removing excess oils, stimulating the scalp,
    beautifying the hair, leaving it soft, fluffy
    and glossy
    without a trace of the usual
     
    "soapy" stickness.

    James S. KIRK & COMPANY
    Chicago, U. S. A.

    TRIAL OFFER.  Send 20c for an attrac-
    tive Week-End Package, containing
    four Jap Rose Miniatures, consisting
    of one each of Talcum Powder,
    Soap, Cold Cream and Toilet Water. [underline added]

      下線部、"embodying the original atomosphere of the old Nippon" (古きニッポンの本来の雰囲気を具体化する) って、アンタらに言われたくない、という気がしなくもないですが、ともあれ、これは揶揄ではなくて、マジに日本(の繊細・優美・洗練)を賛美しているようであり。思えば、お風呂関係だけでなくて、茶の湯や禅など、19世紀末には鈴木大拙は渡米して直接伝えるわけですし、世紀が変わると岡倉天心が『東洋の理想 The Ideals of the East』 (1903) や『茶の本 The Book of Tea』(1906) を英文でアメリカで出版するわけですし、日清日露の戦いで(ってじいさんかい)ヨカレアシカレ日本の印象は強くなるいっぽうで。ちなみに中国人移民排斥法がアメリカで適用されるのが1902年、カリフォルニアの州議会が日本人労働者阻止決議案を採択するのが1906年3月、そしてその年の12月には日米相互移民禁止条約がアメリカ側から提案されます。1907年1月末にに移民禁止協約の再提案、2月にセオドア・ルーズベルトが新移民法に署名、9月、タフト陸軍長官が来日し、移民の相互的禁止条約を提案、1908年2月には移民に関する日米紳士協約が結ばれ、日本はアメリカへの新規移民を禁止することを約束(その前の月にはハワイ移民の禁止を日本政府は日本の「移民会社」へ通達しています)。・・・・・・そんなふうにして、第一次大戦以前に、アメリカは日本の脅威に対してあれこれと戦略的な対応をしておるようです。19世紀中葉からの黄禍論(中国と日本が中心)から1924年の「排日移民法」まで、政治的なきなくささはずっとあるわけですけれど、そういう歴史のかたわらで、おそらく本来はアンビバレントな、しかしある種の肯定的なイメジをもって、Japanese soap はアメリカの生活に存在したようなのです。


    参考urls― 

    Judy Shoaf, "Soap Advertising" Japanese Dolls on the Western Toyshelf <http://www.clas.ufl.edu/users/jshoaf/Jdolls/jdollwestern/Ads/japrose.html>

    "Soap - Wikipedia"

    "Soap History" <http://www.sdahq.org/cleaning/history/index.cfm> 〔The Soap and Detergent Association による、3ページにわたる、わかりやすい歴史。ベルギーのErnest Solvayによる科学的発見により、19世紀中葉から世紀末にアメリカで大きな変化が起こったことが次のように書かれている。――"These scientific discoveries, together with the development of power to operate factories, made soapmaking one of America's fastest-growing industries by 1850.  At the same time, its broad availability changed soap from a luxury item to an everyday necessity.  With this widespread use came the development of milder soaps for bathing and soaps for use in the washing machines that were available to consumers by the turn of the century."〕

    石鹸 - Wikipedia
    入浴 - Wikipedia

    "Japanese Soap: Bon Savon" <http://www.bonsavon.com/Merchant2/merchant.mvc?Screen=CTGY&Category_Code=0655> 〔Bon Savon: Beautiful Soaps from around the World 残念ながら未選出〕

    にほんブログ村 英語ブログへ
    nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 11 不思議な箱の発見 パート3  Wonder Box [時間・空間 space]

    December 11, 2008 (Thursday)

       今日はモーリちゃんの小学校の Native American Project の資料を整理する作業に追われました。太平洋岸のインディアンたちに通貨のかわりに古くから使われたdentalia という、長細い巻貝は、けっこう深い海の砂地に生息しているので、生きた貝をインディアンたちは目にしなかったのではないか、浜に打ち上げられた貝殻を拾ったのではないかと考えられています。このデンタリア (dentalium shells) がカナダ経由とかで東の方まで達して、いわゆるアルゴンキン語のwampum (これは英和辞典とか見ると、貝殻数珠とか貝殻玉と訳されているけれど、貨幣または装飾に用いられたもので、最初にインディアンと接触したピューリタンたちは、wampum がmoney の意味だと誤解したのでした)と呼ばれるものへ変容していったのでしょうか。カリフォルニアのインディアンたちはデンタリアの長さを問題にしておったようなのですが、アメリカ東部だとquohog という紫色のカッチリした貝が混じるし、通貨という以上に儀式や装飾や記録やらに関係しているようで、どうもよくわかりません(いちおうひとつだけ― "The Rise and Fall of Wampum as Currency" <http://chrishibbard.wordpress.com/2008/10/31/the-rise-and-fall-of-wampum-as-currency/> 〔Chris Hibbard さんのブログThe Kitchen Sink: Devoted to the written word 2008.10.31〕)。

       不思議な箱をアメリカではじめて発見した記録(?) 「November 9 不思議な箱の発見 Wonder Box」、そして2度目の「November 12 不思議な箱の発見 パート2 Wonder Box」のあと、ぜんぜん縁がなかったのだが、最近なんか箱が増えたとかなんちゃら話題になっているみたいなので、これは見つけねば、と思った矢先に遭遇しました――

    fushiginahako_December12.JPG

      しかーし!!  ソネくじ10枚獲得って・・・・・・絶句。10ポイントじゃないのね。10ポイント獲得できる枚数の確率でいうと100倍か1000倍差があるのではなかろうか(←適当に書いています)。ともかくくじを何枚もらったってポイントにならねば意味がないす。

      が、調べてみると、これまでの10ポイントの箱はそのままあり、新たに2種類のくじの入った箱が on the beach に出現したみたいです。――

    fusighinahako-sonekuji10.JPG
    この絵は「不思議な箱」の説明ページのと同じですね―<http://www.so-net.ne.jp/event/hako/>

      黄土色(おー、オウド色って黄土なのね)というか黄色っぽいのが10枚のソネくじ、まんなかの焦げ茶色というか茶色がこれまでと同様10ポイント、赤茶色というか赤い箱が20枚のソネくじを入れているそうです。「不思議な箱の出現期間:2008年12月11日(木)~2008年12月15日(月) 」という、え゛期間限定だったの、という説明文はこのソネくじ入りの箱たちに関わっているでしょうか。

       そして、それぞれ1日1回は獲得可能だそうで・・・・・・夢だわ。

       いっそ不思議な箱から不思議な種が出てきて、それを不思議な庭に埋めると不思議な花が咲くみたいなサイクルをつくってくれると楽しみが増えるのじゃが。


    nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 12 ロケッツのクリスマス・ショーをホールデン・コールフィールドは期待していなかったっていえるのかい Had Not Holden Colefield Expected to Watch the Rockettes Christmas Pageant [本・読み物 reading books]

    December 12, 2008 (Friday)

    Rockettes.jpg

       The Catcher in the Rye (1951) の主人公=語り手のHolden Colefield のニューヨーク市内での軌跡は、日本でもなんかへんなペーパーバックのファン本で云々されたり、旅行会社の観光ツアー的な脚光も浴びたりして、少なくとも部分的には有名なのかもしれない。思えばもう50年以上も前の本だけれど(さらに思えばグレート・ギャツビーなんかもう80年も前の本だw)、小説の舞台となっているニューヨークの変化と無変化の微妙なバランスが、ノスタルジアと作品/作者への愛着を高めるものなのかもしれない(自分がそうだというのではない)。
      昨年の記事だけれど、いまもネット内に複数のニュース記事として読めるもの――

    Beth J. Harpaz, "Let 'Catcher in the Rye' be your NYC guidebook" - USATODAY.com 11/21/2007

        このHarpaz というAP の"travel editor" の文章は、"Enter a Christmas wonderland New York City" とか "Experience NYC at Christmastime, using 'Catcher in the Rye' as a travel guidebook" とか "NYC at Christmas, using 'Catcher in the Rye' as your travel guidebook" とか "Visit New York at Christmastime, using 'Catcher in the Rye' as your travel guidebook" とか、さまざまにタイトルを変装、いや変奏させて、複数の「ニュース」サイトに転載されている(例によって、一部ハショッタリ、執筆者名が落とされていたりする)。

      記事のなかで、"the Rockefeller Center skating rink," "Radio City and the Rockettes," "the zoo and carousel in Central Park," "Grand Central," "the American Museum of Natural History," "the Metropolitan Museum of Art" などが「名所」としてリストアップされる。

      ラジオシティーのロケッツのショーについては、昨年2007年が、75年目ということで、冒頭に写真入りで以下のキャプションが付いている――

    The Radio City Rockettes perform in the annual "Radio City Christmas Spectacular," marking its 75th year in New York.  In the 1951 publication of "The Catcher in the Rye," its main character Holden Caulfield wanders around Manhattan at Christmastime visiting key landmarks, including Radio City and the Rockettes. (ラジオシティー・ロケッツは毎年恒例のニューヨークでの「ラジオシティー・クリスマス・スペクタキュラー」の75年の節目の公演をおこなう。1951年に出版された『ライ麦畑で捕まえ手』のなかで、主人公のホールデン・コールフィールドはクリスマスにマンハッタンを彷徨し、ラジオシティーとロケッツを含む主要な見所を訪れる。)

      まちがいはないです。話の本体は土曜・日曜・月曜の3日間の出来事で、ラジオシティーに行くのは、土曜(つらつら思い起こせば、そもそも第1章は、フェンシングの試合のためにニューヨークへ行ってへまをして戻ってきたところなのだが)夜にニューヨークに出て行ってホテルに一泊した翌日の日曜日の夜です(第18章)。昼間にはガールフレンドのサリーとデートしてスケートをしたあと、Jane Gallagher に電話をするがつながらず、夜の10時にCarl Luce (カール・ルイスではない)と会う約束をしますが、時間があるので近くのラジオシティーに映画を観に行ったといういきさつです。最初の下線部が、ロケッツのハイキックのラインダンスの描写です。――

    I had quite a bit of time to kill till ten o'clock, so what I did, I went to the movies at Radio City.  It was probably the worst thing I could've done, but it was near, and I couldn't think of anything else.  I came in when the goddam stage show was on.  The Rockettes were kicking their heads off, the way they do when they're all in line with their arms around each other's waist.  The audience applauded like mad, and some guy behind me kept saying to his wife, "You know what that is?  That's precision."  He killed me.  Then, after the Rockettes, a guy came out in a tuxedo and roller skates on, and started skating under a bunch of little tables, and telling jokes while he did it. [. . .]  Then, after him, they had this Christmas thing they have at Radio City every year.  All these angels start coming out of the boxes and everywhere, guys carrying crucifixes and stuff all over the place, and the whole bunch of them--thousands of them--singing "Come All Ye Faithful!" like mad.  Big deal.  It's supposed to be religious as hell, I know, and very pretty and all, but I can't see anything religious or pretty, for God's sake, about a bunch of actors carrying crucifixes all over the stage.  When they were all finished and started going out the boxes again, you could tell they could hardly wait to get a cigarette or something.  I saw it with old Sally Hayes the year before, and she kept saying how beautiful it was, the costumes and all.  I said old Jesus probably would've puked if He could see it--all those fancy costumes and all.  Sally said I was a
    sacrilegious atheist.  I probably am.  The thing Jesus really would've liked would be the guy that plays the kettle drums in the orchestra.  I've watched that guy since I was about eight years old.  My brother Allie and I, if we were with our parents and all, we used to move our seats and go way down so we could watch him.  He's the best drummer I ever saw.  He only gets a chance to bang them a couple of times during a whole piece, but he never looks bored when he isn't doing it.  Then when he does bang them, he does it so nice and sweet, with this nervous expression on his face.  One time when we went to Washington with my father, Allie sent him a postcard, but I'll bet he never got it.  We weren't too sure how to address it.  After the Christmas thing was over, the goddam picture started.  It was so putrid I couldn't take my eyes off it.  It was about this English guy, Alec something, that was in the war and loses his memory in the hospital and all. [. . .] 

       最初の下線部「全員が一列のラインになって互いの腰に手をまわしてやる、すげーケリを入れていた」(どういう訳じゃ)のあと、うしろのおっちゃんが細君に「あれ、なんちゅうか知ってる。プレシジョンだよ」と繰り返し言ったのにまいった、とか書かれています。最近ラインダンスから頭が離れていました(いいことかもしれない)が、precision (dance) は「August 29 ラインダンスとフォークダンス (2)  Line Dances and Folk (2)」で書いたように、イギリスのTillers (Tiller Girls) の系統を、1925年結成のアメリカのロケッツが受け継いだものです。 最初はセントルイス・ミズーリ・ロケッツとして発足、そして1932年からラジオシティー・ミュージックホールで公演を行なうようになる。

      さて、ホールデンが入ったときに、映画の前のショーをやっていたわけです。上記の新聞記事は、本文中ではロケッツについて次のように解説しています。――

    ROCKEFELLER CENTER: Holden Caulfield took a date skating at the ice rink here, and he also caught a show at Radio City. In those days, the famous Rockettes performed in between movies, but today, the dancers' trademark kickline is the main attraction at the annual "Radio City Christmas Spectacular," which celebrates its 75th year this season. Take Radio City's "Stage Door Tour" and meet one of the Rockettes, or take the elevator up at 30 Rockefeller Plaza for a bird's eye view of the city from Top of the Rock, the observatory on the 67th, 69th and 70th floors. (It's the building where the fictional TV show 30 Rock is set.)

      当時は、現在と違って、ロケッツのパフォーマンスは映画の幕間に行われていた、と。(なお、"Stage Door Tour" については "Tours - Radio City Music Hall - New York City" <http://www.radiocity.com/tours/index.html> 、あるいは写真付きの "Radio City Music Hall Stage Door Tour" <http://www.lovetoeatandtravel.com/site/us/NY/Fun/radio_tour.htm> を参照)。

      そういう形態自体は納得できます。しかし、クリスマスのときもそうだったのかなあ、という疑問がツラツラと沸いています。The New York Times Magazine の10月26日号の記事 "Forever Young -- and Spectacular" は、ラジオシティーのロケッツのクリスマスショーの半分宣伝記事ですけれども、そこに1933年のクリスマス・スペクタキュラー開始以来毎年欠かさず観にいっているというスペクタキュラーオタクじいさんが紹介されています。今年82歳のアダムさんが最初に連れられていったのは6歳の時。"I remember that wonderful feeling.  I told my mother I would like to see it every year, and we did.  I still get that elation in mind and spirit every time I see it, and I feel like a kid again.  I look forward to it all year."  記事の後半には、地の文で、つぎのように書かれています。――

         Of course, legendary fan-favorites, a core of the show since 1933, remain, including Parade of the Wooden Soldiers, with the Rockettes strutting their stuff in near military precision, and the Living Nativity, featureing those legendary live camels, donkeys and sheep.
         "This is a real special occasion show; a New Yorkinstitution," says Hochwald, noting that for the first time, this New York institution will be touring the country.  "There is no other show in the country or the world of this scale, with this kind of continuum, in which people come back year after year with their families.  And it continues to grow and evolve, creating new memories for new generations of adults and kids."

       上の段落では、1933年のショー開始以来、続いてきた出し物として、「木の兵隊のパレード」と「キリスト生誕劇」(っていうんですかねえ。馬小屋で生まれるイエスとまわりのロバ、ヒツジとかがだいたい出てくるお芝居として一般にある。ロケッツのクリスマス・スペクタキュラーは本物の動物たちを出演させてきたみたい)が挙げられ、下の段落では、家族が毎年やってくる、これだけの規模の、長年の伝統のあるショーは他にない、という主旨です。そうすると、クリスマスのときは特別に昔からあったんじゃなかろうか、とかんぐりたくもなり・・・・・・

      が、今回調べてみて、英語のWikipedia であっさりと疑問は氷解しました―― "Radio City Christmas Spectacular" <http://en.wikipedia.org/wiki/Radio_City_Christmas_Spectacular>。

      ラジオシティー・ミュージックホールができて翌年の1933年12月21日から2週間、ミュージカル映画『Flying Down to Rio』をフィーチャーして最初のクリスマスショーが催されます。演出はホールのプロデューサーLeon Leonidoffと、ライザ・ミネリのお父さんとして有名なVincente Minnelli。プログラムの中にあったロケッツの演目が "Parade of the Wooden Solders" (振り付けはロケッツの生みの親のRussell Markert )と"Living Nativity" でした。

      そして、ウィキペディアによれば、1979年に、それまでのような長編映画の合間の30分間のショーというスタイルをやめ、さまざまの新たな企画や技術を入れた90分間のメインで拡大したスペクタキュラー・ショーとなったということです。

      ということで、1951年あたりでは、確かに映画を上演しており、そっちがいちおうはメインであったことはわかりました。しかし、1933年から欠かさず観てきたというアダムじいさんは、やっぱり30分の幕間のショーをめあてに行ったのでしょー。そして、おもしろいのは、ホールデンの回想から、前年はサリーと来ていたし("I saw it with old Sally Hayes the year before")、これはロケッツではない演目のなかで"kettle drums" ――変わった太鼓を指す場合もあるけれど、たぶんtimpaniのこと――を叩く男に関して書かれていることだけれども、8歳の時から観に来ていたことがわかります("I've watched that guy since I was about eight years old.")。あんたも好きねえ。

      ちなみにトリヴィアな世界に入っていくと――この小説が単行本として出版されるのは1951年7月16日のこと。作品冒頭でホールデンは南カリフォルニアの病院に入っていて、前の年のクリスマスのこととして物語を語ります。(論理的妥当性には目をつぶって、ちなみに)1950年のカレンダーは12月23日が土曜日、24日が日曜日、25日が月曜日でした。でも学校がクリスマス休暇に入ってすぐのこととなっているので、そのへん、どうかしら。ちなみに今年2008年のモーリちゃんの小学校の冬休みは20日の土曜日からです。

      ラジオシティーのクリスマス・スペクタキュラーの最初の年の2週間の公演の初日は12月21日ですが、1933年の21日は木曜日でした・・・・・・1950年と同じですね(だからなにw)。ちょっと因数factors が多くて、検証する余裕はないですけど、後日のひまつぶしのために列挙しておきます。――(1) 現在は長期の公演になっているラジオシティーのクリスマスショーは、ともかく初年度は2週間のものだったのが、1950年ごろにはどうだったのか、(2) アメリカの学校は金曜日までやってから休みに入る、という感じが個人的にはあるけれど、そのへんどうなのか、どうだったのか、(3) 作品テキストに年月日を特定できる情報はあったか(本も手元になく、思い出せません)、(4) サリンジャー (1919年1月1日ニューヨークはマンハッタンの生まれ)自身のロケッツ体験はどんなものだったのか。

      (5) ついでに書いておくと、サリンジャーは1932年にMcBurney School のninth grade に転入、しかし、(転入じゃなくて「入学」としている日本語ウィキペディアの記述を信じれば、「学業不振を理由に1年で退学処分となってしま」い、「その後ペンシルバニアのミリタリースクールヴァリー・フォージに入学し卒業まで過ごす」(「J・D・サリンジャー - Wikipedia」)。そうすると1932年から1933年にかけて、"ninth and tenth grades" ("J. D. Salinger - Wikipedia”)  に在籍し、1933年の暮れのラジオシティーを見たとな(ちがいますw)。なんにしても、1933年の12月まではロケッツのラジオシティーにおけるクリスマスショーはありませんでした。また、小説の原型とされる短篇 "I'm Crazy" が雑誌Collier's に発表されたのは1945年12月なのでした。

    NYC%20006.jpg
    "Parade of the Wooden Soldiers" ショーギ隊? image via "New York: November 20-22nd 2009" Bruce Wylie's Excellent Adventures <http://brucewylietours.com/tours/new-york-november/> もう来年のツアーの予約が。キャプションには "A skating Rink appears in front of the stage" とだけ書かれています。

    にほんブログ村 本ブログ 洋書へ


    "The Parade of Wooden Solders" in Jan Duke, Radio City Christmas Spectacular Photo Gallery <http://nashville.about.com/od/nashvillechristmasphotos/ig/Rockette-s-Photo-Gallery/The-Parade-of-Wooden-Soldiers.htm

    "The Living Nativity" <http://nashville.about.com/od/nashvillechristmasphotos/ig/Rockette-s-Photo-Gallery/Carol-Of-The-Bells.-5QY.htm> 〔同上〕 

    "Radio City Rockette - Radio City Music Hall - Stage Door Tour Pictures" <http://gonyc.about.com/od/photogalleries/ig/Radio-City-Music-Hall/Radio-City-Rockette.htm> 〔From Heather Cross, About.com〕

    「あの日は何曜日? 万年カレンダー」 <http://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/kazeno/calendar/ 

    以下、個人的参照url( ..)φメモメモ
    Dead Caulfields <
    http://www.geocities.com/deadcaulfields/DCHome.html> 〔かなりマジなサリンジャー・ファンサイト〕

    にほんブログ村 英語ブログ 洋書・洋楽・映画の英語へ

    ぜんぜん関係ないけれど、メモ的に――

    "I have not read all the work of this present generation of writing; I have not had time yet.  So I must speak only of the ones I do know.  I am thinking now of what I rate the best one: Salinger's Catcher in the Rye, perhaps because this one expresses so completely what I have tried to say: a youth, father to what will, must someday be a man, more intelligent than some and more sensitive than most, who (he would not even have called it by instinct because he did not know he possessed it) because God perhaps had put it there, loved man and wished to be a part of mankind, humanity, who tried to join the human race and failed.  To me, his tragedy was not that he was, as he perhaps thought, not tough enough or brave enough or deserving enough to be accepted into humanity.  His tragedy was that when he attempted to enter the human race, there was no human race there." ― William Faulkner (1958) [As quoted in The Sheila Variations: JD Salinger <http://www.sheilaomalley.com/archives/004328.html>] 〔作家ウィリアム・フォークナーの発言の孫引きメモ。ところで、このサイトのSheila さんの文章は好き〕

    "J.D.Salinger. The catcher in the rye 16-18" <http://blogs.mail.ru/mail/arweneveningstar/59D5C11B00F9112A.html> 〔ロシアのувеличитьという女性のブログ Блог Оле Лукое 2007.11.26  広告にあるSHIVAKI という日本のテレビはどこのことなのだろう〕

    <http://sleeplessinmumbai.files.wordpress.com/2008/09/jd-salinger-catcher-in-the-rye.pdf> 〔wordpress.com とやらの pdf. のテキスト〕

    作品からの引用の最後のところに出てくるアレックという記憶喪失の男の出てくる映画ってなんでしょう。『心の旅路』(1952 米)はアレックじゃないですよね。このあと映画についての話がやたら長いのですが・・・・・・。戦争が人間の心なり脳なり精神なりにもたらす傷というのはサリンジャーの一貫した(たぶんに個人的・トラウマ的な)関心なんでしょうね。

    思い出シネマサーチ 映画検索★題名不詳の映画★映画検索 <http://homepage2.nifty.com/omoide/chousajisseki-backup30.htm> 〔金取るんすか・〕

    以下の日本人による記述も、他山の石メモ的に――

    「『ホールデンと映画』~映し出されたユートピア~」 <http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi006/rpt98/onos.htm> 〔作品テキスト外の研究書なりを参照したり引用することによって論文のエントロピーが増大することのメモとして〕

    「The Catcher in the Rye Page 3-サリンジャーの文学」 <http://www.fumiswebpage.com/catcher03.html> 〔生半可な読みと実際に見ることのソゴや齟齬のなさについてのメモとして〕

    にほんブログ村 英語ブログへ
    しつこく催促してみましたw

    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:学問

    December 13 セキュリティ保護されたコンテンツと保護されていない (混在) コンテンツがある場合は何を意味するのか [メモ personal notes]

    December 13, 2008 (Saturday)

        Firefox を4月から半年ほど使っていたのだが、どうも原因不明の機能停止が多く、かつその場合に保存したつもりのブックマークも保存されておらず、 後者については「すべての履歴を表示」であとから拾いあげることもできるけれど、ともかくちょっと嫌気がさして、Intenet Explorer をここ2か月くらいはメインに使っている。実はいまFirefoxで書いているのだけれどw。IE は突然消えることもあり。その点、Firefox は前回に開いたページを記憶してそのまま開いてくれるので便利といえば便利。

      IE にかえて、いちばん気になったのは、ダイアログの多さで、たとえばソネットのポイントやソネくじ関係でページを移動しようとすると、必ずといっていいほど「このページにはセキュリティで保護されている項目と保護されていない項目が含まれています。/保護されていない項目を表示しますか?」という「セキュリティ情報」のダイアログボックスが出るのでした。ちょっとめんどくさい。そしてめんどくさいと思っている人はおおぜいいるようで、検索すると設定変更のしかたを説明しているページがいくつもあった。ツールのインターネットオプションからセキュリティのタブ、そして「レベルのカスタマイズ」をクリックして「セキュリティ設定 インターネットゾーン」に並んだ選択項目の下のほうの「混在したコンテンツを表示する」の選択肢3つ「ダイアログを表示する」「無効にする」「有効にする」から、有効にするを選べばダイアログは出なくなる。デフォルトはダイアログ表示。

      それはわかったのだけれど、なんでFirefox はスルーなのにIEはひっかかる設定をデフォルトにしているのだろう、とか、設定を変えてどういうリスクが生じるのだろうか、とか、気になった。

      えーと、設定変更について、ちょっと印象的だったのは、 「お問い合わせの多い質問」というページ――<http://milkyrosedesu.suichu-ka.com/sub4.htm> 。「いちいちHPやカートに入ると↑のセキュリティ表示が出る方、面倒ですよね。出る方は↓で出なくなる事もあります。(*セキュリティソフト等の関係でこの設定をしても出る事があります) 」と書かれ、説明がある。なんか雑貨屋さんの質問ページなのでした。そして最後に「参考に」として、以下のように書かれている。――

    [混在したコンテンツを表示する] 設定は [ダイアログを表示する] に設定されています。 セキュリティで保護されているコンテンツ (https://) と セキュリティで保護されていないコンテンツ (http://) の両方を含んでいる Webページでは 次の "セキュリティ情報"メッセージが表示されることがあります↓

    このページにはセキュリティで保護されている項目と
    保護されていない項目が含まれています。
    保護されていない項目を表示しますか?

    [混在したコンテンツを表示する] が [有効にする] に設定されている場合上記のメッセージは表示されず
    セキュリティで保護されていないコンテンツも表示されます。
    [混在したコンテンツを表示する] が [無効にする] に設定されている場合上記のメッセージは表示されず
    セキュリティ保護されていないコンテンツを表示しません。」

      もっともである。

      「なんか雑貨屋」では失礼なので、紹介すると、「白とピンクを基調に薔薇、ベア、レース等を使って製作したロマンチック雑貨、薔薇雑貨、ロマンチックドール、パッチワーク小物のShop」であるMilky Rose です。良かったらご覧になって行って下さいね=*^-^*=にこっ♪ <http://milkyrosedesu.suichu-ka.com/index.htm>

      Windows による説明は、 「Windowsヘルプと使い方」の「オンライン トランザクションがセキュリティ保護されているかどうか確認する」〔オンラインとトランザクションのあいだが半角スペース・・・・・・やれやれ〕のページ<http://windowshelp.microsoft.com/Windows/ja-JP/help/16ee1fa9-60ab-4c1b-9b35-15b59a142f431041.mspx> に「オンライン トランザクションに関してよく寄せられる質問に対する回答」のひとつとして、「セキュリティ保護されたコンテンツと保護されていない (混在) コンテンツがある場合、何を意味しますか。」がある。さっきのお店屋さんの説明がもう少しくわしいかたちで載っている。しかしくわしいからといってよりわかりやすいわけではない――

    セキュリティ保護されたコンテンツと保護されていないコンテンツまたは混在コンテンツは、Web ページがセキュリティ保護された (HTTPS/SSL) 接続と保護されていない (HTTP) Web サーバー接続の両方を使用して要素を表示しようとしていることを意味しています。これは、セキュリティ保護されていないサーバーからの画像、バナー、またはスクリプトを表示するオンライン ストアや金融サイトによく見られます。

    混在コンテンツを表示するリスクは、セキュリティ保護されていない Web ページまたはスクリプトが、セキュリティ保護されたコンテンツからの情報にアクセスできる場合があることです。

    Internet Explorer はセキュリティ保護された Web ページにアクセスするために、SSL (Secure Sockets Layer) と呼ばれる暗号化されたプロトコルを使用します。通常の Web ページが HTTP を使用するのに対し、これらのページは、HTTPS というプレフィックスを使用します。

     

      なるほど。

      わかった(ほんとにわかったんかい)。

      ちなみにIE はフィッシングは別の設定があり、このリスクは即フィッシング問題ではないです(か?)。 勉強せねば。

      それより、次の項目に、「コンテンツが混在したWebサイトを使用する際に問題が発生します。どうすればよいですか。」という質問があり、 そもそもどういう問題か気になってしょうがないのだけれど、その回答には次のように書かれていて、その「一時的」というのが気になってしかたがない。――

     

    コンテンツが混在している Web サイトを使用する際に問題が発生する場合に、それらのコンテンツを Internet Explorer で一時的に許可したい場合があります。これを行うためには、次の手順を実行します。

     

    混在したコンテンツを許可するには

     
    1.

    Internet Explorer を開くには、[スタート] ボタン [スタート] ボタンの画像 をクリックして、[Internet Explorer] をクリックします。

    2.

    [ツール] ボタンをクリックし、[インターネット オプション] をクリックします。

    3.

    [セキュリティ] タブ、[レベルのカスタマイズ] ボタンの順にクリックします。

    4.

    [セキュリティの設定] ダイアログ ボックスで、[その他] セクションの [混在したコンテンツを表示する] 設定にスクロールし、[有効にする] をクリックします。

    5.

    [セキュリティの設定] ダイアログ ボックスで [OK] をクリックし、[はい] をクリックして変更することを確認してから、[OK] をクリックして [インターネット オプション] を終了します。

    混在したコンテンツの許可後には、HTTPS コンテンツと非 HTTPS コンテンツの両方の Web ページが表示されますが、Internet Explorer はロック アイコンを表示しません。

     

      「一時的」 というのは、そのサイト利用後にまた元に自分で戻すことによって、「一時」になるのだろうか。

      気になる。

      ちなみにFirefox は次のような設定しかいまのところ見当たらないのだが――

    firefox-security-option.JPG

      「あ、暗号化されたページを表示するとき(V)」 にチェックを入れて試したら、ダイアログボックスで「セキュリティ警告 ! 暗号化されたページを要求しています。このサイトの認証情報は正しく検証されており、あなたがこのページで表示や入力する情報は第三者が簡単に傍受できません。」が出た。「OK」のみのクリックボタンがあるのだが、「暗号化されているページを表示するときには毎回警告する」のチェックボックスがあいだに入っています。どうやら、「ツール」の「インターネットオプション」からの設定変更じゃなくて、このダイアログでのチェックはずしで、「暗号化されたページを表示するとき」の設定が変わってしまっていたのね。あと、たとえば最後の「暗号化されていない情報を含む暗号化ページを表示するとき」にチェックを入れると、「要求したページは暗号化されていますが、暗号化されていない項目を含んでいます。あなたがこのページで表示や入力する情報は第三者が簡単に傍受できます。」とかダイアログボックスが出てきたりします。

      それでも、IE と Firefox は出方がちがい、明らかに「混在コンテンツ」表示のほうがたくさんダイアログが出ますねー。Firefox の警告メッセージに全部チェックを入れてもIE でひっかかるところでひっかからないもの。ソネットのページ内で試したところ。

        それにしてもなんだってこんなにカタカナ言葉が多いのだろ。

      「セキュリティ保護されたコンテンツと保護されていないコンテンツまたは混在コンテンツ」の「または」ってどういう意味なんだろ。なんか日本語の問題もあるような気がする。算数的にはたぶん 「セキュリティ保護されたコンテンツ」 + (and) 「保護されていないコンテンツ」 =(or) 「混在コンテンツ」ではないかと思われ。

       こんどひまなときに英語のダイアログや解説を見てみよう。


    nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 14 不思議な箱の発見 パート4  Wonder Box [時間・空間 space]

    December 14, 2008 (Sunday)

       朝9時過ぎくらいから雨が降り出して、夕方まで冷たい雨の降る一日だった。カリフォルニアにやってきていちばん降ったのは、ハロウィーンの翌日の11月1日だったと思う。そのときはひさしぶりに大学へ行ったのだけれど、傘をさしていてもモモまで濡れた。でも、いまは気温が低いので、これはこれで激しい雨という感じが強い。

      さて、雨の日はうちでまったり過ごすに限ります。ほんとうはヒマではないのだけれど、頭の隅っこで構想を練りながら、頭の大半で逃避的な行動をするという、若かりし頃からの現実逃避・先延ばし作戦を実践している数日なのでした。

      それで今日は、不思議な箱の発見について策を弄してみた。不思議な箱をアメリカではじめて発見した記録(?) 「November 9 不思議な箱の発見 Wonder Box」、そして2度目の「November 12 不思議な箱の発見 パート2 Wonder Box」のあと、「December 11 不思議な箱の発見 パート3  Wonder Box」を書いて数日しか経っておらないのだから、いかに自分が二重に逃避行動に――とりあえず自分にとってブログも逃避的という意味で――出ているかがわかろうというものである(誰に?)。

      ソネットの不思議な箱の説明ページ―― 「不思議な箱 on the Beach」 <http://www.so-net.ne.jp/event/hako/> (誰が開けるのだろ?)

        「So-net  トップページのどこかに時々現れる箱を見つければ、その中身をもらえるそうな・・」・・・・ 「箱は午前2時半から午後8時半までの間に出現するらしい。」 「不思議な箱は、ページ全部が表示されてから現れ」る(「ページの表示が開始されたら、急がないで一呼吸おいて待ちましょう」と書いてある)。「不思議な箱はSo-net トップページに「ときどき」現れます。常にどこかに表示されていたり、待っていると現れるわけではありません。

      ということで、タブブラウザーとか複数画面なんたらとかいうのが一般的のようだが、他のことをしながら指一本で探す方法を考えてみた。

      不思議な箱の現われるソネットトップページを縮小することによって、スクロールして探す必要をなくす。単純である(根が単純だから)。Internet Explorer だと右下のパーセント表示の「拡大レベルの変更」のカスタムを選択して30パーセントぐらいにすれば下まで表示されるでしょう。そして、F5 を小指でクリックします(小指じゃなくてもいいんですけど)。

      その結果、短時間で箱を3つとも発見しました。

    fushiginahako_December14.JPG
    1回目の黄色い箱(ソネくじ10枚)は、このへんに出現(わざわざ検分写真を撮りました(ヒマである――笑)。

    fushiginahako_December14c.JPG
    1回目の赤い箱はこのへんに出現。くじ20枚――
    fushiginahako-red_December.jpg

    fushiginahako-brown.JPG
    1回目の茶色い箱(ポイント10)はこんへんに出現。どの箱も出る場所は毎回違うのでした。10枚と10ポイントの差は、このあいだは100倍と書いたけれど、絶対それぐらいの差はあると思われ。ついでながら、茶色い箱のポイント加算は14日以内と下にありますが、他の箱のくじ加算は40日以内と書いてありますね。――
    fushiginahako_December14-br-c.jpg

      箱たちの動きを観察したところ、左のコラムの中しか動かなかった(これは茶色い箱については前と変わったといえる。だってニュース記事のあたりを秋には動いていたから。だから変更があるのかもしれない)。上端は「So-net メニューと箱の鍵のある濃いネズミ色のところまで、下端は、コラムの一番下ではなくて、ポイントポンの左あたりまで(下の画像のあたり)↓
    fushiginahako_December14d.JPG

      まあ、それ以上に現われる「場所」が問題かもしれませんが、これはたくさん見てみないとわかりません(笑)。が、(a) 毎回同じ箇所でないことは確かであり、(b) 外から入り込んでくるのではなくてポコっと現われるのも確か。この日合計10個ぐらい見たのですけれど、「お役立ちサービス」の下にあらわれた上の赤い箱が一番下だったみたい。だからけっこう上の方で出現する。

      ・・・・・・ということはふつうの100パーセント画面でも出現を捉えられるわけやね(爆)。しかーし、見落として画面下に沈降するということがありえますからね。

      それから、トップページの表示は、左上から始まって、左・中・右のコラムの上から下へと、おおざっぱには、順番に行なわれるようです。そして、最後に一番下の文字だけの部分と検索が表示されました。次のような感じ(ひまである)↓

    fushiginahako.JPG

    fushinahako-so.JPG

       結論。

    この縮小方式の利点――(1) 指1本(F5プッシュ)で発見できる。 (2) 更新(F5プッシュ) のタイミングをはかりやすい。(3) (1) と重なるが、スクロールして探す必要がない。(4) 一目瞭然(読んで字の如し)。
    この縮小方式の欠点――(い) 小さいので、現在3種ある箱の区別が付きにくい。 (ろ) 小さいので、目が疲れる(気がする、が気のせいかも)。(は) あわてて縮小画像のままゲットしようとすると、あやまって別のリンクをクリックして逃してしまう危険性がある。――あわてず画面の大きさを戻してからゆっくりゲットしましょう。60分くらいは大丈夫なはずです。


    nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 15 イーハウでいかにハウツーを調べるかホ- eHow [ウェブ World Wide Web]

    December 15, 2008 (Monday)

       モーリちゃんのアメリカの小学校の課題のNative American Project で、昔お金として使われていたというインディアンのネックレスのつくりかたを調べようとして検索でひっかかったサイト、ehow.com。

    eHow | How To Do Just About Anything
    How To Do Just About Everything
    <http://www.ehow.com/>

      当然「イーホー」とか「イーハ」とか「イーホウ」(いちおう「October 25 イーハー、イーホー、イーフー、ヤーフー、イャッホー、ヒーホー、ヒーハー Yeeha, Yeehaw, Yeehoo, Yahoo, Heehaw, Heeha」以下を参照)ではなくて、「イーハウ」と読むのだと思います。でもYeehaw や Yeehoo があるから、それのもじりでイーハウなんだと思うのです。"How to" を電子的にインターネットで伝える、という主旨の情報サイトです。

      そのときは"About the Narragansett Indians" <http://www.ehow.com/about_4569731_the-narragansett-indians.html>  とか同じ人による "About the Yurok Indians" <http://www.ehow.com/about_4568190_the-yurok-indians.html> という、どうもHow to の主旨からはずれた記事に最初でくわし、あれこれ見たのですが、インディアンのネックレスの作り方というのは残念ながら見つかりませんでした。でも、"How to remove typewriter keys to make jewelry with them!" (タイプライターのキーをはずしてジュエリーをつくる方法)<http://www.ehow.com/how_2322451_remove-typewriter-keys-jewelry-them.html> とか "How to Make Panko Bread Crumbs" (パン粉ブレッド・クラムのつくり方)<http://www.ehow.com/how_2292755_make-panko-bread-crumbs.html> とか "How to Look Like Aishwarya Rai" <http://www.ehow.com/how_2257074_look-like-aishwarya-rai.html> とか興味をそそる記事があるのでした。「激長まつ毛の作り方」とか「ぼってり唇はこう作る!」(やっぱりDHCだね)というような内容があるかどうかは不明です。

       で、今日、あらためて見たら、文章中心の記事と、ビデオとふたつに分かれていて、ビデオもだいぶにぎわっていることがわかりました。検索ボックスで"How-to Articles" か "Videos" かわかれています。また分類にしたがってbrowse することもできます。

      モーリちゃんの父がこのごろツトに興味があるお天気おねえさんのhow to をためしに貼ってみます。


    " Becoming Your Own Weather Forecaster: How To Predict The Weather " (1:33) <http://www.ehow.com/video_4435905_becoming-own-weather-forecaster.html>

      20回シリーズの1.カナダのテレビ局のMelissa Schenk という女性が出演しています。タグが weather と psychic なのですけれど、心模様を読むみたいな世界へ突入していくのでしょうか(謎)。

       "How to Dance Around the Maypole" <http://www.ehow.com/how_2125988_dance-around-maypole.html> (By eHow Holidays & Celebrations Editor) という記事を読んでみたら、ステップの1番で、ヨーロッパにメイデーの祭を観にいく、と書かれていました。やれやれ。

      もしも日本版のページがあったなら・・・・・・eHowHow と書いて「いい方法」と読ませるのもいい方法ではないでしょうか。ホ-ホ-ホ-。

        最後になってからWikipedia を見たのですが、この1999年3月にスタートした eHow から分派するかたちで wikiHow が生まれ(2005年1月)、weHow というのも生まれた(2006年9月) のですね。Yeehaw.

        おまけでカリフォルニアからJoylyn Everett と彼女のアシスタントがおくるパンクスタイルイレズミ&ピアシング――


    Punk Style Tattoos & Piercing -- powered by eHow.com


    " Punk Style Tattoos & Piercing : Punk Rock Fashion Tips " (1:39)

    --------------------------------------------------------
    eHow.com <http://www.ehow.com>
    How To Directory | eHow.com <http://www.ehow.com/how-to.html> 〔分類ページ〕 

    wikiHow <http://www.wikihow.com/Main-Page> 〔wikiHow - The How-to Manual That You Can Edit〕

    wehow.com <http://www.robtex.com/dns/wehow.com.html>

    eHow - Wikipedia <http://en.wikipedia.org/wiki/Ehow> 〔1999年開設。素人の投稿もあり、"User-generated content" ([UGC] = "Consumer Generated Media" [CGM] = "User Created Content" [UCC]) だけれど、専門の集団がいるようで〕


    nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 16 キャベツ頭の中身 The Inside of a Cabbage Head [モノ goods]

    December 16, 2008 (Tuesday)

       「December 4 食品博物館――キャベツ娘とキャベツ頭はどのようにつながっているか」で訪ねたthe Food Meseum に掲げられていたキャベツ頭の紳士(少年ではないみたい)の画像ですが、気になって調べていたら、いろいろと出てきました。

      まず、そのときに貼らなかった、食品博物館のトップページの絵は次のようなカットです――

    cabagehead-foodmuseum_photos_divided.JPG
    via The FOOD Museum <http://www.foodmuseum.com/>

       そして、4日の記事で、大きな画像を見つけた、といって貼ったのは次の、カナダの帽子屋の広告の文字の入ったものでした。――

    cabbagehead.jpg クリックでチョッと拡大♪
    via "Exit, Pursued by a Bear: February 2004 Archives" <http://www.snappingturtle.net/gigantichound/archives/2004_02.html>

      この"Exit, Pursued by a Bear" というのは、カナダのToronto のPatrick さんのブログで、月間アーカイブのだいぶ下の方の2月4日のいくつかの記事のなかの"MORE FROM THE TORONTO ARCHIVES SITE" というリストにこの絵が入っていました。画像直リンなので、くわしいところはわからないのですが〔その後調べてurlを下に載せました〕、"Becker Collection" というののようです。実は、これを見たときに、文字が絵に重なって、肝心の "HATS" の字のHとAが影になっているのはいかがなものか、と疑問に思ってはいたのです。あとはこの絵を制作したBufford がカナダではなくてアメリカのボストンの人たちらしいというのも気になりました。

       そうしたら、別の文字が入っているのがありました。まず、ミニクイですが、ニューヨーク州Gloversville のA. O. Wrigley という洋品店のトレカ(あ、学んだのですけれど、trade card と呼ばれる、絵葉書大の、販促用のカードなのでした)――

    A_O__Wrigley-10994copy.jpg
    copyright © 2008 Rockin' Red Rooster Press; image via "Historical Image and Stock Public Domain Pictures - A. O. Wrigley" <http://www.historypicks.com/shop2/shopexd.asp?id=24387>

       このサイトは、"public domain" にある "historical image" を高画質で売る商売サイトのようです。Full Size JPEG (906 x 1488 pixels が7.99米ドル、JPEG Set という3枚組もUS$7.99。ディジタルに加工したので、クラフトやTシャツや本やウェブサイトやらの意匠に使ってね、という主旨のようです。コピーライトの切れた絵を使ってコピーライトを生むという錬金術ですな。

      さて、元絵について、こんな説明です。――

    A.O. Wrigley was a clothier in Gloversville, New York and gave out this advertising trade card titled "1st Premium Cabbage Head" in 1887 to promote business. (A・O・リグリーは、ニューヨーク州グローヴァーズヴィルの服地商で、営業促進のために1887年、「特級キャベツアタマ」と題されたこの広告トレード・カードを配った。)

      あとは、"Original Format: Chromolithograph" と書いてあるぐらいで、Bufford のB の字も出てこないのでした。たしかにこの図版の場合、店の名前と住所を、その前の "Call on" から始めて下に入れるために、だいぶ下の行がスレスレ、というかちょっと枠からカンマ(N. Y.の前の) がはみだしちゃったりしてますので、画像左下のBufford なんたらいう元絵の制作者のネームが見えづらいかもしれませんけど、左足の横にもBufford ってあるしなあ。怠慢な情報提供ですね。だいたい、上の英語は、画像に載っているコトバを文にしただけじゃん。1887年というのは左下のBufford の記載ですね。リグリーが1887年のオリジナルとどうして言えるのか。

      しかし、このショボイ画像のつぎに、たいへんりっぱなのが見つかったのでした。――

    GaleCabbagehead1887.jpgクリックでアッと拡大♪
    via "GALE CABBAGE HEAD CARD" Historical Albion Michigan: Albion History/Genealogy Resources by Frank Passic <http://www.albionmich.com/history/histor_notebook/080105.shtml>

       Frank Passic さんというミシガン州Albion の歴史家のコレクションです。含蓄&蘊蓄のある文章を引用させていただきます。――

     GALE CABBAGE HEAD CARD
    Morning Star, January 5, 2008, pg. 9

         Back in the late 19th century companies issued “trade cards” which were used for advertising various products they produced.  They were postcard size, and often contained a beautiful flowery scene or some piece of decorative art along with the name of the company.  Some however were more bizarre and the illustration on the card had little to do with what the company produced. (19世紀末、いろいろな会社が「トレード・カード」をつくって、さまざまな商品の広告に利用した。郵便ハガキの大きさで、しばしば美しい花の風景や装飾的なアートを会社の名前に並べて添えていた。しかし、なかには奇妙なものもあり、カードのイラストレーションが会社の製造するものとほとんど関係がないのだった。)
         Take for example some of the trade cards issued in the 1880s by the Gale Manufacturing Company, Albion’s major producer of plows and agricultural products.  I’ve seen several of these with bizarre depictions.  They were sure to attract attention, which I guess was the reason company officials had them printed. (たとえば、1880年代に、アルビオンの耕作・農業機器の大きな企業だったゲイル製造会社がつくったトレード・カード。私はその奇妙な絵を何枚か見たことがある。注意をひいたのは確かで、それが会社の役員たちがこういうカードを印刷させた理由だと私は思っている。)
        
    From our Historical Notebook this week we present an 1887 card depicting a cabbage headed man standing in a cabbage patch.  His suit is red with a yellow shirt, and of course a green head.  Was this the first “cabbage patch doll?”  The upper caption reads “1st Premium Cabbage Head.”  At the bottom is the advertisement, “Big Injun, 3 Wheel Sulky Plow.  Gale Chilled Hand Plows, Gale Man’fg Co., Albion, Mich.”  In small print below is the producer of this card, “Copyright 1887 by J.H. Buffords Sons.” (私の『歴史ノートブック』から、今週は、キャベツ畑に立つキャベツ頭の男を描いた1887年のカードをごらんにいれよう。彼のスーツは赤で、シャツは黄色、そして、もちろん頭(クビ)は緑だ。これは最初の「キャベツ畑人形」だったのだろうか。上部のキャプションは「特級キャベツアタマ」と書いてある。下には広告文があり、「ビッグ・インジャン三輪耕運機。ゲイル・チルド・ハンド・プラウズ〔文意不明です〕。ゲイル・マニュファクチャリング・カンパニー。ミシガン州アルビオン。」 その下の小さな印字は、このカードの制作者で、「コピーライト1887年 J・H・ビュフォーズ・サンズ」)

      これだけ大きい画像だと、前に読めなかった細部がはっきり読めます。最後は "J. H. Buffords Sons" ではなくて、"J. H. Bufford's Sons" と、パンクチュエーションが入ってますね――見えないものも「頭」で見えてしまうというところはなきにしもあらずですが。あと、スーツは赤じゃなくて茶ですよね。赤いのはハンカチ――アカシアの花の下で あの娘が窃っと瞼を拭いた赤いハンカチよ。

        ところで、「頭」と書いたので首を傾けながら蘊蓄を傾けておきたいと思います。ひとつは、これは前に書きましたが念のため――キャベツのhead というのは日本でいう「玉」のことです。ふたつめは、英語のcabbage は、フランス語のcaboche が中英語のころ・・・といっても文献で見る限り、15世紀になってからですけど、に caboche の綴りのままで英語に入ったもので、異綴りとして15、16世紀にcabache, cabage, cabbysshe, cabish, cabidge などがあって、17世紀になってからcabbage という綴りが出てくるようです。それはそれとして、フランス語のキャベツは chou ですけれど、正しくはchoux cabus といいます。で、古いフランス語のcaboche も、その後のcabus も「頭」という意味なんですね(イタリア語のcapo とかcapuccio 、ラテン語のcaput とかとつながる言葉。英語だとcap 帽子 とかcapitol 首府とか)。で、フランス語のシュー というのは cole のことをいっていて、choux cabus というのは、文字どおりには「デカ頭のコール」です(どこぞの首相のことではない。ないけれど、ドイツ語のKohl はcole と同じですね)。コールってコールスローのコールで、いわゆるキャベツですよね。頭が痛いw ということで、pudding head とか pumpkin head とかblock head とか、「おバカ」の意味で「なんとか頭」という表現が英語にたくさんあるのですけれど〔いちおう「November 27 キャベツアタマ Cabbagehead」も参照〕、キャベツ頭というのは二重に奇妙な表現なのかもしれない、とふと思った寒いカリフォルニアの部屋の中。

    (つづく) ⇒ 「December 23 キャベツ頭の中身、パート2 The Inside of a Cabbage Head (Part 2)

    にほんブログ村 英語ブログ 洋書・洋楽・映画の英語へ じゃないのかな・・・・・・  にほんブログ村 英語ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ サンフランシスコ・ベイエリア情報へ

    いわゆる郷土史家のいとなみというのはどこの土地でも耳を傾け目を注ぐに値する興味深いものを含んでるものですねー。

    Albion History Articles Alphabetical index <http://www.albionmich.com/history/histor_notebook/Indexer.htm>   

    City of Tronto: History, historical documents, and heritage at the City of Tronto Archives <http://www.toronto.ca/archives/index.htm

    Collecting Toronto: Through the Eyes of Larry Becker <http://www.toronto.ca/archives/becker_collections/> 〔City of Toronto: Archives〕


    nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 16 朝と夜のあいだに――2008年12月16日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [時間・空間 space]

    December 16, 2008 (Tuesday)

       異国の旅は望郷の思いを抱かせるものかしら。それは空間的なノスタルジアであると同時に、必然的に時間的に遡行するものなのかしら。

      むかしむかし、モーリちゃんの父がモーリちゃんくらいの小学生だった頃、いとこのお姉さんが東京の短大に入学することになって、上野駅だったかどこかへ迎えに母親と一緒に行ったことがあった。それから何年かして、中学校のときにフォークソングブームがあって、どこぞの学園祭で南こうせつのコンサートがあるというので友だちたちに誘われて行ったことがあった(もしかすると中学校卒業してからかも)。そのとき前座みたいなかたちでオフコースが歌ってましたね。あのときのカセットテープはまだどこかにあるかなあ(遠い目)。パイプ椅子のノイズがたくさん入っていた(前の席のおなごが笑うたびに椅子が音をたててうるさかった(遠い耳))。

      そして、その会場が従姉のいた短大だと知ったのでした。そのとき「僕の贈りもの」をまったりと聴いたのであった。冬と夏のあいだに春を置きました、夏と冬のあいだに秋を置きましたとな――誰がやねん(このピロリロリンというようなキーボードは同じ頃の荒井由実を思い出させますな)

      〇と◇のあいだに、といえば、「夜と朝のあいだに」である。強引である。ノスタルジアでもなんでもないかもしれない。夜と朝のあいだにひとりの私。このカラオケの映像の女性が私だろうか。ジェンダーなんたらパフォーマンスを転覆させているのだろうか。

      ということで、12月16日午前9時45分撮影のカリフォルニア州アルバニからサンフランシスコ方向太平洋のほうをのぞむ空模様(中央はゴールデンゲートブリッジです)。でもアルバニは青くない曇り空。――
    December16,2008Albany,CA0945.jpg
    クリックで1024x に拡大しまーす♪

      そして、12月16日午後4時46分撮影の空模様(なんか目玉焼きが割れたみたいな感じだった・・・・・・sunny-side down?)――
    December16,2008Albany,CA1646pm.jpg
    クリックで1024x に拡大しまーす♪

      月曜、火曜と、朝の西の空は青く、あ、晴れるのかな、と思うと、あっちは青いのにこっちは「冷たい雨」が降るのでした(このピンピロリンはピアノだけじゃないですね)。で、11時過ぎに天気雨みたいな状態になったりする。空が広いのかなあ。(←ぽか~んと能天気頭)

      

    にほんブログ村 海外生活ブログ サンフランシスコ・ベイエリア情報へ


    nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 18 ドナドナのなぞってどんなだなってドナドナどないしてんとあまりかわらんやん What Is the Donna Donna Mystery? [本・読み物 reading books]

    December 18, 2008 (Friday)

        日本語ウィキペディアの「ドナドナ」によれば、かつてのフォークの女王ジョーン・バエズが英訳の「ドナドナ」をレコーディングしたのが1961年〔でももしかすると1960年かも〕その日本版は1964年発売、日本語の訳詞でザ・ピーナッツが1965年に、岸洋子が1966年に歌い、1969年春にはNHKの『みんなのうた』でとりあげられたことで一種の「童謡」として親しまれることとなった(そうである)〔12.26追記=岸洋子は1965年12月から66年1月まで『みんなのうた』で歌っていたという、不確かな情報もある――「フナハシ学習塾その他35」〕。「概要」という項の二つめには次のように解釈めいたことが「説」として書かれている――

    歌詞では、牧場から市場へ売られていくかわいい子牛を歌っている。人間の子供を子牛に見立てた反戦歌という説もある。これに関して、特にユダヤ人ナチスによって強制収容所に連行されていくときの様子を歌った歌という説もある。ユダヤ人は、彼らが信仰している(ユダヤ教の)神のことを「アドナイ」(主よ)と呼ぶ。その「アドナイ」をナチス当局に悟られないように、「ドナ」と短く縮めて表現して、戦争の不条理を神に嘆きつつ、悲しみのうちに「主よ、主よ」と歌ったものと解される。

      「牧場から市場へ売られていくかわいい子牛を歌っている」というのは安井かずみによる日本語訳詞の内容のままである。「反戦歌という説もある」というのはどういう説かはっきりしないが、反戦歌として歌われたという事実がなければ「反戦歌」というジャンルにはならないように思われる(それとも「隠れた反戦歌」という隠微なジャンルがあるのかしら)。

      「概要」に諸説を並べるのは勝手というか、結構なことのような気もするが、この記述はもっぱら一説に集中しているように見える。なぜなら、人間を子牛に見立てた反戦歌という説もあるというふたつめの文は、ひとつめの「かわいい子牛を歌っている」を内包しているから。「かわいい子牛を歌っている」のは説ではなくて詞のあらわな表層、そのまんまである。それは説ではない。「という説もある」「という説もある」という繰り返しによって解釈が拡大しているかというと、逆で、一説に集中しているわけだ。

      以上はただのいちゃもんだが、さて、とても気になったのは記事が「外部リンク」としてあげるふたつ(「ドナドナのナゾ」「ドナドナ研究室」)とも、記事本体とは異なった作詞者を指していることだ(記事はシェルドン・セクンダ としている)。「ドナドナのナゾ」の「恐怖のドナドナ~子牛の謎」はくだけた文体のページで(それはまったくよいことだw)、安井かずみの新旧の訳詞をかかげてくれている(それはまったくよいことだ)。で、「驚く事にドナドナにはふか~い暗示が込められていたのです! 下はここから引用している文章です」といって引用されている元の「ドナドナどないしてん?」にはさらに「検索ページで探してみたらこんなページを見つけました」ということで <http://www2s.biglobe.ne.jp/~sinpi-d/mystery/report/report.htm> というリンクが張られている。残念ながらリンクは切れているのだけれど、少しの引用が残っていて、「ドナドナのナゾ」が引いているのと同じ文章。それは、小岸某氏が「イディッ シュ語の原譜では「ドナ」が「DONAY」になっていることに注目し、これがカモ フラージュされた「アドナイ」=ヘブライ語で「主よ」ではないのかと推論」し、「作詞者であるカッツネルソン氏の過去を調べた結果、ホロコーストの時代に彼の妻と二人の息子が捕えられ、強制収容所に移送されていた事実をつきとめ」たという話です。

      もうひとつの「ドナドナ研究室」の「ドナドナ ~子牛を待つ本当の運命とは~」は例の世界の民謡のページです。小岸昭『離散するユダヤ人』(岩波新書)と細見和之『アドルノ――非同一性の哲学』〈講談社)を引証して、3ページにわたる記事となっています。ここで小岸某氏というのが小岸昭とわかりましたが、岩波新書の終わりのほうで、小岸某氏が「ドナ」は「アドナイ」を短くしたものではないかとヨーロッパを訪ねてまわったというエピソードが出てくるそうです。

    その作者〔著者小岸昭のこと〕が拠り所としていた情報源は、あるドイツのフォークグループが出しているCDの解説書で、それによると「ドナドナ」はワルシャワ・ゲットーの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌であるとのことです。

      結局、小岸某氏は人々から否定的な回答を得るのみで、本当にこの歌がカツェネルソンの「妻と二人の息子が1942年絶滅収容所に連れられた時の印象に基づいて書かれた歌」だったのかはわからなかったのだけれど、「この人々の心を無意識に惹きつけてやまない言葉はユダヤ人にとって自由への希望であった」と締めくくっているそうです(<http://www.worldfolksong.com/closeup/donadona/dona2.htm>)。

       2冊目の本は、アドルノのどこが「ドナドナ」とかかわるのか、記事を読んでもよくわからないのですけれど、以下のような紹介があります。――

      筆者〔著者細見和之のこと〕は、その友人がドイツから持ちかえったドイツのフォークグループのレコードを引用しています。それはイディッシュ語(東方ユダヤの言葉)でイディッシュ・リートを歌ったレコードで、ドイツ語の訳詞もつけられていたようです。ドナドナのタイトルは「仔牛」と題されていて4番ぐらいまであり、その内容は「安井かずえ」〔ママ〕さんの訳にはないものが多く含まれていました。

      〔……〕このレコードに付されている解説によると、前のページの本と同様に作者はイツハク・カツェネルソンで彼は1886年生まれ。ポーランドのウッジのユダヤ人学校の教師を努めるとともに、多くの歌や戯曲を書き、ユダヤ人の闘争団体とも密接な関係にあったそうです。
     
     1942年に妻と二人の息子がアウシュビッツへ強制移住させられ、彼はその印象をこの歌に託し、その後カツェネルソン自身も強制移住させられ、妻子と同様に44年にアウシュビッツで死亡したとのことです。
     
     この点筆者はこの解説が幾分不正確であることと「ドナドナ」の作者をカツェネルソンと断定することには異説もあることを承知しているそうです。ただ、決定的に重要なのは、あの「ドナドナ」という馴染み深い歌が、まぎれもなくユダヤ人に対するポグロム(民族虐待)を歌ったユダヤ人の歌に他ならなく、そして、アドルノもまたユダヤ系の哲学者であるといった問題を遥かに超えて、この歌とわれわれの関係のうちには、きわめてアドルノ的なテーマがぐっと凝縮された形で存在している、ということらしいのです。さて、一体この「アドルノ的なテーマ」とは何なのでしょうか?答えはこの本の中にあります。

      さて、モーリちゃんの父としてはアドルノ的とかなんたらいうむつかしいテーマに突入する気はさらさらなく(だってわからんもん)、ただ素人目で見てわかることを書いてみたいと思います。

      まず(これはちょっと調べればわかることですが)、この歌の作詞はAaron Zeitlin (1898 - 1973) です(ただし戦後になってからの英訳はSecunda が行なったということになっている)。アーロン・ツァイトリンはベラルーシ生まれのユダヤ人で、リトアニアで青年期を過ごし、1939年に渡米して1973年に亡くなるまでニューヨークで暮らし、ノーベル賞を受賞したユダヤ人作家のIsaac Bashevis Singer なととも交流があった人。作曲をしたSholom Secunda (1894- 1974) は、ウクライナ生まれのユダヤ人ですが、1907年に渡米、アメリカで教育を受け、やっぱりニューヨークで活動した作曲家です。アンドルーズ・シスターズの最初期のヒット曲 "Bei Mir Bist Du Schoen" の作曲をした人、というとわかる人がいるかもしれません。アンドルーズ・シスターズのレコーディングは1937年11月ですが、もともとは1932年の歌。そしてイディッシュの歌詞でしたが、アンドルーズ・シスターズのときに英訳歌詞がつくられました。「ドナドナ」も原作はイディッシュです。この曲は1940年ニューヨーク初演のイディッシュのミュージカル Esterke (長いタイトルは"Esterke un Kazimir der groyser" というみたい)の挿入歌でした。この戯曲のもとは、1932年にワルシャワでGlobus という雑誌(この『グローブス』はI. B. シンガーがアメリカに来る前に1932年から1934年まで出していた雑誌です)にツァイトリンが発表しているようなのですが、それがどういうものだったかはわかりません〔この雑誌、下記の黒田論文に名前が挙がっていますが、戯曲の掲載については触れられていません。そこらへん探偵捜査のキーかもw〕。ともかくそれをもとに、作曲家ショローム・セクンダ と組んで書きなおしたのは事実です。翌41年まで興業されたこのミュージカルのプロデューサーはMaurice Schwartzで、この人こそAaron Zeitlin をアメリカに招いた人に他なりません。

      だから、1942年に連行されて殺害された妻子のことが1940年から1941年にニューヨークのユダヤ人劇場で公演があったミュージカルの挿入歌の歌詞として描かれるわけがない。

      作詞をツァイトリンとちゃんと明示する日本人のちゃんとした記事もありました。――

    渡辺美奈子 「Dana Dana / Dona Dona [Dana ダナ/Dona ドナ]」 <http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/DonaDona.htm>

    そして、渡辺さんの記事で言及されている黒田さんの論文が、ついさっきWeb上で見つかって、読みふけっていました。――

    黒田晴之 「『子牛』のまわりにいた人たち ―ある歌の来歴をめぐるさまざまな問い―」(日本ユダヤ文化研究会『ナマール』第8号2003年所収) <http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kuroda/kenkyu-klezmer-donadona1.htm> ■2につづく■ ■3につづく■〔「ドナ・ドナ1」「ドナ・ドナ2」〕

      いやあ、もはや私ごときが茶化してなんか言う気も失せました。ただ、フォークソングと著者性という興味深い問題に触れている箇所を引用させてください。――

     さらにカツェネルソンと『子牛』〔「ドナドナ」の元のタイトルです〕との関係を扱ったものとしては、この詩人を精力的に紹介してきたヴォルフ・ビーアマン(Wolf Biermann, 1936-)のコメントがある。かれ自身も統一前に東から西に亡命した戦後ドイツの代表的な詩人だが、ビーアマンは『子牛』の作者がカツェネルソンとツァイトリンのどちらだったのかという問題に、むしろ積極的には関わるまいという姿勢を見せている。かれにとってそんな問題は「どうでもよい」のである。なぜなら、

    愚かな(blöd)子牛にむかって、事もあろうに二倍も愚かな農夫が、燕の幸運を説いているその酷薄な歌は美しいし、ショアーにおける牛たちの問題に、とてもよく当てはまるようにわたしには思われる 41)(傍点:黒田〔傍点がどこか不明です〕)

    ことが重要だからだ。おそらくは決定的な資料が欠けているだけに、『子牛』の作者がだれだったのかという問題は、現段階で決着をつけることが結局は不可能なのである。
     おもしろいことにセクンダの歌『子牛』は、英語の歌詞が付けられてヒットした段階で、作者の意図に関係なく「フォーク・ソング」となったのである。おそらく「フォーク・ソング」というのはそれを厳格に理解しようとすれば、「だれが作者なのかということ」(ドイツ語で言うAutorschaft)とは根本的に相容れないジャンルであろう。42)たとえばユダヤの宗教音楽もクレズマーもそうしたジャンルである。だれが作者なのか問題とはならないそうした世界とそれが問題になる記名性の世界の境界線上にセクンダは立っている。かれはそれが問題とはならない世界を去ってきたはずなのに、われ期せずその世界に何度も何度も押し戻されてしまう。かくして『子牛』は「フォーク・ソング」として広く歌われるようになったとき、時代的な雰囲気とも合致して「子牛」をユダヤ人とする大衆的な(パブリック)イメージが広まっていき、セクンダの「作者性」(Autorschaft)もツァイトリンのそれをも揺るがしかねなくなったのである。さまざまな布置がたえず変化していく時代の万華鏡のなかで、『子牛』はついに作家自身の手に負えない歌となったのである。あるいは『子牛』そのものがこう言ってかまわないとすれば、自分で自分を取り戻すことがもはやできないような、再自己固有化の不可能な領域に達したと言うべきだろうか。

     おわりにあたって「ドナ」を「アドナイ」だとする説を検討してみたい。〔以下略〕

      この論文を読むまでは、ほぼすべて茶化しの射程内に入っていたのだけれど、たいへん慎重で非断定的で入念な文章を前にして、ちょっと気分は萎えました。 一時退却したい気分です。しかし、がんばって書いておくと、ビーアマンのいう状況との合致という偶然を装った恣意的な解釈が、次の段落の、フォークソングによる作者性からの解放というのとどういうふうに論理的につながるのかすっきり透視できないのだが、必ず子牛をユダヤ人として大衆的にイメージ化し、フォークソングとしての「ドナドナ」が歌われたり聞かれてきたとは思われないし、ましてや日本の小学生がユダヤ人に自己を投影するなり自己同一化するなりして歌うとはまったく思われないのだけれど。子牛に自己を投影する小学生はいるかもしらんが。モーリちゃんの父の抱くフォークソングのイメジは、仮にプロテストソングであったとしても歌う人によって範疇化から自由になってしまう、というものなのだが。

      渡辺さんは、黒田論文を読んだ上で、しかし作詞者はツァイトリンであると潔く断定します。けれども一方で「ミュージカル『エステルケ』にはゲットーは描かれていないようです」とも書きながら、「しかし「ダナダナ」"Dana Dana" / 「ドナドナ」"Dona Dona" にはユダヤ人をホロコースト(大量虐殺)に強制連行する内容が少なくとも隠されていることは、ほぼ間違いないと考えています」と書く論拠は主観的な、といって悪ければ、ひとつの解釈行為なのでしょうか。じっさい「子牛=捕らえられたユダヤ人」「1節のツバメ=迫害されない定めに生まれた人」「農夫=ナチ、あるいはナチに共感する人」「3節のツバメ=捕らえられたユダヤ人の自由な精神」という解釈がのちに付与されています。

      この、ビーアマンの引用にも出てくる農夫の「声」は、歌詞によって異なる(たとえばセクンダによる英語の訳とのちのもの――アーサー・ケヴェス(Arthur Kevess) とテディ・シュオーツ (Teddi Schwartz) が1956年にイディッシュから訳したもの――では違う)ようで、そのへん、ひまを見つけて調べたら戻ってくるかもしれません。が、自分で自分を取り戻すことがもはやできないような、再自己固有化の不可能な領域に達したと感じたら牧場へは帰りません。

      あと、日本人ふたりがソースとしたCD=レコードは、黒田論文に「わたしたちがカツェネルソンを『子牛』の作詞者として云々するようになったのは、ツプフガイゲンハンゼル(Zupfgeigenhansel) という当時西ドイツのバンドが、1985年に出した『イディッシュ歌集』(Jiddische Lieder)に拠っている」と書かれているアルバムのようです。しかしこれだけを根拠に作詞をカツェネルソンだと考えるという根性がわしにはまったくようわからんです。そしてそういう根拠のうえに書かれた著作(本)の記述をもとにして、作詞はカツェネルソンだとの説が独り歩きしかねない日本語WEB サイトのありようを考えるとき、〔以下略〕


    "Donna Donna - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Donna_Donna> 〔作詞についてYitzhak Katzenelsonにはまったく言及なし。各国語の音源リンク付き〕 

    "Mendele: Yiddish literature and language - Contents of Vol. 3.317; April 15, 1994" <http://www.ibiblio.org/pub/academic/languages/yiddish/mendele/vol3.317> 〔情報交換の記録〕

    「細見和之『言葉と記憶』を読んで」 <http://amehare.lolipop.jp/blog/2005/06/post_71.html> 〔『Amehare's Memo』 2005.6.2.  この記事を読んでいて思い出したのだけれど、カッツェネルソンもビンに原稿を詰めて木の下に埋めたんじゃなかったかしら〕

    黒田晴之 「『子牛』のまわりにいた人たち ―ある歌の来歴をめぐるさまざまな問い―」(日本ユダヤ文化研究会『ナマール』第8号2003年所収) <http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~kuroda/kenkyu-klezmer-donadona1.htm> ■2につづく■ ■3につづく■〔「ドナ・ドナ1」「ドナ・ドナ2」「ドナ・ドナ3」〕

    渡辺美奈子 「Dana Dana / Dona Dona [Dana ダナ/Dona ドナ]」 <http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/DonaDona.htm>"Minako Watanabe geb. Tanaka"内「世界の歌」内「ダナダナ/ ドナドナ (アメリカ / ユダヤ劇場ミュージカル「エステルケ」より」〕

    にほんブログ村 英語ブログ 洋書・洋楽・映画の英語へ
    nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 19 障害と復旧 Trouble and Recovery [メモ personal notes]

    December 19, 2008 (Friday)

    ソネット内輪的記事です。・・・・・・ 

    やっと復旧しましたね♪

    日本時間19日12時半ごろからトラブルが発生して、ブログがまったく見られなくなっただけでなく、他でも、ソネくじファン広場など、つながらなくなりました。

    個人的に気付いたのは日本時間13時過ぎで、横断ビンゴの「英語クイズでスキルアップなんたら・・・・・・」の答えの「英会話」のページが開けなくて、さらに自分のブログが開けなかった。このビンゴは問題変更という対応がとられて「ぴっかりのなぞなぞとけるかな?」になったのをさっき22時頃(カリフォルニア時間19日5時頃)起きて、知りました。

    「So-net 障害・メンテナンス情報」 <http://www.so-net.ne.jp/emerge/tr/blog.html> の「障害・メンテナンス 現在の状況はこちら」のページだと、「現在調査中」から「データセンターのネットワーク障害」から「データセンターの設備障害」へと1時間くらいのあいだに変わったみたい。

    さっき、永井美智子 「さくらインターネットのデータセンターに障害、GREEなどのサービスが停止中」 <http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20385634,00.htm> CNET Japan ニュース 2008.12.19 17:02 という記事を読みました。

      それによると、東京都新宿区にあるさくらインターネットの西新宿データセンターの電源設備から煙が出て障害が起き、データセンター収容ラック内への電源供給が一部で停止た影響を受け、ソーシャルネットワーキングサービス「GREE」やブログサービス「Seesaaブログ」「So-net blog」など、同社を利用したサービスが利用できない状態になっている、ということでした。 「復旧に向けて対応をしている状況で、19日中にすべての供給が回復する見通しとしている。」とのことで、see-saa ブログと、そこに導かれてさくらインターネットのお知らせページを見てみた。

    Seesaa: 「メンテナンス中」
    シーサー株式会社 「サーバメンテナンスのお知らせ」
    <http://trouble.seesaa.net/>

    Seesaaサービスをご利用いただき、ありがとうございます。現在弊社が利用しておりますデータセンターにてネットワーク障害が発生した影響をうけ、Seesaaブログ等弊社サービスがご利用頂けない状態となっております。

    SAKURA Internet // 2008年12月19日 障害発生のお知らせ「西新宿データセンター」
    http://www.sakura.ad.jp/news/archives/20081219-001.news 〔……〕


    さくらインターネット: 「障害発生のお知らせ「西新宿データセンター」」

    本日、弊社西新宿データセンター(所在地:東京都新宿区西新宿)におきまして、電源設備からの発煙によりデータセンター収容ラック内への一部電源供給が停止しております。

    詳しい影響範囲と原因は現在調査中です。

                     <記>

    発生日時 : 2008年12月19日 12時35分頃
    影響範囲 : 6F Aゾーンの配電盤3台、6F Bゾーンの配電盤2台の片系
    統の電源
          供給停止(17時40分更新)

          6F Aゾーンの配電盤3台、6F Bゾーンの配電盤2台の片系統もしくは
          両系統の電源供給停止(14時05分更新)

    障害内容 : 電源設備からの発煙による一部電源供給停止
          現在復旧に向けて順次対応を行っており、本日中にはすべ
    ての供給が
          回復する見通しです。(16時05分更新)

    補足事項 : この障害は19時30分に復旧しております。詳細はこちらをご参照ください。
          http://www.sakura.ad.jp/news/archives/20081219-

    002.news
    -------------------------

      え、19時半に復旧しているの? で、参照した。――


     本日(12月19日)発生いたしました、弊社西新宿データセンター(所
    在地:
    東京都新宿区西新宿)における電源設備からの発煙および電源供給
    障害につきま
    して、お取引先様、お取引先様のサービスをご利用の皆様ならびに近
    隣の皆様に
    おかれましては、改めて心より深くお詫び申し上げます。

     障害発生直後から、一部電源供給が停止しておりましたが、本日19時30分にて、
    全ての電源供給が復旧し、現在は正常に供給されております。

     詳細な原因と今後の再発防止につきましては、あらためてご報告させていただく
    所存です。ご迷惑をおかけいたしましたことを重ねてお詫び申し上げま
    す。

    ■21時41分追記
     当初、一部のラックについて当初両系統の電源供給停止と記載して
    おりましたが、
    両系統の電源供給停止ではなく、正しくは片系統の電源供給停止とな
    ります。

     12時30分:電源設備の発煙により火災警報鳴動 
           同時刻 当社スタッフ現場確認
     12時36分:119番通報
     12時42分:消防隊到着
     12時45分:お客様及び当社社員避難完了
     13時00分:対策本部を設置
     14時00分:消防隊撤退 ビル内立入制限解除
     14時05分:復旧作業の開始
     19時30分:復旧作業完了
     20時02分:最終点検後、全復旧の旨お知らせを掲載

      え、全復旧でなおってるの?  とソネットのお知らせページを見ても「障害・メンテナンス情報」は「現在、下記の障害が発生しております。」で「対応中」で「障害内容」は以下の表示のままですし(その後11時半すぎてもそう)・・・・・・
    全てのページが閲覧できず、ログインもできない

    内容:全てのページが閲覧できず、ログインもできない

    対象サービス:So-net blogサービスすべて

    影響範囲:So-net blogの全ブログ

    原因:データセンターの設備障害


     ・・・・・・ブログを試したけれど、つながらず・・・・・・でもいつのまにか23時前に自分のブログの閲覧と書き込みは可能になったみたいです。 まだ全復旧していないから表示が変わらないし、お知らせも変わらないのかしら。無事復旧を願います。

      それにしても、So-net ではなくてGREE のほうが見出しにあがるのはそちらのほうが大きいのですか(無知)。それから、「障害」は「トラブル」としないのはなんか理由があるのかなあ。消防法とか警察関係とか? 

       23:50追記  CNET Japan ニュース の永井美智子(編集部)さんの記事(17:02)内の「ソーシャルネットワーキングサービス「GREE」やブログサービス「Seesaaブログ」「So-net blog」など、同社を利用したサービスが利用できない状態になっている」のリンクをクリックして確認したところ、GREE はまだ復旧していないみたい。あと、あらためて検索したら、「さくらインターネットのデータセンターで発煙 GREEとSo-net blogが停止」という見出しで ITmedia News は報じていました <http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/19/news113.html> 2008.12.19 19:21 更新――前文というかリードは「さくらインターネットのデータセンターで発煙があり、電源供給が停止する障害が発生している。この影響で、「GREE」や「So-net blog」が利用できない状態になっている。」 その下の本文にはsee-saa が出てきますけど、リードのセンテンスには三つ並べればいいのに。

      それにしても(またそれにしても)、問題ですね。物理的炎上とはいえ。というか物理的炎上が起こるのは問題外と思われ。データセンターというのはサーバーのあるところですよね(cf. iDC)。サイバーテロならぬサーバーテロとかもこわい。

       カリフォルニア時間9時27分(日本時間02:27)追記  その後わかったのですけれど、22:40に解決したようです。So-net のトップページにはなんの記事も見当たりませんが(なんででしょ)、ブログのトップの管理ページ <http://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/home/> に「【サービス再開】So-net blogの全ページが表示できず、 ログインできないの記事も載ってます。<http://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2008-12-19>キャッシュの問題とかの説明もあります。GREE も何もなかったように再開しているみたい。


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 15 朝の雲と朝の月――2008年12月15日朝のアルバニ(カリフォルニア)の空 Morning Clouds and the Morning Moon [天気 weather]

    December 15, 2008 (Monday)

       ブログがブログに追いつかない、というような感じですか。

      写真はたまる一方で(特に料理写真(笑))。

        ということで、いまはほんとはカリフォルニア時間19日の金曜日の午後1時過ぎで、朝方に雨が上がったと思ったらにわか雨が時々降って、でもいまは暖かいというより温かいというより熱い日射しがブラインド越しに刺さってくる、そんな時間の中にいます。

       週明けのカリフォルニアのベイエリアの空の相――
    December15,2008AlbanyCA0755am.jpg(クリックでちょびっち拡大)
    2008年12月15日午前7時55分の西の空(まんなかはゴールデンゲートブリッジ)

      これは毎度の構図ですが、ズームアウトしてちょっと右(北)へまなざしを向ける――
    December15,2008Albany,CA0755am.jpg
    2008年12月15日午前7時55分の西の空(まんなか左はゴールデンゲートブリッジ)

      雲がこういうふうにホライズンに勢ぞろいしているのは太平洋だからなのかしら。

      月は肉眼だともうすこし大きく見えました。

      さて、モーニングムーンといえば茶毛のアンじゃないや、チャゲ&飛鳥ですが、"morning moon" というフレーズは一般的なのでしょうか。もちろん検索すればたくさん出てくるのですが、チャゲアスの存在が大きすぎますね。ちなみに"Logos Library" のwordtheque (というのは昔の言い方なのかしら、いやurlを見るとやっぱりそうですね、なぜかページ上にはこの言葉は消えてしまったのだけれど)だとふたつ出てきます(<http://www.logoslibrary.eu/pls/wordtc/new_wordtheque.w6_public.main>)。――

    [. . .] he felt like a man new born!  Air as clear as crystal, and dew shining on shrubs and trees; giant acacias and native white cedars, and pink and white oleanders that could have swallowed an ordinary bush house; the morning moon still gleaming like a jewel over the saffron sunrise and the intensely dark-blue hills. (Author: Cambridge Ada / Title: AT MIDNIGHT)

    Therefore, because that her sin was the grief of the grand and the godlike, Sitteth thy child than a morning-moon bleaker, the faded, and far. Ringed with the flower-like Six of the Seven, arrayed and anointed Ever with beautiful pity, she watches, she weeps, and she wanes, Blind as a flame on the hills of the Winter [. . .] (Author: Kendall Henry / Title: THE POEMS OF HENRY KENDALL / Source: http://promo.net/pg/_authors/i-_kendall_henry.html)

        だからなに?

        なんでもないやい。

        ううむ、Ada Cambridge (1844 -1926) も Henry Kendall (1839 -82) もWikipedia に記事はないのですかね。あ、ありました(なぜかこのごろ直接Wikipedia で検索してもヒットしないことが多いのですがどうしてでしょう)。

      "midnight sun" に対しては "noon moon" というフレーズがありそうなものですが、あると思いますか。ふっふっふ。



    Logos Library - Logos Translations multilingual library <http://www.logoslibrary.eu/pls/wordtc/new_wordtheque.w.t?w=garbling&l=en>

    nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 20 16時49分のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

    December 20 (Saturday) 

    時差ボケ気味のあたまです。
    12月11日と16日と19日の夕方の空3題。
    16時49分に意味はないですけれど、しいていえば色よくかな(笑もな)。

    December 11, 2008 (Thursday) 晴れときどきくもり(だったような)
    December11,2008AlbanyCA1649pm.jpg
    クリックでちょっち拡大

    December 16, 2008 (Tuesday) 雨のちくもり(だったような)
    December16,2008AlbanyCA1649pm.jpg

    December 19, 2008 (Friday) くもりときどき晴れたりにわか雨のち快晴(みたいな)
    December19,2008Albany,CA1649.jpg

      この日は午後は晴れたけれど、昼までは急に空が曇ってにわか雨が降ったり、強い日が射したりと、ヘンな天気でした。同じ時刻の北のほうの空は雲が起こっていました。――
    December19,2008AlbanyCA1649.jpg

    indianarrow.gif

    7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニア州バークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

    National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

    National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕


    nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 21 カメラ Camera [モノ goods]

    December 21, 2008 (Sunday)

      12月16日夕方。この日の写真は前に載せたのですけれど、モーリちゃんのカメラをちょっと借りてとってみた拡大図を載せます。このカメラ、なんか1ヶ月以上ずっとボケていたのですけれど、レンズじゃなくて、小さい穴(なんというのかしら)を吹いて(ふぅーふぅー)、じゃないや拭いてやったら、なおったみたい。ちょうど電池を食うので、ロングズ・ドラッグズでDuracell 単三(こっちだとAA)の充電器と充電池のセットを買ったときくらいからだったので、電池が合わないのではないかと白い眼で見られていたのだけれど(いま見たら1.5ボルト じゃなくて1.2V だ! なんじゃこりゃ)。

        前に、カメラはラテン語で「部屋」だとか書いたけれど、モーリちゃんの父が子供のころ好きだったものに、ガメラとサンダーバード2号がある(わかる人にはわかるが、ちょっと似ているw)。

    December16,2008Albany,CA1755.jpg
    2008年12月16日午後4時55分 サンフランシスコ湾のゴールデンゲートブリッジをアルバニからのぞむ。

    December16,2008Albany,CA1756b.jpg
    同56分 拡大

    December16,2008Alabany,CA1757.jpg
    同57分

       モーリちゃんの父が3月に旅行用に買った一眼デジカメのニコンD60 付属のニコニコニッコール18-55mm 1:3.5-5.6G よりも、モーリちゃんの父が4月にモーリちゃんに旅行用に買ってあげたニコンCoolpix のほうが拡大率が高い、というのはしゃくにさわる話です。それでもやっぱり高いカメラの方が鮮明なような気はします(実はピンボケが続いているだけかも)。望遠レンズを別に買うと高いんですよねー。本体もう一個買えるぐらいにw カメラにとっての窓でしかないはずなのに。

      ところで、橋の向こうは基本的にはしばらくは海(太平洋)だけなのだけれど、雲がいつもむこう(水平線上)にあるのですね。昨日の、晴れたと思っていた19日の写真でもそうなのでした。

      水平線は空にとってフレームなのでしょうか。

      では今日の日はさようなら――dorlis - 水平線と夕焼けと片想い feat.Likkle Mai (ytube)


    nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 22 暇つぶしWikipedia のイディッシュ文学 [メモ personal notes]

    December 22, 2008 (Monday)

      そのうち暇なときのために――

       イディッシュ文学暇つぶし Wikipedia <http://yomi.mobi/wgate/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%96%87%E5%AD%A6/p25>

       暇つぶし Wikipedia <http://yomi.mobi/w>

       「暇つぶしWikipedia - 暇つぶしWikipedia」 <http://yomi.mobi/wgate/%e6%9a%87%e3%81%a4%e3%81%b6%e3%81%97Wikipedia>

    needle-beadx200.png

    暇つぶし2ch
    暇つぶしUncyclopedia
    暇つぶし青空文庫


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 23 キャベツ頭の中身、パート2 The Inside of a Cabbage Head (Part 2) [モノ goods]

    December 23, 2008 (Tuesday)

     「December 16 キャベツ頭の中身 The Inside of a Cabbage Head」のもしかしてパート2です。

      いくつかの会社が、営業用に同じデザインのトレードカードを使用していたことが了解されました。ブログのスキンのデザインとブログの関係みたいなもんでしょうか(ちがうか)。

        このあいだ買ったChaim M. Rosenberg の Goods for Sale: Products and Advertising in the Massachusetts Industrial Age 〔『商品――マサチューセッツ産業時代における製品と広告』〕(記事「December 9 Eyewitness Books のNorth American Indian ほか2冊」参照)には、リソグラフの導入とトレードカードの発展について解説がありました。――

          Advertising took a great leap forward with the introduction of lithography.  A book published by the Boston Anthenaeum (Pierce & Slautterback 1991) lists over one hundred large and small lithographic companies active in Boston during the period 1825-1880.  Springfield was the home of the Milton Bradley Lithographic Company, and other towns had their own lithographic companies.  The many advertising firms give testimony to the commercial opportunities then available in Massachusetts.  The lithographers met the needs of their clients for portraiture, drawings of homes, businesses, and factories, views of towns, book covers, and for product advertisements, including trade cards.  The lithographic companies produced stock trade cards with blank spaces for the business to print its particular message.  A smaller number of the cards were designed specifically for one enterprise. 〔大意―1825年から1880年のあいだにボストンでは大小100を超えるリソグラフ会社があった。リソグラフ制作屋はポートレト、風景、ブックカバーなどさまざまの需要にこたえたが、商品の広告をトレード・カードを作成して行なったりもした。会社の社名とメッセージの文字を入れる余白を残した出来合いのカードを制作し、また、それよりは少なかったが、特定の業者の注文に応じて独自のカードを作ったりもした。〕
           The trade cards were multicolored and aimed to catch the eye.  Some were elaborate minor works of art.  Many feature the innocence of young children, a common Victorian theme also seen in the photographs of the Liddell sisters by Charles Lutwidge Dodgson 〔ルイス・キャロルのことです〕, better known as Lewis Carroll, the author of Alice in the Wonderland.  Some of the trade card illustrations were crude caricatures showing black and Asian people as servants and objects of ridicule.  Among the artists drawing the trade cards was Boston-born Winslow Homer, who served his apprenticeship at L. Prange & Co. of 159 Washington Street.  The young Childe Hassam, whose later Expressionist-style paintings captured the mood of later-nineteenth-century Boston, also learned his craft at one of the Boston lithography shops.〔大意―トレード・カードは多色刷りで、目を引き付けた。芸術作品と呼んでいいものもあった。多くはヴィクトリア時代によく見られるような、無垢な子供を描くものだったが、黒人やアジア系の人たちを戯画的に扱ったり、嘲笑の対象にするものもあった。トレード・カードをつくった版画家のなかには、ボストン生まれのWinslow Homer や、のちに表現主義的な絵を描いたChilde Hassam などがいた。〕
           Among the best-known Boston lithographers was John Henry Bufford, born in 1810 in Portsmouth, New Hampshire, the son of an ornamental sign maker.  Buffrod served his apprenticeship with William and John Pendleton of Boston, who started America's first lithography company.  One of his fellow trainees was Nathaniel Currier, born in Roxbury, Massachusetts.  Currier left Boston for New York, where he started what was to become the country's greatest lithography company, Currier & Ives.  In 1835, Bufford went to New York to work for Currier.  Five years later he returned to Boston and started his own firm on Washington Street.  In 1865 his sons Frank and John Jr. were made partners, and the firm became known as J. H. Bufford & Sons.  Bufford remained the most prominent lithographic printer in Boston until his death in 1870.  His sons continued the business as Bufford Sons Lithographic Company.  It was this company that produced many of the trade cards for Massachusetts-based businesses from 1870 to 1900, including Lydia Pinkham Vegetable Compound, New Home Sewing Machines, Gilt Edge Shoe-Gloss, and Ivers & Pond Pianos. 〔大意―ボストンのリソグラフ制作者で有名なひとりがジョン・ヘンリー・ビュフォード (1810-70)。ニューハンプシャーの装飾看板屋の息子に生まれたビュフォードは1835年にニューヨークに出て、アメリカ最大のリソグラフ会社カリアー・アンド・アイヴズをつくったナサニエル・カリアーのもとで働いた。5年後にボストンに戻り、自分の店をワシントン通りに開いた。1865年、ふたりの息子フランクとジョン・ジュニアが共同経営者に加わり、会社はジョン・H・ビュフォード・アンド・サンズとして知られるようになる。息子たちは父の死後、ビュフォード・サンズ・リソグラフィック・カンバニーとして事業を続けた。1870年から1900年にかけて、マサチューセッツに本拠をおく企業に多数のトレード・カードを制作したのがこの会社であった。〕 (Introduction 21-22)

      あと、大きさは郵便はがき大と前回書きましたが、だいたいは3 x 5インチ(7.6cm x 12.7cm くらい)で、はがきより少し小さめだったようです。

        さて、1887年にボストンのBufford's Sons が制作したトレカです(再掲します)。――

    GaleCabbagehead1887.jpgクリックで巨大化

       一番下の行、自分には "COPYRIGHT 1887 BY J. H. BUFFORD'S SONS" と読めます。まあ、父親の死後も、いろんな表記があったのかもしれません。

      もともと最初に見たThe FOOD Museum <http://www.foodmuseum.com/> トップの絵は、下部に広告文字が入っていない元絵のようにも思えます。そうすると、このGale Manufacuturing という耕運機とかをつくっていた会社がもともとビュフォードに依頼したということではないのかもしれない。いやオリジナルを依頼したからって元絵が残っていたって不思議ではないし、ゲイルの広告を見て、他の会社(帽子屋や男子洋品店)がウチも、と思ったのかもしれません。

      ともあれ、ゲイルのトレード・カードは、このキャベツ(ア)タマだけでなく、そして明らかにシリーズものなのでした。

        その2(だか何番かわかりませんが)はオレンジマン――

    biginjunplow333.jpg

      "An Orange-Man" と左上の空に書かれています。

      そして、その3――

    biginjunplow-alb1.jpg

      これが、同じシリーズなのかどうか、迷ったのですが、それは余白に "1st Premium Cabbage Head" とか "An Orange-Man" とか細い字体で書いていないからです。そもそもこの黒人はなにものなのか。

      で、この王様の王冠を見ると、なんたら COTTON という文字が刻まれているのでした。LORD COTTON?  南部的イメジで、綿花だったのですね。

        オレンジマンもそうですが、アンパンマンもびっくり、というところでしょうか。

    (たぶんつづく)

    にほんブログ村 英語ブログ 洋書・洋楽・映画の英語へ じゃないのかな・・・・・・  にほんブログ村 英語ブログへ


    nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 24 ジェニー・オーウェン・ヤングズとメイポール Jenny Owen Youngs and the Maypole [メイポール周辺]

    December 24, 2008 (Wednesday)

        今日は、あたりまえですけど、アメリカはクリスマスイヴで、明日のクリスマスは店が休みだし、昼前から降り出した冷たい雨の中をちょっと買い出しに南(99セントショップ)へ北へ(1ドルショップ)とバスでヨーヨー運動しました。サンパブロ通りの八百屋さん(Yaoya-san Market) にも寄ったところ、今年はなんたらとか去年はなんちゃらとか、日本語で会話をする老夫婦がいて、見ると、かまぼことか伊達巻とか、きんとんとか、おでんとか(なんでやねん)、正月用のコーナーができていました(肉の上の棚・・・・・・ふだんは何があったのだろう、2段にわたって)。ちょっとしみじみしました。

      ジェニー・オーウェン・ヤングズ (Jenny Owen Youngs) は1981年11月22日ニュージャージー生まれの女性歌手で、ニューヨーク州立大学Purchase校の "studio compostion"学の学位を取った才女です。2005年にアルバム Batten the Hatches を自主制作。翌2006年、このアルバム収録の "Fuck Was I" がテレビドラマ Weeds で使用されて注目される。2007年4月 Batten the Hatches がアメリカのNettwerk Music Group より発売、2007年5月、"Fuck Was I" のシングル盤がイギリスで発売、同6月イギリス版のアルバム発売。

       歌詞は別に五月柱を歌っているわけでも、五月柱が出てくるわけでも、五月柱をにおわせるものでも、ないのだけれど、pv で五月柱がフィーチャーされているのでした。


    " Jenny Owen Youngs "F**k Was I" " (3:35) posted by herself (jennyowenyoungs) on October 31, 2007.

      歌詞は4文字ワードのところがよくききとれないのだけれど(w)、どうやらexplicit なのとそうでないのとふたつのヴァージョンがあるようで。(他にもよくききとれないところがあります。下は訳詞なしの暫定版)

    Jenny Owen Youngs
    " Fuck Was I "

    Love grows in me like a tumor,
    Parasites bent on devouring its host.
    I'm developing my sense of humor,
    Till I can laugh at my heart between your teeth,
    Till I can laugh at my face beneath your feet.

    [chorus]
    Skillet on the stove is such a temptation,
    Maybe I'll be the lucky one that doesn't get burned.
    What the f*ck was I thinking?

    Love plows through me like a 'dozer,
    I've got more give than a bale of a hay,
    And there's always a big mess left over.
    With what did you do, what did you say
    What did you do and what did you say.

    Skillet on the stove is such a temptation,
    Maybe I'll be the special one that doesn't get burned.
    What the f*ck was I thinking?
    What the f*ck was I thinking?
    What the f*ck was I thinking?
    What the f*ck was I thinking?

    Love tears me up like a demon.
    Opens the wounds and fills them with lead,
    And I'm having some trouble just breathing.
    If we weren't such good friends I think that I'd hate you.
    If we weren't such good friends I'd wish you were dead (wish you were dead).

    Skillet on the stove is such a temptation,
    Maybe I'll be the lucky one that doesn't get burned.
    What the f*ck was I thinking?
    What the f*ck was I thinking?
    What the f*ck was I thinking?

    Love is so embarrassing.
    I'm this awkward and uncomfortable thing,
    I'm running out of places to hide.
    And I'm running out of places to hide.
    What the f*ck was I thinking
    (You know that I've got what you want)
    What the f*ck was I thinking
    (You know that I've got what you want)
    What the f*ck was I thinking
    (You know that I've got what you want)
    What the f*ck was I thinking
    (You know that I've got what you want)

     


    "My Space.com - jenny owen youngs - Brookyn, New York - Indie / Acoustic / Pop - www.myspace.com/jennyowenyoungs

    ::Jenny Owen Youngs:: <http://www.jennyowenyoungs.com/> 〔ホームページ〕 

    Jenny Owen Youngs | Facebook <http://www.facebook.com/jennyowenyoungs>

    YouTube - jennyowenyoungs さんのチャンネル <http://jp.youtube.com/jennyowenyoungs> 〔公式YouTube ページ〕 

    「Jenny Owen Youngs - Fuck Was I - Last.fm の世界最大級オンライン音楽カタログで無料再生。音楽をもっともっと発見!」 <http://www.lastfm.jp/music/Jenny+Owen+Youngs/_/Fuck+Was+I>

     


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感

    December 25 wikipedia & BLOG 検索ってどんなの [メモ personal notes]

    December 25, 2008 (Thursday)

       なんとなく「ドナドナ」を調べていたら、合田道人のベストセラーシリーズの『こんなに深い意味だった童謡の謎〈3〉』がいろいろなハナシの少なくとも間接的なネタになっていることを知りました。不勉強(?) で失礼しました。これの初版が2002年で、いまは文庫版がでているようです。で、この本が何をもとにしているのかわからないのですが、小岸昭は岩波新書の前に『マラーノの系譜』(1994)で自説を既に展開していたようです(smile 自然の散歩道:「ドナドナ」に隠されたメッセージ~その2~など参照の又聞き)。18日の記事に追記した「フナハシ学習塾その他35」は、参考文献に合田道人の上の本をあげていて、しかし小岸昭への言及はないのですが、アドナイ云々は小岸氏の説(もっとも他にも同様の説を唱える人はいたわけですけれど)に由来しているように思えます。

      それはそれとして、ついザ・ピーナッツの歌った歌詞は安井かずみのものなのかどうか調べようと検索をかけたところ、つい「ドナドナの替え歌で. 「モナモナ」 作詞 きんぐこぶら 作曲 ショロム・セクンダ ある晴れた 昼さがり 自宅へ 帰る道議員の車 ....」という結果が目にとまってしまい、つい「毒舌きんぐこぶらのお笑い芸能コラムス」というのを開いてしまいました。そうしたら、つい毒舌きんぐこぶらというのが誰だか気になって、ついウィキペディアで調べたら出てこない、で、ついググったら、「ウィキペディア(Wikipedia)+ブログ検索結果」というのが目にとまりました。それで、"お笑い芸人" の検索結果1141件ヒットのなかに毒舌キングコブラがあり、このおかしな芸能コラムスは、お笑いコンビのキリングセンスを結成していた萩原正人という芸人のものだとわかりました。

      で、wikipedia & BLOG 〔Wikipedia (ウィキペディア) +ブログ検索〕というものをたぶんまともに初めて認識しました(情報獲得が遅れておるのです。なにしろ今年4月にブログを始めたばかり)。

      説明――

    フリー百科事典 | ウィキペディア(Wikipedia)の専用検索サービスです。
    また、ウィキペディアの項目と関連性の高いブログも合わせて表示されます。 <
    http://wp.crm.co.jp/index.html>

       この、「また」というのの重みが構文上よくわからんのですが、たぶんブログがプラスされているのがミソなのでしょう。か。

         「JIRO の開発者日記です。」という『三田ブログ』の2007年2月1日の記事は「Wikipedia検索より、どんな言葉がWikipediaで検索されているのか?」というタイトルで、「Wikipedia検索より、どんな言葉がWikipediaで検索されているのか?Wikipedia&blog検索をリリースして、1週間分のログを解析しました。」と書かれています。本文(?) は言葉の羅列で、解析はまだ先のような気もしなくもないですが、このかたがwikipedia & BLOG に記されている Powered by JiroSearch のかたなのね。なるほど。

    needle-beadx200.png

    ウィキペディア(Wikipedia)検索の使い方 by JiroSearch

    「wikipeida+ブログ」検索のメディアリリース文 by JiroSearch

    ------------------------------------

    「ドナ・ドナ」については「December 18 ドナドナのなぞってどんなだなってドナドナどないしてんとあまりかわらんやん What Is the Donna Donna Mystery?」を書きました。


    nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
    共通テーマ:日記・雑感
    メッセージを送る

    この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

    ×

    この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。