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December 26 朝と夜のあいだに、パート2――2008年12月26日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

December 26, 2008 (Friday)

   このあいだの「朝と夜のあいだに」の意味が、自分でもわからないのにどれだけ理解されているかはなはだ疑問ではありますが、もしかしてパート2。

  ☆と☐のあいだに、といえば、「夜と朝のあいだに」です(今回本家)。冬と夏のあいだに、夏の冬のあいだに、という季節のサイクルもまた時間のサイクルです。その回転の軸が、宇宙軸、世界軸として象徴化され、たとえばメイポールのようなかたちであらわれる、というのは自分でもわかります。

  男と女のあいだには、というフレーズが頭に浮かばなかったわけではないのですが(「黒の舟歌」)、野坂昭如の歌は見つかりませんでした(おかげで氏のWEBでの文章を読みしみじみする羽目になってしまいました)。誰も渡れぬ川なのに舟を出す、というナンセンスは、男と女が互いに舟を出すことで崩れるというなぞなぞなのでしょうか。ちがうでしょうね。

  男と女のあいだには男男と女女がいる、というのがギリシアの考えなのでしょうか(プラトンの『饗宴』におけるアリストパネスの説)。ついでながら『饗宴』においてソクラテスは、というか、ディオテマがソクラテスに語ったこととして、「エロスとは偉大な心霊(ダイモン)」であり、「心霊的なものは神と死すべきもの〔人間〕の中間にある」というわけですけれど、この霊的な存在こそが「ソクラテスのダイモン」そのものなのか、ちょっと気になっています(以上問題メモ)。

  朝が過ぎて昼すぎの空。いつも湾のむこうがわのゴールデンゲートブリッジをつい中心に見ているのですが、ちょっと左に目を移すと、高い塔のようなものが見えました。あ、もしかしてこれがSutro Tower かも。Sutro Baths とは場所が違うけれど、スートロさんにちなむテレビ塔(「November 6, 25 スートロのメイポール――ルネサンス・フェアをめぐって(下の2) Maypole Dance at the Sutro Baths (1897): Renaissance Fair (7)」参照)。――

December26AlbanyCA1333pm.jpg
2008年12月26日午後1時33分 サンフランシスコベイ

  高層ビル群はエンバーカデロ駅からシヴィック・センターあたりまでの商業ビルですが、その右にこういうかたちのものが見えます。か?――

sutronew.jpg
image via "Sutro Tower Photos" in Bill & Larry's Broadcasting Page

  そして、買物から帰って夕方になってから。ちょうど日が沈むところでした(16時50分)――

December26,2008AlbanyCA1650pm.jpg
ひこうき雲

   日が沈み、暗くなっていく(17時12分)――

1712pm.jpg
2008年12月26日午後5時12分

  だけど、この日はこれから夕焼けがきれいでした。水面も赤くなって。――


December26,2008AlbanyCA1720pm.jpg
2008年12月26日午後5時20分

SutroTower&GoldenGate.jpg
2008年12月26日午後5時23分

December26,2008AlbanyCA1730pm.jpg
2008年12月26日午後5時30分

   昼と夜の間の臨界。カメラ撮影の限界(でしかないのですけれど)。

needle-beadx200.png

「robotpie による Sutro Tower - Google 3D ギャラリー」 <http://sketchup.google.co.jp/3dwarehouse/details?mid=1b30d54fbc9a52d3a83bb264962509c0> 〔〕

Broadcasting: Today and Yesterday <http://www.choisser.com/broadcst.html> 〔=Bill & Larry's Broadcasting Page


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December 26 バスと買い出し(ラッキーとロングズとバスの巻) [店・買い物 shopping stores]

December 26, 2008 (Friday)

   デパートのMacy's とかは数日前から盛んに宣伝していたように早朝からセールをやっていて、テレビニュースでは "Black Friday?" という見出しで、(たぶん)サンクスギビングデーの翌日の大売り出しの反復を報道していたこの日。

"Another Black Friday Brings Smaller Crowds:; Some Shoppers Hit the Stores Early for Discourts, but Fewer Than Expected" <http://www.istockanalyst.com/article/viewiStockNews/articleid/2909549> 〔iStockAnalyst, Friday, December 26, 2008 8:57 PM; (Source: Charleston Daily Mail)trackingBy CARA BAILEY, RY RIVARD and ASHLEY B. CRAIG: "Local retailers dramatically slashed prices today in hopes of luring out shoppers to buy up even more Christmas bounty.  At first blush, though, it appeared that despite all the marketing effort focused on salvaging a difficult sales season, shoppers were trickling into stores rather than flooding them.云々" 〕

   モーリちゃんの父はそんなセールとは無縁に、まず歩いてエルセリートプラザに行き、Lucky でポンド0.99ドルのback fat の豚肉をひさしぶりに2.19lb、2.17ドル買い(これは日本語にすると「背脂」で、ラーメンかよ、ということになるのですが、だいぶ赤身が付いて売っている場合が多く、脂がない高い肉よりも、ずっとうまいと思っています)、さらにポンド1.99ドルのPORK SHOULDER BOSTON BUTT (肩の部位のどこじゃろ?)を3.56lb、7.08ドル買い、さらに鶏のムネ肉がめずらしく安かった(ポンド1.19ドル)ので2.02lb、2.40ドル買い、Farmer John のベーコン2ポンドの徳用箱を6.49ドルで買い(これは11月に50セント値上がりした)、あと牛乳1ガロンをふたつで4.99ドル(ひとつだと3.69)で買い(これはずっと「州が許す最低価格」とかなんたら書いた紙が奥の方に貼ってあってふたつで5ドル49セント(ひとつだと3.89)で売っていたと思うのだが、なぜか12月になって値下げした)、そのあとLongs Drugs でバドワイザーの18缶入りの箱を買って一度帰宅した(13時半ごろ)。

  それからちょっと遅い昼食を食べてから、今度は52Lのバスに乗って東京フィッシュマーケットに行くことにした。そこで事件は起こった(どこでじゃ)。

   52Lというのはエルセリートプラザ駅とUCバークレーのキャンパスをつないでいる路線だが、大学のまわりをぐるぐる回るのはしょうがないとして、サンパブロ通りからユニヴァーシティー通りへストレートに向かわず、西の海沿いのPierce Street からBuchanan Street に出てOcean View 小学校の横を折れてJackson Street に入り、それから今度はまたサンパブロとは逆方向にUniversity Village に入り、そこをぐるぐるとまわってからMonroe Street を通ってやっとSan Pablo Avenue に出る。そういう、いかにも大学村の住人たちを尊重した路線です(もっともこれがピアスを通っていてうちのすぐそばに停留所があるおかげでモーリちゃんの父は助かっているのですが)。

  AC Transit Line 52L: Maps and Schedules<http://www.actransit.org/maps/schedule_results.php?version_id=8&quick_line=52l&maps_line=52l&current_schedule=ALL&PHPSESSID=2f0230397bb6f0914251e60e3fa828d8>

  大きな路線図 <http://www.actransit.org/maps/maps_results.php?ms_view_type=2&maps_line=52l&version_id=8&map_submit=Get+Map>

  上のバス会社による路線図は、どうも単純化があるし、Ohlone Street の記述がまちがっていると思うのだが、ユニヴァーシティー・ヴィレッジという、アルバニ市に敷地の大半がある住宅地域は空から見るとこんな感じです。―― 


大きな地図で見る

  ブキャナンとジャクソンの角の西南がモーリちゃんが通うオーシャン・ヴュー小学校です。

  さて、それで、この日はピアス・ストリートでモーリちゃんの父が乗ると入れ替わりに、乗っていた女の人が降りて、モーリちゃんの父ひとりが2台連結の長いバスの乗客でした。で、村に入ってぐるぐると気持ちが悪くなって、読んでいたコピーから目をあげると同時くらいに、バスが止まり、黒人の女の運転手がこっちをむいて何か話しかけてきます。よく聞こえなかったので、前まで行くと、左折するところをまちがってまっすぐ進んでしまったので、うしろに車がいないか見てくれないか、というのでした。それで一番後ろまで行って、「オーライ、オーライ」と誘導したのですが(あんたはアルバニのバスガールかw)、2台つながっているせいかどうしても曲がってしまう。4回くらいトライしたのですが「オ~ノ~~」のくりかえしなのでした。それからセルフォンをもっているか、と訊かれ、めずらしくモーリちゃんの父は携帯をもたないひとなので、すまん、ないっす、と答え、そうしたら外で様子を見ていたアジア系の若い人が貸してくれて、どうやら村の事務所かなんかに電話をかけたみたい。

  やがて別の52Lのバスが後ろからやって来ました。30メートルくらい後方の、右折する手前で(実際、右曲がったり左曲がったり、単純じゃない動きなのです)バスを停めて、黒人の男の運転手が歩いてやってきました。この人は見覚えがあります。確かL というサンフランシスコまで行く高速バスを使ったときに運転していた人で、マイケル・ジョーダンと同じブルズにいてちょっとジョーダンを小さくしたようなマイケル・ジョーダンに似ている人にちょっと似ている人で、笑顔はジョーダンに似ているw。で、こちらの運転手が誤って曲がり損ねたということを言い、はじめは外の彼が誘導してバックしようとしたのですが、やっぱりだめで、どうやらそのまま左に切ってみろというようなことになったようで、そうしたら車内のランプが点滅したりしちゃって、ダメになっちゃったみたい(くわしいことはわからない)。

  2台の、というか2+1台のバスは30メートルの距離を置いて停まったままで、結局、女の運転手もモーリちゃんの父もバスを降り、後ろのバスの方へ行き、それから、村の住人がやってきて、ワンウェイがどうとかこうとか言って説明をしていました。しかし後ろの車が別の道を通って先に行くという気配もなく、どうなるか興味はあったのですが、モーリちゃんの父は、村人に、サンパブロはどっちの方角ですか、と聞いて、教えられた方向へ歩き出しました。小学校から東京フィッシュマーケットまで(村を通らない道で)歩いて15分もかからないことは知ってましたから。

  おかげで、これまで歩いたことのない道を歩くことができ、村の中を適当に抜けて、たぶんRed Oak Avenue を通って 8th Street を歩き、Harrison Streetに出たところで左折して、無事にSan Pablo Avenue に出ました。そこから東京フィッシュまではすぐでした。

  ところで、8th Street を歩いているときに、クリークを横切りました。上の地図だと、右下に緑色のヘビがのたくったようになっているところがありますが、この緑のラインはCordonices Creek に沿って植わっている木々です。そしてEl Cerrito Creek 同様に、自然環境保護の看板が立っていました。サンパブロ・アヴェニューと直角に交わって、東の山の方までクリークは伸びている(というか、そっちのほうから西の海へと流れている)のですが、ちょうどサンパブロの道のあたりから暗渠になって、しばらく見えなくなるようです。エルセリート・クリークはこれと平行に流れ、エルセリート市(とリッチモンド市)とアルバニ市の境をなしています。

  ということで、この日確認したのは、コードニシーズ・クリーク〔この発音はモーリちゃんの母のアダルトスクールの先生――アルバニに40年住んでいるという――に確認しました〕がアルバニとバークレーの市の境となっているので、(a) やっぱりUniversity Village はほとんどアルバニ側にあること、(b) 東京フィッシュマーケットは郵便番号はアルバニと同じだけれど、やっぱりバークレー側にあること、で、疑問として起こったのは、なんでジョーダンに似た運転手は運転を代わって助けてくれなかったのか、あるいは運転手のプライドみたいなのがあって助けられないのかしら、とか、他の車は運転してはならないという規則があるのかしら、とかいうことです。

 

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December 27-28 擬似科学をめぐって(1) イントロふうに  On Pseudosciences (1) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

December 27, 2008 (Saturday)
December 28, 2008 (Sunday)

   ると、この2ヶ月くらい、ある事情(作詞 安井かずみ)があって擬似科学についてあれこれと考えていて、せっかくブログがあるのだから、書いてみようかという気がこの数日高まってきました。インターネット小学生も見るのだから小学生にもわかるような言葉づかいで書かねばダメだとかいうバカな理屈はハナからハナで笑ってうっちゃってきたとはいえ、人に読んでもらうからには誰にもわかるような言葉づかいで書かねばダメだという理屈は、ちょっとときどきプラスにもマイナスにもひっかかりますけれど、誰にもわかることだったら敢えて自分が書くことはないし、自分にもわからないことを書けるからブログの意味があるような気もするし、どうせ自分がいちばんの読者なのだから、「ウソは書かない」ということだけを新庄に、いや真丈に(Ebichan かよ)、いや信条に、いや身上に、思考のincubine いやincubus いやincubator としてのブログという側面をちょっと展開してみるのもいいかなーと。(以上で前説おわり)

  ウィキペディアの日本語の「疑似科学」英語の "Pseudoscience" も、歴史的な説明はいちおうあるけれども、関心は主として同時代的な感じがします。いわゆるソーカル事件やらナンタラ水の商売問題とか、WEB上でもなじみの(?)出来事が学界や社会で起こっている現代ですから、まあわかりますけれど、自分の関心はカール・ポッパーが擬似科学を定義して云々という20世紀の科学哲学的状況の前の、19世紀前半の1830年代40年代に爆発的にアメリカで流行った、メスメリズム(催眠術)や動物磁気説や骨相学や観相術やホメオパシー(同種療法)など、のちに擬似科学とされることとなったもろもろの運動・理論・思想・技術にあります。個人的専門でいうと、アメリカの作家のホーソンやポーやメルヴィルたちが影響を受けた擬似科学。

  たとえば、とたとえを出すと本題に入ってしまってハナシが重たくなりそうなので、画像でいきますが、マーガレット・フラー 〔この日本語ウィキペディアの断片的な記述なら、こっち(「[PDF] <実際の例> フラーのフェミニスト言説をめぐって」)の福岡撫子(誰でしょう)さんの断片のほうがまだまとも〕という、フェミニズムのハシリのような人がいて、文学サークルにも交わっていたのですが、彼女の有名な記念碑的著作『19世紀の女性』(1845年)の扉にはつぎのような挿絵が入ってました。――

Frontispiece_MargaretFuller_WomenintheNineteenthCentury (1845).jpgこれだけクリックでかなり拡大
Frontispiece to Women in the Nineteenth Century (1845)

  これは、このブログでも何度か言及した自らの尾を食う宇宙ヘビ、ウロボロスですね。で、これのどこが擬似科学なんだ、と言われれば、別に擬似科学ではないんです。が、メスメリズムに関心をもっていたことで知られるフラーは、前々年の1843年にボストンで出版されたThe History and Philosophy of Animal Magnetism by "A Practical Magnetizer" という本を目にしていた可能性があります。この『動物磁気説の歴史と哲学』という作者不詳の本の最後にはつぎの図版が載っていました。――

ClosingImage_TheHistoryandPhilosophyofAnimalMagnetism(1843).jpg
The History and Philosophy of Animal Magnetism (Boston, 1843)

   ヘビの向きが逆ですが、ウロボロスのなかに太陽のようでもあり目のようでもある TRUTH が(フラーのように六芒星みたいなふたつではなくてひとつの三角形のなかに入って描かれています。そしておそらくメスメリズムの術を支えるものとしてFAITH, POWER, WILL の三つの相が三角形を成している。その中心からのrays は、フラーの絵では宇宙ヘビの外側まで伸びているようです。

  もうひとつ、1844年7月13日にフラーがエマソンに送った手紙に載っていたらしい "Serpent, triangle, and rays" の絵のもとになった、フラーの日記に登場する自筆のスケッチ――

DoubleTriangle,SerpentandRays_MargaretFuller (1844journal).jpg

"Double Triangle, Serpent and Rays" (July 1844 Journal)

   これは、ウロボロスの向きが1843年の本と同じです(細かいw)。ray は外でだけ発光(?)しているようです。

  さて、フラーはデザインをパクッたんじゃないの、というのが主眼ではなく、神秘学的な伝統的なイメジが、同じ時代の著作に変奏的にあらわれ、その理由がどうやら思想的に通底しあうものをもっていた(あるいは通じると考える人たちがいた)からだ、というところに興味があります。

  ソーカル事件については、山形浩生のWebサイトをあれこれ読んでいたときに、おくればせに勉強しました。事件ののちの1997年にアラン・ソーカルはジャン・ブリクモンと共著で『知の欺瞞〔知的詐欺〕』を出版して、ジャック・ラカンジュリア・クリステヴァジャン・ボードリヤールジル・ドゥルーズフェリックス・ガタリ といったフランスを中心としたポストモダン思想家における自然科学用語のランヨウを指摘し、それはそれでもっともなところもなきにしもあらずだと思われます。

  しかし、ラカンやクリステヴァらの象徴界やら想像界やらなんたら界という用語には昔から頭が痛いと思っていたモーリちゃんの父でしたが、その後、そもそも精神分析自体がカール・ポッパー以来擬似科学に入れられているという話を知りました。やれやれ。ということでハナシが混乱しないうちに、このへんでイントロはしめておきます。次回、精神分析と心理学の話から入ります。たぶん。

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ウィキペディアの日本語の「疑似科学」英語の "Pseudoscience" 

山形浩生 「『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、浅田式にはめぐらないのだ)」[Asada's Mistake with Klein Bottles] <http://cruel.org/other/asada.html> 〔2000年10月-2002年4月〕

黒木玄「浅田彰のクラインの壺について」 <http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/asada-klein.html> 〔2001年8月。氏のホームページを久しぶりに見たら、今年9月に7年ぶりに更新していました。しかしちょっとリンク切れが多いような・・・・・・〕

黒木玄「『「知」の欺瞞』関連情報」 <http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/> 〔同じく同じ感じ〕

アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン著 田崎晴明ほか訳 『「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』 岩波書店、2000年― ビーケーワン  アマゾン


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December 28-29 擬似科学をめぐって(2) 魂の学としての心理学 On Pseudosciences (2) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

December 28, 2008 (Sunday)
December 29, 2008 (Monday)

  別に精神分析や心理学の非科学性とかを問題にしようとしておったわけでもおるわけでもないのですが、つらつら考えてみると、psyche (魂)の学としての psychology の来し方(行く末)は近代的な知(science とは本来的に「知」だったわけだけど)のありようを考える鍵であるような気もしてきたので、一見(まだほとんど始まってもいない)本筋から離れるように思えるかもしれないけれど、思うところを勝手に記してみます。

   カール・ポッパーが精神分析を擬似科学としたのは、「反証可能性」(たぶん英語だと "falsifiability" (=refutability))のなさによるということです。「精神分析学は反証可能性を持っておらず、たとえ精神分析学が間違っていようとも、うまく言い逃れができてしまう構造を精神分析学は内包しているからである」(「疑似科学-Wikipedia」)。

  まあ、ことは科学の定義によるわけで、どうでもいい(当事者にとってたぶんよくはないが)のですけれど、ひとつには、こういう考えに抗して科学であることにこだわる勢いがいまの心理学に強いことと、もうひとつには、この種の定義がいかにもアトヅケで、いかにも近代以降の(つまり神とは無縁の)自然科学的世界観によるものだということがわかってきます。

  それで、興味深いのは、あくまでウィキペディアという限定Web的な空間で観察されることでしかないけれど、心理学のたぶん本筋にいる人(あるいはそれに共感する人)の記述として、つぎのような文章があることです。注の18番――

ただし現代のアカデミックな心理学まで疑似科学だと誤解しないように注意する必要がある。現代のアカデミックな心理学はおおむね科学的方法を守っている。(フロイトなどの)精神分析学は、心理学の本流ではなく、あくまで傍流である。それについては心理学の項の「誤解」の節も読むこと。

  ここでまた、科学の定義によるわけで、よくわからんのだけれど、しかし、ふつうに読めば、現代のアカデミックな心理学は「科学」であり、精神分析学は科学ではない(=「疑似科学」である)かもしらんが心理学の傍流にすぎない、と読めます。

  この「科学」へのコダワリはなんなのでしょう。別に文学だって哲学だって倫理学だって科学じゃないんだし、心理学だって科学じゃなくていいじゃん(爆)。

  ウィキペディア「心理学」の「歴史」の見出しの最初には、つぎのように書かれています。――

 「心理学」としての歴史

心理学が1つの独立した科学分野として創成されたのは、19世紀後半(一般的には1879年とされる)にヴィルヘルム・ヴントがライプチヒ大学にて心理学専門の研究室を構えた時であると説明されることが多い。しかし、それまでにもヤング=ヘルムホルツの三色説など、今日の心理学の一部となる研究は既に行われていた。心理学独立以前の研究はマッハの主観的明るさの研究など物理学者の哲学的考察によるものが多い。心理学は直接的には哲学から派生したと見なすことができる。

  この記述のなかの「独立した科学分野として創成」という限定――つまり、単に「創成」ではなく「独立した」「科学」分野としての「創成」――が、心理学ということば(それも日本語の「心理学」)とどのようにレトリカルに係っているのか不明だけれど、少なくともpsychology ということばは、古くからあるのが事実です。ナルニアで有名な C. S. Lewis (ルイスは英文というか国語国文学の先生だったから、コトバの歴史について本があったりする)が『語の研究』でたしか述べていたように、単に「心理」の意味で使われることもあった(だれそれの「心のありよう」=psychology、みたいに)。けれども「学=science」としての psychology も古くからあったのも確かです。

    日本で放送大学の心理学の歴史の講座とかなんか断片的に見た記憶はあるのですが、遠いミソラで日本語百科事典も参照できない、限定Web的な存在であることを率直に認めたうえで、だからこそ、ウィキペディアというポピュラーな「知」のなかで云々するという怠慢を許していただきたいのですが(めずらしく殊勝です)、英語のWikipedia の "Psychology" も日本語のほうも、歴史的記述としては大差ないです。モーリちゃんの父の勝手な認識だと、イギリスのジョン・ロックの経験論的認識論が心理学へ直結するのだけれど、ウィキペディアはなにもバックアップしてくれないので、わからんですが、大風呂敷を広げておくなら、17世紀にプラトン的リアリズム(イデアが真実在であり、目に見えるこの世的世界は仮象にすぎない)から現代的なリアリズム(つまり現実のモノの世界こそがリアルである)へと大転換が起こる、そのときに、idea が人間の心(頭)の内なる「観念」に人間化されてしまう、という事態があったのだと考えています。ロックの認識論は心理学的と言えるかどうかはともかく、記憶のメカニズムについて語るものでした。

  『オックスフォード英語大辞典』の "psychology" の定義の1番は「人間精神(human mind)の(かつてはまた魂の(formerly also of the soul))性質、機能、現象についてのscience」となっていて、17世紀からの用例が挙がっています。そして、めずらしく語源欄(これ自体はギリシア語のプシュケーとロゴスの合成、というごくありきたりの記述なのですが)には、数十行に及ぶ "Notes" が付いていて、ちょっとウィキペディアとかには書いていないようなことが書かれている。ように思えます。――

 [Note. Neither this word nor any of the group existed in Greek. Psychology began, in the modern Latin form psychologia, in Germany in the 16th c. It is said by Volkmann von Volkmar, Lehrbuch der Psychologie, 1875, I. 38, to have been used by Melanchthon as title of a prelection, and it was employed by J. T. Freigius in 1575; but was introduced into literature, 1590–97, by Goclenius of Marburg and his pupil Casmann (Psychologia anthropologica. sive animæ humanæ doctrina). It was thenceforth usual to consider Psychologia and Somatotomia or Somatologia as the two parts of Anthropologia, and in this sense the word is found frequently in the medical writers of the 17th c., as in Blancard's Lexicon Medicum, 1679, and in French in Dionis, Anatomie de l'Homme, 1690. Our first Eng. quot. of 1693 is from a transl. of Blancard. In French, according to Hatzfeld-Darmesteter, it had been used in the 16th c. by Taillepied in the sense of ‘the science of the apparition of spirits’. In a philosophical sense, it was used by some (Latin) writers, as by Thomas Govan (Ars Sciendi sive Logica, 1682), by whom Physica or Natural Science was divided into the domains of Pneumatologia the science of spirits or spiritual beings, and Somatologia or Physiologia the science of material bodies; Pneumatologia contained the three subdivisions, Theologia the doctrine of God, Angelographia (incl. Demonologia) the doctrine of angels (and devils), and Psychologia the doctrine of human souls. The modern sense begins with Chr. von Wolff (Psychologia Empirica 1732, Psychologia Rationalis 1734); followed by Hartley in England 1748, and Bonnet in France 1755. The term was also employed by Kant, but was not much used in the modern languages before the 19th c.]

  すいませんが、ここで一度切ります。

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参考urls

・科学――
「科学-Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6> 〔三つの意味の幅に分けています――「(広義)体系化された知識経験の総称であり、自然科学人文科学社会科学の総称。 /(狭義)科学的方法に基づく学術的な知識学問。 /(最狭義)自然科学。 」 いわゆる科学は最狭義というのが自分の感覚ですが、心理学みたいなのを科学とするのは狭義の科学ということになる。そのとき(科学的)方法こそが問題になるのでしょうか〕

・心理学関係のウィキペディアの記事とか――
「心理学」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6> 〔とりわけ「誤解」の項のひとつめ――「フロイト精神分析ユングの理論などは、心理学アカデミズムの外側で生まれ育ったものであり、また半世紀にわたって科学的心理学の立場から多くの批判がなされてきた。それにも関わらず、「フロイトが心理学の祖である」、「精神分析こそが心理学の基礎であり、本流である」というような、時代錯誤的な誤解が存在する」〕
「精神分析学」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90> 〔とりわけ「科学としての出発点」の項――「フロイトは自然科学者であったから、彼の目指すものはあくまでも「科学」としての精神療法であった。彼の理論の背景には、ヘルムホルツ(1819-1892)に代表される機械論的な生理学唯物論的な科学観があった。脳神経と心の動きがすべて解明されれば、人間の無意識の存在はおろか、その働きについてもすべて実証的に説明できるようになると信じていた。それゆえに、彼は終生、宗教もしくは宗教的なものに対して峻厳な拒否を示しつづけ、その結果ユングをはじめ多くの弟子たちと袂を分かつことにもなる。こうした原点を無視して、「精神分析は科学ではない」と早計に断じることはできない。」〕
堀江宗正 「宗教思想史のなかの心理学――一神教心理学と多神教心理学」 <http://homepage1.nifty.com/norick/psy-in-reli.html> 〔タイトルはなにやらよくわかりませんが、示唆的。ただしtrichotomy ではなくて心身一元論/心身二元論のdichotomy 二分法的思考に立っているので混乱か・・・・・・もうちょっと熟読しないとなんとも言えません〕

・むかしの中世ヨーロッパの学問やそこに由来する学問体系についてわかりやすく語っているものなど――
「エコロジーとエコノミクス」 <http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2004/07/post_35.html> 〔it1127の日記 2004.07.30〕
久保田慶一 「日本教育大学協会全国音楽部門大学部会 No. 9 リベ・アーツとしての音楽」 <http://music.geocities.jp/kyoudaikyo_m/liberararts.html> 〔なぜ「ラル」がないのかしら〕
「音楽学 - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%AD%A6> 〔なるほど、そうなるとやっぱり「文学学」という言葉もあっていいかもね〕
「リベラル・アーツ - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%83%E7%A7%91> 〔「自由七科」について〕
(倫理学) 山内 志朗 教授 慶應義塾大学文学部|早稲田塾公式サイト」 <http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2008/06/post_296.html> 〔あんまり関係ないけどメモ的にw 読み書けて日本に置いてきた『天使の記号学』の著者〕

・天文学 (astronomy) と占星術 (astronomy)など――
「天文学史 - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2> 〔年表は紀元前2000年より。「天文学の起源」の記述あり。「古代ヨーロッパでは占星術(astrology)と天文学(astronomy)の呼び分けはなく」との記述あり。〕
「占星術- Wikipedia」 <> 〔これの「占星術と科学」の項は興味深いので一部を引いておきます。〕

占星術と科学

占星術は、プトレマイオス以来の地球中心説(天動説)の宇宙観を引きずっており、地動説に基づく現代科学とはまったく別の体系の技術であると考える必要がある。

天文学との関連

占星術が、数ある占いの中で最も古い起源を持ちながら今なお最も広範囲に親しまれている一因として、古代以来絶えず「天の意」を知ることを求め続けた人類にとって社会的・文化的に重要な理論体系として――一貫性や普遍性は欠くにせよ――発展し続け、また現代の主要な世界観としての自然科学の母胎のひとつとなったことが挙げられる。(普遍性を前提とする学問は、哲学的な意味での「批判」の対象とはならず、「科学知の客観性」を前提とした数百年続く「因果律による科学的思考の盲目的な礼賛」である可能性がある)。

ケプラーの法則天文学史上に名を残すヨハネス・ケプラーが天文学者・数学者であると同時に占星術師でもあったことや、ドイツ観念論を代表する哲学ヘーゲルが大学教師の職に就くための就職論文が『惑星の軌道に関する哲学的論考』であり、その中で惑星の運動を本質的に解明したのは物理学的に解析したニュートンよりもむしろケプラーであると評していることからも分かるように、自然科学としての天文学は天体(主に惑星)の不思議な動きに意味を見出だそうとした占星術から派生したものである。

そしてケプラーが「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」[1]と書いたように、権力者が占星術には金を出すが、天文学には支援しないという状況があったことも、この両者がある時期まで一体的に発展してきた一つの社会的要因と考えられる[2]

占星術と自然科学

近世以降においては占星術は自然科学の体系から完全に離れてしまっており、現代の科学的地平からは、占星術による未来予測について自然科学的な根拠は提示されていない人間性格運勢国家の運命などを、天体の動きと結びつけることは、天文学物理学的には行われていない。現代の多くの占星術専門家も、現代自然科学の枠組で占星術を理解することはきわめて困難であると考えている。(ソルボンヌ大学の心理学者ミッシェル・ゴークランは火星と職業の相関関係を調査し、ドイツのナチス副総統ルドルフ・ヘスの顧問占星術師カール・エルンスト・クラフトは占星術を統計学的に調査した。また同じくソルボンヌ大学のディーン・ルディアはユング占星術、すなわち「占星術の心理学的アプローチ」に対し、「心理学の占星術的アプローチ」を行い、後の西洋占星術における「ザビアン占星術」に貢献した。)

占星術と心理学

近代において占星術に積極的に取り組んだ研究者は、むしろカール・ユングに代表される心理学者などである。ユングは因果律ではないシンクロニシティ、あるいは「意味のある偶然の一致」という考え方を示そうとして、占星術を援用した。この事情もあり、イギリスを中心とする現代の占星術師や占星術研究家と称する人々の中には、心理学を援用しようと試みている人も少なくない。

 



 


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December 29-30 擬似科学をめぐって(3) 魂の学としての心理学 (つづき) On Pseudosciences (3) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

December 29, 2008 (Monday)
December 30, 2008 (Tuesday)

   承前

  "psychology" に付された『オックスフォード英語辞典』の「注」が語っているのは、以下のようなことです。――(「プシュケーの学」というギリシア語に由来するけれど、ギリシア語そのものにpsychology をあらわす語は存在したわけではなくて)psychology ということばの始まりは、近代ラテン語psychologia のかたちで、16世紀のドイツにおいてである。人文主義者のメランヒトン Melanchthon (, Philipp 1497-1560) が講義のタイトルに使った、あるいは Freigius (, Johann Thomas, 1543-1583) も1575年に口頭で使ったようだが、文献としては1590年代に、マールブルグの Goclenius と弟子のCasmann が Psychologia anthropologica. sive animæ humanæ doctrina で使用した。その後、Anthropologia の二つの部分としてPsychologiaSomatotomia (ないしSomatogia) を考えることが一般化した。そしてこの意味で、psychologia の語は、17世紀の医学者の書くものに頻繁にあらわれる――たとえば Blancard の1679年の Lexicon Medicum 『医学事典』とか、フランス語で、Dionis の1690年のAnatomie de H'Lomme 『人間の解剖』とか。この辞書に挙げた英語の文献の最初のものはBlancard の英訳で1693年。Hatzfeld-Darmesteter によれば、フランス語ではこの語を16世紀にTaillepied は "the science of the apparition of spirits" 〔霊の出現の科学〕 の意味で使用したという。哲学的な意味では、ラテン語著述家の一部がこの語を使用した。たとえばThomas Govan (Ars Sciendi sive Logica (1682))は、Physica つまり自然科学を二領域に分け、霊あるいは霊的存在の科学であるPneumatologia と物体の科学であるPhysiologia とした。Pneumatologia は三つの下位区分があり、神の教義であるTheologia 〔神学〕、天使(と悪魔)の教義である Angelographia 〔天使学〕(Demonologia 〔悪魔学〕を含む)、そして人間の魂の教義であるPsychologia であるとした。現代的な意味の始まりは、Christian von Wolff, 1679-1754 の Psychologia Empirica (1732)、Psychologia Rationalis (1734) である。この語はカントも使用したが、19世紀になるまでは近代諸語ではそれほど使用されなかった。

  前段の医学関係では、というので出てくるsomatotomia とかsomatologia の "soma" はギリシア語の「体 body」です。だから、人間 anthropos を体と魂に二分して、後者のほうを医学的に扱うのがpsychologia という意味です。

  よくわからないのはHatzfeld-Darmesteter (誰でしょう、調べていません [30日朝追記 調べました。Adolphe Hatzfeld, 1824-1900 アドルフ・ハッツフェルド と Arsène Darmesteter, 1846-88 アルセーヌ・ダルメステテールというふたりのフランス人学者による2巻本の辞典Dictionnaire général de la langue française (1895-1900)])がいうにはなんたらいうフランス人は霊的出現の学、ということは幽霊学ですかね、の意味で使ったと。

    さらに17世紀のThomas Govan さんは Pneumatologia 〔霊学〕――pneuma はやっぱりギリシア語で「霊」――を Physiologia (この語の英語のphysiologyは文字どおりには natural science をあらわす言葉だったはずですけれど、その後の歴史では「生理学」ですね。ちなみにphysiognomy というと擬似科学のひとつとなる「観相学」です) と二分して、前者のpneumatology の下位区分にpsychology を入れる。

  こういうことからあらためて強く意識させられるのは、ヨーロッパの思想において、いかにbody と soul の二分法が力をもち、逆にいうと soul と spirit の区分がいかに曖昧であったか、ということです。

  つまり、人間存在を構成するものは何か。あるいは人間とは何か。

  ここで歴史的な見取り図をおおざっぱに透視(といってもclairvoyance ではなくて単なる perspectiveですw)しておくと、中世において霊と魂を区分するトリコトミーが異端視される→17世紀にデカルト的二元論が主張される→実証主義的科学主義が力をもつ→唯物論的思考が力をもつ→人間は物質的に解析される→20世紀後半心身論がさかんに議論される→心は脳に還元される→唯脳論(爆)

  もっと簡単に書くと、psychology に即していえば、霊・霊魂・魂→精神 psyche [soul]→心・心理 [heart]→知・認知・知能[mind=head]

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  なんか本来考えていたことからどんどんそれそうなので戻ります。

  いずれちょっとくわしく述べますけれど、19世紀前半から中葉の擬似科学の中心にあったのはメスメリズムと言っていいと思います。mesmerism は hypnotism (hypnos はギリシア語で眠りsleep の意味)の同義語という側面もあり、つまり催眠術ですが、名前のもととなったメスマーさん自体は「動物磁気説」を唱えました。星辰界と地球・人体との影響関係を説く動物磁気説自体はアカデミズムから退けられますが、磁気を利用したメスメリズムの技術は医学界では19世紀末まで利用され、催眠術は第一にオカルティストの間で尊重され、第二に「奇術師」の間でも尊重される、と同時に初期の精神分析学でも重要な役割を演じることになります。

    前回にあげた「精神分析学」のほうのウィキペディアの記事でフロイトのふるまいについて触れている箇所を引いておきましたけれど、フロイトは個人的には超自然現象とか霊媒とか超能力とかに関心があったにもかかわらず、学問的にはそういう「超常的」なもの、心理学を超える超越的なもの、を抑えて(あるいは心理に還元する形で――たとえば悪魔はイドに、天使は超自我に――)無意識理論を展開したのだと考えられます。ウィリアム・ジェームズみたいな人は、ある種の能天気さで超常現象とかをまともに論じますから歴史的にはダメなんだろうなあ。

  一つの問題は、神あるいは神学と世俗の学問領域との関係が積極的に断ち切られて以降の学者のふるまい(宗教問題は棚上げ、というよりむしろタブー視される)の微妙さにあるかもしれません。宗教学者は必ずしも宗教を信仰しない、というのは文学研究者は必ずしも文学作品を書かないというのよりは意識されない事実かもしれませんが、belief はむしろ学問なり科学的探究の邪魔になるという了解はあったりするのかもしれない。これは素朴に考えると、たぶんゆがんでいておかしいのだけれど(あくまで素朴に考えてです。たとえばAを批判するためにだけAという対象に没頭するというのはなんなんだろう。まあ、いいけど。愛があったほうが生き方としてはよいと思われ)。

  また話がそれました。それで、あくまでウィキペディア内での比較ですけれど、心理学史は、天文学史が積極的に歴史を遡ると同時に占星術についても記録するのと対照的に、19世紀末に起こった、として、前史(?) をあたかも抑圧しているかに見えるのでした。

  けれども、その「学」的内実がいかなるものであったにせよ、それ以前からあったし、19世紀前半の擬似科学内においても、通用する言葉としてありました。たとえば、1842年ニューヨークで創刊された雑誌 Magnet の創刊号表紙――

MagnetVol.jpg

  これは動物磁気説とメスメリズムの雑誌なわけですけれど、左右の枠に左下から順に "PHYSIOLOGY, PHRENOLOGY, PHYSIOGNOMY, PATHOGNOMY, PSYCHOLOGY, MAGNETISM." と記されています。同様に "psychology" が入った表紙は、Fowler の骨相学雑誌でもそうだった記憶があります。

  ここで、この頃のpsychology はいまのpsychology 、まして日本語の「心理学」とは別物で関係ありません、という態度をとることはできます、もちろん、とりたければ。

  けれども、いったい何を棄てて、現代の「科学」(それも「擬似科学」を峻別するたぐいの科学)は成立しているのかを考える材料となるのは明らかでしょう。そして、それは、もはや前近代とはいえない19世紀前半において人々が「擬似科学」に何を求めていたのか、その求めていたものは現代人と無縁の迷信的産物でしかないのかどうかを考える材料にもなるでしょう。もっとも現代とまったく同じしょうもない擬似科学問題でした、というオチもありえますがw。

 

dddd61.gif

  書いた後で次の短いけどむつかしげな哲学論文を見つけました。R. G. コリングウッドがpsychology について論じている文章をDavid Pierce という人がOED を引証して論じています。いずれトリコトミーがらみで言及できたら言及します。――
David Pierce, "Notes on Collingwood's Principles of Art" <http://www.math.metu.edu.tr/~dpierce/philosophy/Collingwood/Principles_of_Art/art.pdf> 〔HTMLバージョン

 


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