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December 30-31 擬似科学と科学についての覚え書――擬似科学をめぐって(4)  On Pseudosciences (4) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

December 30, 2008 (Tuesday)
December 31, 2008 (Wednesday)

   短期集中で1日5個ぐらい記事を書いて年内に終わらせる算段だったのですが、書き出してみると、ぜんぜん思ったようにはいかないのでした。勉強になりました(w)。

  もう日本は2009年を1時間22分過ぎたところで、いまこの文字をカリフォルニアで書き留めております。カリフォルニア時間は2008年12月31日午前7時22分です。

  ちょっとスタイルを変えて、くだけて書いてみます(またすぐ戻るかも)。

  さて、まだ概念規定もしておらなかった(というかまあウィキペディアに任せてもいいか、とか思ってもいたのですが)のですが、「擬似科学」(「疑似科学」)は pseudoscience の訳語で、発音アメリカ英語だと「スードー」サイエンスですね。イギリスだと「シュードー」。その点、日本語ウィキペディアの脚注の1の「英pseudoscience (発音:/sudoˈsaɪəns/シュドサイエンス)) の訳語であり、「虚偽の」を表すギリシア語のψευδήςpseudēs プセウデース)と、「知識・学問・学術」を表し、英語のscienceの語源でもあるラテン語のscientia(スキエンティア)の複合語である。 」はちょっち間違っています(得意の重箱の隅つつきw)。シュドじゃなくてシュードーって伸びるし。ちなみに修道と区別するためか、衆道は「シュドウ」と発音されるのですけどね。修道士をシュドウシと呼んだらエラいことになりんす。

  ということで、科学を装っているが、科学ではない、偽りの科学ということです。ちなみに「偽りの愛」を思い浮かべて pseudolove で検索をかけると、大量にヒットします。が、どうやら「擬似恋愛」という日本語に相当するようで。なるほど。

  さらに堕ちるようにくだけてみると、擬似セクスと本番という対語が昔ありました。あ、死語ではないのですね。よいこは検索かけないように。

  しかし恋愛とは何か、とかセクスとは何か、とか定義が困難、というか仮に定義してもそこからポロポロとこぼれおちるものがある――たとえば有名な新明解の「恋愛」の定義ははなから定義になんかなっていない――孫引き的にうただひかるまだがすかるさんの記事「れんあい (0)【恋愛】」を参照。

  科学は、愛やセックスに比べると、それこそはるかに科学的で、科学的な定義が可能であるかに思われる。が、実はそうでもない。あらためてウィキペディアの「科学」の冒頭の分類をあげるとこうです。――

 

いちばん上のが、「知」としてのscience です。いちばん下のがいわゆる「科学」だと自分には思われます。まんなかのは「科学的方法」という、それ自体が「科学」を含むことばで限定されているところがいかにも怪しげな定義ですw。つまり、科学的方法に基づいていれば科学なのか。しかし「科学的方法」を読んでもその方法自体が明確ではありませんでした(あくまでウィキペディアの記事のはなし)。 

  第一節「科学的方法の概要」の前段ではデカルトの古典的な方法が述べられる。――

科学的な方法の古典的な基本は、17世紀にデカルトによって示された以下の原則である[3]

  • 明瞭判明の規則:明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。
  • 要素分解:解決可能な要素に分解して考察する。
  • 具体から抽象へ:単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
  • 総合:見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。

この枠組みについて現在の科学的方法を論じる上では若干の修正や適用範囲の制限を行わねばならないが、 放送大学教授濱田嘉昭が「現在でも研究論文を書きあげる指針として十分光を放つものである」と明言しているように現在でも学ぶ点が多い考え方である。

  この、もってまわった言い方はなんなのでしょう。だいたい「明言」しているナカミは「論文を書きあげる指針として十分光を放つものである」であり、この光を放つというのは科学的メタファーなんでしょか。

  その次には「現代の「科学的方法」に関する一つの指針としては、アメリカ科学振興協会による報告書、「すべてのアメリカ人の科学」がある。」 と書かれ、調査プロセスにおける「仮説の構築とその検証」、論証プロセスにおける「適切な証拠への依存」、「明確な結論の存在」、「証拠と結論を結ぶ適切な推論過程の存在」を特徴として挙げている。要するに「仮説」と「実証」ですよね――モーリちゃんの小学校5年の科学の教科書でもさんざんぱら出てくる基本。

  第二節の「科学的な方法の対象」では、「科学者の間に見解の相違がよく見られる」けれど、「科学は再現の可能な問題に適用範囲が限られる」、「測れるものが科学の対象」というふたつの発言が引かれて、「再現性があり定量的な測定が可能」であることが理想的には求められるとしています。だけど、「例えば医学・薬学・心理学・経済学などは、根本的に複雑性や複合性を内包していて再現性を得にくい生体や社会そのものを扱うが、これも現代では科学的な考察対象である。」 

  ということで、(ウィキペディアの記事の論理にのるならば)自然科学以外の学は、科学的方法によることで科学になるようなのですが、その科学的方法は理想的でなくてもよいということなのでした。

  ちょっと気になったのは、科学的方法なるものを重んじることが大事な分野はあると思いますけれど、数量化することで「科学性」を装うことがおしなべて学問で重要であるかのようなプレッシャーなり勘違いが人文学にも及んでいなかったか(まあ、文学関係だと、特定の名詞や形容詞の頻度とか数値化して統計とって出しても、その結果はそういう「科学的方法」によらぬ解釈の裏付けにしかならんのですけれど)。ついでに、ふたつめに、「質的心理学」(*)というのが心理学のフロンティアとしてあるのだそうですが、つまり行動とか生理とか心の働きと結びつく現象を数量化して計測することで「科学」としてひとりだちした心理学からこぼれ落ちてしまったのこそが「質」であるという反省が、そこにはあるらしい(ものすごい勝手な感想ですが)。ついでに、みっつめに、ああそういえば、『空想より科学へ』をエンゲルスが書いたのは19世紀後半だったなあ、やっぱ唯物史観をマルクスが唱えたから経済学は科学になったのかなあと(そんなことはないですか)。

   しかるに、英語のWikipedia の "Natural philosophy" を見ると、冒頭で、社会科学や人文(科)学と「科学的方法」の有無で区別をしてますねー〔午後2時追記 新年早々読み間違えていました。人文科学も社会科学も科学的方法を用いる点では同様で、力点は "natural" にあって、区分は形容詞でしかないですね。最後の数学と論理学はアプリオリな別種の方法論だから、科学じゃないという含みがあるのかしら。この英語はあいまいですね。〕―― "The term natural science is also used to distinguish those fields that use the scientific method to study nature from the social sciences and the humanities, which use the scientific method to study human behavior and society; and from the formal sciences, such as mathematics and logic, which use a different (a priori) methodology."  経済学ってsocial sciences の女王じゃなかったのかしら。あ、natural sciences の王の物理学と結ばれているって? なこたないか。まったくよーわかりません。結局、このよーわからなさは、science の意味が変容して「自然科学」に集中しながらも、「知」という意味をずっともっている、という事情に由来するようです。〔午後2時の追記の続き となると、この英語のウィキペディアは、根本的には日本語でいう人文科学も社会科学も自然科学も科学であり、しかも科学的方法を用いる科学である、という考え方ですね。大学院の人文科学研究科の文学とか史学とかどうなるんだろw。べ別の書き方をするなら、大自然を扱うのが自然科学、人間的自然 human nature を扱うのが人文科学、そのあいだの世界における人間の関係 society を扱うのが社会科学みたいな感じでしょうか。しかし、たとえば、もはや古いかもしれないのだけれど、そもそもカール・ポッパーが反証可能性みたいなことを言ったのは、(ウィキペディアは反証可能性の概念は科学擬似科学の判定基準として提案された、と言っているけれど)、科学と科学以外を分けるためで、科学以外(非科学)の側に、ひとつには哲学や神話や宗教や形而上的な定式化を置き、もうひとつに擬似科学を置いたのではなかったのかしら。たとえば神が宇宙を創造した、という命題は真かもしれないし偽かもしれないが、偽であることを証明する試験が不能だから、こういうのは科学のラチ外にあるという判断。〕

  ともかく、そもそも「科学」なるものが「科学的方法」をとなえながら「自然科学」を中心とは言えずとも自然科学的世界観を中心にして分化・発展するのがたぶん18世紀後半からのことではなかったか。いいかげんなことを書いているとまずいので、毎度ですが、権威を引きます(だいたい失敗するのですが、今回はまともかな)。哲学者の坂部恵は、『講座ドイツ観念論』第二巻の総説で、ヨーロッパ世界の哲学を大きく三つの主要な時期に区分して考え、第一を9世紀から13世紀、第3を1770年から1820年という転換期を基点としてそれ以後、今日にまで及ぶ時期としています。そして、第三の時期のあたまの転換期の記述――

この一七七〇年~一八二〇年という時代は、そのうちに含まれるフランス革命と産業革命という二つの大きな革命に象徴されるように、いわゆる、近代ヨーロッパの歴史におけるとりわけて大きな転換の時期にほかならない。〔……〕文化史に関していえば、この時期は、とりわけ、第一に、物理学、化学、生物学、医学等々の近代自然科学の〈個別科学〉としての独立と成立、そして当然産業革命のいっそうの進展にともないつつ、つづいて来るひろい意味での実証主義的風潮の下地が整えられた時代にあたり、第二に、いわゆるロマン主義の登場の時期として、人間の共同的生やあるいは人間と自然の共生の形態の一種危機的な変容に伴って、美と芸術の人間的価値の担い手としての意味があらためてひときわ自覚・主張されまた個的存在としての人間の歴史意識の根底があらためて問題とされた時代にあたる。 

  ドイツ哲学の本だけれど、社会、芸術、産業、科学の転換についての汎欧米的な記述として読めると信じ、引用しました。この個別科学の独立と成立の時期と同じころに、擬似科学の萌芽があり、その後の1830年代、40年代に(「実証主義の風潮」に)揉まれて転換したり合体したりしたんじゃないかというような仮説を立ててみます。アメリカでの問題は、むかしの日本と同じく、ヨーロッパよりちょっと思想が遅れて流行する、という点で、ヨーロッパでロマン主義が下火になってもアメリカでは南北戦争ごろまではロマン主義の時代と言えますし、ヨーロッパでリアリズムが起こっても、なかなかリアリズムへ進まない(逆に言うと、混淆的なところがあって、それも日本と似ているかもしれない)。

  客観的な記述として覚え書に引きましたが、科学については、たとえばホーソーンが「あざ The Birth-Mark」(1843年)の冒頭で記述するように、18世紀後半の未分化な科学は神秘主義的といってもいいような情熱と結びついていたこと――これは擬似科学のみならず、たとえば「電気」にまつわる思索もそうです――は注意せねばならないと思われます。この点、日本語の本としては、新戸雅章「逆立ちしたフランヶンシュタインー科学仕掛けの神秘主義』(筑摩書房, 2000年)を参照。) ホーソーンの短篇には「自然科学 natural philosophy」ということばを使って、つぎのように書かれていました。――

前世紀の後葉に、自然科学のあらゆる分野に通暁していた一人の卓越した科学者が住んでいたが、彼はこの物語のはじまるすこし前に、化学上のいかなる親和力よりもはるかに魅力的な精神上の親和力を経験することになった。助手の手にあとをまかせて実験室を出た彼は、整ったその顔についた炉の煤を拭いとり、指についた酸の汚れを洗い落として、ある美しい婦人に自分の妻になることを承諾させたのである。電気や、ほかの同様な「自然界」の神秘についての比較的最近の発見が、奇跡の領域にはいりこむ道を開くかに見えた当時にあっては、科学への愛が、その深さと人を魅するその力において、婦人への愛と互角に並ぶこともさほど珍しいことではなかった。高度の知性、想像力、精神、さらには心情までがすべて、力強い知力の階段を歩一歩とのぼりつめて、ついには哲学者が天地創造の力の秘密に手をふれ、おそら、くは新しい世界を自分の力で創りあげることになるにちがいない探究――と、そうその熱烈な信奉者たちの若干は信じていたのだが――のなかに、それぞれに適した滋養物を見いだしかねない勢いだったのだ。私たちは、エールマーが、「自然」を支配しうる人間の究極的な力にたいするこれほどまでの信念をもっていたかどうかは知らない。しかしながら、彼は科学の研究にまことに心底から没頭していたので、それ以外のどんな情熱によってもその研究から引きはなされることはついになかった。(大橋健三郎訳「痣」)

  ホーソーンのマッドサイエンティストのひとりであるエールマーの「科学」は錬金術師の夢想「生命の霊薬 elixir vitae」を引きずっていて、それはシェリー夫人のフランケンシュタイン博士が錬金術の研究にふけったのちにそれは否定してどうやら電気を媒介にして生命誕生の神秘を探ったようなのだけれど、具体的な記述はテクスト内にはない、というのと通じるところがなくはないような気がします(SFなんてだいたい擬似科学的だしーw)。

  19世紀中葉以降、科学界から「擬似科学」として学問的に忌避されることになるメスメリズムやホメオパシーが世に問われたのは18世紀末でした。拒絶された擬似科学はしばしば神秘主義者やオカルティストと結びつきます(たとえば1879年に創立されるクリスチャン・サイエンスのメアリー・ベイカー・エディーがホメオパシー療法家と結婚していたことは重要ですし、1875年にニューヨークで神智学協会を設立するマダム・ブラヴァツキーは、動物磁気説を予言や交霊の背景に求めました)。しかし、オーストリアのメスマー(1734-1815)はもともとパラケルススに思想の源泉を得ていたし、ホメオパシーの創始者であるドイツのハーネマン(1755―1843)の医学理論もパラケルススに見いだされる。つまり科学によってオカルトへ追いやられる前からオカルトとの親近性をもっていたということです。そして、擬似科学をいっしょくたにして論じることはまずいのだけれど、たとえばメスメリズムについていえば、フランツ・アントン・メスマーは、1795年にパリの科学アカデミー(メスマーはこれか医学アカデミーか、どちらかに入りたいと願うのですが拒絶されています)の調査で、そんな磁気流体というような物質は存在しないと烙印をおされ、その後のスキャンダルもあってパリ追放となっているわけですけれど(つまり前世紀に一度否定されているわけですけれど)、1820年代に弟子のピュイセギュール(1751-1825)が新たな術の装いで登場し、いっぽうでトランス状態に落ちた被験者の発揮する透視能力や予知能力が話題となると同時に、外科手術における利用(1828年のマダム・プランタンの乳がん除去手術)が成功をおさめて、こんどは医学アカデミーの信用を得ます。アカデミーの委員会は、調査報告を1831年にまとめ、催眠術による「無感覚状態」の効果から「トランス状態」において術師に従うこととか、目を閉じたまま読む能力とかを追認します。それで、再びドーバー越えてイギリスにわたり、さらに大西洋を越えてアメリカに伝わったメスメリズムないし動物磁気説(animate things 生体(動物体)に特異の磁気があり、それは宇宙に遍在する磁気と交流しているけど、その流れを統御することで身体的・精神的状態は統御できるというふうにいったらいいかしら――まちがっていたら訂正しま~す)は、はなから「擬似科学」であったわけではなかったのでした。

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Retrospective portrayal of the operation to remove the cancerous breast of Madame Plantin in 1828.  The surgeon, Jules Clocquet, is attended by a dozen witnesses.  Louis Figuier, Mysteres de la Science (Paris: Librairie Illustre, Renaudet, 1880).  Image via "A Historical Philosophy of Change: Mesmerism vs. Ether as a Model for Pain Medicine" <http://www.asahq.org/Newsletters/2003/08_03/cope.html> キャプション的説明は Alison Winter, Mesmerized: Powers of Mind in Victorian Britain (Chicago: University of Chicago Press, 1998), p. 43 による。

  日本語のウィキペディアの「フランツ・アントン・メスメル」は、『無意識の歴史』という大著(たしか秋山さと子さんが監訳していた)の Henri Ellenberger を引いて、悪魔払いのエピソードについて語っています。――

1775年、メスメルはミュンヘン科学アカデミーから、聖職者で信仰療法家のヨハン・ヨーゼフ・ガスナーJohann Joseph Gassner, 1727年 - 1779年)の行った悪魔払いに関して、意見を求められた。ガスナーが信仰のせいだと言うのに対して、メスメルは、ガスナーの治療は彼が高度な動物磁気を持っていた結果であると答えた。アンリ・エランベルジュHenri Ellenberger)によると、メスメルの世俗的概念とガスナーの宗教的信念の対立は、ガスナーの活動の終了と力動精神医学Dynamic psychiatry)の出現を運命づけたということである。

  ここのところが(たぶん)ややこしいのですけれど、ひとつに(もはや迷信的とも思われかねない)宗教的世界観があり、もうひとつに科学的な世界観がありそうなものですが、ふたつの対立は、さらに科学的と見える世界観のなかで対立を起こして、いっぽうは擬似科学とされてしまう。

  だから、また風呂敷を広げると、キリスト教の神中心の世界から人間中心の世界へと移行していく近代の流れ(いわゆる世俗化 secularization)の中で、世俗の人たちはあっさりと神や霊を棄てたわけではない、というようなことが問題になるんだろうと思われます。

(つづく)

  今、日本は元旦の6時になろうとするところです。新年おめでとうございます。カリフォルニア時間は2008年12月31日午後1時になるところです(ひつこいw)。  

  

(*) 「 「君の研究は科学ではない」,そんな言葉を投げつけられ気持ちがふさぎこんだ経験はないだろうか。質的研究が科学であるか否かという議論は,未だに決着していない課題である。そしてこれらの課題に取り組む際には,一つに科学という枠組みをどのように見立てるのか,二つに科学という枠組みにこだわるのか否かという二つの検討の方向性がとり得る。心理学あるいは質的研究は科学であるのか,仮に科学であると考える場合,その時に想定する科学という枠組みはどのようなものであるのだろうか。また,科学という枠組みにこだわらない場合,心理学あるいは質的研究はどのような知的生産の学問でありうるのだろうか。」 〔2007年3月3日の名古屋大学での研究会「心理学における質的研究と科学:その包摂と境界」の企画主旨冒頭 <http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/month?id=17107&pg=200702>〕 

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「ホメオパシー  - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC> 〔「ホリスティック医療に分類される、代替医療の一種」としながらも、科学的根拠の欠落、疑似科学との指摘を記述している。「レメディーは、基本的に体にとっての毒物を非常に少量含む。この毒物に対する体の抵抗を意図的に起こすことにより、自己治癒力を含む生命力を高め、肉体的、心理的、精神的な方向が本来あるべき方向へ修正されると言われる。これを「微量の法則」と呼ぶ。しかし、錠剤中、または水溶液中に、1分子たりとも有効成分であるとされる毒物が含まれないほど希釈されていることが多々あり、この点がホメオパシーが疑似科学または偽科学であるとする論のひとつの根拠となっている。」〕 

"Homeopathy - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Homeopathy> 〔日本語版とはちょっとちがう。上の日本語の「肉体的、心理的、精神的」はどこから来た表現なのか、気になります。仮に英語にすれば、physical (bodily), psychological, spiritual なのでしょうか。〕

「フランツ・アントン・メスメル - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%AB>

"Franz Anton Mesmer - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Mesmer

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December 31-January 1  大晦日から元日へ [断章 fragments]

December 31, 2008 (Wednesday)

   モーリちゃんの母は朝イナリずしをつくって買い物に出かけた。午後、モーリちゃんの母はまた買い物に出かけてしまったので、モーリちゃんの父が頭と体をなかば分離させながら(要するに物思いにふけりながら)煮しめと雑煮の汁(つゆ)とついでにキンピラゴボウをつくった。

   煮しめのメインとなるのは、材料費の関係もあり、第一に焼き豆腐(2丁)。ちょっと容器に対して中身が寄せ豆腐になっているような。dofuと濁るとトーフだかなんだかわからない、ということかどうだかわかりませんが、ヤキトウフ (broiled tofu)。ブロイルかー――

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ひたすら弱火で煮る。

  煮しめのメインのふたつめはコンニャク――

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   紅白ならぬ、赤と黒ならぬ、白と黒で攻めてみました。カツオブシの残りものをダシのメインにしたのですが、焼き豆腐で一仕事した昆布が途中から加勢しました(大衆的・・・・・・ダジャレのつもりかい)。

  雑煮は鶏のモモ肉とゴボウのササガキをダシとした。――

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  ゴボウが3本あったので、一本は煮しめに加わることとなった。ニンジンは、帰ってきたモーリちゃんの母が、イロドリのために、いいんじゃない、ということで、ミニキャロットたちにそのままで参加してもらった(雑煮にはこのニンジンは入れたくない、とモーリちゃんの父は主張したが)。――

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   ゴボウがそれでもあまったので、勢いでキンピラゴボウをつくることにした。なかなか使えないでいるゴマ油もあったし――

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  唐辛子などないw 

  そして、誰もが好きな里芋(サトイモ)さん。これのダシは今度はコンニャクからやってきたカツオブシ汁w――

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  と、そんな大晦日の午後を送っていると、もう日が暮れてきた――

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2008年12月31日午後4時42分のカリフォルニアの空(クリックでちょっと拡大)

  このとき、日本は元旦(1月1日の朝)で、午前9時42分です。

  モーリちゃんの母は、東京フィッシュマーケットで、もしかすると待ってると刺身とか安くなるんではないかと出かけて行ったわけですが、ひとが多くてメマイがして、一度店の外に出て呼吸を整えてから再突入、しかし、結局対面注文じゃなくて、包んであったマグロの赤身の刺身だけ買って帰って来ました(w)。

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  ポンド21ドル95セント。ということは100グラム500円ぐらいでしょうか。これがたいへん立派な赤身で、臭みもなく、久しぶりの刺身、おいしかったです。

  夜、モーリちゃんは17時間前の日本の大晦日のカツーンとかジャニーズのカウントダウンの動画を探し、手前のテレビのABCでは3時間前のニューヨークのタイムズスクエアのカウントダウンが流れ、という、わけがわからない時間の混在のなかで、時は2009年へあっさりと移りました。

    なんか音がするので、花火じゃない? とベランダに出たけれど、よく見えなかった。サンフランシスコは明るかった。――

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  それからモーリちゃんの父は2時近くまでひとりでテレビの説教番組を見ていたのですが、これがなんかおもしろかった。Melissa Scott という女性の牧師さん。つい写真を撮ってしまった。

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  これはどうやらロサンゼルスのカシードラルでの講演というか説教らしい。話のあとで、歌を歌ったのですが、これもなかなか深い歌詞でした。――

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  霊・体・魂の三分説。

  元旦は、9時過ぎに雑煮とおせちをいただきました。――

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  既に減っている煮しめは、クッキーかなんかの缶みたいです(詳しくは知りません)。モーリちゃんの父もモーリちゃんの母も同じイチバンカンで重箱を見たのだけれど、15ドルくらいしたのでふたりともやめましたw)。あと栗きんとんは高くて買えなかった、というか、絶対中国産ですよ、みたいな話になって、買わなかった。それはそれでしかたがない。もちが玄米モチだけであったのがやや不満のモーリちゃんの父とモーリちゃんであった。

  モーリちゃんの母はターゲットに電話をして、やっていることを確かめて(なんか、いそがしいのか、エライ早口で、こっちがきく前に、今日は何時から何時までやっていて明日はこれこれで、ナンタラだけど他に何か? みたいな応答であったそうです)、ひとりで出かけたのですが、福袋みたいなのはなかった、と言って帰って来ました。なんか一週間くらい前まではおせちも作らんで普段と同じみたいな感じだったのですが、不意に正月感覚に目覚めたのでしょうか。

  夕方、太平洋は厚い雲が垂れこめていて(といってよく見えたわけではないが、カタマリ的には雲としか思われず)、太陽が沈んでから夕焼けを待っていたけれど、ほとんど赤くはならなかったです。

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2009年1月1日午後4時49分のカリフォルニアの空(クリックで拡大)

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17:25

   ベランダにカメラを置いて、西の空をときどき見に行きながら、つくった料理――

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(クリックでちょっと拡大・・・・・・誰が見るんやw)

   1日の夜はトルティーヤが主食でした。

  ということで、ひさしぶりに一日を食べモノ中心に記録してみました。

  あとで暇を見つけて、食材情報(ただいくらだったか、というだけのものですが)を追加できたら追加します。

  今年が実り多いよい一年でありますように。

  2009年1月1日

 

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January 2 2009年1月2日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 02, 2009 (Friday)

   今日は天気予報どおり、目覚めると朝から雨が降っていて、昼過ぎまで降っていた。午後から夜は暖かかった。

  夕方、いつもなら沈む夕日と、そのあとの夕焼けが見られる時間帯。雲がヘンなかたちに筆で引いたようにひろがっていて、沈む夕日も見えなかったし、夕焼けにならずにそのまま夜になってしまった。

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2009年1月2日午後5時 サンフランシスコ湾越しにアルバニからゴールデンゲートブリッジをのぞむ(毎度のことですが) クリックでちょっと拡大)

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5時1分 むしろ北のほうがオレンジ色が出ていた。

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5時1分 もっと引くとこんな感じでした。手前に近い雲は黒く翳になり。

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午後5時25分 オレンジは強くならず。

  こういう日もあります。

  光るあるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった・・・・・・(サスケ)

  人生楽ありゃ雲あるさ、か(ずるるるる)

 


January 1-2 ゴシック小説と合理主義(その1)――擬似科学をめぐって(5)  On Pseudosciences (5) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 01, 2009 (Thursday)
January 02, 2009 (Friday)

   「December 30-31 擬似科学と科学についての覚え書――擬似科学をめぐって(4)  On Pseudosciences (4)」のつづきで、歴史的な文脈をもうちょっと考えておきたいと思います。むかし書いたものから引っ張ってきたり、自己剽窃も辞さずに覚え書的に書きます。

  前回最後のところで、つぎのように書きました。――

  ここのところが(たぶん)ややこしいのですけれど、ひとつに(もはや迷信的とも思われかねない)宗教的世界観があり、もうひとつに科学的な世界観がありそうなものですが、ふたつの対立は、さらに科学的と見える世界観のなかで対立を起こして、いっぽうは擬似科学とされてしまう。
  だから、また風呂敷を広げると、キリスト教の神中心の世界から人間中心の世界へと移行していく近代の流れ(いわゆる世俗化 secularization)の中で、世俗の人たちはあっさりと神や霊を棄てたわけではない、というようなことが問題になるんだろうと思われます。

  さて、自分の専門の文学でいうと18世紀後半からのゴシシズム(ゴシック・ロマンス)から世紀をまたいでのロマン主義、そして19世紀のリアリズムという流れと科学・擬似科学問題がどういうふうに関わるか、というのは、まあ、自分のもともとの関心の核に近いことではありますけれど、あまりに大きすぎる主題で、それを論じようとしても自分には無理ですし、頭が爆発しかねませんので、断片的なつっこみと、透視的な見取り図だけを目指して書いていこうとあらためて思っています。で、見取り図の続きというようなことになります。

  17世紀の科学革命なるものの延長で、18世紀に合理主義がかつて超自然と考えられてきた事柄に対して行なった説明は、そういう事象・現象を人間の心、さらには体の問題に還元することによって行なわれました。18世紀末から19世紀前半にかけて、生理学や心理学や医学などの立場から、古い「迷妄」「迷信」に対する科学的な説明がなされるようになります。幽霊は錯視、光と影の光学的幻覚、熱病や薬物による譜妄とされます。哲学ではスコットランド常識哲学が認識の誤謬を説きました。また、夢における霊的啓示はロマン派の常套的なモチーフですが、その陰画である悪夢については、霊介在説は退けられ、身体の異常、睡眠時の姿勢、あるいは胃酸過多によるなどとされました。かつては悪夢を見させる霊は、狂気を起こさせる霊と同一ないし同種の霊と考えられていたのでした。つまり、「霊」の存在が前提化されていた事象の原因が人間内部にあると説明されるようになったわけです。このような時期にイギリスで興ったゴシック・ロマンスは、中世的な(霊を当然視する)意識と近代的な(霊を疑問視する)意識を混交させた文学形態でした。

  しかし、悪魔や悪霊がいなくなったら(大多数の人にとっては)ハッピーなことかもしれませんが、一悪魔と一緒に天使もいなくなり、さらには、これがいちばん深刻なことでしょうが、神さえも迷信視されてしまったらどうなるか。人間は教会制度から自由になったけれど、人間存在の基盤が、人間のみならず世界の存在の理由と根拠が、なくなってしまいかねません。もうちょっと俗っぽく考えてみると、悪魔や悪霊がいなくなるというのは、それまでは悪の原因としていたものが人間内部にすべて帰せられるということです。そうなると、たとえば犯罪の責任は、犯罪者その人か、あるいは
  だとすると、ゴシック小説の恐怖というのは、捨ててしまったはずの悪魔と悪霊たちの恐怖であると同時に、悪魔と悪霊たちを棄ててしまうことの恐怖を内包しているのかもしれません。さらにややこしいのは、神中心の世界観が崩壊して人間中心主義へ移行するとして、ルネサンス以来の人間中心主義(ヒューマニズム)は、キリスト教との接点を折々にさぐりながらも(たとえばクリスチャン・カバラとか、錬金術における救済思想とか)、異端的な人間中心主義――端的に言って、人間の霊性、神性を探究する姿勢――をもっていたということがあります。そういう、現代の科学的合理主義の目で見れば、前近代的な思想が、近代的自我の揺らぎの時代に一部の人によって復興されたからといって不思議ではないし、実際それがロマン主義の一部において起こったことだった、と自分は考えています。

      ★ ☆ ☆ ★

  で、preromanticism (前ロマン主義)とか呼ばれたりもするゴシック。この(前ロマン主義という)呼称は前ラファエロ主義のような知名度はないし、というか、単純にゴシックとして名が通っているわけですが、ラファエロの前にと類推的にロマン主義以前に回帰するというような意味合いはまったくなく、むしろ積極的にロマン主義への道を開いたけれど、ロマン主義にはなりえていない半端もん、というような感じがなくはない(たぶん)。要するに過渡的な反動主義みたいな位置づけ。ちょっと暴発しちゃったみたいな(とくに暴力とセックスにおいて、仮にそれが隠微であるにせよ)。だけど、思うに、そのアラワな反合理主義によって(つうか、ありていにいえば、テラー、ホラーという恐怖をつくりだす姿勢によって)、現代の大衆的嗜好へ(詩学とか小説理論とかこむつかしいことをいわんでいいぶん)直結しているのがゴシックかもしれず。

  しかし、誰もがいうように、特に現代というのでなく、イギリスの方で表向きの流行が終わった1820年以降にもアメリカではずっと作家ならびに読者を捉えるものとしてゴシック文学はあり、そのへんがアメリカならびにアメリカ文学の特殊性とどうかかわるかという問題がかねて論じられておるわけです。

  以下、ちょっと自己剽窃的に。

  18世紀後半から19世紀前半にかけての汎欧米的なゴシック文学の流行はおそらく次のように説明され(う)るだろう。①ゴシックは反合理主義の表明である。②ゴシックは近代人の孤独と恐怖の表現である。③ゴシックは中世の宗教的態度を少なくとも廃嘘として、幻として持っている。④ゴシックは美学や神秘主義を盛る器として作家に利用される。
   ①ゴシック・ロマンスがイギリスで興った18世紀後半は、啓蒙主義の時代であり、産業革命が開始される時代であり、合理的で世俗的な思考を偏重した時代精神に対する反動作用として流行は説明される。嚆矢とされる『オトラントの城』(1764)を書いたウォルポール自身は、④と関わるかたちではあるが、文学の状況として、「今日、ロマンスからさえも奇跡、ヴィジョン、妖術、夢、その他の超自然的事件が放逐されている」事態に反抗するかたちで、超自然的な出来事を当然視する中世的な世界観とそれらを疑問視・迷信視する近代的な世界観を融合させるべく二種類のロマンスの融合を試みた(再版序文)。すなわち、ここでいう合理主義とは、現実におけると、文学におけると双方を含む。
  ②啓蒙思想と産業革命は人々に都市型の生活を促し、都市の生活は田舎の生活にも影響を及ぼし、伝統的な共同体的宗教観と社会観を崩壊させ、それによって人々は個人主義的な孤独にさらされることになったと考えられる。ケネス・クラークは、キリスト教信仰の衰退がイギリスで最初に起こり、知的真空状態を埋めるために「自然崇拝」が呼び込まれた、といささか図式的に記述しているが(「芸術と文明」)、キリスト教の衰退、自然崇拝、ゴシック・ロマンス、産業革命が、いずれもイギリスでいちはやく同時代的な連鎖のごとくに興っていることは偶然ではない。「暗いロマン主義」とも呼ばれるゴシックは、人間性の恐怖(人がどれだけ堕落し残酷になりうるか)、他者性の恐怖(見知らぬ人間、あるいは自らの内なる他者がいかに秘密や陰謀をはらんでいるか)、死の恐怖(とりわけ宗教によって死後の生を保証・保障されず、救済を与えられないときの)など、さまざまな、近代の孤独な個人主義的人間の「恐怖」を「動力engine」(ウォルポール)として開花したと考えられる。倫理と審美を乖離させたエドマンド・バークのサブライムの美学が、イギリスで定式化されてゴシック小説の美学的バックボーンになったこと、その新しい美が何よりも恐怖を源泉としていたこと(「苦痛と危険の観念を刺激するにふさわしいものは何であれ、つまり、ともかく、恐ろしいもの、恐ろしい対象と関係するもの、ある点で恐怖に類するものは何であれ、ザ・サブライムの源泉である」)は、上述の思想史的カタログと当然連繋している。
 たとえば、ポーの作品について、詩人のW・H・オーデンは次のように分類するが、「孤独」「自我」が鍵になっている(もっともどちらかといえば、ロマン主義の文脈の中で捉えられているのだろうが)――「ポーの主要作品は大まかに二つのグループに分類できる。その一つは、意志する人間の存在様式にかかわるもので、孤独な自我が他の自我と合一をはかる破壊的情熱を扱うもの(「ライジーア」)、純粋理性によって、見せかけや情緒が隠蔽する真の関係を発見するために客観的であろうとする意識的自我の情熱を扱うもの(短篇「盗まれた手紙」)、自我と自己とがはげしく敵対する自己破壊的情熱を扱うもの(「あまのじゃく」)、また怪物的情熱、つまりあらゆる情熱に欠ける人間の情熱的な不安を扱うもの(「群集の人」)などである。……第二のグループは「大渦の底へ」や『ゴードン・ピム』などを含むが、ここでは意志と環境との関係は逆転する。……そこで起こるすべては主人公の個人的選択の結果ではない。すべてが彼に対して起こる.主人公が感じること――興味、興奮、恐怖――は、彼には自由にならない出来事によって惹起されるのである。」(オーデン編のRinehart 版ポー作品集の序文)。 要するに、ゴシック的な恐怖は、世界に対する心理的な秩序の崩壊を反映していたのではないかということだ。(しかし、先走って言えば、個人主義の行方は三つ考えられるだろう。第一に個人主義は恐怖ではなくて自由としての濃度を増して肯定的に捉えるようになっていき、ゴシック小説は文字通りに娯楽となって文学的流行としては衰える運命になったlこの事態はサブライムの美学に即して言うなら、「苦痛と危険の観念を抱きながら、実際には危険な状況にないとき、その感覚はよろこばしい」(バーク)という、恐怖の危険なき享受の面でのみサブライムを捉える立場だ。第二に再び反動的に宗教的なものが求められ、より世俗化された信仰による支えを与えられたうえで社会における個人の自由が求められた。第三にロマン主義的ないしオカルト的な「自己信頼」が主張された。(一方、アメリカ的な「恐怖」の事態としては、異人種に対する恐怖・不安が、「近代化」の裏側にあった迫害と搾取の裏側に貼りついていたというべきか。)
 ③ゴシックとは、十八世紀中頃、中世趣味の流行の中で建築・美術の意味合いが強かったのを、ウォルポールが文学に適用した(中世の城や寺院を舞台にした幻想的・超自然的事件の効果に移行させた)ものであった。ゴシック小説における建物はしばしば人間(精神)の比楡となっている。建築とは世界観の表われであるとともに、人間観の表明である。文化人類学的に言えば、家はもともと小宇宙であり、かつ同時に、天・地・地下をつなぐ世界軸であった。ゴシック建築を否定してでてきたルネサンス建築が、ヒューマニズムの表現として、横に伸びる水平性を強調するものだったのに対して、ゴシックは垂直性の意識がきわめて強い様式だった。たとえばシャルトルの大聖堂のようなゴシック建築は、下から上昇する方向性、上方への衝動とともに、上から下への働きかけが、つまり、光への憧れと、この下からの人間的努力に対する上からの働きかけがダイナミックに統一された、光と闇の舞台となっている。ゴシック・ロマンスがイギリスでおこったとき、建築のゴシックとはイングランドの地方に見られる古い建物全般に対して与えられていた名称で、結局ゴシック・ロマンスとは、それがいわば構造的になぞった建築のほうも、ロマンスのほうも、中世のまがいものだった。この形式が人間観、世界観を表現しているとするなら、つまりは一個の小宇宙として、あるいは(ミルチャ・エリァーデが言うような意味で)「宗教的人間」として、自らを定立できない近代人の、懐疑、憧れ、恐怖、不安といったものが(あるいはときに反動的な悪魔主義とかも)、しばしば建物Ⅱ人間の比愉をともなってゴシック小説にあらわれてくるのは当然である。なるほどゴシック小説は「恐怖小説」なのかもしれないけれど、恐怖をサブライムの源泉としたパークが、美学的には、サブライムが持っていた「魂の上昇」という宗教的意味合いを捨ててしまったとはいえ、甦ってくる。これは倫理と審美の乖離を引き起こしたはずのサプライムの美学に裏打ちされたゴシックが、悪の問題を通して垂直方向のモラル・コンサーンを内包するのと同じである。
 ④ウォルポールは新旧二種類のロマンスの融合を試みたが、その二種の内容とは、図式的に言えば「超自然」と「自然」、スーパーナチュラリズムとリアリズムであった。つまり、幽霊や魔術や超自然(「幻想 fantastic」を論じたツヴェタン・トドロフと、と言うか、フランス文学の「メルヴェイュー」と、見事に合致するかたちでウォルポールは「驚異的 marvelous と呼ぶ)を当然視する中世的な世界観・芸術観と、霊や超常的な現象を迷信として否定する(さらには神をも否定するだろう)近代人の観念との衝突を意図していた。キリスト教倫理(善)に一致した美を二次的ないし相対的なものとするサブライムの美学が前景化したときに、あるいは大手を振るって「恐怖」が求められたときに、超自然(と見えるもの)が有用であったのは当然であった。そうして、美学に裏打ちされて物語を構築するところから、逆転して「美」の顕現のために物語を構築する立場は、とりわけリアリズム以前の「芸術家」にとっては、自然なことであっただろう(美や芸術家という前提を含んでいるのだけれど)。あるいはパーク以来の倫理と審美の乖離の流れに逆らって宗教的なものを美にあらためて結びつける反バーク、反(擬人主義的)ピクチャレスクな態度はアメリカに著しく特徴的だった(詩人画家ワシントン・アルストン Washington Allston が典型)。
  あるいは、より散文に適した事態としては、超自然的、超越的な事柄、あるいは宗教的・擬似宗教的・神秘主義的・神秘学的テーマを扱うのにゴシックというジャンルは適していた。

  (まったくだれが読むのかわかりませんがつづきます)

  


January 2-3 ゴシック小説と合理主義(その2)――擬似科学をめぐって(6)  On Pseudosciences (6) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 02, 2009 (Friday)
January 03, 2009 (Saturday)

  (「January 1-2 ゴシック小説と合理主義(その1)――擬似科学をめぐって(5)  On Pseudosciences (5)」のつづきです)

Ringe,AmericanGothic(1982).jpg

   かつては添え物的にゴシック小説史に添えられていたアメリカ文学におけるゴシックの伝統はじめて通史的に論じたデイヴィッド・リンジ David Ringe の『アメリカのゴシック――19世紀小説における想像力と理性』 American Gothic: Imagination and Reason in Nineteenth-Century Fiction (University of Kentucky Press, 1982) 〔邦訳 小宮照夫ほか、松柏社、2005年〕は、総論のあと18世紀末におけるゴシック(というのは「アメリカ文学の父」チャールズ・ブロックデン・ブラウンが一連のゴシック小説を書いたときの文学状況を示しているのですが)を、合理と非合理の二種に大別し(それぞれをさらに二分して代表的な作家を指摘し)ましたが、彼の文章を勝手に図式化すればこうなると思います。

rational&irrationalGothic_.jpg

  該当する作家名にあがっているのは、18世紀イギリスのアン・ラドクリフ、ホレス・ウォルポール、クララ・リーヴ、マシュー・ルイスといった代表的作家と、あと "rational" つまり、超自然と思われたことが合理的に説明して解決するタイプのふたつめに「ドイツ作家たち」という、英国をはずれた一団があがっています。その「社会的」というのは端的には秘密結社のような、人々に不安と恐怖を与える存在が外在化しているものを取り入れることを指します。これはイギリスで生まれたゴシックが大陸に渡り、折からの秘密結社的な革命思想の流行のなかでドイツを中心に書かれたゴシックの特徴だとリンジは言います。ブラウンの『ウィーランド』はこの四つにまたがって話が展開し、しかし最終章(=外枠)では心理的で合理的な解釈に収斂していると考えられるでしょう。

  一般的なゴシックの区分は説明型(the explained gothic)と 超自然型(the supernatural gothic)であり、それぞれ上の二区分に対応すると考えられますが、G・R・トンプソン G. R. Thompson が論文「ワシントン・アーヴィングとアメリカのゴースト・ストーリー」(ハワード・カー他編『憑かれた塵――アメリカの超自然小説、1820―1920』 Howard Kerr et al., ed, The Haunted Dusk: American Supernatural Fiction, 1820-1920 (1983)所収)でイギリスに先行してアメリカに特徴的なスタイルとして強調したように、中間に暖味型(the ambiguous)という少数派があります。そしてこれはトドロフのいう「幻想」に重なるところがある。トドロフの概念とあわせて図式化すればこうなるでしょう。

  the explained gothic 〔説明型〕――the uncanny 〔怪奇〕

  the ambiguous gothic 〔曖昧型〕――――the fantastic 〔幻想〕

  the supernatural gothic 〔超自然型〕――――the marvelous 〔驚異〕

  

  まあ、幻想をあいだに入れたところで、少なくとも数の上では説明型=合理派の優位は変わらず、大衆小説のジャンルとして今日にまで至るゴシックの中心的流れを作ったのは、幽霊現象について懐疑的だったイギリスのアン・ラドクリフで、作中超自然的と思われた事象・神秘・謎は最後に日常的な説明によってヴェールを剥がれます。この偽の超自然主義は、pseudo- という言葉は使わないで(w) 「まがい超自然主義 mock supernaturalism」という呼ばれ方をするようですが、推理小説も含めミステリー属の文学ジャンルの多数派の態度となっています。アメリカのゴシックについての通説は、ひとことで言えば、“psychological"な深み、つまり(罪や恐怖をめぐる)心理的洞察の深さというものです。推理小説についてちょっとだけ書いておくと、ゴシックと推理小説の関連というのはかねてあれこれ言われることですが、ゴシックが持っていた神秘主義の底流みたいな要素を捨てることで出てくるので、後期にならないと出てこないのではないかと思われ(まあ、detective fiction 探偵小説という英語にこだわって、detective が存在しなければ、つまり警察組織が存在しなければ、探偵小説は存在しないのであり、1830年代になって探偵小説はおこるのだ、というようなハワード・ヘイクラフトのようなミモフタもない、というか問答無用の理屈もありえますが)。

  ラブキンの『幻想と文学』を援用してジャンル分岐という問題からゴシックをもう少し考察しておくと、第一に、科学的な合理化ゴシックが1818年の『フランケンシュタイン』に始まり、アメリカではホーソーンの描くエイルマーやラパッチーニなどのマッド・サイエンティストを経て現代のSFに続いていく。科学を肯定しない『フランケンシュタイン』がSFかどうかというのが問題なのではなくて、ラブキンが言うように超自然に科学を注入する幻想的逆転そのもののために超自然が科学と絶縁することが回避されるのである、ということになります(ちょっと理屈がむつかしいかも)。第二に、(ラブキンによれば)同じ1818年にジェーン・オーステインが『ノーサンガー・アビー』によって諷刺化ゴシックという支流ジャンルを生んだ、ということです(Eric S. Rabkin,The Fantastic in Literature (Princeton UP,1976)[若島正訳『幻想と文学』東京創元社、1989年]、第5章「幻想と文学史」を参照)。ゴシックの美学背景から言えば、恐怖に関わるものを源泉とするエドマンド・パークのサブライムの美学から、遊び、異質なものの混交などを特徴とするピクチヤレスクの美学への重点の移行があったわけだが、暖昧なゴシックはピクチャレスクな遊びと関わっている。ポーやホーソーンやメルヴィルたちの先輩作家にあたるアーヴィングもブラウンもピクチャレスク趣味があったひとです。

  一方でブラウン的な心理的洞察を特徴とするマジメなゴシックを受け継ぎ、もう一方でアーヴィングのような遊びを含んだ「語り」のゴシックの伝統を受け継いだポーは、さまざまな振幅のゴシックを書きました。だが、ひとつの問題はこのような分類がトドロフのような構造主義的分析には適合するものの、テクストの表層しか扱い得ないのではないかという疑問です。プレンティス・ホール社の20世紀批評論集の一冊に「オカルトの文学」を編んだピーター・メッセントは、序論でオカルト小説をゴシックの伝統につなげるとともに、トドロフの幻想理論になぞらえて論じました。簡単に言えば、日常世界に合理的説明が不能な(超自然的な)事物・事態が侵入してきたときのショック、スリルをメッセントはオカルト文学の本質と考える。ポーの「アッシャー家の没落」についてトドロフは(その後のG・R・トンプソンと同様)「怪奇」に分類し、メッセントは「幻想」の要素もあるように記述するという相違はあるものの、作品テキストに解読される「錬金術」は問題にされない。つまり、オカルトを単に超自然と同一視することは狭い理解しか認めないでしょう。

  「アッシャー」という有名な作品については、平石貴樹のサラシナ・ニッキものの推理小説『誰もがポオを愛していた』の巻末にS・W(S. W. だったかしら)による合理的解釈が載っていますが、それはポーの推理小説には属さない(といったって当時推理小説なるジャンルは未成立だったと思うのですが、それでもポーがデュパンもので、超自然などない、という態度を再三示しているのは確かです)この短篇を、医師の犯罪、それから爆発は地下の火薬庫への引火、というような「合理」で説明しようとしたパスティーシュだったと記憶しています。トンプソンも、このふつうは超自然小説と考えられているアッシャーに対して、合理的・心理的な解釈を優位に立てます。語り手の信頼性をめぐる議論となっているのですが、別の研究者のパトリック・クインとのあいだで異議申し立て、反論、再反論を繰り広げました。(*)  トンプソンは、 "nor was there any flashing forth of the lightning" (マボット版全集2巻412ページ)という語り手の言明をパトリック・クインが指摘したのにもめげず、同じ語り手の言う「電気的現象」 (413) を根拠にして、鉄と銅という通電性の高い金属の強調は、館を囲む雷雲から、かつて「火薬あるいは可燃性の高い (highly conbustible) 物質の貯蔵所」(410) だった地下室に電気が流れて爆発を起こすことの暗示だと主張します("Poe and the Paradox of Terror," 334-36)。
(*) Patrick F. Quinn, "A Misreading of Poe's 'The Fall of the House of Usher'"; G. R. Thompson, "Poe and the Paradox of Terror: Structures of Heightened Consciousness in 'The Fall of the House of Usher'"; Quinn, "'Usher' Again: Trust the Teller!" in G. R. Thompson and Virgil L. Lokke, eds., Ruined Eden of the Present: Hawthorne, Melville and Poe (1981), 303-12; 313-40; 341-53.    

  あれこれこういうことって、 ゴシックが中世ではなくて近代の産物であり、基本には合理主義があること(というより、そのように、つまり合理主義があるはずだと想定されていること)、そして、文学においてさえ、読者は合理主義的世界観を、それもたぶん自らの合理主義的(なり非合理的w)世界観を投影して読書行為を行ないがちであることを思わせるのでした。

  文学においてさえ、と書いたのは、第一に、ぶっちゃけ、文学はウソこいてもいいし、第二に、そもそも反現実的なものを文学は原理的にはらんでいるのだし、第三に、逆に文学作品に書かれたことが現実だと考える方がアブナイと思うからですが、科学の力はここまで及んでいるか、という感じです。

  むろん、ゴシック全盛期の19世紀においてさえ、ドナルド・リンジの研究書の副題が示唆するように、奔放な想像力が理性によって抑えられるという構図は、作家の想像力というだけでなくて、登場人物の想像力が、歪んだものであって理性で正されるとか、いうかたちであって、それはそのまま合理主義的世界観とつながっておるわけでしょうけど。

  上述の論文集『憑かれた塵――アメリカの超自然小説,1820~1920年』(1983)の編者のひとりがトンプソンなのですが、編者たちは、序文で、スピリチュアリズムと心霊現象から力動心理学を経て精神分析に至る歴史的道筋が、ワシントン・アーヴィングに始まる超自然の物語から"psychologism"を経て「精神分析的ロマンス」(フロイトが自らのレオナルド研究を指して用いた言葉)へと至る文学の変質と重なるものと見、その結果、無意識の「象徴」として用いられてきたオカルトは必要性を失ない、幽霊物語は「非物質化=非実体化」したと結論しています。

  この歴史的パースペクティヴは、ツヴェタン・トドロフがかつて1920年代以降の精神分析と超自然小説のサイコ・セクシャルな主題との関連を語った言葉と同じ考えです。――

今日、過度の性的欲望を語るのに悪魔に頼る必要はないし,死体によって引き起こされる魅力を言うのにヴァンパイアの助けを借りる必要はない。精神分析と、精神分析によって直接間接に霊感を得た文学は、こうした事柄を隠蔽しない言語で扱う。ファンタジー文学の主題は、文字どおり、過去50年の心理学的探求の主題そのものとなった。 〔Tzvetan Todorov, The Fantastic: A Structural Approach to Literary Genre, trans. Richard Howard (Ithaca: Cornell UP, 1975), 160-61〕

  だけど、ほんとに過去のものなのかな。精神分析も擬似科学化されたいま、もういっかい考えてみてもいいかなあと。

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「気分はLIGHT BLUE 読書雑記倉庫 は」 <http://kibunlb.fc2web.com/bookreview06.html#hiraishitakaki> 〔『誰もがポオを愛していた』などの読書記録〕

Dugald Stewart, Elements of the Philosophy of the Human Mind (1802) <http://www.archive.org/details/elementsphiloso01stewgoog> 〔"Scottish School of Common Sense" を広め、アメリカでもよく読まれた Dugald Stewart の著作のオックスフォード大学所蔵本のe-text〕

 


January 3 2009年1月3日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 03, 2009 (Saturday)

   この週末、サンフランシスコ・ベイエリアは晴れです。

  夕焼けが西の空なら、朝焼けは東の空かと思うのですが、朝に西の空が赤らむというのはあるようです。

January3,2008Albany,CA0742am.jpg
2009年1月3日午前7時42分のアルバニ(カリフォルニア州)の西の空

  ひさしぶりに朝から快晴で、ゴールデンゲートブリッジが赤くくっきりと見えました。

January3,2009AlbanyCA742am.jpg
同じ時刻、Sutro Tower やシティーの建物群もよく見えました。

January3,2009AlbanyCA1719pm.jpg
2009年1月3日午後5時19分の夕焼け空。

January3,2008Albany,CA1719pm.jpg
同時刻。サンフランシスコとサウサリート。

January3,2009Albany,CA1730pm.jpg
2009年1月3日午後5時30分

  もう水面は光らず、このまま暗くなりました。  

  このあいだから、なぜかD・H・ロレンスの中篇小説『死んだ男 The Man Who Died』が思い出されるのだけれど、ヒマになったら読み直してみようかしら。たぶん太陽の描写が記憶の底に刻まれているのではないかと思うのですが、はっきりとは思いだせないでいます。

    ではOtis Redding の "The Dock of the Bay" をどうぞ(ゆかりの画像付き)。

Sitting in the morning sun
I'll be sitting when the evening comes
Watching the ships roll in
And I watch 'em roll away again

I left my home in Georgia
Headed for the 'Frisco bay♪


January 3-4 ホメオパシーとスウェデンボルグ主義 (上)――擬似科学をめぐって(7)  On Pseudosciences (7) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 03, 2009 (Saturday)
January 04, 2009 (Sunday)

   日本語で同種療法、同毒療法などと訳されるホメオパシーについては、つい先走って「December 30-31 擬似科学と科学についての覚え書――擬似科学をめぐって(4)  On Pseudosciences (4)」で触れました。ウィキペディアの日本語もくわしげだし、医学だし、それだけですまそうかな、という思いもあったのでした。しかし、ウィキペディアの書いていないことをちょっと補っておくのもよいかな、と思いなおしました。それにしても、ホメオパシーで検索をかけると、冒頭に宣伝が載るのですね、ちょっとビビりました。つまり、いまの時代のバリバリの擬似科学であるということですね。日本語ウィキペディアの外部リンクに挙がっている「ホメオパシー - Skeptic's Wiki」というページは日英のウィキペディアへのリンクもついているし、批判的(懐疑的)で詳しいので代表して――<http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%DB%A5%E1%A5%AA%A5%D1%A5%B7%A1%BC> 。それから、ホメオパシーをそのリストに加えている、ウィキペディアの「スピリチュアル・ヒーリング」も参照。

  ちょっと文学について書いたので、気が楽になったような気がします。自分の関心は現代(の現実)ではなくて歴史にあります。 

  アメリカではプトレマイオスの宇宙像がたとえばイェール大学では1717年まで教えられていました。占星術はハーヴァード大学のカリキュラムの一部として1731年まで教えられていました。植民地時代に放血 (bleeding) という医術を行なっていた外科医たちは、しばしば占星術に従って術の時間を設定したそうです。聖書についで広く用いられ売られたオールマナック(「年鑑」というような意味ですが、むしろ暦)には占星術的な記述のほかに、民間治療法、薬草の処方などが書かれていました。

  18世紀になるとヨーロッパから啓蒙思想がどっと入ってきますけれど、アメリカの民衆のあいだでは健康問題はできるかぎりは自分たちでなおす、というような考え方が強かったようです。それをあらわすものとして、18、19世紀当時の民間治療についての本があげられます。ウィリアム・バカン William Buchan の『家庭の医学 Domestic Medicine』 はスコットランドのエジンバラで初版が1769年に出た本ですが、アメリカでも広く利用されました。1816年に、ニューヘイヴンで再版がでたとき、タイトルは『誰もが自分の医者 Every Man His Own Doctor』というのでした。1826年には Anthony Benezet という、ペンシルヴェニア大学を出た医学者が、「とくに西部にすむ人のために考えられた」という『家庭の医者〔かかりつけの医者みたいな感じなのでしょうか〕 The Family Physician』を出版します。他にも『家庭向けアメリカの医学手引き The American Medical Guide for the Use of Families』 (1810) とか『アメリカの家庭の医者 The American Family Physician』 (1824) とか出ていたのですが、ベネットのあとにJ. C Gunn が書いた『家庭の医学――貧者の友 Domestic Medicine: Or Poor Man's Friend』 (1830) はさらによく読まれ、1870年までに100版を重ねることになります。1869年に出たGeorge Miller Beard による『われらが家庭の医者 Our Family Physician [The New Cyclopedia of Family Medicine: The Good Samaritan]』は、解剖学や生理学の基本について、簡単な外科手術について、一般的な疾病について、そして薬草の処方について記述があり、透視や占星術師や手相占いなどのウソは指摘していますが、ホメオパシーについては詳しいマニュアルをおさめているそうです〔Herbert Leventhal, In the Shadow of the Enlightenment: Occultism and Renaissance Science in Eighteenth-Century America (New York: New York University Press, 1976; C. B. Risse et al. ed., Medicine Without Doctors: Home Health Care in American History (New York: Science/History Publications, 1977); Eugene Taylor, Shadow Culture: Psychology and Spirituality in America (Washington, D.C.: Counterpoint, 1999 など参照〕

  で、こういうself-help の流れの中で、さまざまないわゆる代替治療が19世紀前半のアメリカで出てきます。なんのオルタナティヴだったかというと、当時の伝統的な医術に対するものでしたが、精神的な病気については、治療というよりも拘束や幽閉が一般的だった時代です。そしてまた、産業主義が一般化して、かつての農本主義がくずれ、不安定な社会と社会の不安が生じていった時代でした。こういう時代を背景として "mental healing movement" とか "mind-cure movement" とまとめて呼ばれるようなかたちで、いろいろな社会改良運動や(擬似)科学や(擬似)宗教運動がたかまったのが1830年代、40年代でした。

  19世紀アメリカのふたつの大衆的な医療法(いまふうにいうと代替医療ですか)として、サミュエル・トムソン Samuel Thomson, 1769-1843 のThom(p)sonianism と、シルヴェスター・グレアム Sylvester Graham, 1794-1851 の Grahamism があります。Thom(p)sonian System とかThom(p)son medicine とも呼ばれる前者の治療は、ハーブ(薬草)を使用するいわゆる自然療法で、当時欧米の主流の医者たちが水銀とか阿片とかアンチモンとか毒性の強い(しかも高価な)薬を使い、あるいは血をドバドバ抜くみたいな治療をしていたのに対して、体にやさしい(といっても嘔吐を催させたりとか、いろいろな効能のハーブを使うわけですけど)、比較的安価な(パテントを取って、各家庭に20ドルの使用料を求め、さらに薬草を買う人は買うわけですけど)治療として人気を博しました。1840年までに10万パテント売ったとされています。えーと、1820年のアメリカの人口が1000万くらいで、1840年は1700万くらいかしら。1840年の時点で最大の都市はニューヨークで人口30万人。2位以下5位までのボルティモア、ニューオーリンズ、フィラデルフィア、ボストンは10万とか9万でした(書きながら統計学的にこころもとないw いちおう「アメリカの領土と人口」(『アメリカ大陸地理情報館』)参照)。

Thomson'sPatent(1845).jpg
Thomson's Patent  トムソンの専売特許証

  グレアムのほうは、代替医療というより、むしろ医療を極力排して、清潔な空気、運動、純粋な食物といった考えを推し進めた人で、全粒小麦粉 (whole wheat flour)が一番で合成添加物を入れるのはもってのほか、と白いパンが田舎以外では主流になってきていた時代に黒パンの健康性を主張したり、菜食主義とか禁酒運動とか食餌法とか唱えます。イギリスに続く1850年のアメリカ菜食主義協会 American Vegetarian Society の設立に力あったのですが、翌年亡くなってしまいます。全粒粉の唱道によって Graham breadGraham crackerGraham flour と名前を残しています。あとケロッグはグレアムを思想的に継いでコーンフレークをつくったのでした。(バークレーというかカリフォルニアを起点に流行ったオーガニックなんたらとかもグレアムにつながるものがあります。)

  グレアムは長老派の牧師でしたが、主著は『ヒューマンライフの科学についての講義 Lectures on the Science of Human Life』(Boston, 1839) だと考えられます。サミュエル・トムソンも医者ではありませんでした。1835年に『健康への新たな手引き――植物がかかりつけの医者に〔みたいな感じなのでしょうか〕 著者の半生と医学的発見についての物語を付す New Guide to Health; or Botanic Family Physician to Which Is Prefixed, A Narrative of the Life and Medical Discoveries of the Author』 (Boston, 1835) という本を書いています。

  さて、両者はハーブや全粒小麦粉みたいなかたちでも現在につながっているわけですけれど、ホメオパシーがのちに残したものとして、接種の普及とか、自然治癒力の重視(まあこれを極端に押し通すとクリスチャンサイエンスでときどき起こる事例になってしまいますが)とかあるのではないかと思われます。

  ただ、自分はホメオパシーを擁護しようとして書いているのではまったくないので、現代の問題はおいて、歴史的なところを少し補ってみたいと思います。 

  ホメオパシーが1790年代にドイツの医者で化学者だったサムエル・ハーネマン Samuel Hahnemann, 1755-1843 に唱えられたものだというのは知られたところです。ハーネマンが唱えたのは「類似性の法則」と「無限小の説」というふたつの考えです。類が類をなおす similia similibus curentur (like cures like) という前者がホメオパシーそれ自体の原理です。それを実践する際のレメディーとかいうものについての科学的な説明はウィキペディアの「ホメオパシー」のほうをお読みください。希釈の問題についてだけちょっと補っておくと、どうやらsubtle であるということが霊的なものに近づくというような考えをハーネマンはもっていたように思われます。 "[I]t is only by means of the spiritual influence of a morbid agent that our spiritual, vital power can be diseased, and in like manner, only by the spiritual operation of medicine can health be restored." 〔Samuel Hahnemann, The Organon of Homeopathic Medicine, 3rd ed., with improvements and additions from the last German edition, and Dr. C. Hering's Introduction (New York: William Radde, 1848) as quoted in Taylor, 102〕

   これはハーネマンの著作の英訳ですが、 "spiritual" の意味は、人間精神ではなくて「霊」的という意味のように思われます。思われますが、曖昧なような気も〈少なくとも「精神力」、「気力」くらいの曖昧さはあるような気も)します。「病の媒介の霊的な影響によってのみ、生命力は病むのであり、同様に、医療の霊的はたらきによってのみ健康は回復せられる」 なんだかこれだけだとよくわかりませんね。

  この曖昧さは自己治癒力というような考え方につながりうるような曖昧さです。

  さて、ハーネマンの弟子のハンス・バーチ・グラム Hans Birch Gram, 1786-1840 がアメリカに最初にホメオパシーを伝えたのが1825年ということになっています。グラムという人はデンマーク移民の2世で、ボストン生まれですが、母親の死後コペンハーゲンに渡り、そこで医学を学び、さらにハーネマンのホメオパシーを学びました。アメリカに戻ってニューヨークで開業医となるのですが、帰国後まもなく書簡のかたちでアメリカにおける最初のホメオパシーに関する著作を出します。もっともそれはハーネマンの論文の覚束ない(どうやら読むにたえない、というか理解不能な)翻訳で、 "The Characteristics of Homeopathia" というのでした。けれどもグラムのホメオパシーは少なくとも当初、かたよった、というか際立ったグループを介在して、受容されたようなのです。が、あれこれ読んでみると、二説あって、ひとつはスウェデンボルグ主義者たち、もうひとつはフリーメーソン。

  1844年4月という古くに創設された American Institute of Homeopathy という団体のホームページでは、グラムはフリーメーソンで、はじめの「改宗者」の何人かはフリーメーソンの医者だった、と書かれています。Eugene Taylor などはフリーメーソンには触れず、スウェデンボルグ主義者たちとのかかわりだけ書いています。まあ、両方とも真実だと仮定してもソゴは別にないのですが、ちょっと頭を冷やしてから続けることにします。

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William E. Kirtsos, "The Beginning of the American Institute of Homeopathy" <http://homeopathyusa.org/home/about-aih/our-heritage---our-future.html> 〔"American Institute of Homeopathy - Our Heritage - Our Future" アメリカ・ホメオパシー協会のページ〕

Wilman Wake, "Homeopathy and Swedenborgians" [DOC] HOMEOPATHY AND SWEDENBORGIANS html. version〔説教のノートのようです〕

"The Life and Letters of Dr Samuel Hahnemann" <http://www.homeoint.org/books4/bradford/bibliography.htm> 〔Homeopathic Bibliography. Philadelphia : Boericke & Tafel, 1892 の抜粋のようだが、ハーネマンの詳しい著作年譜

 ☆

 


January 5 [ソネくじ] 冬の庭とサル――不思議な庭でゲット  [時間・空間 space]

January 05, 2008 (Monday)

    ゲットといっても庭でゲッと大地になにものかを戻したわけではない。

      今日からもうモーリちゃんの小学校が始まった。明日の火曜日からはアダルトスクールも始まる。ひとりどこにも通わずにもくもくと自宅で勉強しているモーリちゃんの父であるのに、ひとの宿題をまた見なければならないのはつらい。

  11月の末に、ソネットのソネくじの新たな企画として「不思議な庭」というのが始まり、毎日3回ソネット内のページをまわって(まわらされて)水をくみ、花壇の花を育てて、花が開くとくじがもらえるという、秘密の花園もまっつぁおのガーデニングゲームであったのだが、今日から不思議な庭が再開した。日本の6日から始まるということは知っていたので、朝、というかカリフォルニア時間で朝の7時が日本の真夜中だけれど、なんどか見ていたのだけれど、どうやらお昼過ぎくらいから整ったみたいですね。それまでは準備中みたいな感じでした。

  で、いまは日本時間の午後1時27分、カリフォルニア時間の(5日)午後8時27分なのだけれど、さっき、庭仕事を終えたので、なんでも書けばいいというのではないことは承知でまた書いています。

    水を汲みに行ったら、洗車のシーンとかは前と同じなのだけれど、ジョウロじゃなくなっていた。――

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  なんかポートピア殺人事件とか大昔のファミコンかそのまえのディスクシステムのなかの水戸黄門のような画像で、「やったね」と言われてビビりました。「さるにお湯をあげる」のか。

  庭じゃないんすか。

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  不思議な庭でした。もぐらではなくて白髪のサルが寒くて鼻水をたらし(ちがうか)。

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  オケで湯をかけまくる。

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  ようやく雪も解けて顔色がすこしはサルらしくなり(って寝たままかい)。

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ヘルプページ|So-net 不思議な庭 http://www.so-net.ne.jp/garden/index.html

   説明はもっと長いのですが、下の方には次のような箇所があります。――

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  「お花の育て方」・・・・・・絶句。花に変わるわけじゃないよな。きっとほっかほかになったら真っ赤になるんだろうなあ。七色ザルとか出てくるのかしら。

  それはいいとして、どうも違和感があるのはなぜでしょう。サルに「お世話」というのがシャクにさわるからでしょうか。カメラ持ってるサングラスの女性も違和感があり。庭に見えずに違和感があり。なんか五右衛門風呂ならぬオカマ風呂に見えるのですが、ほんとに温泉なのでしょうか。

  ま、それもいいとして。

  しかし、不思議と、植物のほうが生きている感じがするしお世話もしたくなる、そんな気持ちがふと起こる冬の日なのでした。

  たぶん植物のメタモルフォーゼというようなものとかかわるような気もしなくもないです。時間とともに成長し変容するという感覚。を共有すること。(まあ、そんな大仰なものじゃないっすけど)。サルは風呂入ってるだけやん。なんで世話せにゃならんの(爆)。ま、見なかったこと、言わなかったこと、聞かなかったことにしてください。


January 4 2009年1月4日のアルバニ(カリフォルニア)の夕方の空 [天気 weather]

January 03, 2009 (Sunday)

    3日おくれの写真ですが・・・・・・

  前日に続いて朝からよく晴れていたのでしたが、午後にだんだん雲が出てきたような。

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2009年1月4日午後4時51分のサンフランシスコ湾と金門橋 (クリックでちょっと拡大)

  ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む♪ (「夕日」 葛原しげる Kuzuhara Shigeru, 1886-1961詞 室崎琴月 Murosaki Kingetsu,1891-1977 曲

    なんか黒い影はゴミではなくて、そのとき空にあったものなのですが、なんだったのでしょう。UFO ではないと思いますが。

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5時17分

  まっかっかっか 空の雲♪ (オレンジで・・・・・・)

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5時32分

  ぎんぎらぎんにさりげなく♪ 

  さめたしぐさで熱く見ろ♪

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7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニア州バークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕


January 5-6 ホメオパシーとスウェデンボルグ主義 (下)――擬似科学をめぐって(8)  On Pseudosciences (8) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 05, 2009 (Monday)
January 06, 2009 (Tuesday)

  「January 3-4 ホメオパシーとスウェデンボルグ主義 (上)――擬似科学をめぐって(7)  On Pseudosciences (7)」のつづきです。

    ボストン生まれのデンマーク系移民のハンス・バーチ・グラム Hans Birch Gram は、母の死後渡欧して大学医学を学び、さらにハーネマンにホメオパシーを学んで、1825年にアメリカにもどり、ニューヨークで開業医となりました。ハーネマンの論文を英語に訳してパンフレット出版したグラムのまわりに最初集まったのはスウェデンボルグ主義者たちで、その後もアメリカにおいては、ホメオパシーとスウェデンボルグの思想が手を携えて広まったというのは事実のようです。ホメオパシーを教える医学校がフィラデルフィア、シンシナティ、ボストンなどに出来ますが、スウェデンボルグ思想に共鳴する人々が通いました。東部のホメオパシーの薬剤師(薬局)として大手であった、フィラデルフィアのBoericke & Tafel とボストンの Otis Clapp は、どちらもスウェデンボルグの著作のアメリカでの出版社でもありました("F. E. Boericke and His Machine" <http://julianwinston.com/archives/bt/boericke_potentizer.php> 、"Otis Clapp 1820 - 1886" <http://homeopathy.wildfalcon.com/archives/2008/03/21/otis-clapp-and-homeopathy/> 参照)。あるいは、のちの話ですが、フィラデルフィアのハーネマン・メディカル・カレッジにはスウェデンボルグ主義者が多く関与し、教師のなかでは Constantine Hering とCharles Raue がホメオパシー治療の背景にある "psychology" を講義したということです。このへんの名前が一緒に出てくるWEB 上の論文を引いておきます。――

The two outstanding American homeopaths, the "father" of American homeopathy, Dr. Constantine Hering (1800-1880) and the virtual founder of the pure (classical) Hahnemannian homeopathy of the 20th century, Dr. James Tyler Kent (1849-1916), were members of the New Church. Other distinguished homeopaths like Dr. Hans Burch Gram (1787-1840) as well as the world-wide known homeopathic publishers Boericke (1826-1901) and Adolph Tafel (who had started with publishing Swedenborg’s works and on suggestion of Constantine Hering began later also to publish homeopathic literature), Dr. John Ellis of Michigan and Dr. Otis Clapp of New England were all followers of Swedenborg.  J.-T. Kent himself stressed that "All my teaching is based on the doctrines of Hahnemann and Swedenborg. These doctrines are agreed excellently each with the other".  (カリフォルニア時間6日夜追記 訳をつけていくことにします――ふたりの傑出したアメリカのホメオパス(ホメオパシー実践者)は、アメリカのホメオパシーの「父」であったコンスタンティーン・ヘリング博士(1800-80) と、20世紀の純粋(古典的)ハーネマン流ホメオパシーの実質的創始者であったジェームズ・タイラー・ケント博士 (1849-1916) であるが、スウェデンボルグ教会のメンバーであった。他にも、著名なホメオパスとして、ハンス・バーチ・グラム (1787-1840) や、世界的に有名なホメオパシーの出版社のボーリック (1826-1901) とアドルフ・ターフェル(この人はスウェデンボルグの著作の出版からはじめて、コンスタンティーン・ヘリングの助言でのちにホメオパシー関係の文献の出版も始めた)、そしてミシガンのジョン・エリス博士やニューイングランドのオーティス・クラップ博士などは、皆スウェデンボルグの信奉者であった。J・T・ケントも自ら、「私の教えはハーネマンとスウェデンボルグの教義に基づいている。ふたつの教義は互いに見事に合致している」と強調した。

      

     Hans Birch Gram                                             James Tyler Kent
       (1787-1840)                                                       (1849-1916)

  While not attempting here a detailed elucidation of the interactions between the Swedenborgian and Hahnemannian teachings,  I would like to mention that there were influences on homeopathic thinking by Swedenborg’s ideas (like the doctrine on the Infinity, dividing the psyche hierarchically into three separate levels, etc.) but not less influential was Kent’s adoption of these ideas. "Especially Kent had combined both systems and thereby created a distinct school of American homeopathy".

   Constantine Hering, who became the head of the Hahnemannian College in Philadelphia, which he had established in 1848, was also an active member of the New Church in Philadelphia. He often discussed philosophical aspects of Swedenborg’s teaching. 〔Alexander Kotok, "The History of Homeopathy in the Russian Empire until World War I, as compared with other European countries and the USA: similarities and discrepancies" <http://www.homeoint.org/books4/kotok/4430.htm> 〕

   グラムもスウェデンボルグ主義者だったと書かれていますね。20世紀のホメオパシーの基礎を築いたジェームズ・タイラー・ケントも同様と。"New Church" というのはChurch of the New Jerusalem と同じで、スウェデンボルグの死後、彼の思想に共鳴する人々がつくった「教会」なのですが、ここらへんで、スウェデンボルグについて簡単に記します。日本語のウィキペディアには、だいぶ詳しい知識をもったひとによる記事があります――「エマニュエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia」/ "Emannuel Swedenborg - Wikipedia" / "Swedenborgian Church [Swdenborgianism] - Wikipedia"

    日本語のウィキペディアは「スヴェーデンボリは当時 ヨーロッパ最大の学者であり、彼が精通した学問は、数学物理学天文学宇宙科学鉱物学化学冶金学解剖学生理学地質学自然史学結晶学などで、結晶学についてはスヴェーデンボリが創始者である。 」と書いています。スウェデンボルグは18世紀の科学者であり、同時に宗教的経験の解釈者でもありました。さまざまな学問に精通するとともに、技術者、発明家でもありました。しかし、彼の主要な関心は魂の探求に科学(学問)を使うというところにあったようです。外的自然についてさまざまな研究をしたあとで、最終的には自分自身の意識を科学的探究の対象としてむかいあうことになります。夢解釈によって自己の内部に接近しようとする。けれどもこれによって一種の宗教的な危機が訪れます。50代なかばでスウェデンボルグがのちに語ったところでは神が彼を訪れて、「ロゴス」の霊的意味を基礎として、聖書の新しい解釈を書くように命じたということです。スウェデンボルグは多数のヴィジョンを見るようになり、霊能力を発揮するようになったらしい。5巻の霊日記や最も有名な『天界と地獄 〔Heaven and Hell が英題だけれどラテン語で出版〕』(London, 1758)には神の使いの天使たちによって見せられた天界と地獄の領域の記述が出てきます。最後の審判のヴィジョンについては、世界規模の霊的意識の変容を意味すると解釈しています。この新しいイェルサレムがどのようなものであるかを主題とする本を何十冊も書きました。

  スウェデンボルグは1772年にロンドンで亡くなりますが、それはルター派のキリスト教会の教えに反するということでスウェーデンを追われて、イギリスに後半生は滞在していたのでした。で、スウェデンボルグ自身は教団なり党派なりをつくるということはしなかったのですが、死後に彼の思想に共鳴するひとびとがつくったのが「新エルサレム教会」(スウェデンボルグ教会)で、それがイギリスから起こったのは、スウェデンボルグがイギリスに没したことと関わっています。イギリスとフランスとアメリカ合衆国が19世紀のスウェデンボルグ教会の中心でしたが、1828年にはアメリカのスウェデンボルグ教会の数は80に達し,イギリスの49を遙かに抜いています〔この数字は昔読んだCharles Webb のThe Occult Underground という研究書からのメモ〕。

  スウェデンボルグは霊界と現世との照応思想 correspondence を展開したことで有名で、この「照応」は、ボードレールをはじめとするフランス象徴主義のひとつのバックボーンみたいなものになっています。が、よくわからないのは、たとえば次のような文章(英訳ですが)におけるsoul と spirit の扱い。――

Since, then, without a perception of what correspondence is there can be no clear knowledge of the spiritual world or its inflow into the natural world, neither of what the spiritual is in its relation to the natural, nor any clear knowledge of the spirit of man, which is called the soul, and its operation into the body, neither of man's state after death, it is necessary to explain what correspondence is and the nature of it.  [Emanuel Swedenborg, Heaven and Hell (New York: Swedenborg Foundation, 1952), p. 50]

(照応がいかなるものであるかを知らねば、霊界についての知識、あるいは霊界の自然界への流入についての知識も明確には得難いのだし、霊的なものが自然的なものといかなる関係を持つのか、また、魂と呼ばれる人間の霊について、また体への働きについての明確な知識も、死後の人間の状態についての知識も得難いのだから、照応とはなんであり、どのような性質のものかについ説明する必要がある。)

  ここで、霊界と自然界の照応を語りつつ、人間的自然(human nature)を構成する体(body) と霊(spirit) ないし魂 (soul) について同時に語っておるわけですが、「魂と呼ばれる人間の霊」と書かれては、文字通り混乱してしまいます。

  うえで、ヘリングがホメオパシーと心理学の関係を講じたということを書いたところで思い出したのですが、ホメオパシーの創始者のハーネマンはドイツで精神病院の運営を一時やったことがあり、そこで病気の心理的な要素についての理解を深めたようなのですね。で、アメリカで言うとと、ボストンの医学校 Boston University School of Medicine はもとはホメオパシーを教える女性の医学校だったのですが、そこはWestbro State Hospital という地域の精神病院とかかわって、ホメオパシー療法を施したのだそうです。で、それはマサチューセッツ州の住民が投票で支持したのですが、マサチューセッツというのはスウェデンボルグ教会がたくさんある土地なのでした。以前なんか文学関係の本で、(19世紀後半に)スウェデンポルグ教会は心の病の治癒に力を入れたというような記述を読んだことがあって、ピンとこなかったのですけれどなんとなく問題のありかがわかってきたような気がしてきました。(うわー、ひとりよがり)  訳さなかった先の英語の引用の "dividing the psyche hierarchically into three separate levels" あたりをちょっと勉強してきます。

  ホメオパシーが、いまはともかく、19世紀前半のアメリカで人気だったのはいくつか理由があって、薬による影響がおだやかで乳幼児にも適用可能だったこと(母親の味方)、宗教心のあるひとたちには治癒の霊的な原理が訴えたこと(宗教的見方)、そして、スウェデンボルグ主義の例でわかるように、あるいはスウェデンボルグ主義と結びついたことにより、当時はやっていた骨相学とか動物磁気説などの治癒や自己開発のシステムととコンパチだったことなどがあげられると思われます。

   次回は骨相学 phrenology=craniognomy を取り上げる予定です。

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参考url―― 

"F. E. Boericke and His Machine" <http://julianwinston.com/archives/bt/boericke_potentizer.php> 

"Otis Clapp 1820 - 1886" Sue Young Homeopathy: Website of a London-Based Homeopath <http://homeopathy.wildfalcon.com/archives/2008/03/21/otis-clapp-and-homeopathy/>

Alexander Kotok, "The History of Homeopathy in the Russian Empire until World War I, as compared with other European countries and the USA: similarities and discrepancies" <http://www.homeoint.org/books4/kotok/4430.htm>  

「エマニュエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia」 

 "Emannuel Swedenborg - Wikipedia" 

 "Swedenborgian Church [Swdenborgianism] - Wikipedia"


January 6-7 2009年1月6日と7日のアルバニ(カリフォルニア)の夕方の空 [天気 weather]

January 07, 2009 (Wednesday)

    今日は朝からどんよりと雲の多い一日で、午後になって日がさしたけれども、曇り空の日でした。

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2009年1月7日午後4時59分

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1月7日午後5時5分 没するまぎわの太陽

  少しずつ少しずつ日が長くなっているような気がしています。

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午後5時27分 

  このときの外気温摂氏18度でした。暖かいです。そのせいか、海の方に濃い雲がかかっていたせいかなんだかわかりませんが、ゴールデンゲートブリッジも見えないままでした。

  でも前日はもっとずっと全体が曇ったままだったので、ほとんど夕焼けもなかったです。

January 06, 2009 (Tuessday)

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2009年1月6日午後4時57分

  ゴールデンゲートブリッジはかすんで見えます。

January6,2009Albany,CA1657pm.jpg
同時刻(17:57)

   遠くの南の空に日が射していましたが。

    あ、そうそう、この日は朝も写真を撮ったのですが、いつも目にするAlbany Steel のシャッターがちょうど開くところでした(めったに見ないので記念に貼っておきますw)。

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2009年1月6日朝7時30分

  このときもゴールデンゲートブリッジはかすかに見えました。

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7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニアバークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕

 


January 7-8 でこちんと骨相学 (前篇)――擬似科学をめぐって(9)  On Pseudosciences (9) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 07, 2008 (Wednesday)
January 08, 2008 (Thursday)

                                                        Nature may be as selfishly studied as trade.  
 Astronomy to the selfish becomes astrology. 
Psychology, mesmerism (with intent to show  
where 
our spoons are gone); and anatomy   
and physiology, become phrenology and       
palmistry.                                                  
――Ralph Waldo Emerson, "Nature" (1844)

   「骨相学」(phrenology) についても、日本語のウィキペディア英語のウィキペディアは、ていねいな記述をしていますので、それを補うような主旨で書きたいと思います。

    図像的には訴えるところがあって、モーリちゃんの父がフレノロジーの「頭蓋マップ」を初めて見たのはジャズにはまっていた大学生のころの、ドン・フリードマンというピアニストのアルバムじゃなかったろうか。と、あれこれWEBで調べてもぜんぜん出てこないのでした。ああ気になる。あ、最近のヒップホップジャズだかジャズヒップホップだかのThe Roots とかではありません。

  ともあれ、こんな絵を見たことがあるひとは多いと思います――

phrenology.gif

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image via Roy Selby, "A Bit about Phrenology" Cyber Museum of Neorosurgery http://www.neurosurgery.org/cybermuseum/pre20th/phren/phrenology.html

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via "Quack Medical Apparatus" Sparkmuseum: Early Radio and Scientific Apparatus <http://www.sparkmuseum.com/QUACK.HTM>

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image via "phrenology cranian / head" <http://rootsemporium.co.uk/miscellaneous/phrenologyhead.html> 〔これロンドンのポートベロのノミの市 flea market で見たことがありますが、買いそびれました。ファウラーはアメリカですけど〕

 

HintsaboutPhrenology.jpg
"Hints about Phrenology, Ladies Magazine Vol. 6, 1833" The Lost Museum <http://chnm.gmu.edu/lostmuseum/lm/95/> 〔各部位(organ) の解説付き〕

   最後にでかいやつ。――
phrenologicalchart.jpg
via John H. Lienhard, "No. 2148: American Phrenology" Engines of Our Ingenuity <http://www.uh.edu/engines/epi2148.htm> (クリックで拡大)

   催眠術も施術の絵とかたくさんあるのですけれど、ひとつには非常に俗っぽい形で現代(現在)もテレビとかで目にするものであり、もうひとつには、つまるところ術をかけてる人とかかっている人しか見えないので、何が働いているのかわからんわけですけど、こちらの骨相学のほうは目に見えるかたちで(あえて言えば「計測可能な」ようなと思えるようなマップのようなかたちで)提示され、かつその提示がいかにもアヤシゲなので、印象深いのだと思います。こう、自分の頭を投影して解剖されるような感じ。

  ウィキペディアにも画像がいろいろあるのですが、ついたくさん載せてしまいたくなる、そんな感じ。

  さて、フランツ・ガル Franz Joseph Gall, 1758-1828 はドイツのバーデン生まれのローマン・カトリックで、ウィーンで医学を学んだのですが、医学生時代に、言葉の記憶のすぐれた人は目が出ていることに気づきます(まあ、このへんからネチッコイ感じがあります)。その後の詳細な観察で、性格と知性は脳の特定の「器官」の組み合わさった働きではないかとの仮説を立てるにいたります。そして異なる部位にある別個の器官は頭蓋の外形を計測することによって知られると考えた。

  ガルはウィーンの精神病院で医者の仕事をしながら、理論を構築していきます。また、牢獄や学校を訪ねて、調査を行なう。ここで、誤解のないように、ウィキペディアを引用しておきますと、「脳の解剖学神経生理学の研究につとめ、脳髄が繊維のシステムであること、錐体路系とその交差の存在、そして動眼・三叉・外旋神経など各神経の起始点を突き止めるなど、大脳生理学上の多くの発見を行うなど、神経解剖学に大きな功績を残した人物であった」のは事実です。ただ、当時は頭蓋の解剖などは限られた形でしか行なえず、イキオイ犯罪者や狂人に関しての分析が初期のガルの仕事には多かったようなのと、「類推」的なところがあったようです(ちょっと偏っているけれど、Robert Todd Carroll のThe Skeptic's Dictionary の "Phrenology" <http://skepdic.com/phren.html> と、そのちょっとあやしい日本語訳(日本語版)「骨相学 phrenology (cranioscopy)」 <http://www.genpaku.org/skepticj/phren.html> を参照)。

  ガルの講義に感銘を受けたヨハン・ガスパー・シュプルツハイム Johann Gaspar Spurzheim, 1776-1832 はガルの助手になり、1802年にオーストリア政府(当時の国王はフランツ・ヨセフ2世ですが、フランツ・ヨセフ・ガルが音楽家のフランツ・ヨセフ・ハイドン (1732-1809) の頭蓋をみたいと言ってフランツ・ヨセフ国王の怒りを買いパリに追放されたという説はなんか時期がずれてます・・・・・・「ハイドン首なし事件の謎を追う!」参照)追放されたのちふたりで旅をしながら解剖学や生理学の研究を続けるわけですけれど、シュプルツハイムは骨相学の宣伝マンになります。フランスではナポレオンから否定され、しかし名士として貴族サロンに出入りしたりする。滞在中に主著となる『神経系全般、特に脳の解剖学と生理学――頭の形態により人間と動物の知的ならびに倫理的性向のいくつかを確定する可能性についての考察を付す』の執筆を行ない、シュプルツハイムと共著で出そうとしますが、シュプルツハイムとの仲が悪くなって、1812年にたもとをわかったようです。この本は1819年になってようやく出版されます。

  シュプルツハイムは、ガルの「器官」の数を増やし、修正を加え、上に並べたような図版のもととなるイラストや像を制作し、「ガル博士・シュプルツハイム博士のフィジオノミー説」と銘打って講演・執筆活動を続けました。ガルがもともと唱えた Cranioscopie (英 cranioscopy) は、いわゆる脳機能局在論の一種だったのですが、シュプルツハイムはそれを性格・パーソナリティー判断の理論に変貌させます(あえて心理学的にいうと人格・パーソナリティー心理学の初期の型といえなくもないのかもしれませんけれど)。それによって、たいへん大衆的なところへアピールする仕組みがつくられる。 

  イギリスでは確かな地盤をきずいたシュプルツハイムがアメリカに講演にやってくるのが1832年の8月(このボストンの地で腸チフスに倒れてしまうのですが、彼の脳や頭蓋や心臓は標本となって展示されたそうです。先にガルは1828年にパリで没しています)。同年11月10日に亡くなったシュプルツハイムの葬儀の日にボストン骨相学協会が創設されます。そしてアメリカで爆発的に流行することになるのですが、それに力があったのは、ファウラー兄弟 Orson Squire Fowler, 1809-87、Lorenzo Niles Fowler, 1811-96 でした。オーソン・ファウラーはフィラデルフィアで1838年に『アメリカの骨相学雑誌 American Phrenological Journal』を創刊し、『婚姻――伴侶選択に応用せる骨相学Matrimony, or Phrenology Applied to the Selection of Companions 』 (1842) とか『自己啓蒙と人格の完成 Self Culture and Perfection of Character』 (1843) といった本をたくさん書いています。弟のロレンツォも講演をしたり本を書いたりもしましたが、やがてニューヨーク市とさらにロンドンでファウラー商会L.N. Fowler & Co. を経営し、出版物を頒布するとともに磁器製の像 ("phrenology head") を販売します。

  一種のファミリービジネスという様相なのですが、ロレンツォの奥さんのリディア Lydia は『骨相学のやさしい教本――学校と家庭で子供と若者向きに Familiar Lessons on Phrenology, designed for the use of children and youth in schools and families』という本を出したりもしています (New York: Fowlers and Wells, 1847)。

  スコットランドのジョージ・クーム George Combe, 1788-1853 やアメリカでもチャールズ・コールドウェル Charles Caldwell, 1772-1853 などが上流階層というか、牧師や医者や思想家といった知識層に骨相学を訴えたのに対して、たいへん俗っぽいかたちで流行っちゃいました。

   ただ俗だったわけでなく、1840年代のアメリカで、一種の応用科学みたいなものとして受け入れられた骨相学は、牢獄の改革とか、教育や子育てとか、雇用者の選択とか、食餌療法やコルセット使用の可否の判断とか、そして低料金での性格判断とか、いろいろな方面で利用されたのでした(まあ俗か・・・・・・しかしまもなくメスメリズムと結びついて思弁的な展開も示したのだと考えられます)。

Americanphrenjournal.jpg
via "phrenology" <http://skepdic.com/phren.html>

  ところで、先ほど言及し、また上の図版を引いてきたロバート・キャロルの『懐疑家の辞典』は、擬似科学関連のリンクで日本語のウィキペディアによく出てくるのですけれど、英語だとつぎのような一節があります。――

It remained popular, especially in the United States, throughout the 19th century and it gave rise to several other pseudoscientific characterologies, e.g., craniometry and anthropometry. Phrenology was highly praised by Ralph Waldo Emerson, Horace Mann, Thomas Edison, and Alfred Russell Wallace. The Boston Medical Society welcomed Spurzheim as a heroic figure when he arrived in 1832 for The American Tour.  (それ〔骨相学〕はとくにアメリカ合衆国では19世紀をとおして人気があり、クラニオメトリーとかアンソロポメトリーなど、他の擬似科学的な性格学を生んだ。骨相学はラルフ・ウォルドー・エマソン、ホレス・マン、トマス・エジソン、アルフレッド・ラッセル・ウォレスによって高く評価された。ボストン医学協会はシュプルツハイムがアメリカ・ツアーで1832年に到着したときに英雄として歓迎した。)

  このへんに重なる日本語版の記述は、「骨相学は19世紀を通じて、特にアメリカで流行し、頭蓋測定学人体測定学など、その他の疑似科学的性格診断を生み出した。スパルツハイムが1832年にアメリカへ外遊した時、ラルフ・ワルド・エマーソン、ホーラス・マン、ボストン医学会は、骨相学を称賛した。」です。

  エマソンは基本的にはいわゆる擬似科学を批判した人です。いずれ述べるようにエマソンを中心とするアメリカン超絶主義の擬似宗教的側面は、擬似科学の一部の主張と通じ合うものをもっていると自分は考えていますけれども。

  このあいだ、ウィキペディアの「占星術」の記事(を自分が引いたやつ「December 28-29 擬似科学をめぐって(2) 魂の学としての心理学 On Pseudosciences (2)」)を読み直していたら、「ケプラーが「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」[1]と書いたように」というくだりがあって、それで連想が働いたのですけれど、エマソンはエッセー「自然」(有名な1836年の『自然』ではなくて、その後の1844年の短いもの)で、次のように書いています。――「自然は商売として利己的に学ぶこともできる。天文学は利己的な人間には占星術となる。心理学はメスメリズムに・・・・・・そして解剖学と生理学は骨相学と手相学になる。」

  不思議なのは、ガルはもともと Cranioscopie と唱え、それは「頭蓋」にかかわるのでした。つまるところはモノです。phrenology という呼称を選んだのはシュプルツハイムです。phreno とは、「精神」です。この逆転と見えるものは、シュプルツハイムの商売っ気なのでしょうか("phrenology" は、日本語ウィキペディアが書いているように、1815年にイギリス人が呼んだのを、シュプルツハイムがのちに採用したということです。――

「骨相学」の名の由来

ガルは「cranioscopie」(脳蓋観察論)とよんでいた。 「骨相学」という名前は、1815年にフォースター(T.I.M.Forster)がガルの学説をイギリスに紹介する際に使った「phrenology」という名称をシュプルツハイムが1818年に取り入れ広まったものである。

これはギリシア語のφρήν(「心」の意味する)に由来するphrēnと、同じくギリシア語のλόγος(「知識」を意味する)に由来するlogos(ロゴス)からなる語である。

  この記述に違和感があるのは、phrenology が「骨相学」の名の由来となってはいないからですw

  最後にでこちんの絵をかかげて、後篇へつづきます。

Dekochin-YamaneAkaoniAooni.jpg

needle-beadx200.png

 「骨相学 - Wikipedia」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E7%9B%B8%E5%AD%A6>

"Phrenology - Wikipedia" <http://en.wikipedia.org/wiki/Phrenology>

"Reading Heads & Ruling Passions - Museums - The University of Sydney" <http://www.usyd.edu.au/museums/whatson/exhibitions/cphrenex.shtml> 〔"An Exhibition on Phrenology" 図版や文献など豊富なWEB ミュージアム〕

 


January 8 コトバの問題とコトバだけじゃない問題・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇)――擬似科学をめぐって(10)  On Pseudosciences (10) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 08, 2009 (Thursday)

  承前

  もう一度、日本語ウィキペディアの、「「骨相学」の名の由来」の一節を引用します。――

ガルは「cranioscopie」(脳蓋観察論)とよんでいた。 「骨相学」という名前は、1815年にフォースター(T.I.M.Forster)がガルの学説をイギリスに紹介する際に使った「phrenology」という名称をシュプルツハイムが1818年に取り入れ広まったものである。

これはギリシア語のφρήν(「心」の意味する)に由来するphrēnと、同じくギリシア語のλόγος(「知識」を意味する)に由来するlogos(ロゴス)からなる語である。

  WEB上で(全部ではないですが)読める本としてEdwin Clarke と L. S. Jacyna の『神経科学の諸概念の19世紀の起源 Nineteenth-Century Origins of Neuroscientific Concepts』 (University of California Press, 1992) があります。<http://books.google.co.jp/books?id=38Sjkp-JlPcC> 他にもいろいろな本があるのでしょうけれど、広い世界でめぐりあった(というか日本で買ったままほとんど読んでいなかった)のはなにか多生の縁もあるかというのと(非科学的)、たいへん面白かったのとで、( ..)φメモメモ的に紹介します。222ページから223ページにかけての "6.3.2 TERMINOLOGY" の節には、概略つぎのように書かれています。

  ガルの名は "phrenology" と一般に結びつけられているけれど、ガル自身はこの「フレノロジー、精神の理論」なる言葉をつくったのではないし、使うこともなかった。ガルが最初に用いた言葉は Schä
dellehere
 ("craniology")  だった。 しかしガルはこの言葉をやめてしまう。その理由は、彼の学説がもっぱら頭蓋に関するもので、頭蓋に含まれる脳の機能に二義的にしか関わらないとの印象を与えるから。ガルがフレノロジーという名称に反対したのは、脳の機能が精神 (mind) だけではないからというものだったが、これは小さな異議に思われる。フレノロジーはガルの基本的な考えと合致する最善の呼称ではなかったか? その理由は、シュプルツハイムによって唱えられ、当初の脳機能についてのガルの考えを修正されたフレノロジーに対する異論だったと考えられる。ガルの説のふたつの理論に即して、別の名前が考えられた。ひとつはオルガノロジー organologie ("organology")〔F. J. Gall, Organologie (1825) と著作のタイトルとしている〕、もうひとつは、その「器官」が及ぼす効果のあらわれとその計測にかかわる "organoscopy" "cranioscopy" "Encephalonomy" "cephalonomy" (「脳の機能」の意味)などなど。だが広く使われるにはいたらなかった。それから、初期の表現には "physiognomical system" というのもあった。

   つづけて、phrenology という語の採用についての興味深い、しかし謎も残る説明があります。

  トマス・イグネイシャス・マリア・フォスター Thomas Ignatius Maria Foster, 1789-1860 が1815年に書いた、ガルとシュプルツハイムについての論文で "phrenology" という言葉が初めて使われたとよく述べられるが、1805年にアメリカのフィラデルフィアのベンジャミン・ラッシュ Benjamin Rush, 1745-1813 が講演で「精神 (mind) の科学を指す言葉をつくることが許されるなら、フレノロジーというものの状態は・・・・・・ phrenology, if I may be allowed to coin a word to designate the science of the mind」 というふうに用いているし、さらに翌年の1806年にラッシュはphrenology を「人間精神の機能と作用の歴史 the history of the faculties of the mind」と定義し、今日の "psychology" の指す意味で用いている〔P. S. Noel and E. T. Carlson, "Origins of the Word "Phrenology'" American Journal of Psychiatry 127 (1973), p. 695〕。けれども人口に膾炙する "phrenology" の使用権をもったのはシュプルツハイムだった(彼はイギリス人のフォースターと滞英時に知遇を得ています)。ガルと袂を分かって6年後の1818年、シュプルツハイムは初めて "phraenologie" の語を用います〔Spurzheim, Observations sur la Phraenologie (1818)〕。そして翌年、エディンバラのジョージ・クームは、シュプルツハイムはフレノロジーという言葉を何年か "for some years" 使ってきた、と明言する〔George Combe, Essays on Phrenology (1819)〕。しかしまた、1817年にシュプルツハイムの賛同者が既に "phrenology" の語を提案していたということもある。この人のいう理由は、ガルの議論を思い起こさせるところがあります。――「craniology はシュプルツハイムの敵の造語である。彼が扱うのは骨ではなく、人体組織に依存する精神のあらわれにこそある。フレノロジーがより適切なことばであろう」〔S. R., "Observations" (1817), p. 367〕

  1820年までには、シュプルツハイムはフレノロジーの語を自分のものとし、1825年には次のような説明を加えています。――

  PHRENOLOGY という名前はふたつのギリシア語に由来する――[phrene]mind 〔心というより頭、「精神」〕 と [logos]―discourse〔(言)説、コトバ〕。私がこのことばを選んだのは、精神の特殊な機能、ならびにその機能の顕現と体、とりわけ脳とのあいだにある関係についての理論を指し示すためである。〔Spurzheim, Phrenology (1825), p. 1〕

  で、著者たちは、いろいろ踏まえてみても、"phrenology" の正確な起源はなお曖昧糢糊としていると述べます。フォースターがラッシュから盗用したのか、シュプルツハイムがラッシュからとったのかフォースターからとったのか、あるいは自分で主張するように独自にこしらえたのか。はわからないと。

  T. I. M. Forster はイギリスの外科医で、1815年に "Sketch" という論文のなかで "The objection therefore falls to the ground, which accuses the new Phrenology of supporting the doctrine of Fatalism" (p. 222) という文章を書いています〔47〕。「the new Phrenology 新しいフレノロジー」というフレーズは、phrenology が(大文字であるにもかかわらず)普通名詞として了解されているような気配があると感じますけれど。

  次の節の "6.3.3 ORGANOLOGY VERSUS PHRENOLOGY" は、自分にはたいへん示唆的な記述と思われ、ガツンとやられた、というほどでもないけれども、コトバだけで観念的に考えることの危険性を教えられました。

  著者たちは、ガルのオルガノロジーとシュプルツハイムのフレノロジーを区別することが決定的に大事だ、といって、二人の姿勢と二人の考えを比較します。(1) ガルは心的知的過程と頭蓋の部位のあいだに普遍的な関係性があることには懐疑的でありつづけ、とりわけ発達した「器官」を示すごく少数の個人に関して連関が見られると考えたのに対して、シュプルツハイムはそのような留保をしなかった(それによって万人に適用されるものとして喧伝した)。(2) ガルは人間における悪の性向の存在を認めたが、シュプルツハイムは自分の分類から意図的にそういう部分を落とした(彼が性善説を信じたため)。シュプルツハイムは、人類はフレノロジーの助けによって完全性に近づけると信じた。 (3) 脳の「器官」について、ガルはリストの不完全性を認めたが、シュプルツハイムは「希望」などの「器官」をいくつか追加するとともに「記憶」についてはガルが4つ分類していたものを器官として認めなかった。・・・・・・シュプルツハイムの説明は科学的な心理学とはまったく無縁のものである云々。 (4) ガルは経験的姿勢を崩さず、いまでいう実験心理学者に近い姿勢を保ったが、シュプルツハイムは次第に脳の解剖学や生理学から離れて、形而上学や、あるいは教育、宗教問題などの話題にかかわるようになっていった。・・・・・・ 

  ということで、両者を区別して呼ぶことを言明して、ガルの「オルガノロジー」のほうの専門的な話へと入っていきます。

    ここで、ひとつ、あらためて浮かび上がるのは、形而上学の、ひろく「学問」からの分離の問題であるのですが、また同時に、形而上的問題と世俗の関心のつながりの問題でもあると思われますが、も一度体勢をたてなおして凸撃したいと思います。(が、もしかすると、もうちょっとコトバ問題を続けるかもしれません)。

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January 8-9 横隔膜と頭と心についての覚え書(コトバの問題のつづき)・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の2)――擬似科学をめぐって(11)  On Pseudosciences (11) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 08, 2009 (Thursday)
January 09, 2009 (Friday)

     〔「January 8 コトバの問題とコトバだけじゃない問題・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇)――擬似科学をめぐって(10)  On Pseudosciences (10)」につづいて骨相学 (phrenology) などの言葉の意味について考えてみます。〕

Phrenology-helmet.jpg
19世紀末にドイツでつくられた電気式骨相測定装置 via "Quack Medical Apparatus" <http://www.sparkmuseum.com/QUACK.HTM> in Spark Museum

   辞書は時代を、ちょっとのタイムラグで、反映しているという想定のもと、いくつかメモってみます。まず、『オックスフォード英語辞典 Oxford English Dictionary』。 OED は、そもそも歴史原則にのっとって、歴史的記述をこそ眼目に置いたもので、辞典がつくられた時点ではなくてなるたけ履歴的な記述を心がけておるわけでしょうが、これの用例を見ると、たいへん豊かな情報を与えてますね。

  まず、"phrenology" の定義については、語源欄でギリシア語のこととかフランス語、ドイツ語のかたちを書き、文字どおりには "mental science" としたあと、こう書かれています。――

The scientific study or theory of the mental faculties (quots. 1815, 1881); spec. (and in ordinary use), the theory originated by Gall and Spurzheim, that the mental powers of the individual consist of separate faculties, each of which has its organ and location in a definite region of the surface of the brain, the size or development of which is commensurate with the development of the particular faculty; hence, the study of the external conformation of the cranium as an index to the development and position of these organs, and thus of the degree of development of the various faculties. (精神機能の科学的研究、理論(引用1815, 1881)。《特に、また通常の意味として》 個人の精神的能力は異なる機能から成り立ち、それぞれが脳の表面の一定の領域に器官と場所を占めており、そのサイズと発達は特定の機能の発達と比例するとする、ガルとシュプルツハイムに始まる理論。そこから、器官の発達と位置の指標としての頭蓋の外的形状について、またまたさまざまな機能の発達の度合いについての研究。)

  最後の "thus of the degree of development of the various faculties" の最初のof はどこにかかっているのか曖昧なのですけれど、study of と取りました(of 多すぎw)。

  引用1815年というのは、実はForster です。"1815 T. Forster (title pamph. in Pamphleteer V. 219), Sketch of the new Anatomy and Physiology of the Brain and Nervous System of Drs. Gall and Spurzheim, considered as comprehending a complete system of Phrenology.  Ibid. 222 The objection therefore falls to the ground, which accuses the new Phrenology of supporting the doctrine of Fatalism. [When reprinted in the same year, ‘Phrenology’ was altered to ‘Zoonomy’.] " 1815年の『パンフレッティア』の第5巻の219ページから始まるフォースターの小文のタイトルに 「フレノロジーの統一的学説を包含すると考えられるガル博士とシュプルツハイム博士の脳ならびに神経系の新しい解剖学と生理学についての小論」というかたちで入っているのと、222ページの本文にも出てくること、ただし同じ年にリプリントされたときには "Phrenology" は "Zoonomy" に変えられた、という情報です。これは前の記事で紹介した研究書にも書かれているのですけれど煩瑣になると思って書かなかったのですが、情報源はOEDなんですかね。それでも Nineteenth-Century Origins of Neuroscientific Concepts の著者たちはちゃんと原典にあたっていて、タイトルは「Zoonomy ゾウノミー」(これはphysiology (生理学) の意味の古い言葉のようです)に換えられているが、"phrenology" の語は88ページとか102ページで使われている、でも定義はない、とていねいに記しています(p. 428, note 47)。

  そして1881年の用例というのは(OED の用例のこれが最後なのですが)、"Smithsonian Inst. Rep." とあるので、スミソニアン協会 Smithonian Institution (1846年創立) の報告書と思われます。動物にも知的能力はあるけれども、人間にしかないものもあって、それは別個の研究を必要とする云々、と書かれたあとで、"To all these studies we have given the name of Comparative Psychology or Phrenology. " と書かれています。簡単に言うとpsychology の同義語です。もうちょっと言うと、psychology は本来はプシュケーの学で、プシュケーは同じギリシア語のプネウマ(霊)に対して「魂」ですけれど、英語でいうと spirit と soul の関係というのはたいへん曖昧なところがあるわけで、人間を構成するのは body and soul (だから「全身全霊で」という全人的な傾注は英語だと "body and soul" (でも身も心もという日本語もあります)というわけですが)とか、でも霊肉の相克(古っw)とかいうときは spirit and flesh であるとか、死後も残るのが soul だとか、要するに、人間の構成するものとして、主観的な自我、感情や思考の働きが soul なのか、それとも soul は個々の自我を超えたもの(霊的なものといってもいい)も含んでいるのかが、曖昧なわけです。

  モーリちゃんの父(自分)以外、誰も覚えていないと思いますけれど、10月に「October 18 コンフュージョン Confusion」というある意味しょーもない記事を書いたときに、「phreno というのはギリシア語で「ココロ mind」で、ココロのありかがどこにあるかという問題をはらんでいるので、いつか考えてみたい気がしてきた(なんで骨相学はphrenology なのか、とか)。」書きました。まあ、そこから最近の記事はつながっていたのか、と思い当っているのですけれど(爆)、ギリシア語のphren 自体本来は「横隔膜 diaphragm」の意味です(というかのちに横隔膜と呼ばれるあたりの体の部位を指す、というのが正しいのかもしらんが。科学的には)。しかし既に古代ギリシア語において「精神」を指す意味も生じているのは、つまり横隔膜のあたりに精神の座がある、と考えられたからにほかなりません。「心 heart」が「心臓 heart」にあると考えられたように、です(ほんとうはモノが先か、ココロが先かはちゃんと調べてみないとわからないですけど)。

  ウィキペディアの「骨相学」の記事は、語源的に「ギリシア語のφρήν(「心」意味する)に由来するphrēnと、同じくギリシア語のλόγος(「知識」を意味する)に由来するlogos(ロゴス)からなる語である」と書かれてるわけですが、少なくとも英語との歴史的な対応で判断する限り、mind であり、心というよりは頭、少なくとも「心的」だけでなく「知的」なところを含んでいると思われます。OED はphrenology を字義的には "mental science" としているわけですけれど、mental はメントレの「メン」であり、mind の形容詞、語源的にはラテン語の mens に由来します。mens は、モーリちゃんの父の知識では、少なくともイタリアルネサンスのころの人文主義者たちが書いたものでいうなら、霊的なものも含んでいる気配があります。

  もういまさらいうまでもなく、自分の文章は科学的な記述ではなくて憶測と想像が多いのですが、そのへんは覚え書ということでお許し願いたいのですけれど、敢えて言うなら「仮説」としては、ルネサンスに始まる人間中心主義、個人主義の流れの中で、(前に悪の原因としての悪魔とか悪霊みたいなことに触れましたけれど)、人間の知的な活動の源泉はどこにあるのか、ということもいずれ問題になることだったのではないか、と考えられます。典型的なのは芸術家と「インスピレーション」の問題で、たとえばエドガー・アラン・ポーは、霊感などというものはない、という姿勢を表明したうえで唯美主義、芸術至上主義的な立場を鮮明にするわけです。そういう時折りの霊の訪れだけでなく、知的な精神(まったくコトバに混乱するのですけれど、日本語の「精」も「神」も、いうまでもなく本来超越的、霊的、神的なものなわけですが)も神に起因していたのが、個人の内にのみ、原因が求められるようになっていくのではないか。

  辞書の話を続けて、ウェブスターというアメリカの辞書の記述を検討するつもりだったですが、頭が乱れてしまったようです。ちなみにphren に由来する英語で、横隔膜、フレノロジー以外に有名なのは frenzy (古くはf=ph)ですが、「逆上」「乱心」とか英和辞典には書かれていますね。頭じゃなくて心が乱れたのかしら。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  OED には "phren" (フリーンという発音みたい)という見出し語もあって、その語源欄には、「近代ラテン語経由だけどもとはギリシア語で、フレネーは "midriff" 〔横隔膜〕、複数形のフレネスとなると "parts about the heart, breast; heart, mind, will" 〔心臓の周囲の部分、胸; 心、精神、意志〕」という主旨の説明がありますねー。そして定義の1は解剖学用語としてで、"The diaphragm; the upper part of the abdomen: anciently supposed to be the seat of the mind." 〔横隔膜; 腹部の上の部分――古くは精神 (mind) の座と考えられた〕という説明、定義の2は哲学用語としてで、"The seat of the intellect, feelings, and will; the mind." 〔知性、感情、意志の座; 精神 (mind)〕という説明です。

  ううむ。自分の知識としてもうひとつあるのは、英語だとbowel(s) つまり「腸」「ハラワタ」が情や勇気の宿る部分と古くは考えられていたということです。ガッツだぜ♪、というguts も関係あるのだと思いますが。常識的に考えれば、洋の東西を問わず、単一の部位ではなくて、内臓のさまざまな場所に「精神」的な働きが宿る場所があったのでしょうね。

  つらつら思うに、ガルの説というのは(19世紀に「科学」として成立したらしい)心理学よりとっくの先に人間の感情と意識と知性の働き(さらにmind 以外の機能もですが)を脳にすべて還元しちゃう方向をむいていたように見えるのですがまちがっているでしょうか。そこでは知と情すなわちヘッド対ハートというような、アメリカ文学でよく示されるような対立図式が、少なくともヒユのレベルでは壊されてしまっているのでしょうか。すでにして。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  断章的になってきたので、ウェブスターはあらためて書くことにします(断腸の思いで、というのはウソですがw)。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   OED の "phrenology" の項目だけでもカタをつけておこうと思います。用例の2つめは、"1817 Blackw. Mag. I. 367 The word Craniology is an invention of Spurzheim's enemies. It is not of the bone he treats, but of the manifestations of the mind as dependent on organization. Phrenology would be a more appropriate word. " というものです(「craniology 頭蓋学 はシュプルツハイムの敵の造語である。彼が扱うのは骨ではなく、人体組織に依存する精神のあらわれにこそある。フレノロジーがより適切なことばであろう」)。はい。これは前の記事で書いた、 "S. W." というイニシャルだけの誰かわからない人の記事です。Blackw. Mag. というのはスコットランドのエディンバラの Blackwood's Magazine のことで、後期のゴシック小説を載せたことで有名な雑誌ですね。これとつきあわせて考えると、"Observations" という欄のたぶん投稿記事だったと想像されます。用例の4つめは、"1819 G. Combe Ess. Phrenol. Introd., The real subject of the system is the Human Mind: I have therefore adopted the term ‘Phrenology’ ... as the most appropriate, and that which Dr. Spurzheim has for some years employed." (「学説の真の主題は<人間精神 Human Mind> である。だから私は「フレノロジー」の語を採用する・・・・・・最も適切な語としてであり、シュプルツハイム博士は何年も用いてきたものである」)  これまた前の記事で Nineteenth-Century Origins of Neuroscientific Concepts の記述に言及されていた、スコットランドのジョージ・クームの文章です。そして4つめはなんと・・・・・・エマソンです(w)。これは自分が前の記事で引用したのと同じ箇所です――"1841–4 Emerson Ess., Nature Wks. (Bohn) I. 228 Astronomy to the selfish becomes astrology;... and anatomy and physiology become phrenology and palmistry."。そして5つめは "1866 Brande & Cox Dict. Sc., etc. II. 896/1 By forcing the inductive method of enquiry into mental philosophy, phrenology has laid the foundations of a true mental science. " (「精神の哲学に帰納的な探究の方法を押し通したことによって、フレノロジーは真の精神科学の土台を築いた」)という文章。そして上に引いた1881年のスミソニアン協会の文章でOED 用例はおわりです。こう見ると、19世紀までのところでは、少なくともphrenology の語は必ずしも悪い意味合いで、あるいは非難されるものとして使われてはおらなかったように考えられます。おそらく、その後の「骨相学」の人種差別的な適用が、はじめに大英帝国の植民地政策において、そして同じイギリスで提唱される優生学、ドイツで提唱されナチズムにつながっていく人種衛生学(民族衛生)において、行なわれることによって、決定的に phrenology はイメージダウンしたのでしょうね。

     つづく。

TaylorIMMoePhrenologyM.jpg

via

"Chapter 15 - In the Minds of Men, Fifth Edition" <http://www.creationism.org/books/TaylorInMindsMen/TaylorIMMo15.htm> : "An illustration from Thomas Sewall's 1837 lectures on phrenology showing the use of the craniometer.  Originally intended for the determination of personality, its use was eventually confined to the measurement of intelligence and assessment of "racial characteristics".  (Academy of Medicine, Toronto)" (トマス・スーアルの1837年の講義録における頭蓋測定器を示すイラスト。もともと人格の測定の目的に向けられたものだったが、結局は知性の計測と「人種的特徴」の査定に使用は限定されることとなった。)

January 9 身も心も――横隔膜と頭と心についての覚え書(コトバの問題のつづき)のおまけ [擬似科学周辺]

January 09, 2009 (Friday)

    つい出来心で、前の記事の「January 8-9 横隔膜と頭と心についての覚え書(コトバの問題のつづき)・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の2)――擬似科学をめぐって(11)  On Pseudosciences (11)」に以下の曲を埋めてしまいました。調子に乗って歌詞をメモっておきます。悪ノリという感覚はなく、かなりマジですw。

Body & Soul」―SPEED (1996)
作詞・作曲 
伊秩弘将
BODY & SOUL SPEED 歌詞情報 - goo 音楽」 <http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND9367/index.html>
この曲のPVにゴールデンゲートブリッジが出てきますね。
 第2連の「心も体もShape Up して」と第6連の「Hot な Soul 強気で Go!」から、body=体、soul=心という同定がうかがわれます。それにしてもくりかえされる「Body & Soul 全部脱いじゃえば」というのは何を脱ぐのか不明。
あ、body & soul はかけ声みたいなものですか。

「身も心も」―ダウン・タウン・ブギウギ・バンド (1977)
作詞 阿木耀子 作曲 宇崎竜童

「身も心も - ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 歌詞情報 - goo 音楽」  <http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND4381/index.html>
 阿木耀子の、男の身になったラブソングなのですが、「身も心も一ツに溶けて」と繰り返されるのは、(女の)身と心が一つに溶けているのではなくて、そしてまた男と女の身と心がそれぞれ、つまり男の身と女の身が一つ、男の心と女の心が一つというのでもなく、男の身と女の心と女の身と男の心がすべて一つに溶けているのでしょうね。「身も心も一ツの命」。アイデンティティーの喪失。愛だから許される、愛ゆえの幻想。言葉はむなしいと言いながら、ジョウゼツに言葉を紡ぐところが詩の宿命でしょうか。それとも恋とはそういうものなのか。それともジェンダーを変えたがゆえの振幅か。それにしても、この曲は、テレビドラマのほうの『探偵物語』のラストとダブってしまいます。工藤ちゃんが刺されてくずおれるのですが、曲はそのまま流れ続けて表参道原宿を歩く映像が流れてから通常のエンディングへと
転換する。あの姿は幻なのか、身も心も溶けちゃって霊になっているのか(わけわかめ)。 <http://jp.youtube.com/watch?v=nXuL0phlRjY>

「ガッツだぜ!!」―ウルフルズ (1995)
作詞・作曲 トータス松本

「ガッツだぜ!! ウルフルズ 歌詞情報 - goo 音楽」
<http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND8978/index.html>
 第1, 4, 9連の「パワフル魂」、第5連の「このSoulが売りよ」でガッツとソウルの同定が示される。あと「ド根性」も等価的。

 


January 9 2009年1月9日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 09, 2009 (Friday)

   天気予報では今日あたりからどんどん陽気になって、月曜まで気温があがりつづけて、1月らしからぬ暖かさになるということでした。

  朝、海の方には雲が垂れこめていて、ゴールデンゲートブリッジは見えませんでした。――

January9,2009AlbanyCA0738am.jpg
2009年1月9日午前7時38分 (クリックでちょっと拡大)

 でも、手前の方は青空で雲もなく晴れていました。雲は太平洋の上にあるようです。――

January9,2009AlbanyCA0739am.jpg
午前7時39分 (クリックでかなりまじに拡大)

  午後の日射しはかなり暑いくらいでした。夕日が沈むころはゴールデンゲートブリッジもくっきり見えました。――

January9,2009Albany,CA1659pmDSC_0234.jpg
2009年1月9日午後4時59分

January9,2009AlbanyCA1659pm.jpg
上の写真の数十秒あとの4時59分

 

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karakusa.jpg

7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニアバークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕


January 10-11 コトバの問題のつづきでアメリカの辞書・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の3)――擬似科学をめぐって(12)  On Pseudosciences (12) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 10, 2009 (Saturday)
January 11, 2009 (Sunday)

  「January 8-9 横隔膜と頭と心についての覚え書(コトバの問題のつづき)・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の2)――擬似科学をめぐって(11)  On Pseudosciences (11)」のつづきになります。

   アメリカの標準的な辞典である(メリアム)ウェブスターの辞典は "phrenology" をどのように記述してきたのでしょうか。

  日本語のウィキペディアの「骨相学」は英語と同じく19世紀末のウェブスターの辞典の挿絵つき定義を掲載しています。

300px-1895-Dictionary-Phrenolog.png
(クリックで拡大ページへ)

  日本語のほうのキャプションを引けば、「1895年のウェブスター現代英英辞典に掲載された骨相学による地図。ガルによれば、脳は、色、 音、言語、名誉、友情、芸術、哲学、盗み、殺人、謙虚、高慢、社交などといった精神活動に対応した27 個の〈器官〉の集まりであるとされた。」 英語のほうは、ちょっと違う位置に同じ図版があるのですが、キャプションは "A definition of phrenology with chart from Webster's Academic Dictionary, circa 1895" (「ウェブスター・アカデミック辞典(1895年ごろ)から、チャートを付したフレノロジーの定義」です。英語のほうの"File" 説明ページ <http://en.wikipedia.org/wiki/File:1895-Dictionary-Phrenolog.png> を見ると、しかし、タイトルとはズレた、"This is an illustration and defenition of 'phrenology' from Webster’s Dictionary circa 1900." という文が付いていますw。1828年のノア・ウェブスターの初版の辞典以来、辞書戦争をくぐりぬけて、メリアム・ウェブスターが本家ウェブスターを名乗って現在に至るわけですが、本家のなかでも各種辞典が――つまり、有名な2版、3版の国際版のほかにも――いろいろ出されたのはあたりまえといえばあたりまえです。ちょっと検索してみて、たいへん感心したのは、愛知大学のHayakawaさんの「英学とウェブスター辞書」というページ <http://taweb.aichi-u.ac.jp/hayakawa/isamu03.html>。有名な 「非縮約 unabridged」、縮約版、高校用とか19世紀からあって、1895年に "A Dictionary of the English Language" の本題は他と同じで、確かに "Academic Dictionary" と称するものが出ています(もっとも、この年だけの出版と考える方が不自然ですけれど)。

  で、本体にあたらないと、ほんとは何年のものかはわからないのですが、ともかく、日本語の「現代英英辞典に掲載された骨相学による脳の地図」というキャプションにもかかわらず、チャートだけでなく定義が冒頭に入っています。

1. Science of the special functions of the several parts of the brain, or of the supposed connection between the various faculties of the mind and organs in the brain.  2. Physiological hypothesis that mental faculties, and traits of character, are shown on the surface of the head or skull; craniology.  (1.脳のいくつかの部位の特別の機能について、あるいは精神のさまざまな機能と脳内の器官とのあいだに想定される結びつきについての科学  2. 精神の機能、また人格の特徴が、頭の表面ないし頭蓋に示されるという生理学的仮説; クラニオロジー(頭蓋学))

  WEB上で参照可能なウェブスターの標準辞典のサイトとして、ARTFL Project の、1828年の初版と1913年国際版を合体させた "Webster's Revised Unabridged Dictionary (1913)" <http://machaut.uchicago.edu/websters> があります。それで "phrenolgy" を引くと、両者の定義がつぎのようにでてきます<http://machaut.uchicago.edu/?action=search&word=phrenology&resource=Webster%27s&quicksearch=on>実際の表示の順序をひっくりかえして、まず1828年版(つまり「ウェブスター初版」)――

PHRENOL''OGY, n. [Gr. the mind, and discourse.] The science of the human mind and its various properties. (人間精神とそのさまざまな特性についての科学)

Phrenology is now applied to the science of the mind as connected with the supposed organs of thought and passion in the brain, broached by Gall. (フレノロジー(骨相学)の語は、現在、ガルによって提起された、脳内の思考や情念の器官と想定されるものと結びついた精神の科学をいうのに用いられている)

  1913年版――

Phre*nol"o*gy (?), n. [Gr. , , the mind + -logy: cf. F. phrénologie.]

1. The science of the special functions of the several parts of the brain, or of the supposed connection between the various faculties of the mind and particular organs in the brain.

2. In popular usage, the physiological hypothesis of Gall, that the mental faculties, and traits of character, are shown on the surface of the head or skull; craniology. <-- considered pseudo-science by all reputable medical personnel, but still believed by --> &hand; Gall marked out on his model of the head the places of twenty-six organs, as round inclosures with vacant interspaces. Spurzheim and Combe divided the whole scalp into oblong and conterminous patches. Encyc. Brit. <-- Illustr. of a chart of phrenology, showing the areas of the skull as "mapped" by Gall. --> 一般的な用法として、精神の機能、また人格の特徴が、頭の表面ないし頭蓋に示されるという、ガルの生理学的仮説)

  色を変えた箇所以外は、1895年だか1900年だかの辞典と同じです。ただし2番の定義のあとに説明的な記述があり、そこのところ句読法とかよくわからんのですが(☞とかあるのかしら)、「――すべての信頼できる医療関係者から擬似科学とみなされている――」 とあり、さらにブリタニカ百科事典から引用して、「ガルは頭の模型に26の器官を、間隙のある丸い囲いで示した。シュプルツハイムとクームは頭蓋全体を隣接する楕円形の区画に分割した。ブリタニカ百科」 そして最後ギュメ <> に入っているのは、WEB的な記述なのですけれど、ここにガルによって「マップ」された頭蓋の図版があった(本来ある)という記述です。

  安易な推測で結論めいたことを書く気はなく、データとして(?) メモっている(?) のですが、とりあえず19世紀末から20世紀はじめにかけてのアメリカのウェブスター辞典の記述については、ガルの「骨相学」が2番の意味にになっています・・・・・・1913年の記述はガルの名を出して明確にする一方、"in popular use" という限定をつけています。つまり1番のほうは"in popular use" ではない。ということは、専門的なコトバの意味として掲げているのだと考えられます。すなわち、脳内の特定の部位が特定の精神活動に結びついているという考えと、それが頭蓋の表面にあらわれるという考えは、いちおう別、ということです。

  それから、1913年版の記述ではより明確に、通俗的なコトバの用法と専門的な(当時はまだコトバ自体は否定されていなかったと考えられるわけですが)用語としての意味を分けているように見えます。

  メモを続けます。"craniognomy" という語もウェブスターの初版からあがっています――<http://machaut.uchicago.edu/?resource=Webster%27s&word=craniognomy&use1913=on&use1828=on> ――

CRANIOGNOMY, n. [Gr., the skull, and knowledge; index; L. , the skull.] The doctrine or science of determining the properties or characteristics of the mind by the conformation of the skull.

   そして1913年版――

n. [Cranium + Gr. , . to know.] The science of the form and characteristics of the skull. 

   それから、"craniology" ――

CRANIOLOGY, n. [Gr., the skull, and discourse.] A discourse or treatise on the cranium or skull; or the science which investigates the structure and uses of the skulls in various animals, particularly in relation to their specific character and intellectual powers. 〔1828 Webster〕

n. [Cranium + -logy.] The department of science (as of ethnology or archæology) which deals with the shape, size, proportions, indications, etc., of skulls; the study of skulls.   〔1913 Webster〕

   頭蓋学というか、少なくともガルにもともとつながっていて、ときにphrenology と同義語として19世紀前半には使われていたクラニオロジーのほうは、1913年の記述を見ると、人類学や考古学のほうへシフトしてしまっているように見えます。(「January 8 コトバの問題とコトバだけじゃない問題・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇)――擬似科学をめぐって(10)  On Pseudosciences (10)」参照)

  それにしても、ウィキペディアの引いている19世紀末のウェブスターのチャートは35番まであって、おわりのところに "Some raise the number of the organs to forty-three" (器官の数を43まで上げる者たちもいる)とかか書かれていますけれど、このチャートは1913年版の、「ガルによってマップされた」とするチャートではどうなっていたのでしょうか。気になる。なお、英語版のウィキペディアの "Phrenology" は、ガルの27(26ではないのですが、思うに1番の再生本能とかいうのの器官は小脳にあるので、別格なのではないでしょうか。説明してくれないとわかんないですよね。プンプン)のチャートをリストアップしています。<http://en.wikipedia.org/wiki/Phrenology>

  さらにつづく。


January 11-12 コトバの問題のつづきで辞書問題などの予告・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の4)――擬似科学をめぐって(13)  On Pseudosciences (13) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 11, 2009 (Sunday)
January 12, 2009 (Monday)

    〔「January 8 コトバの問題とコトバだけじゃない問題・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇)――擬似科学をめぐって(10)  On Pseudosciences (10)」のつづきの「January 8-9 横隔膜と頭と心についての覚え書(コトバの問題のつづき)・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の2)――擬似科学をめぐって(11)  On Pseudosciences (11)」のつづきの「January 10-11 コトバの問題のつづきでアメリカの辞書・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の3)――擬似科学をめぐって(12)  On Pseudosciences (12)」のつづきです〕

    コトバの問題につまずいてしまいました。なぜphrenology のところでこれが起こったかというと、第一に、「骨相学」と日本語に訳される phrenology は本来のコトバの意味としては「精神学」と訳すのが適当なのに骨相学と呼ばれてきたという日本語とヨーロッパ語の双方にかかわる問題、第二に、ほとんど動物的な勘と呼ばれても平気ですけれど、心理/精神/魂問題が擬似科学・科学の歴史には関わっているという問題、(以上はなんとなくはすでに書いたことですが)第三に、ウィキペディアは "pseudo-science" という語の最初期の例として――それもオックスフォード英語辞典のかかげる1844年の初例より1年早い例としてw――phrenology に関して「擬似科学」の呼称が使われた文を挙げている、ということがあります。

  現在、細かく辞書に引かれた文献や典拠や用例にあたっている余裕がなく、コトバ問題は先送りにして、骨相学の先に進んで全体(といっても19世紀前半のアメリカの状況ですけれど)をそれなりに捉えてから、また細かい話に戻ってこようと思います。

  ただ、この記事では、少しだけ見通しとメモを記しておきたいと思います。

    I.  フランソワ・マジャンディの用例

  まず、骨相学を擬似科学と呼んだ早い例というのは、英語のウィキペディアだと本文の最初の段落に出てきます。"An early recorded use was in 1843 by French physiologist François Magendie,[1] who is considered a pioneer in experimental physiology." (記録された早い例は、1843年にフランスの生理学者フランソワ・マジャンディによるものである。マジャンディは実験生理学の開拓者とみなされている。) 注を見ると、 "Magendie, F[.] (1843) An Elementary Treatise on Human Physiology. 5th Ed. Tr. John Revere. New York: Harper, p 150. Magendie refers to phrenology as "a pseudo-science of the present day" (note the hyphen)."(F・マジャンディ (1843) 『人体生理学初歩』 第5版 ジョン・リヴィア編・訳 ニューヨーク:ハーパー, 150 ページ。マジェンディは骨相学を「今日の擬似科学」と言及している) と情報があります。フランソワ・マジャンディ François Magendie, 1783 – 1855 (この人は動物で生体解剖とか進めて、非難も受けた人です)のフランス語の本のアメリカでの英訳ということですが、5版というのが気になります、自分は。5版からこの記述がはいったということなのでしょうか?  ということでつまずきが起こるのですが、WorldCat で調べてみたら、フランス語原書の情報も得られました――<http://www.worldcat.org/oclc/19757168/editions?editionsView=true&fq=&se=yr&sd=desc&referer=di&start_edition=1>。それから、InternetArchives でe-text を調べると、このWorldCat の検索の冒頭にもあがっている1855年版がWEB上にあることがわかりました――<http://www.archive.org/details/anelementarytre00magegoog>。Googleブック検索で当該ページ(150ページ)をリンクします――<http://books.google.com/books?id=8uIHAAAAIAAJ&pg=PA150&vq=of+the+present+day&as_brr=3&hl=ja&source=gbs_search_r&cad=1_1#PPA150,M1>。序文を見ると、ジョン・リヴィアというのはニューヨークのユニヴァーシティー・メディカル・カレッジの先生のようですが、1822年にマジェンディの The Summary of Physiology を訳し、それが好評で2版までは版を重ねたが絶版になってしまっていたが、新たに別の本を訳すことになったようです。原書は、 Précis élémentaire de physiologie 5版 (調べてみると1838年刊)です (Introduction, iii)。

  この1855年版のタイトルページは次のように書かれています。――

AN
ELEMENTARY TREATISE
ON
HUMAN PHYSIOLOGY,
ON THE BASIS OF THE
Précis élémentaire de physiologie.

PAR F. MAGENDIE,
MEMBER DE L'INSTITUTE DE FRANCE, &c., &c., &c.
FIFTH EDITION. 1838.

TRANSLATED, ENLARGED, AND ILLUSTRATED WITH DIAGRAMS AND CUTS.  ESPECIALLY DESIGNED FOR THE USE OF STUDENTS OF MEDICINE.

BY JOHN REVERE, M.D.,
PROFESSOR OF THE THEORY AND PRACTICE OF MEDICINE IN THE UNIVERSITY OF THE CITY OF NEW-YORK.

NEW YORK:
HARPER & BROTHERS, PUBLISHERS,
PEARL STREET, FRANKLIN SQUARE.
1855.

   そして、コピーライトページには "Entered, according to Act of Congress, in the year 1843, by HARPER & BROTHERS, In the Clerk's Office of the Southern District of New-York." と、1843年の版権が書かれていました、確かに。

  

     II.  OED の "pseudo-" の記述

  OED は、 pseudo というコトバが次第に自由に名詞や形容詞に付けられるようになり、特に19世紀に大量のpseudo- ナンタラいう言葉がいろいろな sciences (科学というより学問かもしれませんが)において使われた、というような説明とともに、おびただしい用例を示しています。ちょっとヒマなときに考えさせてください。

   III.  pseudo-science というコトバの始まりについて

  ということで、先送りです。

  ただ、前にdetective fiction というのは犯罪捜査を行なう警察組織が1830年代に生まれるまでは detective も存在しないから存在しないのだ、と言ったハワード・ヘイクラフトの狭い「探偵小説」=「推理小説」の定義についてチカッと触れましたが、pseudo-science というコトバがなくてもニセの科学があっただろうことは容易に考えられます(常識の問題)。ただ、想像されるのは、science そのものが18世紀末から19世紀にかけての実証主義的な流れのなかで自己規定を行なっていき、さらに科学内での新たな知見や発見や修正が積み重ねられて、科学と擬似科学を分けるマナザシが科学の正当派内部で強くなったのだろう、そのときに擬似科学という言葉が選別的に使われるようになったのではないかということです(まことに勝手な想像です)。科学自体の定義があいまいないし茫漠としていたのが、理科系的実証主義的還元主義的な態度が、機械文明の発展とともに「科学」の中心の座を占めるという展開があったのではなかろうか。

   ちなみにウィキペディアの英語の "Pseudoscience" の記事には19世紀後半の骨相学のチャートが挿絵として載っていて、キャプションでは、はっきりとpseudo-science の初例(少なくとも骨相学に関して)という感じで書かれています。――

phrenologicalchart.jpg

A typical 19th century phrenology chart. Phrenologists claimed to predict personality traits from reading "bumps" in the head. Phrenology was first called a pseudoscience in 1843 and continues to be widely considered pseudoscience. (典型的な19世紀の骨相学のチャート。骨相学者たちは頭の「コブ」を読むことで性格の特性を予言できると主張した。骨相学は最初1843年に擬似科学と呼ばれ、広く擬似科学と考えられ続けている。)

  直訳を付けましたが、1843年からずっと擬似科学と呼ばれてきたのか、あるいはあまねく擬似科学とみられ続けたのか、というのは疑問の余地があると思うのです。(1843年以前から呼ばれたという可能性も含めてですがw)。

  実は科学と医学の本を読んでいたのですが、頭が痛くなってしまったので、非科学の方向で筆を進めてみようと思っています。

  アメリカにおけるメスメリズムの展開についてなるたけシャキッと書く予定です。 

 

 


January 11 2009年1月11日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 11, 2009 (Sunday)

   週半ばの天気予報通りに、土曜日曜と晴れて、気温が上がっています。日曜日は夕方5時45分に外気温21度、6時になっても20度ありました。

January11,2009AlbanyCA1654pm.jpg
2009年1月11日午後4時54分のゴールデンゲートブリッジと太陽と空

  あ、太陽とシスコムーンのシスコってサンフランシスコかしら。

January11,2009AlbanyCA1713pm.jpg
午後5時13分

  やっぱり日が長くなっている感じ(って日は沈んでますがw)。

January11,2009Albany,CA1741pm.jpg
午後5時41分

  12月には5時半をまわるとシャッターを切るのが困難だっただけでなく、実際暗くなっていたのですけれど、だいぶ夕焼けの時間が延びました。〔カリフォルニア時間13日午後9時半追記―書きそびれていましたが、まんなか上のちょっと左の黒い点は飛行機です。このあいだのもう少し大きな黒い影も飛行機だったのだと思います。〕

January11,2009Albany,CA1742pmb.jpg
午後5時42分

  たまには縦で。

January11,2009Albany,CA1744pm.jpg
5時44分

  この時間くらいになるとゴールデンゲートブリッジに照明がつくみたいです(日によって違うかもしれませんが)。

January11,2009AlbanyCA1744pm.jpg
同じく午後5時44分

  手前の空は肉眼ではもう少し明るい青です。

 

needle-beadx200.png

7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニアバークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕

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January 13 [図版] 1840年代のメスメリズムの宣伝チラシ4種――擬似科学をめぐって(14)  On Pseudosciences (14) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 13, 2009 (Tuesday)

   朝からスキャンと修正に没頭して疲れました。

  前回、アメリカのメスメリズムの話へ移行すると書きましたが、メスメリズムについては既に先走って「January 3-4 ホメオパシーとスウェデンボルグ主義 (上)――擬似科学をめぐって(7)  On Pseudosciences (7)」で前史に触れました。こんなふうなことを書いていました。――

・・・・・・メスメリズムについていえば、フランツ・アントン・メスマーは、1795年にパリの科学アカデミー(メスマーはこれか医学アカデミーか、どちらかに入りたいと願うのですが拒絶されています)の調査で、そんな磁気流体というような物質は存在しないと烙印をおされ、その後のスキャンダルもあってパリ追放となっているわけですけれど(つまり前世紀に一度否定されているわけですけれど)、1820年代に弟子のピュイセギュール(1751-1825)が新たな術の装いで登場し、いっぽうでトランス状態に落ちた被験者の発揮する透視能力や予知能力が話題となると同時に、外科手術における利用(1828年のマダム・プランタンの乳がん除去手術)が成功をおさめて、こんどは医学アカデミーの信用を得ます。アカデミーの委員会は、調査報告を1831年にまとめ、催眠術による「無感覚状態」の効果から「トランス状態」において術師に従うこととか、目を閉じたまま読む能力とかを追認します。それで、再びドーバー越えてイギリスにわたり、さらに大西洋を越えてアメリカに伝わったメスメリズムないし動物磁気説(animate things 生体(動物体)に特異の磁気があり、それは宇宙に遍在する磁気と交流しているけど、その流れを統御することで身体的・精神的状態は統御できるというふうにいったらいいかしら――まちがっていたら訂正しま~す)は、はなから「擬似科学」であったわけではなかったのでした。

  で、ほんとうは1830年代にアニマル・マグネティズムがイギリスに来たときの文化的コンテクストというか状況を考えておく必要があるのですが、それは先に送ることにして、最近の記事でしつこく語ったフレノロジー(骨相学)が、ウィキペディアの記述によれば1843年に「擬似科学」と呼ばれた、ということをチョコっと念頭において、以下の5枚の公開講義ないし実験(ないし見世物)のチラシを見ていただきたいと思います。

  I.  1844年3月のロンドンのクロスビー・ホールにおけるヘンリー・ブルックスの講義のチラシ

mesmerism02(1844).jpg
(クリックで長辺1024ピクセルに拡大、以下同じ)

  H. Brookes による "Two Lectures on MESMERISM" が行なわれると書かれていますが、続けて、"IIILUSRATED BY EXPERIMENTS, / Showing the Sleep, Sleep-waking, Catalepsy, Phreno-Mesmerism, &c." つまり、「睡眠や睡眠覚醒やカタレプシーやフレノ・メスメリズムなどを示す実験によって例証する」と説明があります。カタレプシー (catalepsy 英語の読みは「キャ」ですけど)は強硬症と訳されたりしますが、見た目が死んだように硬直してしまう症状で、ポーとかの「早すぎた埋葬 premature burial」というモティーフの「合理的」なタネのひとつです。フレノ・メスメリズムのフレノはフレノロジーのphreno で、メスメリズムと骨相学は1840年代には合体して、一緒に論及ないし展開されることが多くなっています(これはアメリカでもそうです)。まんなかには「シラバス」が載っていて、英語を書き写すだけしておきますと、"LECTURE 1.  INTRODUCTION―Mesmerism as a Science―Definition―Effects necessarily variable―Sleep not essential―Classification of Phenomena―First stage, or half sleep―Second stage, or perfect coma―Consciousness―Memory―Sleep-waking, or double consciousness 〔二重意識〕―Occasional transference of senses 〔「感覚の転位」という訳語で正しいかわかりませんが、通常の知覚部位が体の別の部位に移動することだと思います。「手」でモノを「見る」とか, or clairvoyance 〔透視〕―Analogous phenomena resulting from disease―Of the utility of Mesmerism in surgical operations, and as a curative agency in the treatment of epilepsy, hysteria, paralysis, calatapsy, rheumatism, tooth-ache, head-ache, deafness, palpitation, insanity, and in promoting natural sleep―Cases―Experiments./ LECTURE II.  Peculiar phenomena arising from the relation established between the two nervous systems, viz. Mesmeric relation―Attraction―Catalepsy―Community of sensation―Phreno-Mesmerism―Introvision, or perception of their own internal organism, and its probable changes―Perception of disease and its remedies in others―Of the influence of metallic substances, &c.―Experiments.

   8時に講義開始、聴講料金とります毎週1シリング(会員は1シリング6ペンスで、友人と一緒のダブルチケット購入可)。下の箇所には1831年のパリの医学アカデミーの調査委員会報告などからお墨付きが引かれています。

  II.  1844年ロンドンのマンチェスタースクエアにおけるW・J・ヴァーノンとアドルフ・キーストの講義のチラシ

mesmerism05(1844).jpg

  "Mr. W. J. VERNON, with ADOLPHE" と、ひとりはMr. をつけて、もうひとりはファーストネームのアドルフだけで、なんだか差別があるように見えますが、アドルフというのはニックネームみたいなもので、続けて "The celebrated Somnambule 〔「夢遊病者」, 夢中遊行者〕 de Paris, and other extraordinary cases" と紹介があるように、パリでメスメリズムの被験者としてメザマシイ能力を発揮したフランス人のようです。ふたりは何年もパートナーだったようで、当時の雑誌 The Phrenological Journal, and Magazine of Moral Science (Machlachlan, Stewart, 1841) の記事がWEB 上に見つかります――<http://books.google.co.jp/books?id=XW5GVIA2mGIC&pg=PA80&lpg=PA80&dq=%22Adolphe+Kiste%22&source=bl&ots=YpZcyxGj9X&sig=CkRQvrkKs8HtdDTYhdkcTv950r4&hl=ja&sa=X&oi=book_result&resnum=3&ct=result>。また、単独でMesmerism; or, Facts against fallacies, in a letter to the Rev. George Sandby. (London, H. Baillière, 1845) という本も書いているようです。

   最後のところに☞記号が付いていて、"Medical and Surgical Cases Treated Mesmerically/ Classes and Private Seances attended." と書かれています。前半は病気をメスメリズムで治すということですが、後半の、教室や個人のセアンスに出席します、というのは、招かれて出張講義します、の意味だと思われます。seance というのはもともとフランス語で、「集会」の意味もありますけれど、いわゆる「交霊会」の意味が主になった英語です。それは1848年にアメリカで起こるスピリチュアリズムがヨーロッパに広がった結果フランス語のseance の交霊会の意味が広まった、というふうに普通説明されるのですけれど、スピリチュアリズム以前にメスメリズムで使われているのです、実は。メスメリズムによってトランス状態におちた被験者が霊的な能力を発揮するだけでなく、霊の教えを語ったりするということが既にあって、そういう「霊媒」による霊の顕現なり啓示みたいな枠組みがスピリチュアリズムに先駆けて存在していた、というか、ほとんどそのままつながっていくなように見えます。これについてはいずれまた触れます。

  III.   1846年サマセットシャー、チャードのタウンホールにおけるウィリアム・デイヴィーの実験講義のチラシ

mesmerism01(1846).jpg

  講師のデイヴィーさんはチラシの絵では、骨相学的なチャートの描かれた二つのでかい頭部の間に立っています(遠近法ですかね)。三つの実験&講義は、「メスメリズム、フレノロジー、共感・鉱物磁気の有用性について」のもの("THREE EXPERIMENTAL LECTURES, ON THE UTILITY OF MESMERISM[,] PHRENOLOGY, SYMPATHY & MINERAL MAGNETISM") で、メスメリズム、フレノロジー、マグネティズムが並んでいます。夜7時開演。入場料とります。予約割引あり。席にランクがあります。「すべての人が時代の最大の驚異を目撃する機会を得られるように That all persons may have an opportunity of witnessing the greatest wonders of the age, the price of Admission will be reduced one-half, viz. RESERVED SEATS, 1s.; SECOND CLASS, 6d.; BACK SEATS, 3d.」といって料金のことが出てくる論理があんまりよくわかりませんw。

  そのあとを書き写しておきます――"THE LECTURER Will explain in his preparatory Lectures the locality, use, and abuse of the Organs, and the application of Mesmerism to human welfare, and exhibit a number of Busts, whose characters are before the Public.  He will then undertake to produce Mesmeric Sleep, Rigidity of the Limbs, Power of Attraction and Repulsion, and the Transmission of Sympathetic Feelings.  He will also demonstrate Phrenology, by exciting the Organs while in a state of Coma 〔昏睡状態において「器官」を刺激することによって、骨相学のデモンストレーションをやる、と言っています〕.  The sleepers will perform Vocal and Instrumental Music, Dancing, Talking, Nursing, Eating, Drinking, and other feelings of mirth, imitation and independence, even up to the highest manifestations of benevolence, veneration and sublimity, while in the Mesmeric Sleep 〔歌ったり楽器を弾いたり、踊ったり、喋ったり、飲食したりなどの行動、そして陽気 (mirth) とかマネッコ(imitation) とか善意 (benevolence) とか尊崇 (veneration) とか崇高 (sublimity) などの感情を、催眠状態の人が示す、というようなことが書かれているのですけれど、これは上にあるように「器官」、つまり頭の骨相学的な部位に触れることによって引き出されるわけです〕.
    Mr. D. will be accompanied by Miss Henly, daughter of the late Capt. Henly, from Newton-Abbot, born Deaf and Dumb; and he feels confident of bringing into action those faculties which have been dormant from her birth, by the aid of Phreno-Mesmerism.
     "FACTS ARE STUBBORN THINGS."

   最後の"Facts are stubborn things." ――「事実とは頑固なモノ」――はコトワザです。フィクションは改変可能だけれど、事実は変えようがない。事実を断固提示することによってメスメリズムと骨相学の真実を聴衆にわからせる、という含みです。その際、被験者のひとりには、生まれながらにして耳がきこえず口がきけなかったミス・ヘンリーという女性を、フレノ・メスメリズムの力を使ってその場で治す(「生まれたときから眠っていた能力を活動させる自信がある」)とデイヴィー氏は言っています。ちょっと説明しておきますと、1842年ごろからフレノ・メスメリズムの公開パフォーマンスが盛んになったようなのですが、催眠状態(トランス状態)の被験者の頭の「器官」の部位に触れることで、その能力が現われる、あるいはその能力に関連したしぐさや行動を被験者が起こす、というようなことが確かめられたのでした。そのへん、次の、ロンドンの倫理哲学と大脳生理学の先生の講義(金取るのですけど)のチラシに書かれたプログラムの背景にもうかがわれます。

  IV.  1847年オクスフォードシャー、バンベリーでのイーデン博士の講義のチラシ

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  直截に「メスメリズム&フレノロジー MESMERISM & PHRENOLOGY」と銘打たれています。左下の骨相学のチャートのある頭と、左上のひとつだけ白い頭像以外は、右下のMa[→e]lancht[h]on メランヒトンとか右上のシェークスピアとか、何人かの偉人が入っているようですが、ちょっと印刷が悪くてよく読めません。ともあれ、これも見てすぐに骨相学とメスメリズムの結合を示しているのがわかるチラシです。

MESMERISM & PHRENOLOGY
REV. Dr. EDEN,
of 70, Regent Street, London, Professor of Moral Philosophy and Cerebral Physiology, will deliver
TWO LECTURES,
AT THE MECHANICS' INSTITUTE, BANBURY,
To Morrow, (Thursday) and Friday Evenings, April 15th and 16th, 1847,
Each Lecture to commence at 8 o'clock precisely, and conclude at half-past 9. 〔講義時間90分♪〕 

   LECTURE 1―Thursday, 15th.  Mesmerism―its Philosophy, &c.―Rev. Lay Roy Sunderland's theory―Dr. Braid's theory―Division of the phenomena.  First stage.  Second stage.  Third stage―Surgical operations performed during this stage.  Mesmerism a curative agent in cases of nervous diseases, viz., hysteria, epilepsy, rheumatism, &c.
   LECTURE 2―Friday, 16th.  An explanation of the Physiology of the Brain and other leading principles of Phrenology; its harmony with Sacred Scriptures 〔聖書のことです〕.  Phrenology useful in Education, and for success in certain Trades and Professions; Phrenology proved to be the best way of discovering how many talents and propensities each individual possesses.  How to Train and Educate Children at half the expense, and in half the usual time.

     Doctor E. has also given hundreds of Analyses and Sketches of the Inhabitants of the Principal Towns, comprising the most respectable of both Clergy and Laymen, which had the effect of convincing all parties of the truth and importance of Phrenology, some of whom previously thought it a mere delusion.  The Examinations have been of the greatest importance to many, enabling them to call into play, powers, with which they were not acquainted, and to check others which were a constant source of trouble to them 〔「問題の源泉となっていた力を抑制する」といっていますが、骨相学のチャートで「悪」の部分、すなわち、ガルは積極的に認めたけれど、シュプルツハイムは善性論から排除しようとした器官について、認めたうえで改善する、という姿勢です〕; they have likewise been equally important to parents, enabling them to quicken in their children those powers that are productive of knowledge and virtue, and to restrain those that have a tendency to evil 〔ここも同様に、「悪への傾向を示す力を抑止し」「知識と徳を生み出す力を促進する」という教育的効果です〕, and to make choice of those professions, trades, or other walks of life for which they are adapted. 
     Testimonial of the REV. D. WELCH, D. D. Professor of Church History, in the University of Edinburgh, ** I have found great benefit from the science, as a Minister of the Gospel, *** in dealing with my people in the ordinary duties of my calling; the practical benefit I have derived from Phrenology is inestimable.


    そのあと、よく読めませんが、ロンドンの自宅でみます、学校とかでもみます、とかいうことが書かれていて、最後に入場料が太字で書かれています。前列1シリング、後列6ペンス。さらに "After the Lecture Persons suffering from Toothache, &c. may be Mesmerized. (講義のあと歯痛等で苦しんでいる方に催眠療法を行ないます) 云々" と書かれています。 

  あ、あっさり画像を貼って終わるはずだったのが、もう夜です。ひえ~。

  カリフォルニア時間1月14日朝追記――英語のなかに、少し、日本語の訳と注釈を補いました。かえって読みにくくなったことを懼れます。


January 12 2009年1月12日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 12, 2009 (Monday)

   暑い、といっていい一日でした。暑い、といって、小学校から帰ってきたモーリちゃんが窓を開けたくらいに。そしてみんなで半そでになりました(自分はアレコレ頭を悩ませながら締め切った暑い中で本を読んだりモノを書いたりしていたのでした)。

  夕方5時半の外気温(といってもベランダの温度計ですが)24度。午後8時で20度。午後9時半で19度(このころ室内は25度)。午後11時で18度。寝苦しいというほどではないですが、翌朝まで暖かく、夜具は1枚減らした(勝手に減っていた)ような。

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2009年1月12日午後5時25分のカリフォルニアの空を飛行機が飛ぶ図(クリックでちょっと拡大=以下同じ)

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5時26分

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5時28分

January12,2009AlbanyCA1732pm.jpg
5時32分

January12,2009Albany,CA1747pm.jpg
5時47分

  星が、ゴールデンゲートブリッジのサウサリート側(右側=北川景子、いや、北側)に出ました。

  前日は見えなかったのですが(44分ごろ)

   しあわせの一番星は手前の少し南の空の上の方(あたりまえw)に出ます。

    カリフォルニア時間1月14日追記・・・・・・橋の上の星と思ったのはどうやら飛行機のようです。失礼しました(汗)

needle-beadx200.png

7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニアバークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕

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January 13 2009年1月13日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 13, 2009 (Tuesday)

  暑い、といっていい一日でした。暑い、といって、小学校から帰ってきたモーリちゃんが窓を開けたくらいに。そしてみんなで半そでになりました(自分はアレコレ頭を悩ませながら締め切った暑い中で本を読んだりモノを書いたりしていたのでした)。

   と、前の記事に書いたのは、実は13日のことだったような気がしてきました。12日は学校帰りにモーリちゃんも Cost-co にクルマで連れて行ってもらって、荷物が重いので下まで迎えに降りて行った日だから。いえ、月曜が暑かったのは確かで、記事に書いた気温もメモにまちがいはないのですが。

  この混乱は、第一に日本と17時間の時差があり、第二にその日のブログ(日記)はなかなかその日に書けないという二点が恒常的要因ですが、二日空けたのが原因ですし、さらにその原因は多忙と怠慢です。ということで、追いつくために昨日の話を書きます。

  暑い、といっていい一日でした。暑い、といって、小学校から帰ってきたモーリちゃんが窓を開けたくらいに。そしてみんなで半そでになりました(自分はアレコレ頭を悩ませながら締め切った暑い中で本を読んだりモノを書いたりしていたのでした)。 

    アサ~♪

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2009年1月13日午前7時16分のカリフォルニアの西の空

  ゴールデンゲートブリッジと朝の月です。

  朝8時に温度計を見たら17度ありました。 

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2009年1月13日午後5時24分

  またひこうき(雲)が――

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  夜の9時半ごろ、室内は25.6度、屋外は16.8度の暖かさ(暑さ)でした。

  でも南のロサンゼルスとかはたぶん30度近かったはずです、月・火とも。

 

 


January 13-14 1846年の電気実験のチラシから――擬似科学をめぐって(15)  On Pseudosciences (15) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January13, 2009 (Tuesday)
January 14, 2009 (Wednesday)

    メスメリズムのチラシとして入れたつもりが、メスメリズムというコトバがなく、はた、と困ったチラシ。ということで、まだイギリスですが、おわりのほうでアメリカのポーの話をします。

   1846年イングランド北部のハダーズフィールドのギルドホールにおけるW・リチャードソンの哲学講義のチラシ

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   哲学講義ですが、「ポピュラー・レクチャー」と名乗っていて、中身は「笑いガス LAUGHING GAS」あり「死体に生命をLIFE TO A DEAD BODY」という怪しいフレーズあり(もっともその前には小さい字で "giving the appearance of" と書かれていて、死体が生き返ったように見えるようにする(それにしても何の死体?)、という主旨なのですが、上の方の城の尖塔と雷の絵とかとあわせて、フランケンシュタインの電気仕掛けの生命創造を思い起こさせます。講義自体「電気、ガルヴァニズム、電(気)磁気、気体学 (? Pneumatics)」 と4つ並んでおって、ナニが哲学なのかようわかりません。

  前列1シリング、後列6ペンス。小人は半額。7時半開場、8時開演。子供も科学と哲学をしていた時代ということですね。

  かねて、電気とメスメリズムはどういう関係だったのか気にはなっていたのです。1830年代にイギリスに再びメスメリズムが入ってきたとき……もう少し具体的に書くと・・・・・・

  ピュイセギュールによる新たな「動物磁気説」の復興後、フランスからイギリスへドーバー越えてやってきたのがCharles Dupotet de Sennevoy で、1837年6月のことです。はじめ外科医のHerbert Mayo に招かれてロンドンのいくつかの病院でデモンストレーションを行ない、さらにUniversity College Hospital (UCH) の John Elliotson 教授のもとで一連の施術と公開実験を行ないます。University College of London (UCL) は当時進歩的な学風で知られ、エリオットソンは人気の若手研究者でした。彼は作家のディケンズや、Facts in Mesmerism を書く Chauncey Hare Townshend の親しい友人でもあり、そろってメスメリズムの実験を行なったりもしています。そのエリオットソンがメスメリズム(アニマル・マグネティズム)の被験者に電気を使った実験を行なった記録は残っていて、それはmagnet と electricity との明瞭な関係性(の類推)によるとされておるのですけれど、それってアニマル・マグネティズムのmagnetism をそのままいわゆる磁気と考えていいのか? という疑問を内包しつつ、でも考えてみたら、メスメリズムにおいて確かに強力な磁石を用いておるんですけれどね、メスマー以来、初期は。

  エリオットソンは電気とメスメリズムの関係以外にもいろいろ実験を行なっていて、たとえば45度の角度で2枚の鏡板を立てて、催眠をかけられるか、とか、ドア越しにかけるとか、前の記事で言及した感覚の転移の実験とかもやっています。講演科学者だったDionysius Lardner が積極的に実験を展開して、そのなかで電気実験が行なわれます。"galvanic and electrical apparatus" を準備して、聴衆(UCLの先生たちその他)にビビビとビックリ感じさせて確認後、導線の先っぽを催眠状態の被験者にあてても無感覚のままである。ただし手の筋肉の収縮は認められる。

  ウィキペディアには「電磁気学の年表」というのがあって、途中をゴッソリ抜き出して引用すると、次のようです――

 

  (英語版の "Timeline of electromagnetism and classical optics" の方が項目が多いです <http://en.wikipedia.org/wiki/Timeline_of_electromagnetism_and_classical_optics>)。しかし、どちらにもメスマーのメの字も出てきません。

  電気と磁気の関係については1820年ごろに集中して発見が行なわれたのが最初のピークのようです。

  で、電気の神秘的な性質とかなんたらが『フランケンシュタイン』も含めて18世紀から19世紀はじめにかけてまつわりついていたのが、次第に科学的に解明されていくわけです。

  ここで、エリオットソンらのイギリスの科学者が電気を導入してみたのは、電気の神秘的性質によるものではなくて、催眠術師の意志だとか、被験者の想像力だとか、そういう非物質的なものではなくて、物理的なものが媒介として作用としていると証明しようとしたからに他ならない、という点を注意しておきたいと思います。

    それでも、それでも、敢えていえば擬似科学的な想像力においては、媒体としての電気が、存在を否定されたメスマーの磁気流体にとってかわる可能性は否定できません。否、それどころか、既に電気と磁気をあわせて現代のデンジマンにつながる(かどうかは知りませんが)「電磁気」という概念ができていたのだし、その後の歴史は、動物の神経細胞ニューロンは電気活動を行ない、は電気信号の情報処理施設であり、さまざまな周波数の電気振動を発していることがわかったのであり、人間はコンピューター以上にあるいは以前に電脳的な存在だったのじゃなかですか(適当に書いています。「脳の世界: 京都大学霊長類研究所」 <http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/index.html> は勉強になるかもしれません)。もちろんそのことと磁気治療器の効能、あるいはフレノ・メスメリズムの機構とはズレていますけど。

  電気にしても磁気にしても、媒体として探求されていたことはわかるのですが、19世紀の人たちの身になって想像してみると、その媒体の性質というか、本質について、人によって異なる捉え方があったのではないかと思えます。

  典型的な構図を考えるならば、雷の実験で有名なアメリカのベンジャミン・フランクリンは、フリーメーソンだけれども理神論者でした。理神論もいくつかヴァリエーションはありますけれども、典型的には、神を信じるけれども、神の直接的関与はすでにこの世界になく、神の創造を離れた世界(宇宙)は独自の機械論的決定論によって科学的に進展していく、というような考え方です。つまり啓示とか奇跡といったもの、超自然、を現実世界から排除して、しかし信仰は確保する、という合理的離れ業です。神は見事な宇宙を創造したが、神は宇宙から超越した存在ということです。

  で、のちに擬似科学と呼ばれることとなった18~19世紀のメスメリズムやフレノロジーやホメオパシーなどが共通にもっているのは、霊的な媒体・媒介、という考えじゃなかろうか。それによって、幽霊と一緒に捨ててしまいかねなかった人間の霊性(というか、おそらく歴史的には、神による人間存在の根拠の保証がゆらぎ、超自然的な悪魔や天使が原因とされていたことが個の人間の内部に求められるようになって、ヨーロッパに地下水脈的にあった神秘学的な思想や18世紀からの東洋思想の刺激(第何波かわかりませんが、19世紀後半、20世紀後半の波の前の波)を受けて+ロマン主義的な人間中心主義のひとつのかたちとして出てくるのでしょうが)、あるいは神と一緒にこの世から排除してしまいかねなかった宗教的経験みたいなもの、の根拠が与えられるからです。

  ハナシが飛躍しました。

  でも、わかりにくい文章はそのままにして、わかりやすく書きなおしておくと、自分の言いたいのはこういうことです。キリスト教の神が人間の存在論的・心理的基盤としての力を失なってゆくロマン主義の時代にあらためて問題になったのは、人間論的(小宇宙的)には人間の霊性の問題であり、宇宙論的には神的なものが世界に関与するか否かという問題であった。18世紀から19世紀にかけての擬似科学のひとつの特徴は、キリスト教内部の理神論的な傾向に抗して、神的なものと世界をつなぐ媒体を想定しようとしたことだった。だからこそ電気も磁気も霊的な性質を帯びたものとして捉えられた。

  で、こういう擬似科学を新戸雅章のように「科学仕掛けの神秘主義」ということはできるのですけれど、くりかえし述べているように、「科学」自体が成立する過渡期にあったわけで(たぶん)、科学が既存の材料・ネタとしてあってそれを利用して神秘主義を構築する、というのとは違ったんじゃないか。

  たとえば、ややこしいのは、擬似科学でなくても物理学・天文学でエーテルの存在は宇宙を説明するために想定されていました。だが、このエーテルは霊ではない。エーテルの存在はアインシュタインの相対性理論によって否定されることになりますが、それまで天文学はエーテルを必要としていたし、エーテルは異説ではありませんでした(ウィキペディアの「エーテル」 "" 参照)。

    作家ポーの最晩年の宇宙論『ユリイカ』の新しい訳が去年でて、訳者の八木敏雄さんから送っていただいたのですけれど、その岩波文庫版178ページにこういう一節があります。――

わたし自身がエーテルと称してしかるべきものを仮定したことはご記憶のとおりである。わたしは、つねに物質に付随してはいるが、物質の異質性によってのみ顕在化するものと理解される微妙な影響力について言及したのだ。この影響力の驚嘆すべき性質を説明する努力はあえて放棄して――わたしはただ電気、熱、光、磁力、それに――生命力、意識、思考力――つまり精神性――といったさまざまな現象を、この影響力に帰したのであった。こうなれば、すぐおわかりのことと思うが、かように考えるエーテルは天文学者たちの考えるエーテルとはまったくちがうものなのである。彼らのは物質であり、わたしのはそうではないのだから。

  ポーは別の箇所ではこのエーテルを「霊的エーテルspiritual ether」と何度か呼んでいます。そして「物質は・・・・・・この霊的エーテルの目的に奉仕するためにのみ創造されたものと見ることができる」とポーは言います。

  実はポーは『ユリイカ』――ふたつ副題があり、タイトルページでは「散文詩 A Prose Poem」、本文冒頭では「物的かつ霊的宇宙についてのエッセー An Essay on the Material and Spiritual Universe」――以前には、基本的には物質主義的な思考を展開したのでしたが、ここにいたってギリギリのところで、霊性を物質と分けるのです。こういうポーを擬似科学的、と呼んで一笑に付すことは自分にはできないです。まー、擬似科学的なんでしょうが、であるなら擬似科学を一笑に付すことは自分にはできない。

 

e-texts:

Experimental Researches in Electricity, Volume 1 - Faraday, Michael, 1791-1867
Book from Project Gutenberg: Experimental Researches in Electricity, Volume 1 〔London: R. and J. E. Taylor, 1844〕

Scientific researches, experimental and theoretical, in electricity, magnetism, galvanism, electro-magnetism, and electro-chemistry. With copper-plates. #c By William Sturgeon. Published by subscription - Sturgeon, William, 1783-1850 〔London: Thomas Crompton, 1850〕

Eureka: A prose poem - Poe, Edgar Allan, 1809-1849 〔New York: Putnam, 1848〕

 

 


January 15 2009年1月15日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 15, 2009 (Thursday)

    毎日空の写真を撮って毎日ブログに貼る必然性などはなにもないです。しかし、おそらく自分の今の精神状況を反映しているかもしれず(空が、ではないですw)。

  朝は少し涼しくなるのかな、と思わせておいて、また暑い一日でした。ひさしぶりにエルセリートプラザのモールまで歩いていって、Lucky で牛乳とかクラッカーとかバックファット豚肉とか買って、帰りにLongs Drugs でビールを買って(なつきまりのアメリカおばさんと勝手に思っている姉さんから「あなたwhole bunch of Busch cans を買ったのね」とかなんとか言われ)、10時前に帰宅したときにはもうだいぶ暖かくなっていました。 

  躊躇なく窓を開けて豚肉を焼く。焼いた後も窓は閉めないで夜まで半そでで仕事をしました。

  ホントに12月初旬の寒さがウソのようです。暖房をつけないで部屋の中は夜も25度くらいあります。ロサンゼルスは30度と14日も15日も朝のニュースで言っていたような。

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January 15 メスメリズム(催眠術)とアメリカ (その1)――擬似科学をめぐって(16)  On Pseudosciences (16) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 15, 2009 (Thursday)

   「January 11-12 コトバの問題のつづきで辞書問題などの予告・・・・・・でこちんと骨相学 (中篇の4)――擬似科学をめぐって(13)  On Pseudosciences (13)」の最後に書いたように、アメリカにおけるメスメリズムの展開についてさらりと書いていきます。さらり、というのは文学作品とかになるべく触れないようにして、という含みです。

  が、最初に復習がてら言葉の整理を。思えば、メスメリズムも骨相学に似て、呼び名が錯綜しており、メスマーはアニマル・マグネティズム(「動物磁気説」と訳される)を唱え、しかしメスマーの思想を揶揄する呼び名としてメスメリズムが起こり、そしてメスマーの衣鉢をついだピュイセギュールによって復活させられた「メスメリズム」は19世紀最大のカルトとなるわけでしょうが、一方で、英語のhypnotismという言葉も1840年代(たぶん1841年の11月)に起こります。ヒプノティズムは、「眠り」意味するギリシア語のhypnos が語幹になっていて、コトバとしては、まあ、「催眠術」に一番近い。ような気がする。少なくとも、(「動物磁気説」のように)メスマー自身の宇宙論的な思想を内包しておらないし、「メスメリズム」の意味がアバウト(つまり動物磁気説を含んでいる場合から「催眠」の同義語の場合まで幅がありすぎる)なのに対して、思想とは無関係に「技法」と「現象」だけを指しうる言葉に見えます。hypnotism という英語は医者のジェイムズ・ブレイド James Braid, 1795-1860 が最初は "neuro-hypnotism" つまり「神経 nerves の睡眠」という意味合いで言いだし、やがて自ら "neuro" を落としたものです。このおじさんは、英語のウィキペディアによると、最初の真の「催眠療法家 hypnotherapist」、「近代催眠術の父 Father of Modern Hypnotism」と呼ばれているそうです。やれやれ。でもフランス語のhypnotisme は1820にエティエンヌ・フェリックス・デナン・ドゥ=キュヴィエEtienne Félix d'Henin de Cuvillers, 1755-1841 に使用されていて、このドゥ=キュヴィエさんも、お察しのとおり、メスマーの神秘思想には共鳴しない(端的には「磁気流体magnetif fluid 」の存在は認めない)が、「科学」として実践しようとした "magnetist" でした。英語のウィキペディアにリンクされているページのタイトルの副題は 「催眠術の(ひとりの)創始者」"a founder of hypnotism" と言いますw <http://www.general-anaesthesia.com/cuvillers.html>。で、「ヒプノティズム」の語がイギリスのジェイムズ・ブレイドに帰せられるのは不正確、と言っております。

  ちなみに、日本語のウィキペディアにおいて、「催眠」の項目は、比較的最近(2008年9月)「催眠術」を統合するかどうかという議論があっていまの記事になったようですが、基本姿勢は「催眠術」を問題視する科学の側からの「催眠」の解説と見えます(「ノート:催眠」)。「催眠術という呼称」という見出しのくだりがあるので、そこを引用しておきます。――

催眠術とは、催眠の元の呼ばれ方である。19世紀の英国の医師、ジェイムズ・ブレイドの造語だとされる。現代の催眠に携わる人の間では「催眠は魔術的なものではなく、科学であるから術をつけないでほしい」という主張もある。

現代で催眠術という場合、特に舞台催眠 (英: stage hypnosis、ショウ催眠)を指す場合がある。 舞台催眠の応用のひとつには催眠商法がある。 一般のほとんどの人が「催眠術」をTVなどでよく見る、いわゆる「ショウ催眠」としてしか認知していない為に「超能力」「魔術」などといったものと同一視し、誤解されがちであるが、現代の催眠は心理学を応用した「技術」である。

  ウィキペディアには、前にも言及したように、「フランツ・アントン・メスメル」の項目があります。文化史的な記述といっていいのかしら。こちらから「催眠(術)」へはつながりを示していますが、「催眠」の記事のほうにはメスマー(メスメル)のメの字も出てきません。

  (日本における「催眠」の歴史は、「催眠の歴史」というページ <http://homepage3.nifty.com/saimin/rekisi.htm>の下の方の「日本近代の催眠の歴史」という年表が詳しいです。「ブレイドはギリシア語の眠りからとったこの「催眠」という現象が、眠りとは似て非なるものであることに1年もしないうちに気づくのであるが、既に時遅く、その名称は現在まで続いている」といったコメントもあり、全体がメスメリズムについての詳しい解説になっています。参考文献にあがっている一柳廣孝『催眠術の日本近代』(青弓社, 1997; 2006)が確かに詳しい本だったと思いだしました。一柳さんというのは日本文学の人だと思います)。

  さて、ついまた、前置きが長くなりました。イギリスでは、1844年から47年ごろのメスメリズム公開講義のチラシで見たように、メスメリズムは大衆的な科学、医療として流行するいっぽうで、ジェイムズ・ブレイドみたいな、より科学的な姿勢をことさら示そうとする学者も出てきます。あるいはジェイムズ・エズデールJames Esdaile, 1808-59 が英国植民地だったインドで催眠術的な無痛手術を行なってたいへん評判になる〔細かい話ですが、英語のWikipedia の記事は、エズデールとメスメリズムの関係について、記事の場所によって異なる見解を示しています〕。しかし一方外科手術の便宜に供する催眠をやがて駆逐することになる麻酔 anesthesia の研究が欧米で急速に高まっていく。 アメリカに1830年代に入ってきて30年代40年代のカルト的な運動の中心になるメスメリズムは、あっさり言ってしまうと、神秘主義的なタイプのメスメリズムでした。それは1836年にフランスからボストンにやってきたシャルル・ポワイヤン Charles Poyen St. Sauveur, ? - 1844 というフランス人の影響がたいへんに大きい。ポワイヤンはいちおうピュイセギュールの弟子です。この人は、動物磁気説の唯一最大の重要な発見はトランス、夢遊状態である、と信じた人でしたが、彼の講演(見世物)のまわったあとのアメリカ東部ニューイングランドに続々と霊能者が目覚めることになるのでした。

つづく。

付記。『オックスフォード英語大辞典』の "hypnotism" の記述――

The process of hypnotizing, or artificially producing a state in which the subject appears to be in a deep sleep, without any power of changing his mental or physical condition, except under the influence of some external suggestion or direction, to which he is involuntarily and unconsciously obedient.  On recovering from this condition, the person has usually no remembrance of what he has said or done during the hypnotic state.  The term is also applied to the branch of science which deals with the production of this state, and its causes and phenomena.  〔"braidism" "mesmerism" を参照しろ、とここに書かれています〕

  以上が1番の定義で、神経がどうこうは言っておらず、「被験者が深い眠りに落ちているようにみえる状態を人為的につくりだす過程」で、そのとき被験者は「精神的・身体的状況を自ら変化させる力はもたず、ただ外からの示唆なり命令なりの影響下にあり、意志とは無関係にかつ無意識にそれに従う」とか書かれていて、最後に「この状態をつくること、また、その原因と現象を扱う科学の部門のことも言う」と「科学 science」の語を使っています。そのあとにわざわざわざの説明があります。――
   
The usual way of inducing the state consists in causing a person to look fixedly, for several minutes, with complete concentration of the attention, at a bright or conspicuous object placed above and in front of the eyes at so short a distance that the convergence of the optic axes can only be accomplished with effort.

   "optic axes" というのは手元の英和辞典だと、光学用語として「光学軸」《複屈折媒質の複屈折が起こらない軸》、解剖岳用語として「視軸」とあるのですが、「眼光大魔神」こと魚里 博先生のコラム「眼光鋭く――視軸と照準線」 <http://www.tomey.co.jp/tomey_corp/info/35/35_p15m.html> によると、「視軸(visual axis)や光軸(optic axis)」と書かれています。よくわかりませんん。

   そして、用例はブレイドがかなり占有しているように見えます。――

   1842 Braid in Trans. Brit. Assoc. (29 June), Practical Essay on the Curative Agency of Neuro-Hypnotism.  1843 I Neurypnol. 13 By the term ‘Neuro-Hypnotism’ then, is to be understood ‘nervous sleep’; and, for the sake of brevity, suppressing the prefix ‘neuro’, by the terms—Hypnotic, will be understood ‘The state or condition of nervous sleep’; Hypnotize, ‘To induce nervous sleep’; Hypnotized, ‘One who has been put into the state of nervous sleep’; Hypnotism, ‘Nervous sleep’; Hypnotist, ‘One who practises Neuro-Hypnotism’.  1847–9 Todd Cycl. Anat. IV. 695/2 Modes of inducing somnambulism 'practised' under the designation of hypnotism.  1852 Braid (title) Magic, Witchcraft, Animal Magnetism, Hypnotism and Electro Biology (ed. 3).  1883 19th Cent. Oct. 696 Under the name of Hypnotism, the subject has after a long interval reappeared on the scientific horizon. 〔長い間をおいたあと、ヒプノティズムの名のもとに、この主題は科学的地平に再登場した〕 1892 Brit. Med. Jrnl. 27 Aug. 459 Hypnotism is an agent of great value in the treatment of chronic alcoholism.  1893 Pall Mall G. 10 Jan. 1/3 Hypnotism is the science which deals with the phenomena of a peculiar mental state produced by artificial means. 〔ヒプノティズムは人工的な手段で引き起こされた特異な精神状態の諸現象を扱う科学である・・・・・・(よく意味がわかりません)〕 1898 Times 14 July 14/3 The habitual use of hypnotism on women is greatly injurious, both morally and intellectually.

 

 

参考urls―

「催眠」 - Wikipedia

「催眠の歴史」 <http://homepage3.nifty.com/saimin/rekisi.htm> 〔松原慎HP <http://homepage3.nifty.com/saimin/benri.html> 内〕

「フランツ・アントン・メスメル」 - Wikipedia

ジャン・チュイリエ Jean Thuillier 著  高橋純+高橋百代訳 『眠りの魔術師メスマー』 <http://www.kousakusha.co.jp/DTL/mesmer.html> 〔工作舎の紹介ページ 1992.9刊〕

"Biography of Charles Poyen Sait Sauveur ~ Phineas Parkhurst Quimby ~ The Scientific Man" <http://www.phineasquimby.com/charles_poyen.html> 〔Phineas Parkhurst Quimby (1802-66) に捧げられたphineasquimby.com 内。ちょっと(かなり)不気味なトップページ <http://www.phineasquimby.com/>と解説ページ <http://www.phineasquimby.com/about.html>〕


January 14 ナンカのチャウメンウドンでラーメンをつくる Nanka Chow Mein Udon Served as Ramen [料理・食べ物 cooking foods]

January 14, 2009 (Wednesday)

    月曜日にコスコ Costco で買ってたいらげた鶏(まるごとローストチキン)の残骸がスープ制作用――スープをつくるという暗黙の了解が家族全員にあったのは驚くべきことである――にあったし、先週つくったチャーシューが少し残っていたし、7日過ぎくらいにYaoya-San Market でおせち用の食材が半額になっていたときに買ったナルトも残っていたし、人生経験によってラーメンの麺と焼きそばの麺は基本的に同じということを知ったので、ひそかに一人の昼にラーメンをつくって食べることにした。

スープ――
garasoup.jpg

   アクを取りながらガンガン煮ました。野菜のカケラも追加。酒・砂糖・醤油にカツオ&昆布だしも投入。

麺――
NankaSeimenChowMeinUdon.jpg

  Nanka Seimen の "Nanka" は「南加」です。ロサンゼルスにある製麺会社のようです。モーリちゃんたちのいるのは「北加」。今見ると "chow mein udon" なのね。うどんかー(タイトルを「ナンカのチャウメンでラーメンをつくる」から「ナンカのチャウメンウドンでラーメンをつくる」に変更します)。いや、うどんとラーメンの麺も基本的には同じなんです(ほんとか?)。ともかく、チャウメイン――焼きそば――用の麺であることは確かです。〔チャウメンについてのひつこい考察は「August 1 チャーメンとチャウメンとチャオメンとチャオミェンとジャーメンとツァーメンとザァメンとザーメン Lo Mein, Chow Mein, and Crisp Chow Mein; Stir-Fried and Deep-Fried Noodles; Chowmein and Pan-fry Noodle [料理・食べ物 cooking foods]」を参照いただきたい〕

NankaChowMein.jpg

  袋から出してみると、かなり色白さんなのでした。Cooking Directions はつぎのようです――

1.  Bring 4 quarts of water to a rolling boil.
2.  Add noodles and stir well.
3.  As it begins to boils over [ママ], add one cup of cold water and stir.  As it begins to boil over again turn off the flame.  This will take approximately 6 to 7 minutes.
5[ママ].  Drain and rinse in cold water.

NankaChowmien.jpg

  洗うとさらに色白。それ以上に問題なのは、コシが軟弱。短めのゆで時間にしたのですけど。あと、びっくり水の指示がNanka Seimen の製品にはどれもあるのだけれど、ソバを試したときに時間食い過ぎてやわらかくなったので、これ(3番の最初)は無視したのですけれど。

  なんだか、記事「October 28 大人のお昼 Adult Luncheon」のときに食べた玉子麺(色とは裏腹にとにかく玉子麺 egg noodle)の焼きそばの麺に似ているなあ、と思いました。たぶんこういうチャウメンの流れがあるのでしょうねえ。

  で、ともあれ、今回はラーメンの麺としていただきました――
NankaRamen.jpg

  うどんではないです。ラーメンです。・・・・・・ナンカチャウ気はしましたけれどw

 

Nanka Seimen, Co.  3030 Leonis Blvd Los Angeles CA 90058
TEL : 323-585-9967   びびなびの地図=<http://losangeles.vivinavi.com/JA/tg/tg_map.phtml?mc=16&yp_id=1c5178>     〔誰が行くんじゃいw あ、見学とかあるのかしら〕

Nanka Seimen Co in Los Angeles, California <http://web.userinstinct.com/7608429-nanka-seimen-co.htm> 〔USERINSTINCT の評価ページ〕

   「Futonaga Udon 太長うどん」 というのがコシもしっかりしていて個人的にはウマいと思います。東京フィッシュマーケットが79セントくらいで秋まではダントツに安く売っていたのですけれど、値上がりして1ドルを超え、八百屋さんと一緒になったみたい。短い細うどん、ソバ、それからチャウメインもあり、ソバが一番高い。あと見たことないですが、 "Golden Dragon Egg Noodles" というのもあるらしい。他のお店、Lucky とか 99 Ranch Market とかにも置いてありますけれど、値段が70セントぐらいは違うような。太長はホントにおいしいですョ。

 

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カリフォルニア時間2009年3月19日午前1時30分追記

3月現在、Futonaga Udon は東京フィッシュ、八百屋さん、とも99セントになっています。2008年の初秋くらいから、小麦粉や穀類を使った食品が少しずつ値上げしているのに気づいていましたが、いちおう落ち着いたのでしょうか。パンも明らかに値上げされたままで落ち着いてしまいました。

 


January 14 2009年1月14日のアルバニ(カリフォルニア)の夕焼け空 [天気 weather]

January 14, 2009 (Wednesday)

   この日の夕焼けは、海が青く見えてきれいだったので、ちょっと貼ってみます(って毎日のようになんだかんだいって貼ってますがw)。

  この日の日の入りは、サンフランシスコで17時10分か11分くらいだったと思います。このごろだいたい1日に1分ずつくらい日の入りの時間が遅くなって、日が少しずつ少しずつ長くなってきています。いつのまにか太陽も、12月にはゴールデンゲートブリッジの橋の――って川沿いリヴァーサイドの金属のメタルみたいですが――まんなかくらいに落ちていたのが、いまはだいぶ右(北)へ移って来ました。

January14,2009AlbanyCA1705pm.jpg
2009年1月14日午後5時5分のカリフォルニアの空@サンフランシスコベイ

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5時13分

  空の青、海の青

January14,2009AlbanyCA1723pm.jpg
5時23分

January14,2009AlbanyCA1736pm.jpg
5時36分

January14,2009AlbanyCA1745pm.jpg
5時45分

January14,2009AlbanyCA1759pm.jpg
5時59分

  橋の照明がなんとなくわかりますでしょうか。このくらいになるとブレちゃうんですけれど。

 

 


 

7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニア州バークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕 

★日の出、日の入、月の出、月の入、惑星の出没南中」 <http://star.gs/cgi-bin/scripts/hinodet.cgi?dy=20081210&lju=l&iv=10&pl=%91%BE%97z&jwi=w&tiikij=%8F@%92J%96%A6%81i%96k%8AC%93%B9%81j&tiikiw=%83T%83%93%83t%83%89%83%93%83V%83X%83R%81i%83A%83%81%83%8A%83J%81j&kdo=&kfun=&ido=&ifun=&tz1=&hk=0>

"Sunrise and Sunset for U.S.A. - California - San Francisco" <http://www.timeanddate.com/worldclock/astronomy.html?n=224> 〔Sunrise and Sunset Calculator

 


January 16 2009年1月16日のアルバニ(カリフォルニア)の空 [天気 weather]

January 16, 2009 (Friday)

    元旦に起こったバートの駅ホームでの警官による黒人青年射殺事件が最近のこの界隈の最大のニュースで、ずっと気になって追っているのですが、事件後に辞職した元警官が逮捕され、いちおうオークランドでの市民の抗議&暴動もしだいにおさまるかというのが今週でしたが、この日の朝のニュース(KRON4)は、前日のニューヨークの旅客機の不時着事故がtop news でした。Sandra Endoさんというひとが東部からレポートしたり、google を使ったCG画像を流したり、関係者のインタヴューを求めたりしていました。日本でもすぐにテレビニュースになったのは知っていたのですが、いま(日曜日)も続報が出ておるですね――「NY不時着水、奇跡の3分…機長判断の素晴らしさ 」http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=mai&aid=20090118-570-OYT1T00672

  朝のニュースはいわゆるニュースのほかに中心になるのは交通情報と天気予報です。モーリちゃんの父は9月くらいから4チャンネルKRONを見ていますけれど、Evelyn Taft というロシア系のお天気おねえさんが、どうやら8月ごろに他局から移ってきて、Liza Fernandez とチームを組んでベイエリアの天気を担当しています(夕方は男の人が、土日はもう少し年上の人たちが、天気予報をやっているみたいですけど)。リサ・フェルナンデスっていう名前が頭にあったのですが、この人はLisa じゃなくて Liza で、読みも「ライザ」です。モーリちゃんの父が好きな Evelyn のほうは「イーヴリン」という発音ではなくて「エヴァリン」に近く、ニックネームも「エヴァ」みたい。

    で、この金曜日の朝の天気予報では、(1) "Cool Start" と (2) "N. Bay Fog" と (3) "Temps in the 60s and 70s" というのが要点で、はじまり(朝)は涼しい、ベイエリアの北は霧、気温は華氏60度から70度、というのでした。

  そういえばサンフランシスコは霧のサンフランシスコとして有名なのでした。

January16,2009AlbanyCA0732am.jpg
2009年1月16日朝7時32分(現在日の出は7時20分台前半だと思います)

  これは霧だったのね(気づくのが遅いで笑)

January16,2009Albany,CA0732am.jpg
朝の月 1月16日7時32分

January16,2009AlbanyCA1710pm.jpg
2009年1月16日午後5時10分(日の入りは5時15分前後のはず)

January16,2009AlbanyCA1713pm.jpg
午後5時13分

January16,2009AlbanyCA1729pm.jpg
午後5時29分

January16,2009AlbanyCA1805pm.jpg
午後6時5分

  6時5分というのは最長不倒距離かも(←日本語まちがっとる)。

  街の灯が橋の灯とつながります。

  あと、この日は週間予報をエヴァリンが解説していました。

FRI 70    SAT 70    SUN 69    MON 68   TUE 65   WED 62   THU 59

  "Another warm weekend ahead" だけれど、だんだん温度が下がっていき、水・木は "much cooler" で "chance of rain" もあるようです。また寒くなるのかしら。暖房なし生活――つうか、後半は日中窓開け生活――が10日ぐらい続いてハッピーだったのだけれど。

  なんというか、大地と一緒に体も温まっていく、というような感覚をカリフォルニアでもちました。あ、シリメツレツ。

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KRON4.com - The Bay Area's News Station <http://www.kron.com/>

7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニア州バークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕

National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕

National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕 

"Sunrise and Sunset for U.S.A. - California - San Francisco" <http://www.timeanddate.com/worldclock/astronomy.html?n=224> 〔Sunrise and Sunset Calculator

   

  


January 16-19 メスメリズム(催眠術)とアメリカ (その2)――擬似科学をめぐって(17)  On Pseudosciences (17) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 16, 2009 (Thursday)
January 17, 2009 (Friday)
January 18, 2009 (Saturday)
January 19, 2009 (Sunday)

    開き直って非科学の側から書くつもりになったものの、あれこれ読んでいると非科学のほうの思想史のほうがたいへんだ(たとえばとりあえず象徴というコトバに落として考えると、伝統的に「光」が啓示や英知の象徴だったのが、光から電気や磁気への転換が、科学と宗教のはざまでどのように起こっていたのかとか――これが実は意外と古い可能性があり――、あるいは、逆に19世紀にあらわになってくるオカルティズムが科学をどのように接取して神秘「学」 (occult sicence) の装いをまとうかとか――ブラヴァツキー夫人の、とくに東洋思想が前面に出てくる前の『ヴェールを脱いだイシス Isis Unveiled』なんかは科学ないし擬似科学への言及が多いわけです――)ということが今さらながらわかって、沈黙(沈思黙考?)に落ちていました。

  気を取り直して、とりあえずはもともとのあっさりしたテクストを編むべく、糸を手繰りよせてみると、前の記事の終わりの方で、「この人は、動物磁気説の唯一最大の重要な発見はトランス、夢遊状態である、と信じた人でしたが、彼の講演(見世物)のまわったあとのアメリカ東部ニューイングランドに続々と霊能者が目覚めることになるのでした」とか書いちゃいました。アヤシーですが、そのラインで書いてみます。

  客観的に考えれば、ポワイヤンに、あるいはメスメリズムに感化された人間は、いくつかのカテゴリーにわけられるでしょう。第一に思想的に感化された人間、第二に身体的に感化された人間(被験者)、第三に両方で感化された人間。第一は、まじめに感化される場合と(いくぶんかでも)商売・金儲け(の可能性)として感化される場合があるかもしれません。

  ところで、Charles Poyen ってどういうカタカナ表記だろう、とググってみると原語でしか出てこず、それも大半は本の情報なのでした。で、例外的にPoyen が出てくるのはアメリカ文学関係の研究発表だったりして(= THE AMERICAN LITERATURE SOCIETY OF JAPAN =見覚えがあるようなw)。そして、そこではジェンダー問題が案の定出てくるのでした(被験者が女性で術師が男で支配関係みたいな)。日本で翻訳の出ている Maria Tatar の Spellbound というメスメリズムと文学の関係の研究書の記述を借りれば――

There appeared a new breed of mesmerists--itinerant magnetizers who made the rounds of carnivals and festivals with their trance maidens in order to cash in on the latest fad sweeping the Continent.  The cruel exploitation of an innocent young girl by a shrewed mesmerist wizard was to become a pervasive theme in nineteenth-century European and American literature.  (31) 〔新しいメスメリストの一団があらわれた――大陸を席捲するする最新の流行に乗って金を稼ごうと、トランスに陥る乙女をつれてカーニヴァルやフェスティヴァルをまわる旅回りの催眠術師たちである。魔術師のような狡賢いメスメリストが無垢な若い少女を無残に搾取するという主題は、19世紀のヨーロッパとアメリカの文学に広くみられるものだ。〕

   イギリスにおける1840年代のメスメリズムのチラシを並べたときに、「科学」の教育というのが少なくとも看板としてはかかげられていた(見世物ではなくて「講義」だった)のを覚えておられるかたがおるかもしれませんが、そういう大衆的なeducation と entertainment の要素のバランスはときに大きく崩れるわけです。たぶん商売という要素が強くなったときに。(この教育と娯楽というのは、思えば、ルネサンス・フェアの歴史のなかにもある要素なのでした〔「September 30 ルネサンス・フェアをめぐって (中)  Renaissance Fair (2)」参照〕。) そして、性的なもののアピールが陰に陽にショーにはついてまわるものなのかもしれません(これを言いだすとキリがないような気がするのですが)。

  シャルル・ポワイヤンは1836年にアメリカにやってきてすぐにメスメリズムの実演を行ない、かつ、その年のうちに例の1831年のパリでの王立医学アカデミーの報告の英訳を出版します。

Report on the magnetical experiments made by the Commission of the Royal Academy of Medicine, of Paris, read in the meetings of June 21 and 28, 1831, by Mr. Husson, the reporter. Translated from the French, and Preceded with an Introduction, by Charles Poyen St. Sauveur.
by Husson, Mr.; Trans. Charles Poyen; Académie national de médecine (France)
Boston : D.K. Hitchcock, 1836. 〔AddAll の古本情報によると、lxxi, [1], [73]-172pp. ポワイヤンによる70ページくらいの序論がついている〕

  これは、実は、最初の英訳ではなくて、1833年にスコットランドの コフーン J. C. Colquhoun という人が――この人はその後メスメリズムに関する自身の著書 Isis Revelata: An Inquiry into the Origin, Progress, and Present State of Animal Magnetism (Edinburgh: Maclachlan and Stewart, 1836[?]) を書くのですけれど――訳し、それが抜粋されてパンフレットとしてイギリスでよく読まれ、また議論されたようです―― Report of the Experiments on Animal Magnetism Made by Committee . . . of the French Academy of Sciences (Edinburgh: Robert Cadell, 1833) 〔Alison Winter, Mesmerized: Powers of Mind in Victorian Britain, pp. 42, 417参照〕。
   ポワイヤンがコフーンの既訳を利用したのかどうかわかりませんが、訳の前に約70ページの序論があり、ここでポワイヤンはメスメリズムについてまとめて論じているそうです。
  ポワイヤンが連続講演によってメスメリズムをアメリカに広めたということになっています。Animal magnetism: or Psycodunamy - Leger, Theodore という1846年にニューヨークのAppleton 社から出版された本によると、ポワイヤンの前にフランス人のJoseph Du
Commun が1829年の7月と8月にニューヨークで講演を行なっていて、さらにそこで語ったところでは、1815年にアメリカ合衆国にやってきたときに、この "the new science" を実践する二人の知り合いと出会い、小さなサークルをつくったということのようです。この人はウェストポイントの士官学校のフランス人教師をしていたのですけれど、そうだそうだ。エドガー・ポーが士官学校にいたときにこの人に教わったのではないかとひそかにむかし考えたのを思い出しました(頭がボケてます)。
  
  が、ともあれ、ポワイヤンは、1837年になるとニューイングランドを広範に講演してまわります。そしてその年の10月には『ニューイングランドにおけるアニマル・マグネティズムの進歩 The Progress of Animal Magnetism in New England』を書きあげ、出版します。ポワイヤン自身の回想では、最初のころはパッとしなかったけれど、アシスタントに若い女性被験者を伴うようになって人気があがったということです。この人の名前を思い出せなかったのですが、上のE-textを見ていて出てきました。――
However, M. Poyen found in Miss Gleason, of Paw-
tucket, a young lady of respectable family, a remarkable
somnambulic subject, with whom he visited Boston and
Lowell, and gave a series of practical lectures, which
gained from among the most scientific and eminent per-
sons in this country many converts to the doctrine. He
likewise enabled many gentlemen, by his instructions, to
become professional dunamisers. (Leger, Animal Magnetism, p. 367)
   "dunamise" というのはOED にもあがってないのですけれど、 "magnetize" の意味のようです(psycodunamy は animal magnetism の別の言い方らしい)。
  このテオドール・レジェというフランス人による1846年の本は、どうやらアニマル・マグネティズムに共鳴する立場から書かれた本のようなのですが、若い良家の子女のグリアソン嬢という際立った反応を見せる被験者を得ることによってアメリカの最も科学的で著名な人たちからこの説への改宗者 converts を多く出したと書いています。しかしまた、このことは講義の内容とは別の「見世物」的な部分、「ショー」的な部分がアピールしたということでもあります、よくも悪くも。若い女性のアシスタントだけでなく、観客(聴衆)のなかからボランティアで被験者を募って、催眠術にかける。そういう華やかな実演によって、たとえば大きな音や臭いニオイに無感動になるとか、針を刺しても無感覚とか、歯痛がなおるとか、実験で示して見せることで、人々に訴えていきます。それでも、引用の最後のところにあるように、「〔ポワイヤンは〕また、インストラクションによって多くの紳士がプロの dunamiser になることをえさしめた」というのもまた事実であり、その後のアメリカの心理療法や神秘主義の展開を考える上で重要なところです。ポワイヤンの講演=公演旅行のあとには、トランス体験を通して病気が治ったという人々が多数出ただけでなく、超感覚的知覚 ESP を発現する人々も多く現われ、そしてまた、さらなる催眠術師たちが出現したのでした(367ページからの引用のあとにはそういう、催眠術の能力を自然に発現した人たちのエピソードが列挙されています)。
  で、上にあげた勝手な分類でいうと第三の人たちのなかで、被験者としてトランス状態を体験し、その後自らがメスメリズムの思想や技術を展開する人たちが面白いのは、支配被支配という、いまふうな枠組みと言いますか、ひとつには男女、ひとつには社会の支配階層と貧乏人階層、ひとつには術師と被験者という関係が崩れているところだと、自分には思えます。(思えますが、イジメの構図みたいに玉突き状態で支配被支配関係は変わらないという意地の悪い理屈もあるかもしれません。)
  直接間接にシャルル・ポワイヤンによって目覚めた人たちのなかに、(1) 時計屋だったけど1838年のメイン州ベルファストでの講演以降2年間ポワイヤンについてまわって術を体得して自ら実演し、やがてシャーマン的な心理治療を行なうようになる Phineas Parkhurst Quimby, 1802-66、(2) ポワイヤンによってメスメリズムにかけられた Stanley Grimes という人によって靴職人の見習いだった18歳のときに術にかけられて透視能力を発現し、やがて『自然の諸原理』 (1847) という一種のベストセラーを書いて1848年以降のスピリチュアリズムの展開を準備した Andrew Jackson Davis, 1826-1910、 (3) 長老派の牧師だったけれど、メスメリズムとスウェデンボルグ主義の一致を信じ、Mesmer and Swedenborg を著し、催眠術の実験を行なって被験者は「高次の意識」に入ることを確信した George Bush, 1786-1859、(4) 伝統的なカルヴィニズムの教説がもっぱら人々の恐怖と不安をもとにして唱えられることに反発し、霊的再生の契機を動物磁気説に求め、"new electrical psychology" を主張したメイン州の説教者の John Bovee Dods, 1795-1872 などいます。
まとまりがありませんが つづく。
---------------------------------------------------------------
  
by Charles Poyen
Boston, Weeks, Jordan & co., 1837. 212pp.
このポワイヤンの有名なほうの本は、E-text があります(flapbook は、本論のあと207ページから始まる、イギリスに渡ったDupotet についてのAppendix の209ページまでしか読めませんが)――
Progress of Animal Magnetism in New England: Being a Collection of ... - Charles Poyen
Book digitized by Google from the library of the University of Michigan and uploaded to the Internet Archive by user tpb.

January 19 ポーの記念切手とか [モノ goods]

January 19, 2009 (Monday)

    今日はマーティン・ルーサー・キングの誕生日を祝う日で、"Martin Luther King Jr. Day" としてnational holiday 国民の祝日になっていて、小学校も休みです。"Martin Luther King, Jr.'s Birthday" とベイエリアの日本人向けの冊子のカレンダーには書いてあったけれど、正式には "Birthday of Martin Luther King, Jr." みたい・・・・・・そのまんまw。ほんとうの誕生日は1月15日なんですけれど、2000年にはじまったこの祝日の場合、1月の第3月曜日というふうに決められたので、年によって日が違います。ちょっと不条理を感じなくもないです。他の祝日はともかく、誕生日だからなあ。

  で、今日がほんとうに誕生日なのは、前にも書いたように、荒井由実です・・・・・・エドガー・アラン・ポーです。

  ということを、さっきの記事でポーの名前が出て思い出しました。

  今年は1809年に生まれたポーの生誕200年で、1月16日に東部のリッチモンドで記念切手がつくられました。実はそんなことは知らなかったのですが、日本からの買ってくれメールが届いて知りました。

    USPS の記事 "Product: Edgar Allan Poe"――

Edgar Allan Poe  
 
Edgar Allan Poe
View Larger Image

Issue Type: Commemorative
Issue City: Richmond, VA
Issue Date: January 16, 2009

 

 

This is a pane of 20 42–cent Edgar Allan Poe commemorative stamps.

On January 16, 2009, in Richmond, Virginia, the Postal Service™ will issue a 42–cent, Edgar Allan Poe commemorative stamp, designed by Carl T. Herrman, Carlsbad, California.

In 2009, the U.S. Postal Service® commemorates the 200th anniversary of the birth of Edgar Allan Poe, one of America’s most extraordinary poets and fiction writers. For more than a century and a half, Poe and his works have been praised by admirers around the world. <catalogId=10152&storeId=10001&categoryId=11834&productId=42501&langId=>

  同じく予告記事 "A Preview of the 2009 Commemorative Stamp Program"――

Edgar Allan Poe

Edgar Allan Poe stamp

In 2009, the U.S. Postal Service commemorates the 200th anniversary of the birth of Edgar Allan Poe, one of America’s most extraordinary poets and fiction writers. For more than a century and a half, Poe and his works have been praised by admirers around the world, including English poet laureate Alfred, Lord Tennyson, who dubbed Poe “the literary glory of America.” British author Sir Arthur Conan Doyle called him “the supreme original short story writer of all time.”

The stamp portrait of Edgar Allan Poe is by award-winning artist Michael J. Deas, whose research over the years has made him well acquainted with Poe’s appearance. In 1989, Deas published The Portraits and Daguerreotypes of Edgar Allan Poe, a comprehensive collection of images featuring authentic likenesses as well as derivative portraits.

Scheduled issue date: Jan. 16 in Richmond, VA.  <http://www.usps.com/communications/newsroom/2008/sr08_110.htm>

 

  日本郵趣エージェンシーのプレスリリース記事 (2009.1.14)――

推理小説の生みの親が切手で登場!

<http://www.value-press.com/pressrelease.php?article_id=33745>

   東部でしか発売しない可能性も示唆されビビっているのですが、土日と祝日は郵便局がたぶんあいていないので(土曜は午前中あいているかも)、明日ソラノの郵便局へ行ってみようと思っています。"Edgar Allan Poe Ceremony Program" というのも、なんかいかにも限定で売っているみたいなので、オンラインのUSPS ショップで買ってみようと思ったら、例によってデビットカードとクレジットカードがはじかれました。くそー。腹が立ったから、問い合わせメールを出してみました。

つづく(なにが?w)


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