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July 1 個人的メモ(3) ブログ  metablog   [メモ personal notes]

July 01, 2008 (Wednesday)

 縦読みについて書いたら、4月から5月にかけて、ブログや著作権や匿名性や炎上やらについてあれこれと調べあれこれと頭を悩ませていたのを思い出しました。一時はseo対策とは炎上対策かと思った(うそです)。

 4月の末ごろになんか書きとめた記憶はあるのだが、いま探してみても見つかりません(ざんねん)。改竄している最中に消してしまったのかもしれない。

 あらためて冷静に考えて雑感をちょぼちょぼ書いてみたい。このブログは日記・雑感ですから。

 日本語のウィキペディアを見ると「ブログ」の項目の最初のところで次のように定義づけています。

ブログ (Blog) とは、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。

モーリちゃんの父はblog web + log というくらいの知識はもっていましたが、log が「記録」という意味だとは知らなんだ。log ちうたら、アメリカ文学でいえば Melville LogPoe LogStephen Crane Log log でしょうが。んがー、その話は置いといてっと。log は英和辞典で確認するとつぎのようにあります。

1. 丸太 〔笑…っちゃいかん〕以下略

2. 《海・空》航海[航空]日誌;《トラックなどの》運行[業務]日誌,運行[業務]記録;旅行日記;《ラジオ・テレビの詳細な》番組進行表;《仕立て屋・日雇い職人の》労働時間表;工程日誌;《電算》ログ《データの変更などコンピューターの使用に関するさまざまな時間推移記録》

3. 4.略  (リーダーズ英和辞典)

1. 丸太,丸木

2. 〔海事〕(船の速度を測る)測定器

3. 航海[航空,(車の)走行]記録(日誌)logbook);旅行日誌;実験記録,(機械の)運転記録;(放送局・アマチュア無線士の)送信[交信]記録.

4. 《豪》(労働組合による)給与と労働条件の改善要求.

5. 〔コンピュータ〕ログ,(メールなどの)交信記録.  (ジーニアス英和辞典)

 つまり、古い意味では日誌です。メルヴィルは海洋作家だったから航海日誌になぞらえて作家の編年体の生活記録ドキュメントということでMelville Log という名がつけられたのだと思う。が、その話は置いといてと。

 問題は、新しい意味のコンピューターのログみたいなのが最初にまつわりついていたかどうかですが、こういう新語はよくわからんですねー。ウィキペディアの記事の目次最初にある「概要」はブログの歴史と体裁について次のように書いています(でもこれは後述の英語版とは発生についての説明が微妙に違うと思う)。

ブログの始まりは、自分が気になったニュースやサイトなどのURLを、寸評つきで紹介した英語のものとされる。その後、BloggerMovable Typeなどのブログ用のツールが出現した。米英によるイラク侵略においてイラクから更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となった。

現在、より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。このようなウェブサイトの作成機能を提供するソフトウェアやサービスなどを指して呼ぶ場合もある。また、ブログの他にもSNS口コミメディアを総称してCGMと呼ぶこともある。

ウェブサイトとしての体裁は主として管理者が記事を投稿する私的ニュースサイト、あるいは日記的なものが多い。ブログを投稿する特定の方法に限定されないが、ブログ向けのソフトウェアがあり、それをレンタルやダウンロードをして使えば、HTMLを知らなくてもウェブブラウザから手軽に情報の発信・更新ができる。レンタルのものにはパソコン以外に携帯電話などモバイル通信端末のインターネット機能を用いて外出先などから手軽に更新できるものも多い。それぞれの項目にはタイトルがつけられ、時間軸やカテゴリで投稿を整理、分類する構造となっている。用途は広く、個人の日記的なものから、手軽な意見表明の場として、時事問題などについて論説するものもある。

  そのあと、「4.日本におけるブログについて」で「ブログという言葉が日本で普及する以前から、日本にはウェブサイトWeb日記個人ニュースサイト いったジャンルのサイト、およびそれに付随するコミュニティが存在した。係る背景から日本ではブログという言葉はサイトのジャンルというよりも、ブログ向 けのツールを使って作られたサイトを指すことが多い。また、ホームページビルダーなどで作成されたニュース・日記系サイトが、ブログ用ツールでの作成へと 移行するケースも多い。」てなことが書かれています。そしてWeb日記の項目を見ると、日記猿人とか日記才人とか聞いたことも見たこともないような歴史的なことが書かれて、いっぽうで「(A)『日記を作品とする場合』と(B)『日記を単なる記録としている場合』の二つに大分され……さらに(Aa)『一般的に非日常的な体験を描く日記』と(Ab)『表現技法により一般的に日常的な体験に面白さを加え、描く日記』、(Ac)『自己満足、又は初心者が試験的に表した面白みのない日記』におおよそ分かれる」みたいなわけのわからない細かい分類の試み(らしきもの)が書かれています(まあ、自分なんかはAcというよりBcの分類で個人的にはけっこうだが)。

 どうやらWeb日記の伝統があった日本ではblog がそれを言葉としては包含しつつむしろそこからはずれる部分にblogの意味を見ようとする人々のいる気配が感じられるのでした。

 でもブログという言葉は和製英語じゃなくてもともと英語だからな。「webをlogする」とかかってに言われても困るし。

 英語のWikipedia は日本語版とみあうかたちで “blog” Online diaryとふたつの項目があります。で、 “Online diary” の冒頭の短い定義は “An online diary is a personal diary or journal that is published on the world wide web on a personal website or a diary hosting website.” (オンライン・ダイアリーとは、個人のウェブサイト上もしくはダイアリーをホストするウェブサイト上にインターネットで公開される個人的日記、日誌のこと)とあります。そして “Overview” blog という言葉を入れて、次のように説明します。

Online diaries began in 1994. As a community formed, these publications came to be almost exclusively known as online journals. Today they are almost exclusively called blogs, though some differentiate by calling them personal blogs. The running updates of online diarists combined with links inspired the term 'web log' which was eventually contracted to form the word blog.

In online diaries, people write their day-to-day experiences, social commentary, complaints, poems, prose, illicit thoughts and any content that might be found in a traditional paper diary or journal. They often allow readers to contribute through comments or community posting.

 "almost exclusively" が2度繰り返されて怪しげな文章ですが、online journals = blogs ですよ。ただやっぱり英語圏でもblogが個人的なものじゃない思惑をはらんでふくらんでいるから、日記的なものは人によると "personal blogs" と読んで区別するということですよね。そのつぎの文が大事そうでよくわからないのですけど、「日記作者たちがリンクを結合させながら引き続き更新を行なうところから"web log" という言葉が触発されて生まれ、それがやがてblogという一語に縮まった」。

  一方 “blog” の項目では “an abridgment of the term web log” としか語源的な説明はなく、log が日記・日誌の意味なのか不明です。でも “Origins” のところには “The modern blog evolved from the online diary, where people would keep a running account of their personal lives. Most such writers called themselves diarists, journalists, or journalers.” と書かれていて、ウェブで日記を書いていた人たちから来ているし、そこの一節で引証されているMallory Jensen という人の Emerging Alternatives: A Brief History of Weblogsを見ても、やっぱり日記の意味合いがあったんじゃなかろうかと思われるのですが。たとえば4段落目――

Blogger.com — which was recently snatched up by Google from the owner, Pyra Labs, for an undisclosed sum — may be the biggest, but it wasn't the first. That honor goes to Andrew Smales, a programmer in Toronto who launched the first do-it-yourself blog tool — Pitas.com — in July 1999. Smales, twenty-nine, sort of blundered into blogging as he was developing software that would allow him to more easily update his personal Web site and also facilitate the "online diary community" he envisioned. Personal sites such as his aren't listed prominently on Internet search engines, and Smales thought it would be "cool if I could just click around to read what other people were saying," rather than surf blindly for their sites. As Smales worked on the software, he posted updates on his site, prompting visitors to offer suggestions. It was a comment from a visitor that clued Smales into the nascent blogging community, and he set to work on a sister project to the diary software — a blogging tool that would become Pitas. Diaryland, Smales's diary site, followed soon thereafter, and both have grown steadily since.

何が言いたいかというと、特になにがいいたいというわけでもないのですが、たとえば次のような、日本人のブログに対するヘンな期待はヘンな感じがするわけです。――「ブログ、大きな影響力」 〔2006.10.11 読売新聞・・・古いかw〕  ・・・・・・自らもブログを持つ○○・□□大学教授(社会倫理学)は「ブログが読むに値する存在になった。ある種の公共空間ができあがっているといえる」と論じる、とか、自らのブログも持つxx・△△大学教授は「いま、ブログは過渡期にある。紙媒体と両方に発言している人の働きかけがかけはしになるのではないか」と語る、とかいうインタヴューも。

  ブログが読むに値する存在になった、って、日記じゃなくなったってことっすか? モーリちゃんの父は、(期間限定だったけど) 哲学者小泉義之(desdel)の"Critical Life" には感銘を受けたし、ちょっと政治的だけど藤永茂さんの「私の闇の奥」にも頭が下がっているが、Watch Me Disappear のような私的なブログが好きだ。

あー、大学教授の稲葉振一郎というのは黒木玄や山形浩生と仲のよさそうなあのひとか・・・・・・山形浩生・・・・・・リリカ。

   「リリカさんについて思い出すこといろいろ」 〔yuco さんの長年日記 2008.5.15〕

yucoさんの文章にブログとweb日記についての記述――「archive.orgによると「私家版」(文 字コードをShift_JISにすると読める)は2003年2月開始と更新履歴にあり、はてなダイアリーは同年10月開始みたい。はてなで書き始める以前 に関心空間のブログサービス(といってもpermalinkやコメントやトラックバックはない、昔ながらのweb日記に近いようなもの)で少なくとも2003年1月から4月の間には日記を書いていて、その後はてなに移行したようだ。」

   リリカさん、2003年4月1日にアマゾンのウィッシュリスト問題について書いていたのね。――

     A★MUSE SQUARE@関心空間:リリカの日記

   Wikipediaの記事でいいなと思ったところ――

 

Personal blogs
The personal blog, an on-going diary or commentary by an individual, is the traditional, most common blog. Personal bloggers usually take pride in their blog posts, even if their blog is never read by anyone but them. Blogs often become more than a way to just communicate; they become a way to reflect on life or works of art. Blogging can have a sentimental quality. Few personal blogs rise to fame and the mainstream, but some personal blogs quickly garner an extensive following. [emphasis added]


 『ユリイカ』の「ブログ作法」(2005年4月)って持ってるのにほとんど開いてもいなかったのだけれど、そこに「メタブログ」という文章を書いた松永英明さんのページはリンクも豊富で勉強になりそう。――「ユリイカ:ブログ作法――メタブログ、そして情報風水試論[絵文録ことのは.]2005/03/29

個人の日記はたいてい公開されないことを前提としているが(「お母さん、勝手に見ないで!」)、ウェブ日記は公開を前提とし、他者とのつながりをも形成す る。いずれも、既存の表現と似たようなものではあるが、しかし、そっくり同じではない。このような「ゆらぎ」があるからこそ、「では今自分がやっているこ の表現形態はどういうものなのだろうか」という思考が生まれてくる。

ま、考え続けているひまはないが。

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July 12 単なるメモ 日本の著作権関係略年表 [メモ personal notes]

July 12, 2008 (Saturday)   

 © 「右」

これはあじもほっけも、いやそっけもないメモです  

メモ 日本の著作権関係略年表 

1886年(明治19)スイスのベルンでベルヌ著作権条約締結

1887年(明治20)版権条令制定

1893年(明治26)版権法制定

1896年(明治29)ベルヌ条約パリ追加規定(発行後10年で消滅すると定められていた翻訳権は、発行後10年以内に翻訳出版されなければ消滅する、と改められた)

1899年(明治32)法制を整備して「旧著作権法」(明治32年法律第39号)3月に制定。1ヶ月後にベルヌ著作権条約に加盟。版権条例,脚本楽譜条例,写真版権条例を廃止して、新たに制定された著作権法に統合。著作者は複製権,翻訳権,興行権を専有する。これにより出版者は法の上ではなんの権利もなくなる。

1906年(明治39)「日米間著作権保護に関する条約」(複製権の内国民待遇と翻訳の自由を定める)

1908年(明治41)ベルヌ条約ベルリン改正(翻訳権の特例が廃止されたが、パリ追加規定に定める翻訳権保護期間特例を引き続き適用するとの留保宣言をすれば維持できるものとされたため日本は留保した)

1925年(大正14)東京出版協会が「発行権法案」を作成

1926年(大正15)議会提出。未審議。このころより廉価版全集ブーム。

1928年(昭和3)「出版権法案」と改めて議会再提出。審議未了。

1933年(昭和8)日本文藝家協会が出版権法案に反対運動を展開。ドイツ人教師プラーゲが東京に「プラーゲ機関」を設立し、著作権管理業務を行うとともに、楽曲使用料を求める。

1934年(昭和9)出版権、録音権、レコードの著作権をいれた著作権法改正。

1939年(昭和14)「プラーゲ旋風」を解決すべく「著作権に関する仲介業務に関する法律」(仲介業務法)の施行。大日本音楽著作権協会(のちのJASRAC)設立。大日本文藝著作権保護同盟(のちの日本文藝著作権保護同盟)設立。

1946年(昭和2110月 著作家協会発足

1947年(昭和22)夏目漱石の遺族が全著作に対する商標権の登録申請。国会文化委員会で出版文化に関する小委員会を設け著作権法および出版権法の審議を開始。

1952年(昭和274月 終戦後の占領軍による超法規的な著作権行政ののちに日米暫定取極による著作権行政の開始 9月 ジュネーヴで万国著作権条約の採択

1956年(昭和314月 日本が万国著作権条約に加入。「万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律」(第八六号)の制定。

1959年(昭和34)著作権資料研究所(1961 著作権資料協会、1992 著作権情報センター)設立

1961年(昭和36)アメリカ支配下の琉球政府立法院が著作権法を改正

1962年(昭和374月 著作権制度審議会設置。日本書籍出版協会と日本雑誌協会はこの4月から1969 年9月まで17回にわたり意見書、要望書、陳情書を審議会と文部省に提出。

1963年(昭和3811月 同 小委員会中間報告 

1965年(昭和405月 同 小委員会報告書(出版権に関しては―「現に行なわれている出版契約は、多くの場合単純な出版の許諾であり、現行法に規定する出版権設定契約によっているものはきわめて少ない〔……〕出版者が原則として第三者との関係において物権的な排他的地位を取得するものとすることは,現在の出版慣行からみて,適当ではない〔……〕現行法の出版権のような趣旨の規定を設けることは適当ではない」とした)

1966年(昭和41審議会報告書(出版権に関しては―「現行法の出版権設定の制度を維持するものとし,その内容は,出版者の出版義務について,原稿引渡しのときから6月以内に履行すべきものと改めるもののほかは,現行法の定めるところに従って措置するものとする」)

1969年(昭和442月 書協と雑協が「著作権法案についての合同要望書」を提出。審議未了廃案。

1970年(昭和45)新著作権法成立

1971年(昭和4611日 新著作権法施行。7月 ベルヌ条約の「パリ改定」

1985年(昭和60)ソフトウェア法的保護監視機構(のち(1990)コンピュータソフトウェア著作権協会)設立

1989年(平成2)アメリカがベルヌ条約に加入

1990年(平成3日本複写権センター設立

1992年(平成5)著作権法改正(「私的録音録画補償金制度」の導入)

1996年(平成8)「著作権に関する世界知的所有権機関条約」(WCT=World Intellectual Property Organization Copyright Treaty=WIPO著作権条約」)の締結(著作権法改正され新たに「譲渡権 right of distribution 」の規定)

1997年(平成9)著作権法改正(「公衆送信権」「送信可能化権」の導入)

1999年(平成11)著作権法改正(「譲渡権 right of distribution 」の制定)。著作権情報センターが附属著作権研究所を開設。デジタル時代の著作権協会設立。

2000年(平成12)「著作権等管理事業法」成立、翌年施行。

2003年(平成15)日本文藝著作権保護同盟解散。日本文藝著作権センター (Japan Literary Property Center) 設立。知的財産戦略本部が閣内に設置。

2004年(平成16出版物貸与権管理センター設立   

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メモにあたって参考にしたwww資料 

★「著作権法制の変遷と出版者」<http://www.jbpa.or.jp/nenshi/pdf/p155-170.pdf> 〔④知的財産権・出版者の権利 p.155-170.pdf

★社団法人 著作権情報センター < http://www.cric.or.jp/ >    

     ☆「著作権法」 <http://www.cric.or.jp/db/fr/a1_index> 〔新しい著作権法全文〕                  

     「著作権データベース」 < http://www.cric.or.jp/db/dbfront.html >

     「関係団体・機関リスト」< http://www.cric.or.jp/link/link.html >

     「外国著作権法」 < http://www.cric.or.jp/gaikoku/gaikoku.html > 〔「外国著作権法令集」「外国著作権法リンク集」〕

★「デジタル版日本出版百年史年表」 < http://www.shuppan-nenpyo.jp/ > 日本書籍出版協会日本雑誌協会作成。しかし1958-1967年の10年間しかまだない〕

★宮本百合子「今日の日本の文化問題」 http://iaozora.net/cards/000311/files/3466_12372.html 〔青空文庫 「著作権」や「翻訳権」「版権」「出版権法」などの言葉を使用している〕

★石川寛仁「日本占領期年表」 <http://www.cyoueirou.com/_house/nenpyo/senryou/senryou0.htm>

★橋本健午「出版年表―発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷―」 <http://www002.upp.so-net.ne.jp/kenha/history/nenpyou-01.html> 〔『心-こころ-橋本健午のページ』〕

Wikipedia「著作権」    

   「万国著作権条約」  

   「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」  

    「著作権法」    

    「ノート:著作権法」   

nocopyrightC.jpg

「左」「ちがいます」


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July 12 ちょっとしたメモ 「おおスザンナ」とcopyright [メモ personal notes]

July 12, 2008 (Saturday)

   「おおスザンナ」の記事を書いている途中で読んだ資料の中で何度も copyright という言葉に遭遇したのだが、記事では訳さずにあえてcopyright と書いてきたような気がする。まだ国際的なcopyright がちゃんとしてなくて19世紀中葉のアメリカ作家たちが海賊版に悩まされていたみたいなことは知識として知っていたのだが、具体的な内実は知らなかった(し今も知らない)。一方なんでコピーライトというのだろうと前から気にはなっていた。で、まだ著作権のこともcopyrightのこともよくわからないのだけれど、メモ的に書いてから、さらにもっと図式的に書いてみる。

  ベルヌ条約は、長い名称というか原語はわからんので英語の名称 "the Berne Convention for the Protection of Literary and Artistic Works" を訳せば「文学および美術作品の保護のためのベルン協定」 ということになります。これは著作(者の)権(利)は「作物」がつくられたときに automatic に発生するという「無方式主義」に立っています(5条)。方式というのは具体的にいえば著作権登録とか著作権表示のことです。無方式主義の反対が「方式主義」で、登録や表示が必要です。ベルヌ条約はヴィクトル・ユゴーとかフランスの作家や芸術家の主張がもともと背景にあって、フランス語でいう"droit d'auteur" 「著者〈作者)の権利」が国際的に認められるものとして提言されたようです。「ベルヌ条約」の日本語訳を日本語版ウィキペディアで見ると、たとえば第一条は「この条約が適用される国は、文学的及び美術的著作物に関する著作者の権利の保護のための同盟を形成する。」となっている。英文(Wikipedia)だとArticle 1 は "The countries to which this Convention applies constitute a Union for the protection of the rights of authors in their literary and artistic works. " です。「著作物」は "works"、「著作者」は "authors"。

  「著作権」という言葉が日本語のほうで最初に出てくるのは第七条の二ですが、「前条の規定は、著作権が著作物の共同著作者の共有に属する場合にも適用する。ただし、著作者の死亡の時から計算する期間は、共同著作者のうちの最後の生存者の死亡の時から計算する。」とあります。これは英文では "The provisions of the preceding Article shall also apply in the case of a work of joint authorship, provided that the terms measured from the death of the author shall be calculated from the death of the last surviving author." です。日本語のほうの「著作権」にあたるのは英語には・・・・・・ないです。

  しかし第十四条の二で「映画の著作物は、翻案され又は複製された著作物の著作者の権利を害することなく、原著作物として保護されるものとし、映画の著作物について著作権を有する者は、原著作物の著作者と同一の権利(前条に定める権利を含む。)を享有する。  映画の著作物について著作権を有する者を決定することは、保護が要求される同盟国の法令の定めるところによる。」とかではじめて英語でも "owner of copyright" というフレーズが出てきます。しかしこれはおそらく戦後に追加された部分だろうと思われ。

 著作権が自動的に発生する、という有名な箇所は五条です――

ARTICLE 5 

(1) Authors shall enjoy, in respect of works for which they are protected under this Convention, in countries of the Union other than the country of origin, the rights which their respective laws do now or may hereafter grant to their nationals, as well as the rights specially granted by this Convention.
(2) The enjoyment and the exercise of these rights shall not be subject to any formality; such enjoyment and such exercise shall be independent of the existence of protection in the country of origin of the work. Consequently, apart from the provisions of this Convention, the extent of protection, as well as the means of redress afforded to the author to protect his rights, shall be governed exclusively by the laws of the country where protection is claimed.
(3) Protection in the country of origin is governed by domestic law. However, when the author is not a national of the country of origin of the work for which he is protected under this Convention, he shall enjoy in that country the same rights as national authors.
(4) The country of origin shall be considered to be
  • (a) in the case of works first published in a country of the Union, that country; in the case of works published simultaneously in several countries of the Union which grant different terms of protection, the country whose legislation grants the shortest term of protection;
  • (b) in the case of works published simultaneously in a country outside the Union and in a country of the Union, the latter country;
  • (c) in the case of unpublished works or of works first published in a country outside the Union, without simultaneous publication in a country of the Union, the country of the Union of which the author is a national, provided that:
    • (i) when these are cinematographic works the maker of which has his headquarters or his habitual residence in a country of the Union, the country of origin shall be that country, and
    • (ii) when these are works of architecture erected in a country of the Union or other artistic works incorporated in a building or other structure located in a country of the Union, the country of origin shall be that country.

   copyright という言葉は使われておらず、日本語訳でも著作権と訳していないのでした。要するに「著者の権利」という姿勢が強い(強かった)ことがわかります。

  さて、アメリカは「方式主義」です。アメリカと、それに先立ってイギリスが、つまりAnglo-Saxon 系が大事にしたのは、著者の権利と同時に、あるいは著者の権利より前に、出版の権利だった、と考えられます。

  えーと主観をメモろうかと思いましたが、客観(かどうかはわからんがWikipediaをまた( ..)φメモメモ――

History

Copyright was invented after the advent of the printing press and with wider public literacy. As a legal concept, its origins in Britain were from a reaction to printers' monopolies at the beginning of the eighteenth century. Charles II of England was concerned by the unregulated copying of books and passed the Licensing Act of 1662 by Act of Parliament [1], which established a register of licensed books and required a copy to be deposited with the Stationers Company, essentially continuing the licensing of material that had long been in effect.

The British Statute of Anne (1709) further alluded to individual rights or the artist, beginning: "Whereas Printers, Booksellers, and other Persons, have of late frequently taken the Liberty of Printing... Books, and other Writings, without the Consent of the Authors... to their very great Detriment, and too often to the Ruin of them and their Families:..."[2] A right to benefit financially from the work is articulated, and court rulings and legislation have recognized a right to control the work, such as ensuring that the integrity of it is preserved. An irrevocable right to be recognized as the work's creator appears in some countries' copyright laws.

The Statute of Anne was the first real copyright act, and gave the publishers rights for a fixed period, after which the copyright expired. Copyright has grown from a legal concept regulating copying rights in the publishing of books and maps to one with a significant effect on nearly every modern industry, covering such items as sound recordings, films, photographs, software, and architectural works.

The Copyright Clause of the United States Constitution (1787) authorized copyright legislation: "To promote the Progress of Science and useful Arts, by securing for limited Times to Authors and Inventors the exclusive Right to their respective Writings and Discoveries." That is, by guaranteeing them a period of time in which they alone could profit from their works, they would be enabled and encouraged to invest the time required to create them, and this would be good for society as a whole. A right to profit from the work has been the philosophical underpinning for much legislation extending the duration of copyright, to the life of the creator and beyond, to his heirs.

The 1886 Berne Convention first established recognition of copyrights among sovereign nations, rather than merely bilaterally. Under the Berne Convention, copyrights for creative works do not have to be asserted or declared, as they are automatically in force at creation: an author need not "register" or "apply for" a copyright in countries adhering to the Berne Convention. As soon as a work is "fixed", that is, written or recorded on some physical medium, its author is automatically entitled to all copyrights in the work, and to any derivative works unless and until the author explicitly disclaims them, or until the copyright expires. The Berne Convention also resulted in foreign authors being treated equivalently to domestic authors, in any country signed onto the Convention. The UK signed the Berne Convention in 1887 but did not implement large parts of it until 100 years later with the passage of the Copyright, Designs and Patents Act of 1988. The USA did not sign the Berne Convention until 1989.

  メモなので訳している余裕なし。しかし日本語ウィキペディアの「著作権」のこのあたりは英語版を参照しているかもしれない。

   えーと、ここで、まず第一の図式

無方式主義   ベルン条約→万国著作権条約 の基本的な姿勢  "authorship"  著者の側

方式主義     イギリスとアメリカ  "copyright"  言葉の由来からしてもともとは出版者(=著者の場合もあるが)〔もしかすると"publisher" ?〕の側

  日本は無方式主義を基本的に据えてきたけれども出版社やアメリカ的影響で折衷的な法律?

   あ、なんかメモを逸脱しそうなのでこのへんでやめときます。なお、明らかに間違いと思ったら訂正します(基本的に個人的メモなので、正確性を期待されないように。メモでもなんか参考になればうれしいですが)。

    しかし、日本の著作権法が第一節の第二条で著作物を「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と定義しているのはベルヌ条約的、「著者・作家」尊重的であっても、いかにも実態からズレている。株式概況や天気予報のどこが思想や感情を創作的に表現しているというのか。


  


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July 12 まじなメモ 「おおスザンナ」とアメリカの copyright [メモ personal notes]

July 12, 2008 (Saturday)

  前のメモがタイトルからズレテいることに気づいたのでマジで( ..)φメモ。

  前の記事で引用した英語版Wikipedia (q.v. "copyright")の "History"  には第一段落で "Charles II of England was concerned by the unregulated copying of books and passed the Licensing Act of 1662 by Act of Parliament, which established a register of licensed books and required a copy to be deposited with the Stationers Company, essentially continuing the licensing of material that had long been in effect." という文がありました(下線追加)。英国には今日も "copyright (deposit) library" と呼ばれる制度というか図書館があり、『リーダーズ英和辞典』の説明を借りれば「《英》納本図書館《英国内で出版されたすべての本1部の紀壮を受ける権利を有する図書館;British Library など》」とあります。上の引用中の "Stationers" は文房具屋じゃなくて出版業者の意味ですが、出版した本を出版者とともに届け出て実物を預け入れる(deposit) という制度が起こったことを言っているようです。

  で、英和辞典で引いてもよくわからなかったdeposit の意味合いがこういうのを読んでいてわかったように思いました。19世紀中葉のアメリカでも現物をもっていってそれをdeposit してcopyrightを取るという手続きがあったのだと。

  現在アメリカ合衆国のcopyright を扱っている機関は その名も "the United State Copyright Office" といって、Library of Congress の中に存在しています。それで、Library of Congress の資料がcopyright のdeposit の期日を手書きで書きこんだcopyが多いことの説明がつきます。もっとも、これは1897年にできたものだそうで、またWikipedia の、今度は "United States Copyright Office" の説明をちょっとだけ借りるとこうです。――

The United States Constitution gives Congress the power to enact laws establishing a system of copyright in the United States, and the first federal copyright law was enacted in May 1790 (with the first work being registered within two weeks). Originally, claims were recorded by Clerks of U.S. district courts. In 1870, copyright functions were centralized in the Library of Congress under the direction of the then Librarian of Congress Ainsworth Rand Spofford. The Copyright Office became a separate department of the Library of Congress in 1897, and Thorvald Solberg was appointed the first Register of Copyrights.[1]

  もとは "Clerks of U.S. district courts" が記録していたというのです(これは「おおスザンナ」のいろいろなヴァージョンの版の表紙で目にした通りです。それが1870年にLibrary of Congress が一括集中的に扱うようになった云々とのことです。

  そして、現在のU.S. Copyright Office のHPを見ると、"mandatory deposit" という項目があって、簡単な要約だと、

Mandatory Deposit in Brief

  • All works under copyright protection that are published in the United States are subject to the mandatory deposit provision of the copyright law.

  • This law requires that two copies of the best edition of every copyrightable work published in the United States be sent to the Copyright Office within 3 months of publication.

イカ2項略

要するに、合衆国内で刊行されたコピーライトに相当する作物の最良の版2部を刊行後3カ月以内にCopyright Office に送れ、それが著作権法上義務となっているdeposit (まだ訳せませんがいちおう「預入」)義務規定だと。これはつまり前の記事で書いた著作権の「方式主義」の「登録」に伴う義務であると考えられるわけです。で、ここで問題になっているのは(あるいは19世紀半ばに問題になっていたのは)、著者〈作者)が誰か、ということではなかったろう、ということなわけです。

  なんか太字が戻らないのでこのへんで。


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September 12 ジェレミー・イーニックの解説文章で英語の勉強をしてみる Jeremy Enigk [メモ personal notes]

September 12, 2008 (Friday)

以下はなかば私的なメモです。

September 11 サニー・デイ・リアル・エステイトとジェレミー・イーニック Sunny Day Real Estate and Jeremy Enigk

のつづき。

  サニー・デイ・リアル・エステイトとジェレミー・イーニックについての話で、 『カエル女王カエル』というアルバムに関してイーニックの解説文章の日本語への違和感という話です。で、英語を適当に(だって抜けてるし)訳しているらしいことがわかりました。

When Sunny Day Real Estate founder and front man Jeremy Enigk left the band at the apparent peak of their power, many fans were inconsolable.  Their shadow had just begun to cross the threshold of mainstream acceptance.  After taking a brief soul-searching hiatus from recording, Enigk returned in 1996 with a brilliant solo album, The Return of the Frog Queen.  On this outing, Enigk traded in sonic cavalcades of guitar for string arrangements and swapped heart-impaling confessional psalms for brooding, imaginative fables.  The album offers a sumptuous repast of orchestral rock and Lewis Caroll-inspired lyrics at which Renaissance Fair enthuasists, Emoids, and discriminating Goths may dine with equal delight.  Though Enigk would subsequently return to the Sunny Day Real Estate fold, for many fans, this will remain his most impressive showing.
                                                                         - Chad Driscoll

サニー・デイ・リアル・エステイトの創立者でフロントマンのジェレミー・エニックがバン ドの絶頂期に脱退すると、多くのファンは落胆した。それは丁度バンドがメインストリームに食い込みはじめている時期だった。音楽業界から離れてしばらく内省した後、エニックは96年にソロ・アルバム『ザ・リターン・オブ・ザ・フロッグ・クィーン』で復活。以前のギター・サウンドと胸を刺すような歌を放棄、 新しくストリングスをアレンジして内向的かつ想像性豊かな物語を作り上げる。それはルネッサンス復興愛好家からエモ系、目の肥えたゴスまでがうっとりする ような内容だった。エニックはその後、サニー・デイ・リアル・エステイトに戻るが、多くのファンにとってこのアルバムが頂点だったと言える。

サニー・デイ・リアル・エステイトというバンドの結成とイーニックの参加の経緯は前に触れました。"front man" というのは、古い日本語でいうと「表看板」ですが、バンドのリードプレーヤー、ふつうはリードボーカルのことです。 "apparent" という形容詞を訳は落としてますが、バンドの精力(古っw)の頂点と「思われた」ということです、この言葉は、のちにバンドが再結成されて新たなパワーを出すことと関係しているでしょう。"inconsolable" というラテン系のむつかしげな単語は文字どおりには「慰めることができない」ということですが、慰めようのない悲しみに沈んだ、打ちひしがれた、ということです。"cross the threshold" は「敷居をまたぐ」の意味ですけれど、メインストリームの玄関口からなかに入ることを許されるところだった、というようななかば比喩的な意味で使われているのだと思います。その次の文の "hiatus" は「休み」「休暇」です。レコーディングから短い休みをとって自分探し、いや魂探しの旅に出て、1996年にすばらしいソロ・アルバム『カエル女王の帰還』をさげて戻ってきた。 "On this outing"の "outing" は "hiatus"とイメジはつながっていて、「そと出, 遠足, 外出」の意味なのか、それとも不在状態からこちらへの「登場, 出ること」なのか、はっきりしません(英語の文章は、構文レヴェルでなくて語彙レヴェルだと、むつかしい抽象的なことばでわかりにくい場合と、やさしい曖昧なことばでわかりにくい場合とありますが、このチャド・ドリスコールという人の文章は両者をまぜあわせたわかりにくさがありますね)。「このときに」と書いてくれたらよいし、いっそのことそれもなくても意味は同じなのに。"Enigk traded in" の "trade in" は「下取りしてもらう」「(引き換えに)手放す」の意のちょっとイロのあるイディオム。でも、次の動詞の "swapped" の swap とまあ同じで、両方とも exchange ということです。"sonic cavalcade" は検索で30件ぐらいヒットするような、あ、複数形の "sonic cavalcades" だと3件しかヒットしないような、気取っておしゃれなフレーズ(「音の騎馬行進」)。こんなのは訳す必要はないと思いますが、それにしてもギター・サウンドそのものは放棄してないと思うのだが。「胸を刺すような歌」の元の英語の "heart-impaling confessional psalms" から落ちている "confessional" 「告白的」、というのはいわゆるEmo の私小説的というか個人的な詩の世界と関係する形容詞です。それにしてもなんd "psalms" 「聖歌」 なのかわからんす。songs でいいじゃんか。で、それが捨てられて代わって出てきたのは "brooding, imaginative fables" だと書いています。fable は「寓話」です。"brooding" はあいまいですが、「思いに沈む」ぐらいの意味でしょうか。「沈思黙考的」かな。物思いに沈む、想像力にみちた寓話かな。ここで "imaginative"は"confessional" と対照的なものです、もちろん。私的な告白詩から想像力による寓話へ転換があったということです。

  そのつぎの文が、問題の「ルネサンス・フェア」を含んでいるのみならず、「ゴス」まで入っちゃっている部分です。

  ちなみに、今日のソネットの横断ビンゴは 「So-net テキスト翻訳」のページを見せられることになり、ふと気がつくと次の日本語があらわれていました。――

サニーDay Real Estate創設者と表看板ジェレミーEnigkが彼らの力の見た目のピークにバンドを去ったとき、多くのファンは悲しみに沈んでいました。彼らの影は、ちょうど今主流受理の出発点を横切り始めました。レコーディングから短い自己分析中断をとった後に、Enigkは素晴らしいソロアルバム(Frog女王のReturn)とともに、1996年に帰りました。この遠出に関して、Enigkはストリング準備のためにギターの音の行列を下取りに出して、心臓を突き刺している告白の聖歌を気味の悪い、想像力に富んだ寓話に換えました。アルバムは、オーケストラ岩の高価な食事とルネッサンスFair enthuasists、Emoidsと識別するためのGothsが等しい喜びと食事をするかもしれないルイスキャロルの感化を受けた歌詞を提供します。EnigkがサニーDay Real Estate折り目にその後戻るけれども、多くのファンにとって、これは彼の最も印象的な展示のままです。-チャドドリスコール

  「オーケストラ岩」はねーよな(プッ)というような誤りはありますが、作為的じゃないからcheat がなくて問題の所在がわかるところが機械翻訳の利点ですか(?)。 あと、誤字がわかるし・・・・・・enthuasists じゃなくて enthusiasts ですね。もいっちょいってみよー。――はい。この語を含むセンテンスは、「アルバムは、オーケストラ岩の高価な食事とルネッサンスFair狂、Emoidsと識別するためのGothsが等しい喜びと食事をするかもしれないルイスキャロルの感化を受けた歌詞を提供します。」に変わりました。

   えーと、「オーケストラ岩の高価な食事と」じゃなくて、「ロック・オーケストラ(的な音楽)とルイス・キャロルにインスピレーションを与えられた歌詞という贅沢なごちそう」ですね。で、そのゴチに対して、ルネサンス・フェア大好き人間も、Emoids (「エモやんたち」と訳したい欲求に駆られますが、この、やぱーり今の英和辞典には載っていない語を、前に参照したことのあるUrban Dictionary の記述を借りると、 "A person or persons that stereotypically fall into the category of being a emo kid" となります。が、"emo" はなんや、ということで、見ると、この辞書は執筆者複数の場合は併記なのね。Wikipedia より民主的ということになるのかしら(ウィキペディアの "Emo"; 「エモ」)もゴス信奉者も等しく喜びを味わう、という、そういう豊かなオイシイものができました、という主旨です。

   "oid" というのはギリシア語の eidos に由来する言葉(接尾辞)ですから 「・・・の形をもっている、・・・状」のというような意味です。Vocaloid の鏡音レンとリンとか。この eidos という言葉がよくわからんのは、『広辞苑』の文章を引くなら、「形相」とは「①かたち。すがた。ぎょうそう ②〔哲〕(idea; eidos (ギリシア)・form (イギリス)) 質料に一定の形を与えて、一個の現実的存在者として成立させる構成原理。これを、プラトンは事物から超越する原理とし、アリストテレスは事物に内在する原理とした。以後現代に至るまで哲学の基本概念の一。⇔質料。」となります。これは若い頃のモーリちゃんの父にはまったくもって不可解な話で、だって、idea があって、 form があるはずなのに、なんでidea と form が一緒なんだよ、という疑問。ま、いまもよくわかってはおらんですが(頭でわかっても感情がウンと言わないw)。

  でもまあ、ぶっちゃけ、英語の接尾辞の使い方としてはもっぱら非哲学的な意味のform ですね、物質的な、つまり形が似ているみたいなぐらいな。そして、よくわからんけど、なんで "emo" に "emoid" という(ちょっとヤユ的な)言葉があるかというと、 emotion というのは内的なものだけれど、それに流行的に乗っかるみたいな感じなのかなあと。ま、型ですね。

   そのつぎのGoths は、"Renaissance Fair enthuasists, Emoids, and discriminating Goths" と3者が並んでいる中で、唯一形容詞をあたえられています。そこがあやしい。「目の肥えたゴス」って、肥えたゴスロリ娘はいるでしょうけど、どういうことでしょう。よくわかりませんけれど、あるいは次のような可能性が考えられます。ひとつは、もともとSDRE のボーカルはゴス的な唸るような低音で歌うDan Hoerner であったこと。もうひとつはゴスのファンは必ずしも "discriminating" ではないが、そのなかで「聴く耳のある」というやや揶揄的・批判的な限定の形容詞(だって、そうでなければ、Goths はみなdiscriminating というワザトラシイ形容になってしまう)。

   最後のセンテンス。Though Enigk would subsequently return to the Sunny Day Real Estate fold, for many fans, this will remain his most impressive showing. would は過去未来。「のちに戻ってくることになる」  だけど、多くのファンにとって、このアルバムがイーニックの最も印象的な "showing" でありつづけるだろう、と〆ています。 "showing" というのも "outing" と同じくことばは優しいのに意味がよくわからないことば。ただ「作品」と言ってくれてもいいと思うのですが。内的なものを示すという含みなのでしょうか。イーニックの人と世界を示す印象的な作品として残るだろう、みたいなのが意訳かなあ。

   ああ、むつかしかった。

   ルネサンス・フェアというのはイタリア・ルネサンスじゃなくて英国のエリザベス朝ルネサンスの、ということはエリザベス女王(一世)の時代のイギリスの風習や衣装を再現して遊ぶおまつり(常設のものもあります)ですが、しばしばユル~く中世まで入れてしまうようです。いっぽうゴスのもとのゴシックが中世のものであると同時に18世紀から19世紀にかけてのゴシック・リヴァイヴァルともかかわっていることを考えると、アメリカの精神史の前史にたぶん深くかかわっていると思われ、ちょっとマジで考えてみたいと思っているモーリちゃんの父でした。


2008年10月17日追記 以下の記事でルネサンス・フェアについて書きました(書いています)――

September 24 ルネサンス・フェアをめぐって (上)  Renaissance Fair (1) 

September 30 ルネサンス・フェアをめぐって (中)  Renaissance Fair (2)

October9 メリーマウントのメイポール(五月柱)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続き)  Renaissance Fair (3)

 

 


 

 


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September 28 ブログの文体(メモ) [メモ personal notes]

September 28, 2008 (Sunday)

    今日はサンフランシスコの図書館友の会主催古書市の最終日だけれど、モーリちゃんたちはバークレーのお祭りだかなんだかに行くというし、ひさしぶりにひとりでうちに残ってまったりすることにした。

  以下極私的メモ。

1)  道筋の記録

  ソネットのホームページで麻生太郎についての「「やはり肉声で伝えた方が…」首相への取材、一転OKに」 というニュース記事 (9.28, 23:24)を見て中山成彬国土交通相の辞任を知る→中山+辞任で検索し、「「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし」(asahi.com) などを読む→中山+日教組で検索する。いろいろ読んだ中で「<中山国交相>「がんは日教組、解体しなければ」宮崎で発言」(エキサイトニュース 9.27, 20:40)のトラックバックの先頭の「輿石東←ガンの日教組、民主党現参議院議員会長」(散歩道 kuyou.exblog.jp 9.28, 14:27)をクリックする→本文中の「ちなみに、こんな事をやってたりもするhttp://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/485135/ 叩けば埃ばかりの人物。」のリンクをクリックする→「民主・輿石氏がやたらと意気盛んなのでちょっと昔の写真を 」(阿比留瑠比の『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』2008.2.17)を読む→そのコメントでくぼたさんという人がtruth-of-truth さんというひとにむかって発していることばを読む(truth-of-truthさんのコメントは見つからない)→truth-of-truth を検索する(グーグル)→「はてなブックマーク - kechackのブックマーク / truth-of-truth.iza.ne.jp」 をクリックする→2008年1月の「民主党支持者のための小沢批判 」のコメント欄を見る→最近の記事を見る→最新コメントから mochizuki さんのブログを見る→記事「届いたコメントを理解するA様の能力を診察する ― その2(前編) (9.15) を流し読む→その記事のコメントのやりとりをいくらか読む→タグ「阿比留の学校」 (46)を開いて読む→読んでいるうちに引用のしかたや句読法のくせや字体の変化などについてのルールが理解できてくる、少し→「いわゆる慰安婦問題は、オタクさんたちがもたらした舌禍か!?」(2007.11.30) をていねいに読んでみる→そのコメント欄で、トラックバック記事を書いた博士の独り言様へのmochizukiさんの12にわたる文章と問いかけ、その他のコメントを見る→博士の独り言のトラックバック記事「カナダ「性的奴隷動議」可決」(2007.11.29) を読む。→博士の独り言のプロフィールを読む。

 

2)  感想と学んだこと

1A.  論理は大事である。*

2A.  明晰な文体・文章が要求されるジャンルというものがある。

3A.  政治ネタは本気で書かねばならない。

4A.  わかりやすさを心がけることは大事である。

1B.  過度の論理が重たい場合もある。

2B.  理屈が明晰さを生むかというとそうでもない。

3B.  本気を出せばいいというものではない。

4B.  わかりやすさを心がけることはおおむね大事である。 

 

3)  思いだしたブログ記事

「硬い文章に柔らかい語尾をつけると人気トレーダー風になれる、という遊び」 <http://www.h-yamaguchi.net/2008/06/post_1.html> 〔H-Yamaguchi.net 2008.6.18 若林さんの文体の軽やかさについて(?)、いや、重たい内容を軽くするスタイルについて〕

ブログ初心者が知っておきたい★10の法則★ <http://blogs.yahoo.co.jp/uragoe_2ch/39028314.html> 〔OYAJI さんの『楽しむYahoo!ブログの作り方♪』という個人ブログの初心者ブロガー向け記事 【1】 2006.8.20  ひさしぶりに見たのだが、最近もコメントが行われて、盛んに読まれている様子。善意の人、善意の読者と思っていたが、どこかで炎上していた記憶があるのだが、健在でよかったような気がする。なんか気になる。これかなあ――「ニュースサイトや新聞記事を使う場合は注意しましょう♪」(2006.8.31)ともかくブログの論理じゃなくて倫理問題については反省の糧を与え続けている貴重なブログ〕

「ネットの言論はクズ」 <http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070605/1181001646> 〔『finalventの日記』 2007.6.5〕

 

*こころに刺さった言葉(これは引用だろうか)―― 「訳のわからん意味不明な文言」(これは引用というほどではない日本語かしら)、「私の文章が意味不明だという人は、思考力がない、日本語がわからないと白状しているようなものです。」(これも引用というほどではない日本語かしら)〔以上典拠は <http://truth-of-truth.iza.ne.jp/blog/entry/458099/#cmt>〕、「それをmo-----さんに言われたくありません。鏡をみましょう。」「あなたが私を論理性がないと見ているように、あなたもそのように見られているものです。」、「或る意見が正しいか間違っているかの判断は、論理性の有無だけで決まるものではありません。」〔以上典拠は <http://truth-of-truth.iza.ne.jp/blog/entry/706996/allcmt/#C807602>〕、「・・・の長々文は、読もうとしても、目がグルグルの蚊取り線香になってしまって結局、まともに読めない」、「失礼のないように、そして、博士様の目がぐるぐる巻きの香取線香に
ならないよう、解読可能な文章を書いて差し上げな」〔以上発言は <http://mochizuki.iza.ne.jp/blog/entry/408039/#cmt> のアリガトさん〕

最後のふたつがとげのように頭に刺さった(心じゃないんかい)。

 

  ともかく反省。


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October 4 一本道――篤秘メモ Lady Atsu Note [メモ personal notes]

October 04, 2008 (Saturday)

  以下まったくの私的メモ。

  天璋院 「オナゴが覚悟を決めたからにはここからは一本道を歩んでいくのみでございます。」 極道の妻たちふうやね。

 いちおうなんでも検索するクセがついてしまった(というか歩いていくか歩んでいくか、自分の字が読めなかったw)ので検索したところ、

「篤姫」 ネタバレスレッド まとめwiki - 第34話

というページがあった。クリックすると、 「運営のルール」に従って削除したと書かれている。運営のルール <http://www11.atwiki.jp/atsuhime/pages/44.html> を興味深くを読んだ(がよくわからなかった)。しかしキャッシュは残っているなあ。

  英語の字幕 They had met for the first time.  「おふたりははじめて顔をあわせたのでございました」(ナレーション) → had met じゃなくて met でいいはず。

 ------------------

極道の妻たち、の有名な決めゼリフはいくつかあるのですか? なめたらあかんぜよ...」

Yahoo 知恵袋<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113951086>

そういえば、『鬼龍院花子の生涯』は宮尾登美子か。

 flow2.gif

    最終回のタイトルが一本道か一本の道なのでだろうか。

  一本道というと、友部正人♪ 2007

  辻香織 (1980 -) という人の歌をはじめて聞いた。 一本道♪

 

 


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October 8 【メモ】 フィナーレ・ウルティモとグランド・フィナーレ [メモ personal notes]

October 08, 2008 (Wednesday)

   Funny Face  の "'S Wonderful" の歌詞の、それも実際に使われた歌詞として、 

" Version sung in 'Finale Ultimo' " と題された10行があった――

FRANKIE: 'S wonderful!
   PETER: 'S marvelous―
    BOTH:  City hall's in view.
FRANKIE:  'S marriage licence.
   PETER:  'S Niag'ra Fall.
    BOTH:  'S 'appiness for two!
 DUGSIE:   You've made my life so ting-a-lish;
                I'll even overlook your Eng-a-lish.
   JIMMY:   Oh, wedding bells fill the air
                Now that I know you care.

   

  "'S Wonderful" は、使用されなかったさまざまな歌詞はさておき、Peter と Frankie がそれぞれverse と chorus (refrain) をソロで歌う場面は、この2幕のミュージカルの第1幕にある。 この"Finale Ultimo" はどこで歌われたのだろう。

   finale フィナーレは、音楽用語がだいたいそうであるようにイタリア語で、意味はファイナルと同じ「最後」「終局」だけれど、歴史的にはクラシック音楽において、 opening での盛り上げじゃなくて、楽章なり幕なりの最後での盛り上がりのために、ソロじゃなくてアンサンブル=合唱で演奏される部分らしい。モーツァルトやベートーベンが工夫したらしい。

   英語の辞書にfinale ultimo が出てこないのは、まあしょうがないのかもしれない。でもgrand finale は出てくる。――

a climactic finale (as of an opera)  〔Merriam-Webster Online <http://aolsvc.merriam-webster.aol.com/dictionary/grand%20finale>〕

    「クライマックスのフィナーレ」 。("Date: 1800" となっている)。

    グランド・フィナーレとフィナーレ・ウルティモはどう違うのだろう。同じなのだろうか。同じかな、とちょっと思ったのは、次のような記述のサイトがあるから。――

Finale Ultimo
The final finale. 〈最終的フィナーレ)

Finaletto
Rarely used as a term now, a "Finaletto" is a small finale at the end of a scene, whereas the Finale or Grand Finale comes at the very end of the show. (今日ほとんど使われない用語だが、「フィナレット」は場面の終わりの小さなフィナーレのこと。それに対してフィナーレあるいはグランド・フィナーレは歌劇の最後に来る) 〔"BMTG Glossary" Beeston Musical Theatre Group <http://www.bmtg.org.uk/glossary.php>〕

これは、なんだかイギリスのアマチュアの音楽協会らしいのですが、他にも

finale - Last song of an act, usually involving a large number of singers.(幕の最後の歌曲。通例大勢の歌手による)

finale ultimo - The final finale.(最終的フィナーレ)

grand opera - Opera which is sung from start to finish, as opposed to opera which may have spoken dialogue. 〔"Educational Resource for Orfeo ed Euridice [...] produced by the Queensland Conservatorium Griffith Universty, June 2007" Albert Herring <http://209.85.173.104/search?q=cache:RFxqxiJLxAkJ:www.griffith.edu.au/school/qcgu/about/industry_and_community/resources/doc/christoph-willibald.doc+%22finale+ultimo%22+dictionary&hl=ja&ct=clnk&cd=19&gl=jp&client=firefox-a>〕

とか。

  けれども、ヴェルディなんかは、「グランド・フィナーレ」が終劇にではなくて、 まんなか過ぎたあたりに設定されるわけです。

  だから、結論的には、「グランド・フィナーレ」はフィナーレの質量的な「クライマックス」度によるもの、 「フィナーレ・ウルティモ」は時間的な「クライマックス」、ということになるのではないかと(あくまで( ..)φメモメモです)。まあ、ふつうは time-sequence の終局で一番のクライマックスが来て閉じるので、グランド・フィナーレ=フィナーレ・ウルティモとなる確率は高いのかもしれない。

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参考URL

三澤洋史 「『アイーダ』にみる通俗性と芸術性について」 <http://mdr-project.hp.infoseek.co.jp/MDR-Seminar/MDR-Seminar-2007.04.13.html>  〔ワーグナーとの対比で論じているところが興味深かった。ワーグナーは、高橋巌的に言うなら、音楽が零的世界に近いことを知りつつも、アッチ側に一気に飛び越えるのではなくって、言葉による劇的な過程をこそ大事にしたがゆえに楽劇という言葉を大切にする形式を選んだ、というようなことで(うろおぼえ)〕

ヴェルディの通俗性② 声楽的アンサンブルとグランド・フィナーレ
 ヴェルディは、「アイーダ」までは、番号付のオペラを捨てませんでした。さらにワーグナーが早くも捨て去ってしまった、声楽的アンサンブルについては、 最後の「ファルスタッフ」までも決して捨てませんでした。すなわち同時進行しながら別々の歌詞を歌う二重唱、三重唱、四重唱、及び合唱を含んだ大規模なコ ンチェルタートと呼ばれる楽曲です。 
 ヴェルディは、むしろこれらのアンサンブルを中心にオペラを構成していきました。彼のオペラではアンサンブルを中心に場面割りをたどっていける分かりやすさがあるのです。
 たとえば、「アイーダ」第一幕の構成は、ラダメスのロマンツァ「清きアイーダ」、アムネリスとの二重唱、アイーダ登場して三重唱という風にです。
 ヴェルディは、アリアだけでなくこうした場面ごとの拍手をも許しました。

 ワーグナーが何故こうした声楽的アンサンブルを捨てたかというと、複数の歌手がそれぞれメロディーを朗々と歌って同時に別々の歌詞を言うことは、かえって聞き取りにくいし、なによりもドラマの流れがそこで止まってしまうからです。
 ワーグナーは、ヴェルディが同時にひとりひとりの想いを独白させるようなところでは、それを歌詞ではなくむしろ管弦楽が奏するライト・モチーフに語らせ ました。会話が自然に行われ、聴衆にもその意味がはっきり伝わるように、なるべく語りに近いスピードと間を与え、歌手達にメロディーを朗々と歌わせること を極力避けました。
 一方、ヴェルディは、流れが止まっても、「ここはアンサンブルに徹して音楽的な高揚感を与える」と割り切り、ドラマが進行するところと音楽的に密度が高いところとを交互に置きました。

グランド・フィナーレ
 ヴェルディは基本的にオペラの真ん中過ぎたあたりに、ソリストと合唱とによる大規模なコンチェルタートを含むグランド・フィナーレと呼ばれる部分を置き、これによってオペラのひとつのクライマックスを築きました。
 この着想を、彼はそれ以前のベルカント・オペラやマイヤベーアなどのグランド・オペラから得ましたが、新作を発表するごとにグランド・フィナーレの内容に様々なヴァリエーションを加えていきました。
 合唱指揮者としてヴェルディの様々なオペラの合唱場面に付き合ってきた私は、ヴェルディのグランド・フィナーレの多様性とその変遷とを語るだけでも、お そらく一晩の講演が出来てしまうのですが、いくつか例を挙げるだけでも私の語ることの意味がお分かりいただけると思います。

 たとえば「運命の力」第三幕の戦場の野営地では、さまざまな情景が繰り広げられています。たとえば戦場という場所のどさくさに紛れてあくどい商売をしよ うとするトラブーコと兵士達のやりとりや、母親の元を離れて寂しがる新兵達とそれをなぐさめるお姉さん達や、風紀を乱していると言ってみんなをとがめに来 るが、一同から嫌がられる僧のメリトーネなどです。さらに「ラタプラン」というほとんどアカペラで歌われる戦争ゴッコの合唱などが、悲劇的なストーリー展 開とは全く離れて、まるでNHKの「ふるさとの歌祭り」か「紅白歌合戦」のような娯楽的場面を作り出しています。
 そのため、本来陰湿な内容を持つこの「運命の力」にある種の救いをもたらしているとして評価する人もいれば、反対にそれによってドラマの焦点がぼやけてしまっていると批判する人がいます。
 しかしひとつだけ言えることは、こうした場面を通して、私たちは当時のイタリア人達の生活ぶりをかいま見ることが出来ます。それ故にヴェルディは特にイタリア人からは国民的作曲家としてあがめられ親しまれているのです。

 パリのオペラ座のためにフランス風グランド・オペラのつもりで書いた「ドン・カルロ」第三幕では、通常祝祭的で華やかに上演される合唱やバレエの場面の代わりに、なんと“異端者の処刑”という重々しい場面を描きました。
 ここで特筆するべきことは、この場面の間にドン・カルロがなだれこんできて、フランドルの使者達と共に国王にフランドル地方の圧政からの解放を訴えた り、その訴えを国王に退けられて逆上したカルロが剣を抜くと、それを制止したのが他ならぬカルロの親友ロドリーゴだったりと、「運命の力」と違って、まさ にドラマの重要な進行がコンチェルタートの真っ直中で起きるということです。

「アイーダ」のグランド・フィナーレ
 「ドン・カルロ」のグランド・フィナーレで獲得した手法を、ヴェルディは「アイーダ」でさらに発展させます。通俗性といえば、ヴェルディの全作品の全場 面中最も通俗的な第二幕第二場グランド・フィナーレで、ヴェルディは確かに「お客様は神様です」と言わんばかりにアトラクションの大サービスをします。
 でも、それだけにとらわれていると、この場面に潜む芸術性に気づかないで通り過ぎてしまいます。エチオピアとの戦いに勝って凱旋してきた戦士ラダメス は、エチオピアの捕虜達の解放を国王に願いますが、その捕虜達の中にアイーダの父親でありエチオピア国王のアモナズロが身分を隠して紛れ込んでいます。ま た国王はラダメスに自分の娘アムネリスを后に迎えるよう命令し、アイーダは絶望にうちひしがれます。
 このようにヴェルディは、華やかなスペクタクルで聴衆を楽しませながらも、重要なドラマ展開をこの場に盛り込んでいて、ドラマ的にはこのオペラ全体の折 り返し点となっています。その意味では、「アイーダ」のグランド・フィナーレは、ヴェルディにとって庶民との接点を保ちながらも自身の芸術性を盛り込ん だ、彼のオペラ作りのひとつの結論とも言えるものなのです。

神崎正英 「ベートーベン第九の歌詞と音楽(a.k.a.ベートーヴェン)交響曲9番とシラーの「歓喜によせて」」 The Web KANZAKI <http://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html>

神崎正英 「第九の歌詞の意訳(ごろあわせ)」 The Web KANZAKI <http://www.kanzaki.com/music/lvb-daiku.html> 〔向島芸者達が練習に使った「歓喜の歌」のとらの巻。下のはフォーマットが引用元とズレテいます。〕

フロイデ) 詩へ寝る(シエーネル) 月輝る(ゲッテル) 粉健(フンケン)

とホテル(トホテル) 会う末(アウスエ) 理事(リージ) 生む(ウム)

ビルベ(ヴィルベ) と(ト) 0点(レーテン) 夫追い得る(フオイエル) 取るん健(トゥルンケン)

貧無理死へ(ヒンムリッシェ) 台ん(ダイン) 入り人産む(ハイリヒトウム)



台寝(ダイネ) 津会うベル(ツアウベル) ビン出ん(ビンデン) 微出る(ヴィーデル)

バス出い(ヴァスデイ) 詣で(モウデ) 酒取れん(シュトウレン) 下駄いると(ゲタイルト)

ああ冷(アーレー) 麺支援(メンシエン) ベル出ん(ヴェルデン) 鰤うでる(ブリューデル)

暴大ん(ヴォーダイン) 残ふてる(ザンフテル) 風流げる(フリューゲル) 場いると(ヴァイルト)[・・・・・・]


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October 10 【メモ】 コピー、ジャズ、ジェンダー [メモ personal notes]

October 10, 2008 (Friday)

    あの阿野音楽教室のジャズ歌詞ページのリンクが切れていることに気づいたので、調べてみた。教室はちゃんと存在している。それでわかったのだけれど、あの歌詞は、おそらく(おそらくとしか言えない)コピペで、元はおそらくこっちの大きなページではなかろうか――『大衆音楽徒然帖』 <http://d0v0b.info/contents.html>

     " 'S Wonderful " がまったく同じ内容なのは気づいていた。どっちがどっちかわからなかった。が、後者は規模が全然違っていた。――

楽人      楽曲      音盤    蘊蓄



ゆるゆると、
仕上げていくつもりです。。。

   いつからなのかはわからない。How Long Has This Been Going On? (ちょっと無理がある英語か)

    ミュージカルFunny Face の試験興業(そのときはSmarty というタイトルだった)で使われ、 ブロードウェイでは落とされた "How Long Has This Been Going On?" については、つぎのような記事となっている(長いが全文引用させていただく――ほぼ完全コピペ――リンク切れ多し)。――

How Long Has This Been Going On?  1927
いつの頃から

compose: George Gershwin
lyric: Ira Gershwin

 ガーシュイン兄弟の1927年のミュージカル・コメディ [Funny face] に挿入された曲で、ジョージの指示は"Blues moderato" となっている。しかしこのミュージカルは最初は [Smarty うぬぼれ屋] という題でフィラデルフィアで上演されたが、ウィルミントンの木、金曜日の興業では客は二百人足らずだったとアイラは回顧している。そこで曲を入れ替えたり物語を手直ししたり、題名を [Funny face] と変えたりして、その週の売上は六千ドルだったが、次にニューヨークのアルヴィン劇場の柿落としでは週四万四千ドル稼いだという。しかし、そのためにこの曲自体は落とされて使われなかった。

 ところがプロデュサーのジークフェルドがこの曲を気に入って、翌年の [Rosalie] というミュージカルにシグムンド・ロンバーグの曲とともに使用されることになった。もっとも男女二人のデュエットとして作られていたから、一人のソロ用に 歌詞を数行書き換えなければならなかったが、プロデュサーのフローレンツ・ジークフェルド Florenz Ziegfeld は、1907年から'31年まで [Ziegfeld Follies] と名付けたレヴューを22本ブロードウェイで上演した人で、その内容はミュージカルというよりはフランス風のレヴューだったが、ブロードウェイの興隆の基 礎を築くという点で大きな貢献のあった人である。

 後に'57年にフレッド・アステアとオードリー・ヘップバーン主演で同じ題名(邦題は『パリの恋人』)で映画化されていて、その中で物語りは違うものの、ヘップバーンが図書館の中でこの曲を歌う場面があった。それから最近では例のデクスター・ゴードン主演の映画『ラウンド・ミッドナイト』の中でも、ク ラブの女性歌手がこの曲を歌う場面が挿入されていた。

 というように、どういうわけかガーシュインの曲のなかには、今日こそスタンダードとして通っているが、こうして多難な曲折を経てきているものが多いよう だ。この曲は若いうぶな男性が売春婦をしていて身を持ち崩した女とする最初のキス A first kiss のシーンで歌われる。

 この曲は題名が印象的なので、一度聴くと忘れられないような雰囲気を持っている。題名の意味は、《いつからこんなふうになってたんだろう?》と《なっちゃったのかしら》とやや違うふうに訳したが、どちらにもとれると思う。しかし難しい単語などなく一見易しそうに見えて、どうしてどうして、なかなか解釈 に苦労させられる。

 当時、楽譜出版の方面で大手だったシャピロ・バーンスタイン&Co.の専務がアイラに電話をかけてきて言ったそうだ。
 「昨日のショウを見たけど良くなかったね」と。アイラがそれを認めると
 「あれに [How long has this been going on?] という曲が入っていたね?]と問いかけてきた。
 「ええ、それがどうかしましたか?」とアイラ
 「あれは意味をなさないよ」と専務が言う。
アイラはそれには同意しないが、この曲の客への受けは良くなかった事は認めて譲歩した。
 「ところでうちの会社は同じ題の曲を買って、今出版しようとしているところなんだ。君の曲はどうってことないみたいだから、いっそあのショウから外したらどうだろう?」と専務がひどいことを言う。

 アイラは憤慨するが、あの曲は外すかもしれないとしても、それには皆と相談しなければならないし、それに代わる新しい曲を書いて、練習したり脚本をい じったりと大変な手間がかかるので、自分の一存で決められるものではない、と言って電話を切った。そして、結局は [He loves and she loves] という曲に置き換え、アイラは不満だったもののショウは成功する。とにかく、同名のもう一方の曲は出版されたのかもしれないが、以来一度も耳にしていな い、とアイラは控えめながら自身のある感想を残している。

 この話が示しているように、この曲は大ヒットはおろかヒットらしいものでもなく、すこぶる不評からスタートして徐々にスタンダード曲としての地位を獲得したわけで、むしろその内容でがっちりと人気を勝ち得たものだといえるだろう。

 レコードはエラ、サラ、カーメン他多くの人が出しているが、なんといってもルイ・アームストロングのヴァースからじっくりと歌っているものが群を抜いて いる。ところで上記のようにヴァースは男女で違うので、実際に歌手がヴァースを歌っている場合も、その歌詞は異なっている。  (JAZZ詩大全)

Paul Bley / MY STANDARD
NEW YORK TRIO / THE THINGS WE DID LAST SUMMER
Sarah Vaughan / How long has this been going on ?
Benny Goodman / BENNY GOODMAN & PEGGY LEE

SONG REAL BOOK、  ALL OF THE JAZZ STANDARD 1

男性

Verse (he)

As a tot, when I trotted in little velvet panties
I was kissed by my sisters, my cousins and my aunties
Sad to tell, it was hell---an Inferno worse than Dante's
So, my dear, I swore, "never, nevermore!"
On my list I insisted that kissing must be crossed out!
Now I find I was blind, and, oh lady, how I've lost out!

Chorus

I could cry salty tears
Where have I been all these years?
Little wow, tell me now
How long has this been going on?

There were chills up my spine
And some thrills I can't define
Listen, sweet, I repeat
How long has this been going on?

Oh, I feel that I could melt
Into heaven I'm hurled
I know how Columbus felt
Finding another world

Kiss me once, then once more
What a dunce I was before!
What a break---for heaven's sake!
How long has this been going on?

(男)
 ヴァース

まだ僕が小僧っこで
ビロードのパンツなんかはいてヨチヨチ歩いてたときだけど
僕の姉さんたちや、従兄弟や叔母さんたちが次々と僕にキスするのさ
話すのも辛いけど、それは地獄だったね
ダンテの地獄よりももっとひどいやつさ
だからね、聴いてくれ、こういうのは二度と御免だって僕は誓ったんだ
僕のリストからはキスは抹殺しなけりゃならないってね
でも今は僕は馬鹿だったと思う、そんな事をしてえらい損をしたって思ってるんだ

 コーラス

僕にもこんなに見事な涙が流せたんだよ
じゃ僕は今までずっとなにをしていたのだろう?
ちょっとした驚きだね
ね、教えておくれ
いつからこんなふうになってたんだろう?

僕の背筋にヒヤリと冷たいものが走る
それになにかよく判らない心のときめきも
聴いておくれ
もう一度言うよ
いつからこんなふうになってたんだろう?

ああ、僕は溶けていきそうだ
僕のからだは天国にでも投げ込まれたかのよう
コロンブスが新世界を発見した時
どんな気持ちだったか僕には判るような気がする

キスしておくれ、そしてもう一度
今までなんて僕は馬鹿だったんだろう!
それにひきかえこの幸運は
まったくなんてこった
いつからこんなふうになってたんだろう?

女性

Verse (she)

'Neath the stars at bazaars often I've had to caress men
Five or ten dollars then I'd collect from all those yes-men
Don't be sad, I must add that they meant no more than chessmen
Darling, can't you see 'twas for charity?
Though these lips have made slips, it was never really serious
Who'd'a' thought I'd be brought to a state that's so delirious?

Chorus

I could cry salty tears
When have I been all these years?
Listen, you---tell me, do
How long has this been going on?

What a kick---how I buzz!
Boy, you click as no one does!
Hear me, sweet, I repeat
How long has this been going on?

Dear, when in your arms I creep
That divine rendezvous
Don't wake me, if I'm asleep
Let me dream that it's true

Kiss me twice, then once more
That makes thrice, let's make it four!
What a break---for heaven's sake!
How long has this been going on?


(女)
 ヴァース

慈善市があるとよく星空の下で私は男たちを抱いてやったものよ
そういう馬鹿な男たちから私は5ドルとか10ドルとかのお金をとったわ
でもがっかりしないで
彼らはチェスの駒みたいに私の言いなりだったの
判ってちょうだい、これも慈善だったのよ
この唇がちょっとやり過ぎちゃったんだけど
でも本気じゃなかったし
私が今のように幸せだと思ったことは決してなかったわ

 コーラス

私にもこんなに見事な涙が流せたんだわ
私は今までずっといったい何をしていたのかしら?
聴いて、あなた
そして言って、言ってちょうだい
いつからこんなふうになっちゃったの?

ああこの快感、この私の馬鹿騒ぎ!
なんてあなたは私にピッタリなの!
聴いてちょうだい、あなた
もう一度言うわ
いつからこんなふうになっちゃったの?

私があなたの腕のなかに入り込んでいるとき
あのなにものにも代えられない逢引のとき
私が眠っていたら起こさないでちょうだい
この信じられないような私の夢を壊さないために

二回キスして、それからもう一度
三回になったら、それを四回にしましょう!
こんなに幸せ!
まったくなんていうこと!
いつからこんなふうになっちゃったのかしら?

  第一段落の「そのために」というのは、論理的には、〔不評のために〕「曲を入れ替えたり」にかかるのだろう、が、その理由と6段落目のShapiro Bernstein カンパニーのマネージャーが同一名の曲を出す予定があるから外せ、という圧力をかけてきたというアイラ・ガーシュウィン自身による説明(これはLyrics on Several Occasionsが典拠)とはズレがあるし、その次の段落で、「この話が示しているように、この曲は大ヒットはおろかヒットらしいものでもなく、すこぶる不評からスタートして徐々にスタンダード曲としての地位を獲得したわけで、むしろその内容でがっちりと人気を勝ち得たものだといえるだろう。」と書くのは、論理的におかしい。アイラの回想は「後付け」的とは言え、置き換わった曲について "replaced by 'He Loves and She Loves' (not as good a song as the former 〔前者とは"How Long Has This Been Goin On?"〕, but one that managed to get over) " と述べているが、Smarty の不評と、特定の曲の不評は別問題である。

  「その内容でがっちり」という、詞だけれど、 この原詩の改行は、詞のオカシサを損なっている。The Complete Lyrics of Ira GershwinFunny Face に入れられた詞の最初のところ(これはPeter と Frankie の歌で、最初のverse と refrain はPeter)はこうなっている。――

As a tot,
When I trot-
Ted in little velvet panties,
I was kissed
By my sist-
Ers, my cousins, and my aunties,
Sad to tell,
It was hell―
An Inferno worse than Dante's.
So, my dear, I swore,
"Never, nevermore!"
On my list,*
I insist-
Ed that kissing must be crossed out.
Now I find
I was blind,
And―Oh, lady―how I've lost out!

〔*Rosalie のsolo female version ではこのverse の12-17行は以下にかわる――〕
Then a boy
Brought me joy
From the moment that I knew him.
Oh, what bliss!
Billy's kiss
Made me say directlyto him:

  この、"tot" と "trot(-tted)" とか "kissed" と "sist(-ters)" とか、言葉の途中で無理やり切って、脚韻を踏ませるところが"panties" と "aunties" という卑俗な言葉の韻と並んでモーレツにおかしい(笑)。ついでにいうと、それとダンテの『神曲』地獄篇への言及や、ポーの長詩『大鴉』の "Never, nevermore"** へのアリュージョンという重たくもったいぶったレトリックが併置されているのもさらにおかしい。

**Edgar Allan Poe, The Raven, stanza 11: Startled at the stillness broken by reply so aptly spoken,
`Doubtless,’ said I, `what it utters is its only stock and store,
Caught from some unhappy master whom unmerciful disaster
Followed fast and followed faster till his songs one burden bore --
Till the dirges of his hope that melancholy burden bore
Of “Never--nevermore.”’

   ところで売春婦がどうとか書いてあるが、Funny Face (の前身の Smarty)で使われたとき(つまり1927年10月)、女声は Frankie で、歌詞もこのままだった。Frankie はフラッパーだけれど、娼婦ではない(と思う)。

  それはさておき、 前段の途中で「この曲は題名が印象的なので、一度聴くと忘れられないような雰囲気を持っている。題名の意味は、《いつからこんなふうに なってたんだろう?》と《なっちゃったのかしら》とやや違うふうに訳したが、どちらにもとれると思う。しかし難しい単語などなく一見易しそうに見えて、ど うしてどうして、なかなか解釈に苦労させられる。」と書かれているのはなんなのだろう。誰の声や?

     あ、タイトルじゃなくて、歌詞の中の日本語ね(誤解してました)。しかし、この曲の場合は最後に「(JAZZ詩大全)」と、どこからどこまでのクレジットかはわかりませんが、記載されていたのでした。

   それで、これもあくまで憶測にしかすぎないけれど、少なくともこの曲については、解説も訳詞も、そこからコピーしたのかもしれない。ちがってたら謝るけれど、ちがってるのならちがいがわかるように書くべきだ。それが事実としても、『大衆音楽徒然帖』の膨大なデータ蒐集には頭が下がります、ちょっと。著作権の関係で出典や出典の範囲を明記しないとかいう暗黙のcodeがあったりするのだろうか、無知なのでわからない。

  fallingfrog1.gif

  耳直しに、大好きなオードリ・ヘップバーンの歌を――


"no gniog neeb siht sah gnol woh" (4:23) posted by "Riob420" on May 14, 2008

   タイトルを暗号化するというcode があったりするのだろうか?

   ?かうろだのるすりたっあがedoc ういとるす化号暗をルトイタ      暗号というほどのものじゃないか。

 


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October 11 【メモ】 北川景子広告リンク [メモ personal notes]

October 11, 2008 (Saturday)

  以下は自分で言うのもなんですが、ロクでもない内容です。

  TV、CM、映画と大注目の景子ちゃんが新ブランド"フローレンス" とコラボ! <http://item.rakuten.co.jp/three3rings/c/0000000632/?ovmtc=content&ovadid=13438621041>

    前のオードリ・ヘップバーンの歌の記事を自分であとから読みなおしていたら(もちろん言うまでもなく自分が自分の記事のいちばんの読者なのですが)、最後の広告のところに、なんかめずらしく、1個だけ

 

    北川景子XSweet
    sweet11月号掲載。北川景子xフローレンス。スリーリングスへ

とあった。

 なんでこういう広告になったのだろう。ソネットのブログの管理ページには、「キーワード」というのがあって、それは「ここで指定したキーワードの中から広告表示リンクが本文中に貼られます。未入力の場合、本文から自動で生成されます。」と「?」の説明にはある。モーリちゃんの父の場合、自動生成に基本的にはまかせ、たまに本文中に「エロい」とか「amorous」とか使ったときに、ヤバいかな、とチェックするくらいなのだが、確認すると、今回は自動で「Explorer 英語 映画 Long Internet http sweet four アキレス腱 world long」だった。

  けれど、リンクはよく見ると(よく見ないでも)、 楽天市場だった。なあ~んだ。楽天的なのね(わけわかめ)。

  あ、なあんだ。広告ってコロコロ変わるのね(知らなんだ)。

  ともあれ、なんとなくなつかしかった。北川景子というと、セーラームーンはあんまり見ていなかったけれど、去年の秋のモップ・ガールはモーリちゃんも見ていた。今年の夏のドラマ『太陽と海の教室』というのはアメリカにいるので見るすべがなかったけれど(ほんとはあるのだろうけれどそれに費やすお金がない)。

  いろいろついでに調べていたら、北川景子の勉強をしているという人のブログが目にとまった。いろんな人がいろんな勉強をしているものだ――

  北川景子 - livedoor Blog (ブログ)

   自分も勉強せねば、と思った早朝だった。

 

 

 

 P.S.  この記事のキーワードは「北川景子」と「モップ」に設定してみることにします。

 PPS.  あ、なんか崩れてる~。

 

 


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October 12 【personal note】 Funny Face (1927) [メモ personal notes]

October 12, 2008 (Sunday)

Notes (excerpts) on the plot, cast, staff, and songs for the 1927 musical Funny Face

FunnyFace(1927).jpg

 

A:  [Jimmy refuses to allow Frankie to have her jewels: where is her diary?]

Funny Face

The Oxford Companion to American Theatre

Funny Face (1927), a musical comedy by Fred Thompson, Paul Gerard Smith (book), George Gershwin (music), Ira Gershwin (lyrics). [Alvin Theatre, 250 perf.] When the straitlaced guardian Jimmie Reeves ( Fred Astaire) refuses to allow Frankie ( Adele Astaire) to have her jewels, she arranges with her friend Peter Thurston ( Allen Kearns) to steal them. Two comic burglars, Herbert ( Victor Moore) and Dugsie ( William Kent), are also after the jewels but they have a falling out, although Herbert is unable to shoot Dugsie since he has forgotten to get a shooting license. So everything ends happily, with Frankie keeping both her jewels and her man. Notable songs: The Babbitt and the Bromide; Funny Face; He Loves and She Loves; 'S Wonderful. Originally, the Alex A. Aarons and Vinton Freedley production was titled Smarty with a libretto by Thompson and Robert Benchley. But Benchley bowed out when the show was drastically rewritten and renamed. Applauded by Brooks Atkinson as “uncommonly rollicking entertainment,” the musical was blessed with a rare melange of melody, comedy, and superb dancing. It was in this show that Fred Astaire first danced in evening clothes and a top hat. Some of the songs (but little else) remained when a revival of the show opened at the St. James Theatre in 1983 as MY ONE AND ONLY and ran a profitable 767 performances. Peter Stone and Timothy Meyer were credited with the book that concerned a barnstorming aviator ( Tommy Tune) who romances a swimming star ( Twiggy), the two of them getting mixed up with a bootlegger‐turned‐minister ( Roscoe Lee Browne), some Russian spies, and a tap dancing philosopher ( Charles “Honi” Coles). A few Gershwin songs from other musicals were used to fill out the score, and Tune's ingenious direction and dancing turned the slight piece into a stylish art deco entertainment.
© The Oxford Companion to American Theatre 2004, originally published by Oxford University Press 2004.  [Funny Face - FREE Funny Face Information | Encyclopedia.com <http://www.encyclopedia.com/doc/1O149-FunnyFace.html>]

 

A':

     Funny Face (1927), a musical comedy by Fred Thompson, Paul Gerard Smith (book), George Gershwin (music), Ira Gershwin (lyrics). [Alvin Theatre, 250 perf.] When the straitlaced guardian Jimmie Reeves (Fred Astaire) refuses to allow Frankie (Adele Astaire) to have her jewels, she arranges with her friend Peter Thurston (Allen Kearns) to steal them. Two comic burglars, Herbert (Victor Moore) and Dugsie (William Kent), are also after the jewels but they have a falling out, although Herbert is unable to shoot Dugsie since he has forgotten to get a shooting license. So everything ends happily, with Frankie keeping both her jewels and her man. Notable songs: The Babbitt and the Bromide; Funny Face; He Loves and She Loves; 'S Wonderful. Originally, the Alex A. Aarons and Vinton Freedley production was titled Smarty with a libretto by Thompson and Robert Benchley. But Benchley bowed out when the show was drastically rewritten and renamed. Applauded by Brooks Atkinson as “uncommonly rollicking entertainment,” the musical was blessed with a rare melange of melody, comedy, and superb dancing. It was in this show that Fred Astaire first danced in evening clothes and a top hat. Some of the songs (but little else) remained when a revival of the show opened at the St. James Theatre in 1983 as MY ONE AND ONLY and ran a profitable 767 performances. Peter Stone and Timothy Meyer were credited with the book that concerned a barnstorming aviator (Tommy Tune) who romances a swimming star (Twiggy), the two of them getting mixed up with a bootlegger‐turned‐minister (Roscoe Lee Browne), some Russian spies, and a tap dancing philosopher (Charles “Honi” Coles). A few Gershwin songs from other musicals were used to fill out the score, and Tune's ingenious direction and dancing turned the slight piece into a stylish art deco entertainment.  [Funny Face: Information from Answers.com <http://www.answers.com/topic/funny-face>]

 

B: Funny Face | IBDB: The official source for Broadway Information <http://www.ibdb.com/production.php?id=10498>

 

C:

     The Gershwins were next reunited with the Astaires for a piece that began life out of town as Smarty but reached Broadway as Funny Face (1929), taking its revised title from one of the principal songs.  It was produced at the newly opened Alvin Theatre (which took its name from its owners, Philadelphians Alex A. Aarons and Vinton Freedley, producers of Tip-Toes, Lady Be Good!, and Oh, Kay!).  On its way to Broadway, Funny Face had undergone the sort of drastic overhaul that was typical of shows that depended less on a consistently developed plot and score than on a finely balanced mix of situations, songs, characters, and performers.  The cast is included comedian Victor Moore as one of a pair of comic jewel thieves after a string of pearls.  This has been locked up by one Jimmy Reeve (Fred Astaire), along with a compromising diary belonging to his ward Frankie Wynne (Adele Astaire).  Once again, what mattered were the songs, which included the title song (for Jimmy and Frankie), Jimmy's "My One and Only," and two beautiful duets, "He Loves and She Loves" and "'S Wonderful," for Frankie and her aviator boyfriend Peter.  Among the songs dumped on the road was the later celebrated "How Long Has This Been Going On?"  [Andrew Lamb, 150 Years of Popular Musical Theatre (Yale UP, 2000) 159-60]

 

D:

     The Gershwins (and everybody else, including the audience) had much more luck with Funny Face (1927) [than Lady, Be Good!].  Fred Thomspon and Robert Benchley wrote the stage libretto that again featured the Astaires, but the result, called Smarty, played so poorly in tryouts in Philadelphia that Bencheley resigned, and play doctor Paul Gerard Smith worked on script revisions with Thompson.  A handful of Gershwin songs were replaced by new ones, and comic Victor Moore was added to the cast to beef up the much-needed comedy.  The show that opened in New York was a hit even though the libretto was surprisingly hackneyed, using the old stolen jewels plot device that had been seen in dozens of shows before.  Even the central premise is contrived: Jimmy Reeve (Fred Astaire) has three wards, all pretty girls whose prize belongings he keeps in his safe.  June Wynne (Gertrude MacDonald), for example, has a pearl necklace locked in there.  Her sister Frankie Wynne (Adele Astaire) has a diary that is filled with personal thoughts so incriminating that she convinces her boyfriend, the aviator Peter Thurston (Allen Kearns), to steal it from the safe.  Somehow he manages to steal the pearls instead, setting off a merry chase that takes the cast to the pier at Atlantic City.  To make matters more complicated (and more fun), two humbling crooks played by Moore and William Kent also try to break into the safe and are swept along in the chase.  It was all delightful nonsense made palatable by the engaging playiers and a top-notch Gershwin score that included "He Loves and She Loves," "'S Wonderful," "The Babbitt and the Bromide," "My One and Only," "High Hat," and the engaging title song.
     Hollywood planned on filming Funny Face in 1928 with the Astaires, but, sadly, it never happened; it would have been the only film record of Adele in one of her Broadway roles.  The British made a movie version of the show in 1936 and called it She Knew What She Wanted, but by then Adele had retired and brother Fred was firmly settled in California.  It wasn't until 1957 that Tinsel Town finally filmed Funny Face and then without any of the plot or characters.  All that remained was Fred Astaire and four of the Gershwins' original songs.  Leonard Gershe wrote the screenplay, and it was very much a product of its time, poking fun at the fashion industry, fashion photography, the existential movement, and even the old Cinderella premise.  A Richard Avedon-like photographer named Richard Avery (Astaire) discovers the intellectual Jo Stockton (Audrey Hepburn) working in a Greenwich Village book shop and is smittenwith her gamin looks if not her highbrow manner.  He tries to whisk her off to Paris to make her an international model, but Jo only agrees to go in order to meet the celebrated Sartre-like philosopher Professor Fostre (Michel Auclair), who hangs out at the Parisian Café de Flore.  Fashion editor Maggie Prescott (Kay Thompson) of Quality magazine, who urges the public to "Think Pink!" grooms Jo into a first-class model, but the professor is an oversexed fraud.  It's a tight, clever screenplay that doesn't take itself too seriously and the new and old songs are used effectively throughout.  The real Avedon was "visual consultant" on the movie, and it must have rubbed off because Funny Face is one of the most beautifully filmed pictures of the decade.  Here is a case of the movie script being a vast improvement over the original stage libretto, but one can hardly call it an adaptation.  Gershe's script (originally written for another filmthat never got made) is pure cinema, from its dazzling fashion sequence in various Paris locations, to the arty, pretentious atmosphere of the "beatnik" Café de Flore, to a memorable scene with Astaire and Hepburn dancing in the morning mist.  No one would mistake this for a Broadway show.  [Thomas S. Hischak, Through the Screen Door: What Happened to the Broadway Musical When It Went to Hollywood (Scarecrow, 2004) 24-25]

 

E:

     With their next musical, Funny Face (1927), the Gershwins proceeded on more familiar though, as it turned out, no less shaky ground.  An Arrons and Freedley production, the work was written for the Astaires, who had finished their long run abroad with Lady, Be Good! and were eager to return to Broadway in a new Gershwin show.  Lady, Be Good! coauthors Fred Thompson and Guy Bolton sketched out the scenerio, but an overextended Bolton suggested that for the script--at this point titled Smarty--Thompson collaborate with actor, drama critic, and humorist Robert Benchley (1899-1945).  Edgar MacGregor directed, Bobby Connolly staged their dances, John Wenger created the sets, Kiviette designed the costumes, Robert Russell Bennett and Gershwin orchestrated the score, and Alfred Newman directed the chorus of thirty-eight women and twenty-four men, and an orchestra that once again featured pianists Victor Arden and Phil Ohman.
     The musical went into rehearsal after Labor Day and, according to Astaire, arrived in Philadelphia, two days prior to its announced October 10 world premiere, a "mess."  After two days of intense rehearsal, including a dress that wet past three in the morning, the opening was postponed by one day.  When the show debuted on October 11, the audience received the work politely, but the company knew it was in trouble.  "Gosh, how can I criticize other people's shows from now on?" Benchely famously ramarked, while Richard Rodgers, who attended the premiere, wrote to his wife, "God will have to do miracles if it's to be fixed."  As the show floundered in Philadelphia--"we were awful," recalled Gershwins, in light of their recent debacle in Philadelphia with Strike Up the Band, an ominous feeling of deja vu.
     Aarons and Freedley were determined to get the show into shape, however.  As the company moved from Philadelphia to Washington, D.C. (opening October 31) to Atlantic City (opening November 7) to an extra week in Wilmington (opening November 14), the show underwent continuous alteration.  Paul Gerard Smith arrived to doctor the book, ultimately receiving credit as coauthor in place of Benchley, who bowed out.  Among other cast changes, Allen Kearns arrived from England to replacejuvenile lead Stanley Ridges, and Victor Moore and Earl Hampton were brought in to enlarge the comedy.  Such extensive revisions meant enormous work for everyone, including the Gershwins, who by the time the show rolled into New York had prepared about twenty five numbers--almost all new--for a show that ultimately used about half that.  "We were on the road six weeks," stated Ira, "and everyone concerned with the show worked day and night, recasting, rewriting, rehearsing, recriminating--of rejoicing, there was none."  The New York Times further reported that "almost enough scenery and costumes were discarded to outfit another musical show."  Even in Wilmington, the last stop before New York, nearly every performance involved some adjustment or other, such as reordering the material, though Astaire recalled that by this point the show, now titled Funny Face, was "running smoothly" and "seemed better."  Gershwin remembered in particular a Thursday night performance in which "just as though a miracle had happened, the show suddenly looked great."
     The show's first act opens in the home of Jimmy Reeves (Fred Astaire), who has guardianship over his foster-parents' three natural daughters, Dora (Betty Compton), June (Gertrude McDonald), and Frankie (Adele Astaire). Dora and June are throwing a party in honor of Jimmy's birthday ("Birthday Party").  The guests include Dora's boyfriend, Dugsie Gibbs (William Kent) ("Once").  Because Frankie, and inveterate liar, has penned slanders about Jimmy in her diary, he has confiscated the book and placed it in an envelope in his safe.  Frankie, who wants her diary back, tries to ingratiate herself with Jimmy ("Funny Face"), who advises his pals to keep cool with women ("High Hat").
     Frankie persuades famed aviator and sportsman Peter Thurston (Allen Kearns) to break into Jimmy's safe and retrieve her diary that night, alleging that it contains papers she has been forced to sign; as Peter agrees, the two grow closer ("He Loves and She Loves").  Meanwhile, Jimmy humors Dora by placing her bracelets in an envelope in the same safe.  Two thieves, Chester (Earl Hampton) and his bungling sidekick, Herbert (Victor Moore), break into the safe and abscond with the envelop containing the diary.  As Frankie distracts Jimmy ("Let's Kiss and Make Up"), Peter and Dugsie steal the envelope containing the bracelets ("Final").
     The second act opens with a swim party at the Canal Inn at Lake Wapatog, New Jersey ("In the Swim").  Pursued by both the thieves and the police, Peter, Frankie, and Dugsie assume the identities of an invalid, a nurse, and a doctor expected at the inn.  Peter and Frankie's romance takes wing ("'S Wonderful"), while Dugsie flirts with some girls ("Tell the Doc").  As Dora plots to blackmail Peter into marrying her, Jimmy assures June of his affections ("What Am I Going to Do"--better known as "My One and Only").   After the police discover the bracelets on Peter, Frankie thwarts Dora's scheme by falsely announcing that she married Peter that very morning.
     Pretendingto be married, Frankie and Peter arrive at the Paymore Hotel in Atlantic City, followed by the armed thieves, Jimmy, Dugsie, and the police.  As all converge in their hotel room, chaos ensues.  At the police station, the sergeant calls out the riot squad and discovers a party under way (including a reprise of some music from the show, "Sing a Little Song," performed by Arden and Ohman, the Ritz Quartette, and a small chorus; and perhaps here, too, the dance number "Blue Hullabaloo," introduced by Dora and June and dropped in the course of the run).
     At the Two Million Dollar Pier (reprise of "What Am I Going to Do?"), Jimmy confronts Frankie, who explains that she's not married, but only engaged to Peter.  As for Jimmy's accusation that she's "stark staring mad," she responds, "Why not?  Everybody is cuckoo, these days.  The dumber you talk, the more intelligent everyone thinks you are" ("The Babbitt and the Bromide").  As Dugsie and Dora reunite, Jimmy, who drops charges against Chester and Herbert on receiving the diary, happily permits Frankie to marry Peter ("Finale").
     In preparing the score, the Gershwins adapted at least two discarded songs from previous musicals: "Once" from Tell Me More and "The Moon Is on the Sea" (now "In the Swim") from Oh, Kay!.  Otherwise, the music--as best we can tell, for a handful of the numbers are lost--largely seems to have been original to this show.  Because of the amount of material eventually dropped during tryouts, however, the Gershwins understandably recycled at least four cut numbers in their next musical, Rosalie (1928), most notably "How Long Has This Been Going On?" (originally intended for Frankie and Peter).  Other unused songs similarly turned up in later works, including the jaunty "The World Is Mine" (for Jimmy, June, and Dora) as "Toddlin' Along" in the Nine Fifteen Revue (1930, where, as sung by Nan Blackstone, a so-called coon shouter, it proved one of the show's few bright spots); and the bridge to the plucky "Are You Dancing?" (apparently for June and Chester) as part of "I'm a Poached Egg" for the picture Kiss Me, Stupid (1964).
     The history of yet another dropped song, "Your Eyes! Your Smile!" (for Peter and Frankie, also called "Those Eyes!"), proved particularly convoluted, Gershwin recycled the song's verse--itself derived from the chorus of "Yan-Kee" (1920)--as the verse for "You Started It" from Delicious (1930); and adopted the first phrase of its abab chorus for the verse of "Oh Gee!-Oh Joy!" from Rosalie (1927), and its second phrase, more literally, for the parallel phrase in the chorus of "You've Got What Gets Me" from the film version of Girl Crazy (1932).  For all his fecundity, Gershwin plainly sought to make the most of his ideas once formulated.  The connection with "Yan-Kee," meanwhile, demonstrated the enduring presence of Asian-related elements in his work.  [Howard Pollack, George Gershwin: His Life and Work (U of California P, 2006) 406-9] 

 

F:

      [. . .]  The next production that rolled off the Aarons and Freedley assembly line at first seemed to have all the lineaments of another success: Fred and Adele Astaire, fresh from completing the successful London run of Lady, Be Good!, were slated to star; Guy Bolton and Fred Thompson would write the book; and the Gershwins, of course, would supply the songs.  The source of the problems, as usual, was the book.  Originally entitled Smarty, the show's genesis, as Fred Astaire recalled it, reveals how far such musical comedies were from dramatic substance, let alone integration of songs and story:

We had discussed it with Alex and Vint [Alex Aarons and Vinton Freedley] and finally came round to having an idea written up whereby I would be the legal guardian of three girls, one, of course, being Adele.  Her romance would concern another fellow.  This seemed to be a good idea, but we had no thought about what would happen from there on. [Fred Astaire, Steps in Time (New York: Harper, 1959) 151]


Problems began when Guy Bolton, committedto too many differenct projects, had to back out.  As his replacement he recommended Robert Benchley, a brilliant humorist but hardly the skilled playwright needed to set the streamlined pace such musicals required.  "The script was a problem," Astaire recalled, "one of those things that wouldn't work--even in rehearsals."  Dress rehearsal for the Philadelphia opening was so bad that the producer asked the cast to run through the entire show again--at 1:30 in the morning.  Afterwards, an exhausted Fred Astaire still felt that "opening anywhere with that mess was not pleasant." [Astaire 152]
     The Philadelphia reviewers pounced on the lengthy and ragged production, and Alex Aarons calmly informed the dejected cast that he was holding the show on the road for a few extra weeks while the script was completely rewritten.  Robert Benchley was in no mood for such extensive doctoring.  Noted for his skewering of other people's plays--most pitilessly of Abie's Irish Rose--Benchley's experience in mounting a musical left him chastened.  "Gosh," he admitted, "how can I criticize other people's shows from now on?" [Astaire 153]  Pleading other commitments, he backed out of the show and gave up all royalties, though it embarrassed him that someof the sheet-music for songs from Smarty had already been printed and carried his name.
     In Benchley's place, Paul Gerald Smith was brought in for what amounted to major surgery.  The cast carried the patient from Philadelphia to Washington to Wilmington, rehearsing the revised version during the day while performing the moribund turkey at night.  As Ira recalled, "Everyone concerned with the show worked day and night, recasting, rewriting, rehearsing, recriminating--of rejoicing, there was none." [Lyrics on Several Occasions 24]  In all, he and George wrote twenty-four songs for the production, eleven of which had to be cut to accomodate changes in the script.  Cast changes only added to their woes.  The replacement of Stanley Ridges by Alex Kearns (in the lead role of an aviator--a staple of many shows  that year, designed to cash in on the Lindbergh ballyhoo) meant cutting "How Long Has This Been Going On?", one of George's most sensuously beautiful melodies.  Ira's title, a catch-phrase associated with finding one's matein the arms of another, is transformed into the exclamation of lovers experiencing their first truy passionate kiss.  In the verse, one of his very best, Ira gave a curve to the formula of love-at-first-kiss with clever, light-verse rhymes:

As a tot,
when I trot-
ted in little velvet panties,
I was kissed
by my sist-
ers, my cousins, and my aunties.
Sad to tell,
it was hell,
and inferno worse than Dante's


As good as the song was, "How Long Has This Been Going On?" had to be replaced with "He Loves and She Loves," a melody more in Kearns's vocal range and a simpler lyric that, as Ira put it, "managed to get over" to the out-of-town audiences. [280]  [Philip Furia, Ira Gershwin: The Art of the Lyricist (OUP, 1996) 63-65]


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October 10, 12 【メモ】 ジャズ、ジェンダー、CGP [メモ personal notes]

October 10, 2008 (Friday); 12 (Sunday)

    『ジャズ詩大全』というタイトルはむかし聞いたことがあったと思ったが、『ジャズ名曲全集』と混同していたような気もする。ともかく9月に、ガーシュウィンについて書いているブログを見ているときに目にはした。なーんだ。みんなこれを参照しているのか。

  つーか自分がむかっていたのはなんだったのだろう。

〇著者のリク村尾のHP・ジャズ詩大全・発音・発声・ジャズボーカルレッスン <http://www.geocities.jp/rikmr/> 

〇新潟県のメロンマスクさんによる『ジャズ詩大全』のリスト (あまぞんのリストマニア) 〔でもリストに載っていない改訂版の第1巻とかも出ているようす〕

〇村尾陸男(ウィキペディアの記事

  ジャズピアニストでボーカリスト養成もしている人だそうで、1942年生まれ、慶応義塾工学部中退、ジャズギタリストに。1966年渡米、 67年帰国後ピアニストに転向。『ジャズ詩大全』シリーズは中央アート出版社から1990年に第1巻刊行。あ、翌年すぐに改訂されているのね。ISBN:4886395619 9784886395610

  全二十数巻は多いなあ。それにアメリカじゃ買おうにも買えないし(ほんとは買えなくはないが、そんな金のかかることはできない)。日本に帰ってから忘れなかったら手にとって見てみよう。

  それまでは、もし詩について書くことがあったら・・・・・・WEB のあやしいコピーを参照させていただこう。

   その村尾陸男のホームページに、 「ジャズ詩大全ご紹介いただいたサイト」というコーナーがあって <http://www.geocities.jp/rikmr/eishi/top/syoukai.html>、そのなかに中河 伸俊のホームページ「●流行歌のクロス=ジェンダード・パフォーマンスを考える」 <http://homepage2.nifty.com/tipitina/CGREP.html> があった。リク村尾さんのページに紹介されているのは以下の(本ページでは注釈の)部分――

『ジャズ詩大全 1-10』(村尾陸男著 中央アート出版社 1990-94)所収のいわゆるジャズ・スタンダードの歌詞400曲を通覧してみたが,内容から「男うた」/「女うた」として同定できるものは少数で,ほとんどは無修正かせいぜい人称代名詞や表現に微調整を施す程度で,両性の歌手によって歌い手と同じジェンダーの主人公の歌として歌われているものだった。英語では一人称・二人称にジェンダーによる差がなく,三人称の her/him がどちらも一音節なため(押韻が問題になることはあるにせよ),人称の手直しは簡単なのである。ただし,ビリー・ホリデイで有名な「My Man」のような歌は,歌詞の内容もさりながら,man/woman の音節数の違いも,歌詞のジェンダー調整を困難にしている。同様な理由で(スタンダードではないが),タミー・ワイネットの「Stand By Your Man」,ペギー・リーの「I'm a Woman」,ボー・ディドリーの「I'm a Man」なども,ジェンダー化された歌だということができよう。こうした歌を別のジェンダーの歌手が歌えばCGPになるわけだが,寡聞にしてそうした例は知らない。
 なお,「Love for Sale」という有名スタンダードは,内容的には娼婦の歌らしいのだが,女性歌手だけでなく,男性歌手(メル・トーメなど)によっても歌われている。それが一種のCGPかどうかは,検討すべき課題だ。
 上記のスタンダード歌詞集には対訳がついていいるが,訳した村尾は,歌詞を日本語にする過程でジェンダーを付与する作業をしたことを明らかにしている(「言語における性」 1巻 p.22ほか)。これは,英文邦訳に携わる多くの人が体験することだろう。それだけ,日本語の話しことばはジェンダー的示差性が高いのである。 

   まあ、なんで日本語の翻訳解説本を対象にするのかよくわからんが――通覧というのは日本語英語と両方ということか――Man だのWoman だのがあらわなものがCGP とやらとの関係で問題になるがなんちゃらというのは、日本語の話しことばはジェンダー的示差性が高いというあたりまえの言葉と一緒に、予定調和的な論説に見えた。

  ジャズのスタンダードがしばしば1920年代30年代のミュージカルで使用されたものであったこと、それゆえにverse の部分(これは、元来共通に繰り返されるrefrain [chorus] に対して、繰り返されない詞、それゆえに演者のセリフ性が高いと考えられる)の扱いが「流行歌」として独立させられたときに問題になる、と自分には思われ る。だから、そんなに簡単にhe/she的代名詞問題で片付かんと思うのだけれど。

 

A)歌唱というドラマ(劇)における自己(self)の重層構造

 person---performer(singer)---character

 蒲地法子--松田聖子--「あー 私の恋は 南の風に乗って走るわ・・・」という歌の中の「私」

 流行歌は「3分間のドラマ」であり,その多くが主要登場人物=語り手のモノローグによって構成される(またはそうした独白が歌詞の要所に使われる *1)
 一人称がない歌(隠れたナレーターによる語りの歌 *2)もあるし,対話形式の歌もある *3/歌詞の主体(自己)構造に注目したタイポロジー作りが行なわれるべきだろう/ここではとりあえず,流行歌の歌世界を,語り物(義太夫,浪曲,講談など)の入り組んだ構築物の一断片のようなものとして捉えておきたい/語り物は,演者=語り手による「地」の語りと,演者が複数の登場人物に「なって」演ずるセリフの応酬とによって構成されるが,そのうちの後者の,しかもただ一人の登場人物によるモノローグのみを独立させたものが,流行歌の歌世界だといえなくもない 


  ペルソナとパーソナリティー問題。文学的語りの多重性の問題を考えること。

  しかし、CGP か。なんでも約す(アルファベットで略す)くせが日本にも浸透しているのだろうか。

    この中河伸俊のHP は日本で「クロス=ジェンダード・パフォーマンス」(Cross-gendered performance だけど、英語だと cross-gender performance ということのほうが多いみたい、少なくとも今は)をネット上で云々している(いた)人たちが言及する有名なサイトだったみたいです。そういえば一昔前に雑誌『ユリイカ』でなんか特集があったような。

  現在の日本で使われておるのですかね――

女性歌手で日本語一人称「僕」の歌を歌っているのは、日本人女性歌手だけのようで...  

gigawave_14001さん

女性歌手で日本語一人称「僕」の歌を歌っているのは、日本人女性歌手だけのようですが、果たして実際のところはどんな状況でしょうか?

日本ではクロス・ジェンダード・パフォーマンスと称して、男性歌手が女性の心情を歌い、また逆に女性歌手が男性の心情を歌っている事例が見られる中、日本人男性歌手だけでなく、アメリカ人男性歌手のジェロさんでも日本語一人称「私」の歌を歌っている事例が見られる反面、女性歌手で日本語一人称「僕」の歌を歌っているのは、日本人女性歌手だけのようですが、果たして実際のところはどんな状況でしょうか?
皆さんからの様々な回答をお待ちしています。 質問日時:2008/4/15 22:54:19 〔Yahoo知恵袋<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015960665>

   「クロス・ ジェンダード・パフォーマンスと称して」歌っていたのか!? 

   同じく知恵袋――

米国出身の男性演歌歌手ジェロさんが日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例と...

gigawave_14001さん

米国出身の男性演歌歌手ジェロさんが日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例とは逆の事例があってもいいのでは・・・?

先日私はユーチューブのサイトを通じて、アメリカ出身の男性演歌歌手、ジェロさんが「釜山港へ帰れ」、「津軽海峡冬景色」及び「海雪」を熱唱しているビデオを閲覧しました。

参考ページアドレス
「釜山港へ帰れ」及び「津軽海峡冬景色」
http://www.youtube.com/watch?v=RqtgJ5TJi8M

「海雪」
http://www.youtube.com/watch?v=YEmeVeQe56U

以前から日本では、クロス・ジェンダード・パフォーマンスと称して、男性歌手が女性の心境を、また逆に女性歌手が男性の心境を歌う事例が見られる中、まさかアメリカ出身のジェロさんが「釜山港へ帰れ」、「津軽海峡冬景色」及び「海雪」のように日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例には、私も驚きました。
アメリカ出身のジェロさんが前述の3曲のように、日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例が見られるのであれば、今後はその逆の事例として、在日外国人女性がカラオケあるいはのど自慢大会において、日本語一人称「僕」の歌を熱唱するような事例があってもいいのではないかと私は思うのですが、皆さんならどう考えますか?
皆さんからの様々な回答をお待ちしています。

   以前から「クロス・ジェンダード・パフォーマンスと称して」歌っていたのか?? あ、同じひとだった(爆)。

     これの回答は愉快だ――「ややこしく書いてありか[ママ]すが、要は男性が「女性の」一人称やその逆はあってもいいのか?って言うことですね?
本人の歌ではなく、元の歌手がいて、それでそれをカバーしている訳なので、上手であればそれでいいのでは? あまりこだわりはないと思います。」

   大人である。

 

  自分がおおスザンナやラインダンスやカウボーイで問題にしていたのはCGP というものなのかなあ。なんかそれだけじゃなかったような(ボケているで笑)。

  あと一冊の本――

『鳴り響く性―日本のポピュラー音楽とジェンダー』(あまぞんでーた

北川 純子

  • 単行本: 283ページ
  • 出版社: 勁草書房 (1999/09)
  • ISBN-10: 4326851635
  • ISBN-13: 978-4326851638
  • 発売日: 1999/09

 

  以上、私的( ..)φメモメモ

  ちょっと勉強してみよう。

 追加――

"Cross-Dressing & Gender Performance in Burlesque" <http://library.osu.edu/sites/exhibits/burlesque/gender.html>

Bridget Cauthery, "Cross Gender Performance: Dispelling the Binary" The Dance Current <http://www.thedancecurrent.com/reviews.cfm?review_id=152&view=>

 

 


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