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June 29 個人的 メモ(2)  システム  personal notes (2) system [メモ]

June 29, 2008 (Sunday) 12:00pm

これはただの個人的メモです。  以下はまったくの個人的メモですからひまな人以外は読まれないほうがよいです。読んでもおおむね無意味です。

   わけもわからぬままブログをはじめて2ヶ月になる。なんとなく気になるひとのブログを、ブックマークに入れておくだけでは見ないので、「読んでいるブログ」というのに入れているが、必ずしも共感しないものも入っている。いろいろなのだがそんななかのひとつ、外国文学のブログで「『美女と野獣』(ボーモン夫人)のレポートについて」という記事が今朝目にとまった。そしてそのなかで2) 作品の全体像を捉える。そのためには、作品のあらすじ、並びに構成ないしはシステム(体系)をとらえるようにする。 と書かれ、あとでも「構成ないしシステム」、「構成又はシステム」とくりかえされているのが気になった。気になったというのは、おかしい、という意味ではまったくない。ある作品のシステムみたいな考え方が一般的なものかどうかちょっと気になった。  

論文執筆にあたって 

論文としては、一番のポイントは作ってみた作品がシステムとしてどの部分が直感を実現できているか、どの部分ができないか?ということを考えてみるとよいと思います。
例えば新しいシステムを思いついてもすでにあることがよくあります。でも、それで新規性がないと考えることはやめましょう。そうではなくて、実際近いシステムを作ったとき、実現のために気をつけなければいけない事や「やってみてわかった事」があるはずです。そして、やったからこそわかるそのシステムのできることとできないこともあるはずです。そこから作った作品のシステムは何に向いているとかということが導き出せるでしょう。

   これは迎山和司研究室の「論文と発表」のページにある一節だが、どうやらコンピューター関係の研究であるようだ。公立はこだて未来大学というところでの情報アーキテクチャ学というもののようであります。ならわかる。

   考えてみれば、構造主義以降の発想ならば文学作品がシステムとしてとらえられても不思議はないし、もうちょっと歴史的に考えてみるとロシアフォルマリスムの考え方はそんなもんだったろう。し、ニュークリティシズムもそんなところと合わなくはないかもしれない。考えてみればsystemとは理工系だけのものでなく、自然や生態や生体を指して使われる言葉でもあったのだから、文学作品を有機体として捉えるニュークリでも認められてもいい言葉かなあという程度のことだけれど。

   小宇宙としての文学作品とかなんとかいう発想を自分はけっこう前からしてきたし、閉じた系としての作品におけるエントロピーの増大みたいなものをポーやピンチョンをつなげたときに考えていたような気もするのだけれど、作品のシステムというようなとらえ方が一般的とは思っていなかった。

   で、美女と野獣のレポートの指示を読んでみたけれど、システムと呼ぶことの意味がよくはわからなかった。それで気になって、ブログ内を探索してみた。そしたら「イコノロジー・図像学・アレゴリー」という "Theme" のところに以下の記事があった(2007.3.23)。

検討問題:普遍的芸術空間について:イデア論的現象表現としての芸術

Theme: イコノロジー/図像学/アレゴリー toxandoria氏の論考にコメントを書き、それへの返事を頂いて、思い出したが、普遍的芸術空間の創造とは、イデア論的アレゴリー空間的な現象表現が適しているのではないかと思った。

アレゴリー次元とはイデア次元で、超越次元である。この普遍次元・空間に基づいて、時代の問題を表現するのである。芭蕉的に言えば、不易と流行が共振して、特異性=普遍性の表現ができると思うのである。

シンボルもアレゴリーとして見ればいいのである。

そうすると、時代を超えた、且つ、時代批判的表現ができると思うのである。デューラーやゴヤやピカソのアレゴリー的表現を見よ。

参考:

[ ]厚化粧の「美しい国 」から「フジヤマ・ゲイシャ・ハラキリ」への回帰?

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070323/p1


toxandoria

toxandoria

『toxandoria の日記、アートと社会』

 

   検討問題というのが生徒さんにむかって投げられたものか、ご自身のものかはわからない。toxandoria氏という人を知らなかったのだが、クリックしてみた。どこをクリックしたらいいのかわからなかったのだが、みんなクリックしてみた。しかしhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070323/p1 をクリックするのが正しいようだ。

   で、右往左往しながら読んでみた。右往左往する必要がなかったのはあとでわかったことで、シミュラクルしながらシステムが構築されているもののようであるらしいという感覚が残った。氏の最近の記事は「日本社会のバランサーを破壊した自公政権の重罪(シミュラク-ル化する日本の深層)」とそれのもとになった前日の「映画『幻影師アイゼンハイム』が“現前”させる現代日本「シミュラク-ル社会化」の病理」という記事だった(「記事の趣旨が分かりにくい表題となっていたこと、および部分的な加除・修正があったため、改題して再UP」なさったとのことである)。いや、シミュラクルではなくて差異化がもくろまれているのか。simulacra化する社会に抗して。いやイデアの現前がもくろまれているのか。

   シミュラクルしながらくるくるとシステムが構築されているもののようであるらしいというのは「歴史の女神クリオが拒絶する「美しい国」のシンクロ現象」にコメントを寄せて「厚化粧の「美しい国」から「フジヤマ・ゲイシャ・ハラキリ」への回帰?」に回収されたrenshiさまも共鳴共振なさっているようにも思われる。が、実はよくわからない。ちょっと衝撃的なくらいわからない自分がいた、というのが正直なところなのかもしれない。

   しかし両者のブログのシステムは違っている。自分はどちら系でもないと思った。

   メモのメモ・・・・・・ギリシア以来のシステムの概念史をミメーシスとの関係でも考えること。 〆(- -)m メモメモ

 

 

 


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