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December 29-30 擬似科学をめぐって(3) 魂の学としての心理学 (つづき) On Pseudosciences (3) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

December 29, 2008 (Monday)
December 30, 2008 (Tuesday)

   承前

  "psychology" に付された『オックスフォード英語大辞典』の「注」が語っているのは、以下のようなことです。――(「プシュケーの学」というギリシア語に由来するけれど、ギリシア語そのものにpsychology をあらわす語は存在したわけではなくて)psychology ということばの始まりは、近代ラテン語psychologia のかたちで、16世紀のドイツにおいてである。人文主義者のメランヒトン Melanchthon (, Philipp 1497-1560) が講義のタイトルに使った、あるいは Freigius (, Johann Thomas, 1543-1583) も1575年に口頭で使ったようだが、文献としては1590年代に、マールブルグの Goclenius と弟子のCasmann が Psychologia anthropologica. sive animæ humanæ doctrina で使用した。その後、Anthropologia の二つの部分としてPsychologiaSomatotomia (ないしSomatogia) を考えることが一般化した。そしてこの意味で、psychologia の語は、17世紀の医学者の書くものに頻繁にあらわれる――たとえば Blancard の1679年の Lexicon Medicum 『医学事典』とか、フランス語で、Dionis の1690年のAnatomie de H'Lomme 『人間の解剖』とか。この辞書に挙げた英語の文献の最初のものはBlancard の英訳で1693年。Hatzfeld-Darmesteter によれば、フランス語ではこの語を16世紀にTaillepied は "the science of the apparition of spirits" 〔霊の出現の科学〕 の意味で使用したという。哲学的な意味では、ラテン語著述家の一部がこの語を使用した。たとえばThomas Govan (Ars Sciendi sive Logica (1682))は、Physica つまり自然科学を二領域に分け、霊あるいは霊的存在の科学であるPneumatologia と物体の科学であるPhysiologia とした。Pneumatologia は三つの下位区分があり、神の教義であるTheologia 〔神学〕、天使(と悪魔)の教義である Angelographia 〔天使学〕(Demonologia 〔悪魔学〕を含む)、そして人間の魂の教義であるPsychologia であるとした。現代的な意味の始まりは、Christian von Wolff, 1679-1754 の Psychologia Empirica (1732)、Psychologia Rationalis (1734) である。この語はカントも使用したが、19世紀になるまでは近代諸語ではそれほど使用されなかった。

  前段の医学関係では、というので出てくるsomatotomia とかsomatologia の "soma" はギリシア語の「体 body」です。だから、人間 anthropos を体と魂に二分して、後者のほうを医学的に扱うのがpsychologia という意味です。

  よくわからないのはHatzfeld-Darmesteter (誰でしょう、調べていません [30日朝追記 調べました。Adolphe Hatzfeld, 1824-1900 アドルフ・ハッツフェルド と Arsène Darmesteter, 1846-88 アルセーヌ・ダルメステテールというふたりのフランス人学者による2巻本の辞典Dictionnaire général de la langue française (1895-1900)])がいうにはなんたらいうフランス人は霊的出現の学、ということは幽霊学ですかね、の意味で使ったと。

    さらに17世紀のThomas Govan さんは Pneumatologia 〔霊学〕――pneuma はやっぱりギリシア語で「霊」――を Physiologia (この語の英語のphysiologyは文字どおりには natural science をあらわす言葉だったはずですけれど、その後の歴史では「生理学」ですね。ちなみにphysiognomy というと擬似科学のひとつとなる「観相学」です) と二分して、前者のpneumatology の下位区分にpsychology を入れる。

  こういうことからあらためて強く意識させられるのは、ヨーロッパの思想において、いかにbody と soul の二分法が力をもち、逆にいうと soul と spirit の区分がいかに曖昧であったか、ということです。

  つまり、人間存在を構成するものは何か。あるいは人間とは何か。

  ここで歴史的な見取り図をおおざっぱに透視(といってもclairvoyance ではなくて単なる perspectiveですw)しておくと、中世において霊と魂を区分するトリコトミーが異端視される→17世紀にデカルト的二元論が主張される→実証主義的科学主義が力をもつ→唯物論的思考が力をもつ→人間は物質的に解析される→20世紀後半心身論がさかんに議論される→心は脳に還元される→唯脳論(爆)

  もっと簡単に書くと、psychology に即していえば、霊・霊魂・魂→精神 psyche [soul]→心・心理 [heart]→知・認知・知能[mind=head]

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  なんか本来考えていたことからどんどんそれそうなので戻ります。

  いずれちょっとくわしく述べますけれど、19世紀前半から中葉の擬似科学の中心にあったのはメスメリズムと言っていいと思います。mesmerism は hypnotism (hypnos はギリシア語で眠りsleep の意味)の同義語という側面もあり、つまり催眠術ですが、名前のもととなったメスマーさん自体は「動物磁気説」を唱えました。星辰界と地球・人体との影響関係を説く動物磁気説自体はアカデミズムから退けられますが、磁気を利用したメスメリズムの技術は医学界では19世紀末まで利用され、催眠術は第一にオカルティストの間で尊重され、第二に「奇術師」の間でも尊重される、と同時に初期の精神分析学でも重要な役割を演じることになります。

    前回にあげた「精神分析学」のほうのウィキペディアの記事でフロイトのふるまいについて触れている箇所を引いておきましたけれど、フロイトは個人的には超自然現象とか霊媒とか超能力とかに関心があったにもかかわらず、学問的にはそういう「超常的」なもの、心理学を超える超越的なもの、を抑えて(あるいは心理に還元する形で――たとえば悪魔はイドに、天使は超自我に――)無意識理論を展開したのだと考えられます。ウィリアム・ジェームズみたいな人は、ある種の能天気さで超常現象とかをまともに論じますから歴史的にはダメなんだろうなあ。

  一つの問題は、神あるいは神学と世俗の学問領域との関係が積極的に断ち切られて以降の学者のふるまい(宗教問題は棚上げ、というよりむしろタブー視される)の微妙さにあるかもしれません。宗教学者は必ずしも宗教を信仰しない、というのは文学研究者は必ずしも文学作品を書かないというのよりは意識されない事実かもしれませんが、belief はむしろ学問なり科学的探究の邪魔になるという了解はあったりするのかもしれない。これは素朴に考えると、たぶんゆがんでいておかしいのだけれど(あくまで素朴に考えてです。たとえばAを批判するためにだけAという対象に没頭するというのはなんなんだろう。まあ、いいけど。愛があったほうが生き方としてはよいと思われ)。

  また話がそれました。それで、あくまでウィキペディア内での比較ですけれど、心理学史は、天文学史が積極的に歴史を遡ると同時に占星術についても記録するのと対照的に、19世紀末に起こった、として、前史(?) をあたかも抑圧しているかに見えるのでした。

  けれども、その「学」的内実がいかなるものであったにせよ、それ以前からあったし、19世紀前半の擬似科学内においても、通用する言葉としてありました。たとえば、1842年ニューヨークで創刊された雑誌 Magnet の創刊号表紙――

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  これは動物磁気説とメスメリズムの雑誌なわけですけれど、左右の枠に左下から順に "PHYSIOLOGY, PHRENOLOGY, PHYSIOGNOMY, PATHOGNOMY, PSYCHOLOGY, MAGNETISM." と記されています。同様に "psychology" が入った表紙は、Fowler の骨相学雑誌でもそうだった記憶があります。

  ここで、この頃のpsychology はいまのpsychology 、まして日本語の「心理学」とは別物で関係ありません、という態度をとることはできます、もちろん、とりたければ。

  けれども、いったい何を棄てて、現代の「科学」(それも「擬似科学」を峻別するたぐいの科学)は成立しているのかを考える材料となるのは明らかでしょう。そして、それは、もはや前近代とはいえない19世紀前半において人々が「擬似科学」に何を求めていたのか、その求めていたものは現代人と無縁の迷信的産物でしかないのかどうかを考える材料にもなるでしょう。もっとも現代とまったく同じしょうもない擬似科学問題でした、というオチもありえますがw。

 

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  書いた後で次の短いけどむつかしげな哲学論文を見つけました。R. G. コリングウッドがpsychology について論じている文章をDavid Pierce という人がOED を引証して論じています。いずれトリコトミーがらみで言及できたら言及します。――
David Pierce, "Notes on Collingwood's Principles of Art" <http://www.math.metu.edu.tr/~dpierce/philosophy/Collingwood/Principles_of_Art/art.pdf> 〔HTMLバージョン

 


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