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January 1-2 ゴシック小説と合理主義(その1)――擬似科学をめぐって(5)  On Pseudosciences (5) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]

January 01, 2009 (Thursday)
January 02, 2009 (Friday)

   「December 30-31 擬似科学と科学についての覚え書――擬似科学をめぐって(4)  On Pseudosciences (4)」のつづきで、歴史的な文脈をもうちょっと考えておきたいと思います。むかし書いたものから引っ張ってきたり、自己剽窃も辞さずに覚え書的に書きます。

  前回最後のところで、つぎのように書きました。――

  ここのところが(たぶん)ややこしいのですけれど、ひとつに(もはや迷信的とも思われかねない)宗教的世界観があり、もうひとつに科学的な世界観がありそうなものですが、ふたつの対立は、さらに科学的と見える世界観のなかで対立を起こして、いっぽうは擬似科学とされてしまう。
  だから、また風呂敷を広げると、キリスト教の神中心の世界から人間中心の世界へと移行していく近代の流れ(いわゆる世俗化 secularization)の中で、世俗の人たちはあっさりと神や霊を棄てたわけではない、というようなことが問題になるんだろうと思われます。

  さて、自分の専門の文学でいうと18世紀後半からのゴシシズム(ゴシック・ロマンス)から世紀をまたいでのロマン主義、そして19世紀のリアリズムという流れと科学・擬似科学問題がどういうふうに関わるか、というのは、まあ、自分のもともとの関心の核に近いことではありますけれど、あまりに大きすぎる主題で、それを論じようとしても自分には無理ですし、頭が爆発しかねませんので、断片的なつっこみと、透視的な見取り図だけを目指して書いていこうとあらためて思っています。で、見取り図の続きというようなことになります。

  17世紀の科学革命なるものの延長で、18世紀に合理主義がかつて超自然と考えられてきた事柄に対して行なった説明は、そういう事象・現象を人間の心、さらには体の問題に還元することによって行なわれました。18世紀末から19世紀前半にかけて、生理学や心理学や医学などの立場から、古い「迷妄」「迷信」に対する科学的な説明がなされるようになります。幽霊は錯視、光と影の光学的幻覚、熱病や薬物による譜妄とされます。哲学ではスコットランド常識哲学が認識の誤謬を説きました。また、夢における霊的啓示はロマン派の常套的なモチーフですが、その陰画である悪夢については、霊介在説は退けられ、身体の異常、睡眠時の姿勢、あるいは胃酸過多によるなどとされました。かつては悪夢を見させる霊は、狂気を起こさせる霊と同一ないし同種の霊と考えられていたのでした。つまり、「霊」の存在が前提化されていた事象の原因が人間内部にあると説明されるようになったわけです。このような時期にイギリスで興ったゴシック・ロマンスは、中世的な(霊を当然視する)意識と近代的な(霊を疑問視する)意識を混交させた文学形態でした。

  しかし、悪魔や悪霊がいなくなったら(大多数の人にとっては)ハッピーなことかもしれませんが、一悪魔と一緒に天使もいなくなり、さらには、これがいちばん深刻なことでしょうが、神さえも迷信視されてしまったらどうなるか。人間は教会制度から自由になったけれど、人間存在の基盤が、人間のみならず世界の存在の理由と根拠が、なくなってしまいかねません。もうちょっと俗っぽく考えてみると、悪魔や悪霊がいなくなるというのは、それまでは悪の原因としていたものが人間内部にすべて帰せられるということです。そうなると、たとえば犯罪の責任は、犯罪者その人か、あるいは
  だとすると、ゴシック小説の恐怖というのは、捨ててしまったはずの悪魔と悪霊たちの恐怖であると同時に、悪魔と悪霊たちを棄ててしまうことの恐怖を内包しているのかもしれません。さらにややこしいのは、神中心の世界観が崩壊して人間中心主義へ移行するとして、ルネサンス以来の人間中心主義(ヒューマニズム)は、キリスト教との接点を折々にさぐりながらも(たとえばクリスチャン・カバラとか、錬金術における救済思想とか)、異端的な人間中心主義――端的に言って、人間の霊性、神性を探究する姿勢――をもっていたということがあります。そういう、現代の科学的合理主義の目で見れば、前近代的な思想が、近代的自我の揺らぎの時代に一部の人によって復興されたからといって不思議ではないし、実際それがロマン主義の一部において起こったことだった、と自分は考えています。

      ★ ☆ ☆ ★

  で、preromanticism (前ロマン主義)とか呼ばれたりもするゴシック。この(前ロマン主義という)呼称は前ラファエロ主義のような知名度はないし、というか、単純にゴシックとして名が通っているわけですが、ラファエロの前にと類推的にロマン主義以前に回帰するというような意味合いはまったくなく、むしろ積極的にロマン主義への道を開いたけれど、ロマン主義にはなりえていない半端もん、というような感じがなくはない(たぶん)。要するに過渡的な反動主義みたいな位置づけ。ちょっと暴発しちゃったみたいな(とくに暴力とセックスにおいて、仮にそれが隠微であるにせよ)。だけど、思うに、そのアラワな反合理主義によって(つうか、ありていにいえば、テラー、ホラーという恐怖をつくりだす姿勢によって)、現代の大衆的嗜好へ(詩学とか小説理論とかこむつかしいことをいわんでいいぶん)直結しているのがゴシックかもしれず。

  しかし、誰もがいうように、特に現代というのでなく、イギリスの方で表向きの流行が終わった1820年以降にもアメリカではずっと作家ならびに読者を捉えるものとしてゴシック文学はあり、そのへんがアメリカならびにアメリカ文学の特殊性とどうかかわるかという問題がかねて論じられておるわけです。

  以下、ちょっと自己剽窃的に。

  18世紀後半から19世紀前半にかけての汎欧米的なゴシック文学の流行はおそらく次のように説明され(う)るだろう。①ゴシックは反合理主義の表明である。②ゴシックは近代人の孤独と恐怖の表現である。③ゴシックは中世の宗教的態度を少なくとも廃嘘として、幻として持っている。④ゴシックは美学や神秘主義を盛る器として作家に利用される。
   ①ゴシック・ロマンスがイギリスで興った18世紀後半は、啓蒙主義の時代であり、産業革命が開始される時代であり、合理的で世俗的な思考を偏重した時代精神に対する反動作用として流行は説明される。嚆矢とされる『オトラントの城』(1764)を書いたウォルポール自身は、④と関わるかたちではあるが、文学の状況として、「今日、ロマンスからさえも奇跡、ヴィジョン、妖術、夢、その他の超自然的事件が放逐されている」事態に反抗するかたちで、超自然的な出来事を当然視する中世的な世界観とそれらを疑問視・迷信視する近代的な世界観を融合させるべく二種類のロマンスの融合を試みた(再版序文)。すなわち、ここでいう合理主義とは、現実におけると、文学におけると双方を含む。
  ②啓蒙思想と産業革命は人々に都市型の生活を促し、都市の生活は田舎の生活にも影響を及ぼし、伝統的な共同体的宗教観と社会観を崩壊させ、それによって人々は個人主義的な孤独にさらされることになったと考えられる。ケネス・クラークは、キリスト教信仰の衰退がイギリスで最初に起こり、知的真空状態を埋めるために「自然崇拝」が呼び込まれた、といささか図式的に記述しているが(「芸術と文明」)、キリスト教の衰退、自然崇拝、ゴシック・ロマンス、産業革命が、いずれもイギリスでいちはやく同時代的な連鎖のごとくに興っていることは偶然ではない。「暗いロマン主義」とも呼ばれるゴシックは、人間性の恐怖(人がどれだけ堕落し残酷になりうるか)、他者性の恐怖(見知らぬ人間、あるいは自らの内なる他者がいかに秘密や陰謀をはらんでいるか)、死の恐怖(とりわけ宗教によって死後の生を保証・保障されず、救済を与えられないときの)など、さまざまな、近代の孤独な個人主義的人間の「恐怖」を「動力engine」(ウォルポール)として開花したと考えられる。倫理と審美を乖離させたエドマンド・バークのサブライムの美学が、イギリスで定式化されてゴシック小説の美学的バックボーンになったこと、その新しい美が何よりも恐怖を源泉としていたこと(「苦痛と危険の観念を刺激するにふさわしいものは何であれ、つまり、ともかく、恐ろしいもの、恐ろしい対象と関係するもの、ある点で恐怖に類するものは何であれ、ザ・サブライムの源泉である」)は、上述の思想史的カタログと当然連繋している。
 たとえば、ポーの作品について、詩人のW・H・オーデンは次のように分類するが、「孤独」「自我」が鍵になっている(もっともどちらかといえば、ロマン主義の文脈の中で捉えられているのだろうが)――「ポーの主要作品は大まかに二つのグループに分類できる。その一つは、意志する人間の存在様式にかかわるもので、孤独な自我が他の自我と合一をはかる破壊的情熱を扱うもの(「ライジーア」)、純粋理性によって、見せかけや情緒が隠蔽する真の関係を発見するために客観的であろうとする意識的自我の情熱を扱うもの(短篇「盗まれた手紙」)、自我と自己とがはげしく敵対する自己破壊的情熱を扱うもの(「あまのじゃく」)、また怪物的情熱、つまりあらゆる情熱に欠ける人間の情熱的な不安を扱うもの(「群集の人」)などである。……第二のグループは「大渦の底へ」や『ゴードン・ピム』などを含むが、ここでは意志と環境との関係は逆転する。……そこで起こるすべては主人公の個人的選択の結果ではない。すべてが彼に対して起こる.主人公が感じること――興味、興奮、恐怖――は、彼には自由にならない出来事によって惹起されるのである。」(オーデン編のRinehart 版ポー作品集の序文)。 要するに、ゴシック的な恐怖は、世界に対する心理的な秩序の崩壊を反映していたのではないかということだ。(しかし、先走って言えば、個人主義の行方は三つ考えられるだろう。第一に個人主義は恐怖ではなくて自由としての濃度を増して肯定的に捉えるようになっていき、ゴシック小説は文字通りに娯楽となって文学的流行としては衰える運命になったlこの事態はサブライムの美学に即して言うなら、「苦痛と危険の観念を抱きながら、実際には危険な状況にないとき、その感覚はよろこばしい」(バーク)という、恐怖の危険なき享受の面でのみサブライムを捉える立場だ。第二に再び反動的に宗教的なものが求められ、より世俗化された信仰による支えを与えられたうえで社会における個人の自由が求められた。第三にロマン主義的ないしオカルト的な「自己信頼」が主張された。(一方、アメリカ的な「恐怖」の事態としては、異人種に対する恐怖・不安が、「近代化」の裏側にあった迫害と搾取の裏側に貼りついていたというべきか。)
 ③ゴシックとは、十八世紀中頃、中世趣味の流行の中で建築・美術の意味合いが強かったのを、ウォルポールが文学に適用した(中世の城や寺院を舞台にした幻想的・超自然的事件の効果に移行させた)ものであった。ゴシック小説における建物はしばしば人間(精神)の比楡となっている。建築とは世界観の表われであるとともに、人間観の表明である。文化人類学的に言えば、家はもともと小宇宙であり、かつ同時に、天・地・地下をつなぐ世界軸であった。ゴシック建築を否定してでてきたルネサンス建築が、ヒューマニズムの表現として、横に伸びる水平性を強調するものだったのに対して、ゴシックは垂直性の意識がきわめて強い様式だった。たとえばシャルトルの大聖堂のようなゴシック建築は、下から上昇する方向性、上方への衝動とともに、上から下への働きかけが、つまり、光への憧れと、この下からの人間的努力に対する上からの働きかけがダイナミックに統一された、光と闇の舞台となっている。ゴシック・ロマンスがイギリスでおこったとき、建築のゴシックとはイングランドの地方に見られる古い建物全般に対して与えられていた名称で、結局ゴシック・ロマンスとは、それがいわば構造的になぞった建築のほうも、ロマンスのほうも、中世のまがいものだった。この形式が人間観、世界観を表現しているとするなら、つまりは一個の小宇宙として、あるいは(ミルチャ・エリァーデが言うような意味で)「宗教的人間」として、自らを定立できない近代人の、懐疑、憧れ、恐怖、不安といったものが(あるいはときに反動的な悪魔主義とかも)、しばしば建物Ⅱ人間の比愉をともなってゴシック小説にあらわれてくるのは当然である。なるほどゴシック小説は「恐怖小説」なのかもしれないけれど、恐怖をサブライムの源泉としたパークが、美学的には、サブライムが持っていた「魂の上昇」という宗教的意味合いを捨ててしまったとはいえ、甦ってくる。これは倫理と審美の乖離を引き起こしたはずのサプライムの美学に裏打ちされたゴシックが、悪の問題を通して垂直方向のモラル・コンサーンを内包するのと同じである。
 ④ウォルポールは新旧二種類のロマンスの融合を試みたが、その二種の内容とは、図式的に言えば「超自然」と「自然」、スーパーナチュラリズムとリアリズムであった。つまり、幽霊や魔術や超自然(「幻想 fantastic」を論じたツヴェタン・トドロフと、と言うか、フランス文学の「メルヴェイュー」と、見事に合致するかたちでウォルポールは「驚異的 marvelous と呼ぶ)を当然視する中世的な世界観・芸術観と、霊や超常的な現象を迷信として否定する(さらには神をも否定するだろう)近代人の観念との衝突を意図していた。キリスト教倫理(善)に一致した美を二次的ないし相対的なものとするサブライムの美学が前景化したときに、あるいは大手を振るって「恐怖」が求められたときに、超自然(と見えるもの)が有用であったのは当然であった。そうして、美学に裏打ちされて物語を構築するところから、逆転して「美」の顕現のために物語を構築する立場は、とりわけリアリズム以前の「芸術家」にとっては、自然なことであっただろう(美や芸術家という前提を含んでいるのだけれど)。あるいはパーク以来の倫理と審美の乖離の流れに逆らって宗教的なものを美にあらためて結びつける反バーク、反(擬人主義的)ピクチャレスクな態度はアメリカに著しく特徴的だった(詩人画家ワシントン・アルストン Washington Allston が典型)。
  あるいは、より散文に適した事態としては、超自然的、超越的な事柄、あるいは宗教的・擬似宗教的・神秘主義的・神秘学的テーマを扱うのにゴシックというジャンルは適していた。

  (まったくだれが読むのかわかりませんがつづきます)

  


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